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一章 帽子屋の肉 1P

 そこは造られた砂漠プリテンドデザート

 途方もない土地を切り取るような国壁の内側には、草原の国が広がっている。

 彷徨える旅人は、その名から肥沃ひよくの地か、あるいは楽園を夢見てここを目指す。

 しかし、草原の国には旅人を落胆させる材料が多い。

 真っ先に挙げられるのは、その名ばかりで草原がどこにもないこと。

 そして、町々の間に建つ拒絶の石壁。この石壁はどんな大金を積んでも越えられない。

 これらを受け入れた旅人をさらに驚かせるのは、砂鳥と呼ばれる不吉な者たちの存在。

 砂鳥とは、鳥の言葉を理解し、なんらかの素晴らしい才能を持ち、心が見える呪われた眼を持つ者たち。ここまでは、特異な能力を持っているというだけだろう。

 だが彼らは周囲を不安や悲しみで満たす歌を歌い、不幸を招く。

 砂鳥がいる町は崩壊する。不安定な基盤を持つ町には砂鳥が現れる。

 人々は何も知らない旅人にわざわざ教えてやるのだ。

〝ここは楽園なんかじゃない〟

 嫌われ、恐れられる砂鳥は、害意を持って日々を過ごしているわけではない。

 積み重ねられる当たり前の中で、楽しく、平穏に生きることを望んでいる。

 何も知らないのは旅人ではなく、町の人々なのかもしれない。

 これは不吉だと言われる砂鳥たちが、幸福な当たり前を作ろうとする物語。


 さて、舞台となるところは草原の国の一つの町。

 この町は他の町に比べて小規模で、商人が多いのが特徴だ。

〝愚か者は死して、利口者が生き延びた〟

 誰かが呟き、以来この町は利口者の町クレバーストリートと呼ばれている。

「ねぇ。そこの……砂の人!」

 町には一人の砂鳥が住んでいる。

 身なりこそ素朴だが端正な顔は少年にも少女にも見え、白磁はくじの肌に大きな黒色の瞳、美しい白い絹髪は、もしこの場に貴族がいれば目に止められるだろう。

「ボクは肉屋のハット。うちに来ない?」

 しかし上品な貴族、もといハットは、商人とも遊女とも取れることを言う。

 ハットが呼び止めたのは後ろ暗い道を歩くに違いない、フードを目深にかぶった男だった。砂の人、と呼んだのはまさに、大地と同じ色の服装だったからだ。

 驚いて開かれたままの口を見て、今度はハットのほうが驚く。

 自分の客引きに問題があったのかと心配したのもつかの間。男の口許が怪しく笑み、ためらいなく外したフードの下からは精悍せいかんで清々しい顔が現れた。

 だが好意的な表情を向けられたハットは、次の瞬間には落胆した。

「俺はホーカー。散歩屋のホーカーだ。残念ながら今は、パンの口だ」

 少しも残念そうじゃないホーカーの視線がついとハットから外された。視線を追えばそこには、『クルミルク』と看板が掲げられている。

 ハットに視線を戻したホーカーは少し考え、歯を見せてにかりと人好きのする顔をした。

「なぁに。昼には肉の口になってるさ」

「本当? じゃあ肉の口になったら来てよ。歓迎するからっ!」

 ハットは幼さを武器にする、根っからの商人だ。怪しかろうとみすぼらしかろうと、そんなことを気にかける様子はおくびにも出さずに笑う。

 ホーカーは内心で感心しながらも、昼には必ず肉屋を訪れようと決めた。


 ハットは単なる客引きをしていたわけではない。

 小さな町の者は往々にして、近くに住む者を熟知していることが多い。

 それが商人となればなおのこと、一度見た顔は決して忘れないものだ。その懐具合も好きな話題も、起きる時間から寝る時間まで知るという者も珍しくはない。

 そんな熟練の商人からすれば、自分の家であり店でもある場所の前を通る人物の顔を忘れるわけがない。

 散歩屋と名乗った人物は忌避される砂色の服を纏う。裾や袖は破れたまま繕われることもなく、砂除けに身に着けるマントは外で生活する旅人や物乞いのそれだった。

 様々な民族や種族の集まってできた国は、見た目も服装も様々だ。

 そしてバイオレットの豊かな髪と瞳は、貴族か魔族のもの。見た目のみすぼらしさを考えれば後者である可能性は高く、前者であるならよほど酔狂な者に違いない。

 どちらにしても少年少女の興味をそそる存在で、大人の、特に信用を大事にする賢明な商人にとっては、扱いに困る存在。

「おいおい……。なんでそんな約束をしたんだ」

 ハムよりも太い腕の先にはソーセージのように太い指。その肉づきのいい手はぞりぞりと無精ひげを撫でる。肉屋の店主――ハットの父が困ったときに見せるしぐさだ。

「ダメだったの?」

 好奇心は猫を殺す。父が肝に銘ずることは、ハットにとっては取るに足らないことなのかもしれない。

「あまりホイホイ得体の知れないやつを誘うな」

 ハットがこれを呑み込めないのは理由がある。

 この店の不思議なシステムは、無料で昼食会に招待することから始まる。

 店で扱う肉を惜しげもなく振る舞い、気に入ってくれた客に次からは買ってもらうというものだ。

 タダほど恐いものはないと最初に言った者は、なるほど核心の見える人物だったに違いない。招待された者はタダ飯を食らっただけも気が引けると、肉を買いに来るのだ。

 そんなシステムで成り立っているのだから、なぜ招待して嫌な顔をされるのか、ハットは理解できなかった。

 実際に料理を用意するのは母だ。

「ねぇ、母さん。今日の昼、ごちそうに呼んだけどダメだった?」

「なに? いつもそんなこと聞かないのに」

 ハットの母を一言で表すならば、酒場で人気者になるタイプの女性だ。

 気さくで豪儀で、悩みも心配事も彼女に笑い飛ばされれば、不思議と大したことではない気がするのだ。

 見目麗しいと言うには少々小じわが目立つが、酒の席でなくとも魅力的だという者で昼食会に来たがる姿は後を絶たない。

 もし母すら嫌がるような人物なら、招待することは諦めるしかない。頑固なハットさえすんなりそう思うほど慕っている。

「毎日この辺りを歩いてる人なんだけど、父さんはその人が好きじゃないのかも。そんなやつを誘うなって」

「そんな問題じゃないんだよ」

 我が子の手を知る父は店頭から戻り、説得を止めようとした。

「じゃあどんな問題だってんだい? 十人でも百人でも面倒を見てやるって言ったのはどこの誰だい」

 うっ、と後ずさるのを見れば誰でも、すでに勝敗が決したと思うだろう。

 父は自分の情けなさにため息をつくと、今度はハットに向き直る。

「あいつの仕事がなんだか分かるか?」

「えっと、散歩屋?」

 答えると父の顔が赤くなる。これから怒鳴るぞというときに見せる顔だ。

「ボウズ! やつが散歩屋って分かってて誘ったのか!」

「さ、散歩屋って、そんなに良くない仕事なの?」

 何を言われても怒鳴ろうと準備をしていた父は、肺に溜め込んだ空気を全てため息にして吐き出した。

「あのな、ボウズ。よく聞け。散歩屋ってのはな、仕事がないってことだ」

「働くことができないってこと?」

「普通、散歩屋ってのは、働く気がないやつが名乗るんだ。スラム育ちの仕事のないやつが言い始めたんだろうがな、それをろくでもないゴロツキ共も言うようになった。誰かに指摘されたり馬鹿にされたときや、嫌味を言われたときなんかにこう言うんだ。うるせぇ! 俺は散歩屋だ! ってな」

 ハットは衝撃を受けた。気がついたときには当たり前のように働いていたハットにとって、病気や怪我以外に働かない理由が思いつかなかったのだろう。

 今朝会った男は若く元気そうで、とてもじゃないがどこかを患っているようには見えなかった。ということはつまり、ゴロツキの類だったのだ。

「じゃ、じゃあ、どうやって生きてくの?」

「人から食い物や金を分けてもらったり、盗んだりだな。盗みが良くないのは分かるな?」

 ハットは頷くしかなかった。

 この町にルールは二つしかない。一つは人を殺してはならない。もう一つは、何かを得るには対価を支払うこと。つまり人のものを奪ってはいけないという決まりだ。

「貰うのはダメなの?」

「お前は自分の玩具を頂戴と言われたらいい気分になるか?」

 父は言った直後に、自分が言葉選びを誤ったと悟った。ハットの大粒の瞳が、確かに勝利の色に光ったからだ。

「一緒に遊ぶならいいよ?」

「じゃあお前の飯をくれと言われたら?」

「みんなで食べたほうがおいしいよ」

 にんまりと笑うハットに悪魔の邪気こそないものの、悪戯好きがそれを成功させたときのような、無邪気な残酷さを持っていた。

 父は口が上手くない。それは商人として致命的だ。店が傾かずに済んでいるのは商人らしいハットと、勝気な母のおかげだろう。

「その人がゴロツキの散歩屋だろうと、うちの肉がうまいって知れるのはいいことだよ。その人が他で言って回ってくれるかもしれないし、一度くらいなんてことないじゃないか」

 あっけらかんと母にダメ押しされ、父は頭をかきながらため息をついた。

「今日だけだぞ」

「ありがとう、父さんっ!」

 商談が成立した商人のように握手を求めたハットに、父はばつの悪い思いだった。

 ハットは内心、少し気落ちした。無理を通した罪悪感がないわけではない。

 ホーカーとも、これが最初で最後。

 もっと仲良くなってみたい。もっと話したい。

 それらのわがままな欲求の押さえ方を探し、ハットはついに見つける。

 これからも喋るくらいのことはたっぷりできるさ。

 怪しい散歩屋の正体。目的。彼とハットがこれから招くこと。

 それらを知っていれば、ハットは素直に父の言うことを聞いただろう。


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