第四章 COME ON LET's DANCE
夕暮れ時。いや、黄昏時と言った方が格好は良いかもしれない。漆黒と深紅の入り混じったある意味、幻想的な世界でもある。どこか自分が現実にいるような雰囲気を感じ得ない。
「来たぞ」
そこは昨夕、近道と称して無断で入り、桜花に襲われ、永遠に助けられ、そして……
「逃げずに来たみたいね」
前回と同じくトタンの壁に腰かけたレリーがそこにはいた。
「話があるっていうから親切に聞きに来てあげたけだ」
皮肉った感じで言う。
「おほほっ……それに一人、いえ二人と言った方がいいかしらレフィカル?」
スッと、影の中からレフィカルが現れる。
「それはお前が指定したからというよりも二人だけでいいし、あの二人を連れてきたら万が一にでも勝てないだろ?」
良く口が回る。もしかしたらこれが夜叉自身の本性なのかもしれない。
「あらあらお口が達者なことね」
返す刀で皮肉るレリー。
「契約した人間っていうのはそんな風に世を拗ねたような性格になってしまう者なのでしょうかね?」
ふわりと綿毛のように軽やかに落ちてくると、静かに地面へと足をつけた。
「んなこと知らんわ。俺には俺しかその例はないからな」
「レフィカルは?」
「私だって夜叉が初めてだから知る由もない」
ふぅ、と残念そうな溜め息。した質問に二人からは良い答えが返ってこなかったので不服らしい。
「私も今のところ一度しかないのでわからないわ。他の経験豊富な方に聞いた方がいいのかもしれないわ」
ふふふっ、と笑う。
「それにあなたのように私たちと対等という立場の契約者は見たことないわ」
私のはただの道具だもの、と冷たく言い放つ。
「他の奴らも来ているのか?」
すかさずレフィカルが尋ねる。契約者の扱いどうこうよりもそこが気になったらしい。人として夜叉は扱いの方が気になったのだが、現実的にはこいつ以外にも敵性人物がいるか否かの方が今はより重要であろう。
「あらあら口が滑ってしまったみらいね。このことは言ってはいけないことだったのに」
いけない、いけない、と自らを戒めるかのようにポンポンと軽く頭を小突く。どこかそれは夜叉の気に障る。さっきから何となく馬鹿にされているような気分になる。
「それよりも話しって何だよ」
苛立ちを抑えながら脱線しかけた話を戻す。
「つれないわね」
ひらひらと手を振る。
「話せ」
やっぱ馬鹿にされてる。
「そんな怖い顔しないで、怖いじゃないの」
と言うとレリーは顔を背けるが、その口元は笑みで歪んでいた。
「いいから!」
「夜叉」
落ち着け、とレフィカルが囁いてくる。苛立ちが声を荒げさせていた。
「わかったわよ」
子供のように拗ねたような声を出すレリー。ただそれはどこか芝居染みていた。
「早く」
急かせる。一分、一秒でも早く話を切り上げたい。こいつと話しているとイライラするだけで何の得もありはしない。
「しょうがないわね……」
スッと左手を持ち上げるレリー。その動きは見たことがあった。
「その前に少し――」
サ、サッと突き出した人差し指で中空に文様を描く仕草。見間違えるはずもない。最近も最近、昨夕見たばかりの動き。
「遊びましょうよ」
にやり、と下卑た笑いを漏らす。ローブのフードの隙間から見える顔は整っているのだが、その笑いはその造形美すら崩しかねない、嫌な笑い方だった。
「ここに来なさい」
聞くのは二度目になる召喚の言霊。
その言葉と共に世界に響き渡る地面の鼓動。
盛り上がる土。
ビルの二階近くほどまで積み上がる。
すると、それがヒト型を形作り始める。
両脚、両腕、腰、胸、そして顔。
「また《独りでに動く物》か」
しかし、前回のよりも見た感じは秀逸となっている、顔の表情がはっきりし、変なパイプのようなものがない、が背は低くなっていた。
「でも何か多くないか」
それに加え、量が増えていた。今のところ、一〇体ほどが目の前で母なる大地から生まれ出ていた。
「この子たちはこの前の《その場限りで動く物》とは違って《同じ速さで動く物》だから同じと思ってかからない方がいいわよ」
ちゃんといらん説明をしてくれる。よっぽど説明好きと見える。
「では、行きなさい」
その一言で動き始める土くれ共。この前より動きは速く、常人と同じ速度で四方八方から距離を詰めてきた。
「夜叉!」
レフィカルが叫ぶ。夜叉としてはその言葉の意味はわかっているのだが、そのまま受け入れるのは男として了解しかねない事柄であった。
一〇体中、二体ほどがこちらにやってきた。どうやらレフィカルに八、夜叉に二というのが彼女、レリーが下した判断のようだ。自虐的になってしまうが、自分に二体というのは多い気がするが、おそらく保険であろう。獅子は兎を狩るのにも全力で行くというから。
「夜叉!」
再び叫ばれる。レフィカルは既に戦闘に入っており、夜叉に近づこうとしている二体に対し、光球、前回で勉強したのかピンポン玉大の大きさのモノをそれらに向かって放った。
「わかってる!」
ぶつかった衝撃で光り輝く球を背に渋々その言葉通り後退する。
「うふふっ、あなたはレフィカルをやった後でいいわ」
戦闘領域から一歩下がったところからそれを見ていたレリーが言う。
「それに私の目的はあなたじゃなくてレフィカルだしね」
今にも舌なめずりをしそうな勢いであった。
くっ……!
その言葉は夜叉の心の何かを刺激する。しかし、それでも何の手段も持たない夜叉にはあんな異形の相手をすることはできない。
「はっ!」
レフィカルはそんな掛け声とともにピンポン球を人形に対してぶつける。ぶつかった瞬間に土くれは弾ける。と思ったら無くなった場所が地面から土を吸収して再生し、再び動き始める。
「きりがないな」
一〇体一気に潰したとしても一気にその数は〇から一〇へと再生する。嫌な計算方式である。
「なら白兵戦か」
一旦、敵から距離をとるレフィカル。少し離れたところで両腕を勢いよく振ったかと思うと、指先から三〇センチほどの赤い爪が生えていた。
「《朱に塗れた爪》」
この前、マリーの話の中にあった言葉が自然と夜叉の口から出た。
「やっとね。やっと通り名通りの姿に戻ってくれたわね」
恍惚とした表情でレリーが呟く。待ちに待ったという感じである。
《朱に塗れた爪》
その言葉の意味を聞いた時には理解できなかった。こいつは何を言っているのかと思ったぐらいだ。しかし、今この瞬間に理解出来たような気がした。
細い指から伸びる象徴的な長く赤い爪。考えてみれば時折、レフィカルの周囲で赤い一閃が見えたような気がしたが、それがこれだったのかもしれない。
襲いかかってくる人形ども。
それに対してレフィカルはブラッディ・ネイルで対抗する。
一体、また一体。その深紅の爪で切り刻んでいく。
こま切れとなった土の塊はバラバラと地面に落ち、元の場所へと戻っていくかと思われたが、むくむくと動き始めると再びヒト型を為し、レフィカルへと襲いかかっていった。
「でも、それでもあなたは私の人形たちには勝てないわ」
ローブの裾で口元を押さえるレリーであったが、隙間から忍び笑いが漏れてくる。
「この前のは一度きりのインスタント。でも、今日のはマス・プロダクションだからやられてもやられても少しの魔力を加えればすぐに復活するわ」
耐え切れなくなったのか、顔を天に向け、大仰に両手を広げると、高く笑い始めた。
こいつは……
何かに狂っているような気がする。
「私はずっとあなたを追い越そうと頑張ってきた」
歪んだ表情で未だ必死に戦い続けるレフィカルを指差す。
「でも、あなたは知能でも体力でも上だった」
プルプルと怒りで震え始める指先。
「どんな努力をしても追いつけない」
揺れが激しくなる。
「努力しても努力しても努力しても……」
ガバッと急に頭を抱えるレリー。
「勝てなかった!」
バッと両手を広げる。
「そして、いつの間にかあなたは位階の頂点に立ち、私はそこから十三も離れた十四位。私とあなたの間には十三人もいるなんて……」
信じられない、と上に向けていた顔を下に向ける。それは失意の現れのようであった。
「天才、というのかしら? 私たちが天から与えられた才能を得ているというのはおかしい気がするけど、でも、そう信じるしかなかった」
「そう」
戦いの最中にも関わらず、レフィカルは返事をする。
「じゃないと私の努力が……」
水の泡と化す。
誰もがぶつかる壁であろう。天才という者の存在を信じたくはない。それは努力で得たモノであると信じたい。しかし、それでは説明のつかない能力というモノがある。それを一概に天才と言ってしまうのもどうかと思うが、それに限りなく近い存在であるのは間違いないだろう。
あぁ……
夜叉はこの瞬間、どこかレリーに対し、人間味を感じてしまった。
「ふふふっ……」
また聞こえてきた笑い声。先程とは一変して本当に楽しそうだ。
「でも、今夜は違う」
んふふ、と粘つく声。
「今日、私はあなたに勝てる!」
そう言うと、人形どもの動きがさらに活発化する。
「行け」
レリーは人形たちに対して命令を発する。
「行け、行け、行け!」
ヒステリックに叫び続ける。
レリーが話をしている間もレフィカルは戦い続けていた。
左から来る人形を腰を屈め、相手の勢いそのまま背中で反対に飛ばすと、後ろから襲いかかろうとしていた人形に向かって後ろ向きのまま左の長い爪を突き出す。それを思いっきり力任せで前へ持ってきてアッパー気味に左斜め上から飛びかかってくる人形を薙ぎ払う。クルリとその遠心力を利用し、裏拳の要領で右から来た人形を右の爪で裂く。他の六体は一気に突っ込んできたので両脚を踏ん張って上空に身体を飛ばすと、外からそいつらの終点に向かって突っ込み、一気に土くれの身体を弾けさせる。
何とも効率的で戦い慣れした動作で全ての敵を潰すが、それも束の間、土の塊は一つに集まり、人形は復活する。
一対一〇の舞踏会。
それは見ている側からすると美しく、優雅で圧倒的なモノで、夜叉はこんな状況であるにもかかわらず、感嘆のため息を漏らしていた。
桜花にしても永遠にしてもレフィカルにしてもこいつら一体何なんだ?
今更ながらに三人の異常さを認識してしまう。見た目がただの女の子だから普段はそんなことは思いもしないが、実際の動きを見てしまうと考えさせられてしまう。
しかし、そうは言っても一対一〇である。レフィカルからしてみればパートナー過多。その上、相手は倒しても倒しても立ち上がってくる不死身ではないかという存在。
終わりのない円舞曲。
完全なエンドレス・ワルツである。徐々にではあるが、レフィカルの動きが重くなってきたように感じる。
キツイな……
それはレフィカルか、あるいは夜叉か、その両方か。加えて、小さいとは言っても要所々々で光球を使うので夜叉の体力もまた結構、削られていた。
「はぁ……はぁ……」
俺は……俺は見ていることしかできないのか……
地面に片膝をしながら悔しさに顔を歪める。
そうか。
一人戦うレフィカルを見て、何かに気付く夜叉。
俺は自分のことばかりだったけど、今考えてみればレフィカルもまた一人ぼっちだったんだ。
上から下から襲いかかってくる相手を自由自在、流れるような腕さばきで薙ぎ倒していく。
俺はこんな状況で気付かされるなんて……
息も絶え絶え、嫌な汗までかいてきた。
「大、丈夫、か?」
踊り続けながらもレフィカルは苦しそうな夜叉を心配して声をかけてくる。
いつもこうだ。
全てを失った後、泣き続けた夜叉を陰ながら見守ってくれていたのは誰だ? 全てを失った後、眠れる夜の続いた夜叉をあやしてくれていたのは誰だ? 全てを失った後、暗闇を歩き続ける夜叉と何も言わずに一緒にいてくれたのは誰だ?
常に夜叉の傍にはレフィカルがいた。
あぁ、それも俺は一人ぼっちなんかじゃなかったんだ。
ギュッと目を瞑る。何か堪えるかのようであった。
俺はいつも一人じゃなくてレフィカルがいたんだ。
ギリッと歯を鳴らし、思いっきり地面を拳で叩く。
「あぁ、面白いわ。本当に面白い」
口元に手を持っていく。笑みを隠そうとしているのかもしれないが、その仕草は今にも高笑いでもしそうな雰囲気であった。
「もうそろそろかしら?」
ニヤついた表情がフードの影から見え隠れする。
目の前では徐々に体力だけではなく、所々、身体も削られていくレフィカルが気力だけで戦っていた。
「ぐっ!」
土の腕を鋭い刃として振り回す人形。それには統一性はなく、ただ本当に振り回しているだけなので予想もしないところから刃が現れ、レフィカルの身体を傷付ける。
ガクン、ととうとう膝をついてしまうレフィカル。
「終わり?」
すると、レリーは人形たちに何やら指示をしたかと思うと、スッと人形たちは離れ、その代わりにレリーがレフィカルの近くへと近付いていった。
あいつ、何する気だ。
気の遠くなりそうな意識の中、夜叉は瞳だけを動かして動向を探る。
「もう、ね」
つまらない、と余裕の一言。レフィカルの跪く傍に立ったレリーは急に腰を下ろし、視線を同じする。
「終わりの前に一つ良いこと教えてあげるわ」
ずいとレフィカルの耳元にその赤く幻惑的な唇を近付ける。その行為にレフィカルは顔を顰めるが、身体を動かす気力は残っていないらしく逃げようとはしない。
レリーはお構いなしに口を動かす。
「あなたは――」
ちょうど良いところで風が吹く。
何を言ったんだ?
夜叉の耳にはレリーの声は届かなかった。しかし、レフィカルの今まで見たこともないような驚愕の表情を見て、その言葉は重要であることだけはわかった。
「なっ……」
現にレフィカルは何か言おうとして言葉にならないようであった。
「よくわからなかったみたいね」
レリーはレフィカルのその反応を見て、本当に楽しそうである。
「もう一度だけ言ってあげる」
屈めていた腰を上げると、ちらりとこちら、夜叉の方を見る。
「あなたにも教えてあげるわ」
じゃないと不公平だものね。
不公平?
何を言いたいのかわからない。
スゥー、と息を吸うレリー。その行為で何を示したいのか、それもわからない。
「あなた、例の村の惨殺事件をやってないわ!」
アハハハハッ、と両手を広げ、高笑い。
やってない?
「そう、あなたは、あなたたちは自分たちがあの村の住人たちを殺してしまったと思っているようだけどそれが根本的に大間違いなのよ!」
笑いが止まらないらしく、レリーは自分の顔を手で押さえるような仕草をする。物理的に止めようとしているようであった。
殺していない?
「ほ、本当、なの、か?」
未だ驚愕の表情の解けていないレフィカルがどうにか口を開いた。
「えぇ、えぇ、本当よ。あなたは何も手を下していない。地上に堕ちてから彼と契約した後はすぐに気絶したのよ! 階位一位歴代最強と評されたあなたという人が契約した途端、気絶だなんて」
ホント、笑い草だわ、と笑う。勝者の余裕というモノが滲み出て見える。
そんな馬鹿な!?
殺していなかった。
隣のおじさんもおばさんも友達も爺ちゃんも婆ちゃんも父さんも母さんも。俺は、レフィカルは誰も手にかけていなかった。
俺は何て馬鹿なんだ……
「ぐっ!?」
いきなり真実を突き付けられ、呆然自失となっていた夜叉の耳元にそんなうめき声が聞こえてきた。
「馬鹿ね」
ドン、とレリーはレフィカルを足蹴にする。
やめろ。
もう二人の間に広がる溝はない。
「馬鹿ね、馬鹿ね、馬鹿ね……」
ドン、ドン、ドン……
「うっ、くっ、がっ……」
罵声と蹴る音と呻き声。
三つの音が不協和音を奏でる。
やめろ。
もう二人はそれぞれ一人ぼっちじゃない。
「一人でさっさと逝きなさい!」
ドスンとレフィカルの背中を踏む。
「ぐっ……」
崩れ落ちるレフィカル。煌めく程のブロンドの髪は今では土と血に染められ、くすんでしまっていた。
レフィカル。
「その足をどけろ……」
最初は小さな声。相手にはまだ聞こえていない。
俺はお前に酷いことをしてきた。ずっと一人ぼっちにさせていた。
悔しさに目尻に涙が滲み出てきていた。
「その足をどけろ」
声を発するごとに左腕が徐々に熱くなり始めるような感覚を得る。しかし、今はそんなことなど気にも留めず、ただただ一心にレリーを睨みつけていた。
その償いをする前に終わらせてたまるか。
「ん?」
少し大きくなる口調にレリーが反応する。
「あなた何が言いたいの?」
レフィカルの背中に足を置いたまま尋ねてくる。
「その足をどけろって言ってんだよ!」
心の奥底から叫ぶ。生涯で初めてかもしれない。これほどまでの大声量を出したのは。
熱い。
叫んだ瞬間、何か身体の中で弾けたような気がした。それと同時に左腕が異常に熱を帯び、視線を向けたらどす黒い光の帯を纏っていた。
何だ、これは?
「ぐ、わぁぁぁぁぁ!」
暴れるように蠢く漆黒の蔓は夜叉の意図と反して勝手に動き、レフィカルを足蹴にするレリーへと突っ込んでいった。
「何!?」
と叫ぶと同時にレリーは吹き飛ばされていた。
「な、何をしたの……」
鞭のようにしなる黒い帯に打たれた腹部を押さえながらレリーは壁に手をついて立ち上がる。
俺の方が聞きたい。
未だに勝手に動く左腕を空いている右手で押さえようとするがどうにもうまく抑えきれない。
「力が顕現したな」
知らぬ間にレフィカルが夜叉の隣に立っていた。
「大丈夫なのか?」
先程まで息も絶え絶え、立つこともままならないほどであったのに今は何か安い回復魔法でも使ったのではないかと思うほどいつもと変わらない感じであった。
「大丈夫だ。どうやら夜叉の魂と私の魂が繋がったようだな」
魂同士が繋がる?
「あぁ、今までそんなことをした者はいないのでどう説明したらよいかわからないが、以前、私が魔法を使ったとき夜叉が気絶してしまったのは反発し合う魂状態であるのに私が無理に弱さの魂から漏れ出る力を使ったせいで魂が拒否反応を示して一種の冬眠状態へと陥ってしまった」
のだと思う、と少し自信なさ気。
「だが、今、何らかの理由でその反発作用は消え、結合したらしいな」
だから私の体力も戻った、と説明する。
「何でだ?」
「私にもわからない。言っただろ? 魂が繋がるような状況は史上初めてと言っていいモノなのだからな。今の話も何かの本に書いてあるのを覚えているだけ言ってみただけなのだからな」
「そうか……」
「それよりもその力、使えるように私が少し制限しよう」
と言うと、スッと黒く燃え上がる左腕に自らの左腕をかざすと、何やらぶつぶつと呪文らしき言葉を発しながらゆっくり撫でた。
「おっ!?」
するとどうだろうか。今の今まで荒れ狂っていた黒帯が徐々におとなしくなり、夜叉の腕の周りで燻る炎のような感じで落ち着いた。
「これも何かの本からの借用だが――」
そう前置きして話す。
「魂の繋がった人間は契約した者の力を左腕に宿し、使用できると書かれていた」
「そうなのか」
力を使用できる。それは今の夜叉にとっては好都合、一番欲しかった物であったかもしれない。
これで俺は戦えるのか。
「だが、慣れていないうちはあまり使い過ぎない方がいいかもしれないな」
釘を刺される。
「そうか……」
それは残念だ、と夜叉は肩を落とす。
「あなたたち、何しているの!」
忘れていた。
「私を無視して話をしている余裕なんかあって!?」
レリーは不満げに叫ぶ。
「何が、魂が繋がった、よ。そんな御伽噺信じると思って?」
馬鹿にしたように笑う。少し引き攣っているように見えるのは先程の夜叉の左腕の威力を体験したからであろうか?
「私の人形たちに勝てるわけないんてないのよ!」
行け、と命令する。その瞬間に先程までレフィカルの倒れていた場所を取り囲むように立ち尽くしていた人形たちが一斉に夜叉たちめがけて動き出した。
「出来るか?」
レフィカルが尋ねてくる。
「どうにか」
未だ黒い炎が燻り続ける左腕を上げながら言う。
「そうか」
そう言うと、レフィカルが先行する。夜叉に力が宿ったところで戦闘は初めて、やはり百戦錬磨のレフィカルが先鋒を務めるのが常だろう。
一体ずつ突進してくる人形。最初の一体目をレフィカルはクロスした両腕を勢いよく払うことで四つに刻んだかと思うと、すぐに二体目に爪を突き刺す。
「何か強くなってないか?」
レフィカルを上から襲おうとした人形を燻る漆黒の炎を纏った左腕で殴り落としながら聞く。
「魂が繋がって夜叉が私の力を使えるようになったと同時に私も夜叉の力を使うことが出来るようになってようだ」
横から出てきた人形を下から斜めに斬り裂く。
「それに相手の甦る力も消し去ることが出来るようになったようだ」
先程から倒した人形たちは土くれに戻ったままもう人の姿を為すことはなかった。
「どうして!?」
それを見て、慌てたのはレリーであった。
「不死の属性を宿したはずなのにどうして?」
答えはない。
「わからないわ」
興奮で朱に染まっていた頬も今では青白くなりつつあり、先程までの笑い声ももう聞こえてこない。レリーはただただ戸惑いの色を纏いつつあるだけであった。
「これで最後か」
とレフィカルが言う前に夜叉は左ストレートを人形の胸に突き刺していた。
「終了」
ザー、と土は夜叉の腕を包みながら地面へと帰っていった。
「形勢逆転ていうのかな?」
今度は夜叉たちが余裕の表情を浮かべる番であった。
「それよりも詳しい話を聞かせてもらう」
レフィカルがレリーに近づこうとする。さっきとは立場が逆転していた。
「ふふふふっ……」
急に笑い始める。
「ははははっ!」
青白さに朱が混じる顔を隠すように片手で覆う。
「何がおかしいんだ」
定型句気味ではあるが、態度の急な変化に驚き、聞かずにはいられなかった。
「調子に乗らないで!」
赤い髪を振り乱しながら叫ぶ。
「まだ終わらない」
中空に再び文様を描き始める。先程よりも難解で、描く時間も長かった。
「まだ終わらせない」
キッと、レフィカルを睨む。
「あなたを倒すまで!」
そして、描き終わる。長いと言っても一分もかかっていない。
「ここに来なさい!」
一段と大きな声で叫ぶ。地面におそらくレリーが描いた文様と同じモノが浮かび上がる。
「この子を使う羽目になるなんてね」
夜叉たちの目の前に土の中から生まれ出てくる巨大な人形。昨夕、相対したものとは異なり、人の姿へと為していく形はしっかりとしたもので、先程大量に出てきた人形をそのまま前回の人形の大きさにした感じであった。
「行け!」
その命令を機に動き出す巨人。
『ゴォォォォン!』
速さも段違い。振り下ろされる拳は地面を抉る。まるで大地が豆腐のようで、軽々と重さ数十キロの土の塊が吹き飛ぶ。
「何か面倒そうだな」
繰り出される前に横へと退いた夜叉。同じように反対方向へと退いたレフィカルに問う。
「そうだな。しかし、今の私たちになら簡単だろ」
まぁ、そうだな、と夜叉は頷く。ビルの三階部分にまで届く大きさの相手に対しているというのに二人の会話には余裕が感じられた。新たな力を得たことで余裕と共にどこか両者の繋がりが強くなっているような雰囲気であった。
「破壊しろ!」
薙ぎ払うようにレフィカルへと拳をぶつけにいく。しかし、その動きは途中で止まる。
「本当に力が漲るようだ」
レフィカルは片手一本で破壊の槌を受け止めていた。そのままの格好でシュッと空いた右腕を振るい、その腕を爪で裂く。
ドスン!
肘から綺麗に斬られた腕が大きな音を立てて地面と接触した。
『ゴォォォォォォン!!』
痛みで声を上げているかのような叫び。間髪入れずに残った右腕を振るうが、その拳に当てるように夜叉の左腕をぶつける。
バシン!
ぶつかった瞬間に岩の拳が弾ける。
「何か凄ぇ」
ぽろりと感想がもれる。
「おっと」
弾けた岩は飛礫となり、夜叉の身体を襲う。
「あいたっ!?」
右手で石を払うと、痛みが走った。
「攻防どちらも、するときは左腕だけにしろ」
レフィカルが代わりに右半身を襲う飛礫を払う。
「左限定?」
「ということになるな」
何となく、騙された、という思いが過った。
「私はシロサギではないぞ」
怪訝な表情を浮かべていたのだろう。レフィカルがそんなことを言う。
「知らんわ。それよりもさっさと片付けるぞ」
「あぁ」
構えに入る両者。
今にも肩が当たりそうな二人の並び姿は息の合った昔からの戦友のようであった。
『ゴォォォン!』
両腕を失くしてもなお召喚者の命令を守ってひたすらに突っ込んでくる。
「いくぞ」
「言わんでもわかっとるわ」
せーの、で飛び出す夜叉とレフィカル。無心で体当たりを決めようとする人形。
ザンッ!
ドンッ!
そんな二つの擬音がその場に響き渡った次の瞬間には大きな岩の塊が崩れ落ちる音が被さる。
「あっけないな」
腰に手を当てた夜叉が呟く。
「しょうがないだろ。あんなのでは今の私たちでは相手にならない」
少し離れたところに立つレフィカルが乱れた髪を整えながら答える。
「なぁ。マリー?」
髪を軽く撫でつけ整えたレフィカルはクルリと身体をレリーのいる方へと向け、問い掛ける。
「な、何よ!」
最終手段をあっけなく潰されてしまったレリーは苦虫をも潰したような表情を浮かべていた。
「もう少し話を聞かせてくれないか?」
ふぅ、と溜め息をつくと夜叉は尋ねる。本当は誰がやったのか、どうやったのか、どうしてやったのか。考えればきりがないが一番重要なのはそこであろう。
「逃がさないぞ」
「くっ!?」
後退りの姿勢を示すレリーにレフィカルは釘をさす。
「話してくれるまでは、な」
再び夜叉は構えに入る。
「レリー! お前、ふざけんなよ!」
「汝、喋るを禁止す」
夜叉とレフィカル、レリーの三人だけが相対する場に乱入してくる声二つ。飽きもせずに、というのもおかしい気がするが、やはりその声の主たちもまたトタンの壁に立っていた。
「だ――」
れだ、と続ける間もなく「ヴィラッカ! リセル!」と叫ぶ、レリーに遮られてしまう。
仲間か。
レリーの声に混じる安堵感を読み取った夜叉が顔を顰める。
「あいつらが来たか」
レフィカルもまた同じような表情を浮かべていた。
「ごちゃごちゃ喋り過ぎなんだよ、このクソアマが!」
砕けた印象の言葉に反して、手首・足首まで隠れる白のローブに顔全体を覆う白の三角の形をした覆面という出で立ちのヴィラッカと呼ばれた者は音もなく地面に降り立つ。
「同意」
逆に大きな音を立てて着地した言葉少ななリセルと呼ばれた男は、これまたそんな寡黙な喋りに反して、上半身裸にズボンは真っ黄色、茶色い髪の毛を逆立て、それをまとめるかのようにズボンと同系色のヘアバンドをしていた。しかし、それ以上に目を引くのは褐色の肌であった。それを見て、単純に赤道直下の国出身者だろう、と夜叉は勝手に検討付けてしまう。
「誰だ?」
レリーに聞き損なった質問を代わりにレフィカルへとぶつける。
「あいつらは上位の位階者だ」
第十一位《不可視の波動》のヴィラッカに、第八位《燃え盛る両鎚1》のリセルだ、と御丁寧に通り名まで教えてくれる。
また大層な肩書きをお持ちで。
「久しぶりだな、レーーフィカル!」
両手を広げ、大仰に再開の喜びを伝えてくるヴィラッカ。おそらく覆面の下では醜く顔を歪ませているのであろう。
「久しい、レフィカル」
先程からリセルはヴィラッカの言葉に追従するだけであった。
ちぐはぐデコボココンビってことか?
安い漫才師のように見えてしまったのはなぜだろうか。
「助けに来てくれたのですね?」
嬉しそうに二人の下に駆け寄るレリー。
「まぁ、そういうことにしてやるよ」
「同感」
どうする?
二対三。いや、実際は一対三と言うべきか。夜叉は力があってもサシでの勝負はまだ出来ず、それ以前に夜叉とレフィカルは二人で一人という計算となろう。
「これは厳しいな」
レフィカルも同じような計算をしていたのであろう。今度は逆に夜叉たち二人が後退りをする格好となってしまう。
「形勢逆転ね」
バックに二人をつけたレリーは不敵に笑う。先程と打って変わって声の調子は軽い。
「くっ」
今度はこちらが呻き声をもらす番であった。
「何を言っているのでしょうか?」
「さぁ、私にはわからないわ」
何だか展開が早過ぎるわ。
心中で夜叉は誰かが思っているだろうことを代弁してくれる。
「それよりもさっきの話、詳しく聞かせて欲しいわ」
トントントン、と腕組みしながら指を叩く。
「私もそれが気になります」
あなたに同意するのは気にくわないですが、との一言は忘れない。
「お約束だな」
言ってはならない言葉を言ってしまう夜叉。あまり気にしてはいけない。
そう。
「わさちゃんったらさっさと行っちゃうんだもの」
夜叉の傍までやってくると不満げに永遠はもらす。
「あんた、勝手な行動取っていいなんて言ってないでしょ」
桜花は桜花で姑のようなことを言い始める。
俺は、いや、俺たちは一人っきりじゃない。
「桜花さん! その言い方は何ですか!」
「その言い方とは何よ! さっきの話だと姉さんをやってはいないのならそんな混乱を生じさせた責任を取るためにも夜叉は私の小間使いとなるべきなのよ!」
「小間使い!? 小間使いとはどういう意味ですか!」
「小間使いは小間使いという意味よ!」
こんなにも仲間がいるんだからな。
ふふふっ、と自然と笑いが込み上げてくる。
「よかったな」
「いや、だが今の状況でこんなことされてもある意味困るだけだ」
それに小間使いって話、聞いてないぞ。どこからそんなモノでてきたんだ?
「今さっき考えたのよ!」
と怒鳴られた。
「人が俺たちに対抗するために作った糞虫集団の奴らか!」
「相手にとって不足なし」
こりゃ、楽しめるな、とヴィラッカが笑う。リセルもまた不動だった表情を少し歪めるように見えた。
「俺はあの調子にのってる糞虫ブルネットにしてやるよ」
「黒髪、御意」
すぐにそれぞれの狙う獲物が決まった。
「だからレリー、お前はまたあの二人と遊んでろ」
一対三という状況が瞬時に三対三になって、余裕のあったはずのレリーはすぐに静かになってしまっていた。
「わ、私がまたあいつらとやるの?」
顔が恐怖で引き攣っている。
「怖気づいたのかよ!?」
あぁん? と田舎のヤンキーがしそうなガンつけをするヴィラッカであるが、フルフェイスな覆面では効果がない気がした。しかし、ヴィラッカの力を知るレリーには効果があったらしく、ブルッと身体を一瞬震わせると「わかりましたわ」と渋々頷く。
「力見せろや」
最後のひと押し。そんな言葉を最後にヴィラッカたち二人はそれぞれの狙う得物へと向かっていった。
「行く」
「私の相手はあなたのようですね」
対面する永遠とリセル。何もない中空から柄に入った刀を生み出す。視線と左右前後に動かすと、他の二人もそれぞれ敵と向かい合っている。
「拳……拳闘ですか」
「正解」
トーン、トーン……リズムを取るようにリセルは飛び上がり続ける。
「素手の相手に刀で挑むのは気が引けますが……この状況では仕方ないでしょう」
柄から刀を抜くと正眼に構える。
「問題なし」
グローブも何も付けていない、正に素手のままでファイティングポーズをとるリセルは淡々と答える。
「そうですか。それならば安心です」
スッと、正眼から左斜め下へと切っ先をおとす。
「一気に行きます!」
「来い」
ダッと走る永遠。それを待ち受けるリセル。
「えい!」
斜め下からの斬撃。踏み込みから斬撃までの速さは鋭い。
「遅い」
リセルはそれをバックステップで避け、バネ仕掛けの玩具のようにすぐに右の拳が飛んできた。
速い。
そう思いながらも真っ直ぐの攻撃を遠心力に身を任せ、倒れるように避けた。
「はっ!」
倒れざまに身体を捻り、下からの突き上げを試みる。
「狙い、良い」
しかし、それもリセルは避けてしまう。
柔軟性があるというの?
そして、両者は零距離で回避・防御、攻撃三つを絡み合わせた手を繰り出し合う。
「あっちは始まったぜ」
「そうね」
一方の桜花は手ぶらでヴィラッカと睨み合い続けていた。
「あんたも詳細は知ってるの?」
普通に知り合いにでも声かけているかのように言う。
「俺は知っているようで知らないようで知っているかもしれないな」
馬鹿にした感じで言う。やはり覆面の下ではニヤついているのだろう。
「じゃあ教えてもらいたいわね」
「何言ってるんだ? 少しお頭が乏しいようだな」
「馬鹿にしてる?」
「そりゃそうだ」
「嫌な男!」
「嫌で結構、コケコッコーって言うんだっけな?」
それに俺は男じゃねぇ、とそこだけ苛立ったように呟く。
「あら、そう。そんな感じで女って――」
口元に手を当てて気の毒そうな表情を浮かべる桜花。
「何か気持ち悪い」
「うん、お前死刑」
そう言うと、片手を桜花の方に向け「消えろ」と一言。
ビュン。
空気の壁を切り裂くように光の束が桜花へと一直線に進んできた。その速さは目にも止まらぬモノで、俗に言うレーザー兵器のようだった。
「危ないわね」
間一髪、腰を捻って避ける桜花。
「それじゃあ終わらねぇな」
はははっ、と笑うヴィラッカ。クイッと左手の人差し指を手前に引く仕草をする。
グイン。
何か奇怪な音がしたかと思うと、明後日の方向へと突き進んでいた光の束がありえない動きで急に進行方向を変え、桜花の背を狙うように突っ込んできた。
「反則でしょ!?」
そんな攻撃を想像してなかった桜花は慌ててバック宙をする。鼻先を高熱源体が通り過ぎていった。
「甘ぇ、甘ぇ」
今度はクルリと円を描く動作。再び束が動きを変えてくる。
「消せばいいわ!」
空中で弧を描きながら右手を振るい、剣を顕現させる。
「はっ!」
地に足付けたときには目と鼻の先には光の束。それを剣で一気に断ち切る。
ブオン。
斬りつけた瞬間に霧散する。
「消されるか」
ならこれならどうだ、と今度は二束、桜花に向け放つ。
「その前に踏み込む!」
ダッと光が進む間を駆け抜け、ヴィラッカに斬りかかる。
「近接はむーりー♪」
ふわりと斜め上空へと飛び上がるヴィラッカ。
「だからあんたはそいつらと踊ってな」
「弱い奴ほど吠えるわね」
桜花は高みの見物をし始めるヴィラッカを鼻で笑う。
「そういうことだ」
はははっ、と楽しそうにヴィラッカは返す。
白光と栗毛色、二色のダンスは桜花の華麗なステップと共に合間を縫った斬撃が彩りを与えていた。
「残念ね。頼みの綱がすぐに離れていって」
桜花と永遠。始まった二人の戦いを横目にこちらもまだ向かい合ったままであった。
「まぁ、しょうがないやね」
夜叉は二人の攻防を見て、やっぱりあいつら凄ぇわ、と感嘆の声をもらしていた。こんなにも二人が余裕な雰囲気なのはやはり先程、完膚なきまでに潰したという事実から出てきたものであろう。
「いいわ、いいわよ!」
沈黙を守っていたレリーが急に叫ぶ。その声には何かを決意したかのような強さを感じた。
「何があるの?」
今のあなたに、と辛口コメント。
「お前、意外と冷たいな」
小声で隣に立つレフィカルに聞く。
「他の者たちには、な」
夜叉は別だ、とこちらもこの言葉だけ小声で呟く。
「何か言ったか?」
「何でもない」
何かはぐらかされた。
「また私を無視して!」
そして、レリーが不満をぶつけてくる。
「そういう態度だから頭に来るのよ。何もかも見透かしたかのような言い方が昔から気にくわなかったわ」
「そうか?」
「そうよ!」
どうやら二人は昔からの知り合いのようである。
「しょうがないわ……」
怒りに染まった感情は声にも伝導する。
「使いたくなかったはなかったけどもうこれしかないわ」
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ……先程の人形召喚時も長かったが、今度はそのさらに倍の長さを要し、奇怪な文様を中空に描き出していく。その速さもまた異常に速かった。
「私に付きなさい!」
召喚中に潰そうかと足を踏み出したときにはもうレリーは言霊を発していた。
今までと違う。
今までは地面から生え出るかのように目の前で人の姿を形成していった。しかし、今度のは全然違う。地面から盛り上がる土はそれ独自に組み上がるのではなく、召喚者自身、レリーの足下から湧き出て、身体を飲み込むかのように徐々にその姿を消していった。
「何だありゃ……」
夜叉は吹き飛ばされないように足を踏ん張る。土くれがレリーに纏わりつく反動なのか、周囲に強烈な風が踊っていた。
「自らを召喚の素材としたのだろう」
レフィカルも髪を押さえ、レリーを睨む。
「何か凄いのか?」
「今までは指示した大雑把な動きしかできなかった人形がレリー自身の考える通りの動きを出来るようになるということだ」
「最初からやりゃいいのに」
「その分、負担が大きいと言っていた気がする」
「そうかい」
ふーん、と鼻を鳴らす。
「お待たせしましたわ」
二人が会話している間に風は止み、レリーの声が聞こえてきた。
「あらま、また凄いな」
砂埃が晴れるとそこには先程戦った人形と同じ大きさのレリーが立っていた。土が身体中に張り付き、見た目は中世の鎧のようであるが、全体が土色なのであまり格好よさはなかった。小さな顔が土の間から垣間見えるのでどうにかレリーだと認識できる程度だった。
「行きますわ!」
そして、三度レリーとの闘いが始まった。
ダンチだわ、さっきとは。
人形は速くとも一直線な動きで攻撃が見え見えだったが、今はレリーという頭脳が入ったせいで今までのようにはいかなかった。
繰り出される拳を避け、両サイドから攻撃を加えようとするが、レリーはすぐに両腕を左右に払い、夜叉とレフィカルを吹き飛ばす。今度は、と上下から責めるが、思いっきり振るわれた腕の風圧で牽制をかけられてしまう。次はレフィカルが遠くから魔法でレリーの目を逸らせ、その隙を夜叉が近接して左腕を突き刺そうとするが、思いもよらない、足にでもキャタピラついてるんじゃないか、と思うほどのホバー走行で避けられてしまう。
「ごぉ、ごぉ、よわ、いわね」
どうしたんだ?
戦闘開始から数分。最初は普通に喋っていたのが、徐々に口数が少なくなり、今は変な呻きと共に区切りのおかしい言葉を発していた。
「飲まれ始めたか」
隣に来て、ふぅ、と一息つくレフィカルが疑問に答えてくれた。
「何に?」
「あの土くれの召喚呪文にだよ」
早くしないとあいつが潰れる、と言う。
潰れる?
「れ、ふぃか、る」
ゴォォォォン、と人形が発していた叫びの間に言葉にならない言葉をもらしながらレフィカルに重い拳を振り下ろす。その動きが当初の考えのある動きと異なり、ただ目の前にあるモノを壊すといった感じでレリーが今まで召喚してきた人形と同じであった。現に小さくてよくは見えないが、レリーの瞳は死んだように虚ろであった。
ドスン、ドスン、ドスン……
素人がドラムを叩くかのように力任せに地面を叩くレリー。単調なその攻撃は避けやすく、夜叉たちの攻撃はレリーの身体に入り始めていた。
「一気にいった方がいいかもな」
再び並び立つ両者。レフィカルが隣に立つ夜叉に宣言する。
「そうでなければここがもたない」
そうだな。
視線を地面に下ろすと、所々にひび割れのようなものが見え、その先には無気味に軋む鉄骨があった。
倒れるかもしれんな。
「でも、どうすればいい?」
あの身体は硬過ぎだろ。先程から拳をぶつけているはいるが、ボロボロと土の塊が零れ落ちるだけで決定的な傷はつけられてはいなかった。
「おそらくあいつを抜き出せば終わるだろう」
ちらりとレフィカルは一番上に見える小さな顔を見上げる。
「どうやって」
「私が牽制しているから夜叉が近付いて引っこ抜くしかない」
さいですか。
「わかったよ」
夜叉には遠距離攻撃がない。それに対してレフィカルは光の球がある。当然と言えば当然の配置だろう。
「では行くぞ」
「おう」
そこにレリーの拳が向かってくる。ドン、と空しくその拳は地面を叩く。
「あまり使い過ぎるなよ! 俺の体力がもたない!」
離れた瞬間に惜しげもなく、レフィカルは光の球を繰り出すので夜叉は心配になって注意する。
「それぐらいはわかっているつもりだ」
そう言いながらもそのキャッチボールの間に数十発放っていた。
あいつは……
どうしようもないといった感じで頭を抱える。もしかしたらレフィカルの行動で頭を抱えたのはこれが初めてかもしれない。今までレフィカルの行動なんかに興味など示していなかった証拠だろう。
まぁ、いいさ。
足を使ってレリーに的を絞らせないようにする。
「俺がさっさと決めればいい」
バッと飛び上がる。レリーは完全にレフィカルに気が向いている。意味もなく乱発しているのか思っていたら気を引くということをちゃんと守っていたようだ。レリーはその攻撃をウザったそうに腕を払って潰していた。
「ほっ!」
レリーの背中から飛び乗った夜叉はちょうど頭の頂点で両手をつき、前宙ひねりを見せるとレリーの前に立った。
これは本当にダメだな。
近くで見るとやはりその視線は完全にどこか知らない場所を見ていて、何も映していなかった。
「ゴォォォォン!」
その口元からは不満げな呻きがもれるが小さな声で「苦しい」と聞こえてきた。
こいつ……
その瞬間、なぜだか目の前にいるレリーが倒すべき相手ではなく、助けるべき相手であるような不思議な感覚に襲われてしまう。
フン……
鼻で笑う。
「早くしろ。後ろから来ているぞ」
何もしない夜叉にレフィカルが叫ぶ。顔に乗られたことでそれを嫌がるレリーは自分の顔に向かって思いっきり拳をぶつけてきようと振り上げた。
しょうがない。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!」
左腕を引く。叫びと共に黒い炎が再び燃え盛るのを感じた。
「助けてやるさぁぁぁぁぁ!」
ボスッ! と土とレリーの顔の間に拳を突き立て、奥まで突っ込ませると
「おぉぉぉぉぉぉ!」と力を入れて、レリーを引っ張り出す。その間にも拳
は自分の身体にぶつかるというのに見境もなく、物凄い速さで拳が近付いてくる。
早く。
ぐぐぐっ、と力の入った声を出す。意外とレリーは奥まで入っているらしく、抜き出すのに結構な力が必要であった。
「早くしろ!」
拳の進みを妨害するようにレフィカルは光の球を放ち続ける。
わかって――
「いるってぇぇぇぇぇ!」
拳が夜叉の身体にぶつかろうとした瞬間、ズボッと物凄い音を立てながらレリーを引っこ抜けた。そして、すぐにレリーを抱えたままその場を離れた。しかし、それは杞憂で、召喚の素体であったレリーがいなくなると形を保っていられなくなったのか、すぐにボロボロと崩れ始めた。
んなんで裸!?
肩で息するレフィカルの傍まで行くと魔法の使われ過ぎで体力を消耗した夜叉はすぐに抱えていたレリーを下ろそうとするが、視線を下ろすと何も着ていない生まれたばかりの格好が目に入った。
「変態か」
それを見て、レフィカルが辛辣な言葉。
「違うわ!」
慌てて否定する。
「わさちゃ……変態!?」
「お前、やっぱりか」
タッタッタッと夜叉たちの下にやってくるなり桜花と永遠はそんなことを口走ってくる。
「違うっての!」
即座に否定。
「ていうかそっちは終わったんかよ」
無理矢理、話を逸らす。「あっ、逸らした」「逸らしたな」「逸らした」と三者三様の答えが返ってきたが、無視する。
「私の方はわさちゃんのが終わったら急に止められたの」
「こっちも同じように、もうやーめたなどとほざいて終わったわ」
どちらもどこか不完全燃焼な感じが否めない。
「そーゆうこと」
知らぬ間に夜叉たちの間に立っているヴィラッカ。少し離れたところにはリセルが立っている。
「なっ!?」
思わず驚きの声を上げる。他の皆も一段落ついたせいか、気を抜いていたようで、夜叉と同じ反応を示していた。
「ほっ!」
そう言うと、ヴィラッカは足下に横たわるレリーに向かって手をかざすと、光の束をその胸に放った。
「がっ!?」
次の瞬間には気を失っていたレリーが言葉にならない言葉を出す。真っ白いやわ肌が朱に染まり、豊かな双丘の間を深紅の川が流れる。
「へっ?」
急な出来事で皆固まってしまった。
「もうやることはやったからな」
スッと、ヴィラッカはリセルのいる場所まで後退する。
「じゃあな」
「さらば」
そして、そのまま二人は一瞬のうちにどこかに消えていってしまった。
沈黙。目の前には血を流し続けるレリー。完全に致命傷でもう瞳には何も映していなかった。
「お、おい!」
やっと気を取り戻した夜叉は既にいない者たちに向かって叫ぶ。それは無意味で陽の堕ちた世界に空しく響くだけであった。
「どうして……」
死へと向かうレリーの傍で膝をついて永遠が呟く。その声は涙声であった。
「しょうがないわよ」
だって悪魔だもの。
「おい!」
ガシッと夜叉は桜花の制服を掴む。
「な、何よ!」
急に掴まれて、桜花は怯む。力関係ではおそらく桜花の方が上だろうが、夜叉の気迫に飲まれてしまっている。
「悪魔も人間も関係ないだろ!」
「か、関係あるわよ!」
桜花は夜叉の腕を払う。ドン、と夜叉は後方によろめく。
「私の姉さんは悪魔に殺されたんだから!」
キッと、桜花は夜叉を睨む。
そうだけど……そうだけどさ……
「こいつがやったわけじゃないだろ」
「それだってわからないわ!」
「やったってことだってわからない」
わさちゃん、と永遠が割って入ろうとするが、声が小さく意味を為さな
い。
「れ、ふぃ、かる……」
睨みあう夜叉と桜花。その足下から苦しそうな声が聞こえてきた。
「何だ?」
今まで離れていたところで黙っていたレフィカルは呼ばれたレリーの傍まで行く。
「やっ、ぱり、ダメね……」
あなたには勝てないわ、と呟く。
「そうだが、私は一人じゃなかった」
えぇ、そうね、その言葉にレリーは頷く。
「一対一、なら、ばね」
「そうかもな」
冷たい反応だが、どこかやさしい。
「もう、一、度やって、みたいわ」
何だ?
レリーの身体が徐々に薄まってくる。
「そうだな」
ただただ頷くレフィカル。
「やく、そく、よ」
足下から消えていき、消失は胸の傷のところまで来ていた。
「あぁ」
レフィカルは視線を逸らさない。他の者は見ていられなく、違うところを見ているが。永遠など涙を流している。
「よかっ、た……」
その一言を残し、レリーは消え去った。
「よかったな」
光は天に昇り、月光と混じり、消えていった。
再びの沈黙。
「あいつらの話が本当だとすると姉さんはあんたたちに殺されたわけじゃないのね」
その沈黙を破ったのは桜花だった。
「そうみたいだ」
私はあの時の記憶がないから。
俺にもない。
しかし、その事実は夜叉にとってもおそらく他の皆にとっても重要なことだっただろう。
「しかし、あたしが原因なのは変わりない」
レフィカルはすまなそうに言う。
「レフィカルさん……」
永遠が心配そうにその名を呼ぶ。
「話を聞く限りじゃ、あんた嵌められただけでしょ」
それだったらあんたのせいに出来ないじゃないの、と悲しそうに桜花は返す。
レフィカル、いや俺はやっていない。
ということは……
「誰がやったのでしょう?」
永遠が疑問を言う。
「わからない。十年前に下界まで来ていたのはほとんどいないからな」
「見当はつかないの?」
焦ったように桜花は言う。答えを今すぐにでも聞いて、その者に復讐をしようとしているかのようだった。
「あぁ、下界への管理はしていなかったからな。私はその考えを皆に伝えたのだが反対されたんだ」
「そう……」
残念そうに桜花は項垂れる。
「? わさちゃん、さっきから黙ってどうしたの?」
先程とは打って変わって黙りこくる夜叉を心配して永遠が声をかける。
「あ、あぁ、何でもないさ」
心配ない、と手を振る。しかし、その顔には脂汗がにじみ出ていた。
「でも顔色悪いよ」
「大丈夫だ。それよりもあの話は本当なのか?」
レフィカルに問いかける。
「あぁ、そうみたいだな。嘘をついているかのようではなかった。それよりも本当に大丈夫か?」
と、レフィカルも心配そうだ。
「そっか……わかっ――」
わかった、と言う前に夜叉はバタッと地面に倒れ込んだ。
「わさちゃん!?」
「夜叉!?」
「また?」
そうか、いいんだな。
「大丈夫みたい」
その事実を受け入れ、夜叉は安堵したかのような安らかな顔色だった。それを見て、永遠はホッとし、レフィカルも溜め息をついた。
二度あることは三度あるというが、それでは少な過ぎる。三度あることは四度あると直して欲しい。というかこんなところでそんな迷信を打ち破るような現実をぶつけてくるな!