イオン
四年前のことだ。まだ事件が起こる前のこと。ある意味幸せに暮らしてはいたが当時の私からしてみれば最悪な時期だった。
毎日のように学校から帰ってきては部屋にこもって泣いていた私に最初に気づいたのはあの人だった。
「リカコ」
ノックしても返事をしなかった私の部屋の扉を開けて、目が合う。泣きはらした私の顔を見て部屋に入り扉を閉めると、真っ直ぐ私の元まで歩みより隣に座る。
泣き続けるばかりで何も話せない私の隣にしばらく黙って座っていた。
「…対策チームのこと、でしょ。」
不意に彼が口を開いた。私が顔を上げると切ない目で私を見ていた。
私が頷くと、「そうだよねえ」と苦笑いで私の背中をさする。
「……何で…わかるの?」
鼻声で私が言うとハンカチを差し出してくれた。受け取って鼻と口にそれを押し当てる。
「よくあることなんだよね。魔族がいなくならないの、チームのせいにされるの。」
「…イオンも言われたの?」
「いや、直接は言われてないよ。噂で。」
のんびりとしたその声を聞くとこっちも落ち着く気がした。少し呼吸が安定する。
「…家族魔族に殺された子とか、同級生にいたりするでしょ。魔族の中に快楽殺人者とか平気でいるし。」
「…そういう子に、言われる。……魔族がいなくならないのは、家族が死んだのは、対策チームが早く魔族倒さないからだって。………対策チームがどれだけ必死に魔族倒そうとしてるのか、何も知らないくせに。」
唇を噛むと血が滲んだ。鉄の味が口の中に僅かにした。魔族はこれが美味しいんだろうか。
イオンは私の話を聞いて、静かに頷いていた。
「リカコは何も悪くないよ。リーダーの娘ってだけ。責められる必要無いよ。」
「……私ね、」
話しながらまた涙が溢れてきて俯く。
「確かに私リーダーの娘ってだけで、チームの仕事手伝ったこともないし、どっちかっていうと甘やかされて育ってきた方なの。でも…私にはチームのことなんて関係ないのかもしれないけど、チームが頑張ってることは知ってるの。バカにされたくないの。お父さんもキユウさんもサクちゃんもイオンも他の職員の人も、皆必死で仕事してようやく魔族が少し減ってきて、それが私も嬉しいの。…だからそんなに簡単にチームのこと罵られたくない。…それだけなの。」
息を切らしながら必死で話しきる。声が震えてうまく話せない。
イオンは私が話しきるのを待って、震える私の肩を抱き寄せた。
「ありがとう、リカコ」
微笑んだその顔を見て、たまらなくなって声を上げて泣き出す。
それからイオンは私が泣き止むまで私の側にいた。
「イオンとリカコは恋人同士みたいだな。」
サクちゃんにそう言われたことがある。三人の中でもイオンが一番私の側にいたし、よく話していたからだと思う。何せイオンが一番優しいから。
サクちゃんにそう言われるとイオンはどこか照れたように笑った。
「そうだねー。でも歳の差10歳だからなあ。ちょっと危ないよね。」
「歳の差婚流行ってるじゃん、いいんじゃないの。」
結婚前提の話に私もイオンも笑っていたが、実際私はイオンと付き合ってもいいと思っていた。そのくらいの距離感でいつも一緒にいたし。ただ、イオンはどう思っていたか分からないが。
「リカコは妹みたいなものだからね。結婚なんてリーダーに言ったら俺クビでしょ。」
冗談混じりにそう言う顔が今も浮かぶ。
確かに恋人というよりは兄妹と言った方がしっくりくる。
「てかイオンいつの間にピアス開けたの?」
冷めた目で私達を見ていたキユウさんが言う。
イオンが「これ?」と横髪を払って耳についた魚の形のピアスを見せる。
「リカコがくれた。この間誕生日だったから。」
「可愛いでしょ」
私が得意気に頷くとサクちゃんとキユウさんが二人揃って「はあー」と呆れた目で私達を見た。
「そういうところだよ、恋人みたいなのは」
「俺の誕生日にはピアスなんてくれなかったくせに。」
「だってキユウさんはピアス似合わないじゃない。」
二人にブツブツ言われて私はムスッとしながら言い返す。
その間にもイオンは照れたように笑ってピアスをいじっていた。
それから約一年後、イオンは本部やこの辺りの区域を巻き込んだ大きな事件をきっかけにして姿を消した。死んだ、と言われている。
その事件以来、なんとなく私達の間でイオンのことは禁句になっている。
キユウさん、サクちゃん、イオンは特に私と仲が良かった。お父さんも出張の間は三人に私の世話を任せるほどで、とても信頼されていた。
それだけにイオンがいなくなったショックは私達の中で大きく、何事もなかったように過ごせてはいてもどこか大きな溝があるようだった。
だから今でもイオンが夢に出てくる、なんて二人には到底言えなかった。
ホストクラブでの件の翌日、私は地下室に向かった。アキノさんは私を見ると驚いたように目を丸くした。
「どうしたの、こんな時間に。学校は?」
「休みました…。」
まだ昼前である。そりゃ驚かれるだろう。
貧血になってるわけではなかったが、精神的に疲れてしまった。何より、気になっていることがある。
「アキノさんに聞きたいことがあるんです。」
「うん。何?」
アキノさんはいつもの調子で私を見ていたが、私はどう聞いていいのか分からず口ごもる。
「………いいよ、考えたことそのまま言ってみて。」
アキノさんに言われて私は顔を上げる。
本当はこんな事考えたくなかったが、その可能性があるんじゃないかという思いが昨夜から頭を巡っていた。
「………人間が……魔族になることって………ありえますか?」
私の言葉にアキノさんは少し悩むように首を傾げた。それからあっさりと口を開く。
「なくもないんじゃない?」
「え」
私が絶句すると、アキノさんは私の前で手の平をヒラヒラと動かした。
固まる私の前で「でも、」と話を続ける。
「そんな特異な技出来るのは上流階級の魔族だけ。しかも上流の中でも更に力が優れてないと出来ない。出来たとしても成功確率は極めて低いし、実践する奴はそうそういないね。」
「そう…ですか…。」
確かに可能性はあるが、そんなに難しいならありえないかもしれない。やはり人違いか。
「リカコちゃんは何でそんなにその事気になってるの?」
「昔死んじゃったと思ってた人を昨日見た気がして…人違いかもしれないんですけど。」
「ふうん。何で死んじゃったの?」
あっさりと聞かれたことに驚いたがアキノさんならいいか、と思い俯きながらも話し出す。
「三年前に本部とこの辺りの区域一帯が大勢の魔族に襲撃された事件あったでしょう?」
「ああ、あれね。」
「あの時…私のこと守って死んじゃったんです…多分。」
あの時のことは思い出すだけでも辛い。あの事件で本部は半壊したし死傷者もたくさん出た。
本部も建て直してようやく生活が元に戻った今では幻のようだが、私にも職員にもあの事件はトラウマとなって頭に焼き付いている。
「あの時の主犯ってレオナだよね。」
「レオナ?」
「上流魔族の一人。あの人が魔族集めてあの事件起こしたんだよ。…俺は面倒で参加しなかったけど…なるほどね。あの人ならあり得るかもしれない。」
アキノさんが独り言のように言って私に視線を戻す。
「レオナだったらやる事タチ悪いからその人魔族にしたかもよ。」
「…本当ですか?」
私が顔を上げると「でも、」と注意するようにアキノさんが人差し指を立てて続ける。
「魔族として生きてたとしても、まともな状態じゃないかもしれない。さっき言ったように高度な技だし、レオナに飼われてたらどんな扱いされてるか分からない。」
「そんなにレオナってやばいんですか。」
「うん。魔族としても女としても、…ね。」
そう言うアキノさんが一瞬私から目を逸らす。同情するようなその声のトーンに、嫌な予感がよぎった。
もしイオンが生きていたとして、あの人がイオンだとして、そんな人の下にいて普通に暮らせているとは限らないのだから…。