記憶の部屋
瞼は思ったより軽く、あっさりと開いた。目の前に見慣れた本部のリビングの景色が広がっていた。いつも座る、定位置の席。
だが、広がっている景色には温度がない。テーブルも椅子も、棚にある食器も生活感あるいつもの物なのに、どこか素っ気ない。
辺りを見回してから再び前を見ると、正面にサクマがいた。
「…サクマ」
「…イオンの方か?」
サクマはじっと俺を見つめたまま尋ねた。警戒している訳ではなく、ただの興味本位だろう。
「うん。…イオンだよ。」
記憶は全部あった。イオンとして生活してきた時のことも、ハイリとしてやってきたことも、全部覚えている。
今しがた、レオナを殺したことで契約が切れ、瀕死の人間の体に戻ったことも。
「…俺ら、今結構重症みたいだね。」
「そうらしいな。」
サクマは意外にもあっさりとしていた。俺は元から覚悟していたのでそんなに動揺しないが。
「…悪かったな、イオン。俺のせいで…。」
「え?何で?むしろ謝るのは俺の方でしょ。サクマが俺頼ってくれたのに勝手に研究対象に見て、本部襲撃される原因作ったんだから。」
俺が言うとサクマは首を横に振った。
「俺が勝手に頼ったのが悪いんだ。自分の体のことなんか誰にも言わなきゃよかった。」
「そしたらサクマとっくに死んでるでしょ。」
誰にも頼れず血が飲めなくて死んでいく展開が目に見えている。俺は軽く言ったつもりだったが、不意にサクマの目が泣き出しそうに歪んだ。
「…そうだな。」
「…ちょっと、泣かないでよ。」
「泣いてねーよ。」
そう言いながらもサクマは堪えきれないように顔を伏せた。仕方ないなあ、と思いながら再び周りを見てふと思いあたることがあった。
「…ここ、あれだね。まだ襲撃される前の本部だね。」
俺が言うとサクマも目元を拭いながら周りを見た。
「…ああ、確かに。自然すぎて気づかなかった。」
「まあ、俺が見覚えある本部は壊れる前のだからね…。懐かしいなー。」
「今の本部も昔とほとんど造りは変わってないけどな。」
たまにリカコとキユウも含めて四人でここで食事していた時のことを思い出す。ダイゴやミズキとそういうことはさすがになかったから、懐かしさが込み上げる。
「リカコ、まだ人参食べれない?」
「ああ…、食えないみたい。この間炒飯に刻んで入れても丁寧に避けてたから。」
サクマがうんざりとした顔で言う。炒飯に入った2ミリ大の人参を箸で器用に避けるリカコを想像して吹き出しそうになる。
「もうすぐ大学生なるんだし、そういう小学生みたいな好き嫌いやめろって言ってるんだけどな…。」
「リカコ頑固だからね。好き嫌い直す気ないよ。…てかサクマ、炒飯作れるんだね。不器用なのに。」
俺が言うとサクマはどこか恥ずかしそうに「うるせえ」と口を尖らせた。
それが面白くて意地悪く笑ってみせる。
「カレーのルーが溶けなかったのに?」
「…現実帰ったらしばく。」
声をあげて笑いながら、ここが現実ではないという事実を思い出す。現実でなければ、ここはどこなのだろう。
帰れるのかな、と呟きかけてそれを堪えるように唇をそっと噛む。不安を表に出したら負けな気がした。
「…お腹空いたなあ。久々に普通のもの食べたいかも。」
代わりにそう呟くと、サクマは微笑んだ。
空腹を誤魔化すようにして身を乗り出すと、改めて尋ねてみた。
「もう自分の体のこと、受け入れたんだよね?」
「…ああ。」
「…受け入れたこととは別にして…、その体で生まれたこと、恨んでない?」
俺が聞くとサクマは一瞬黙り、それから優しく笑って頷いた。
「…俺は母さんのことも父さんのことも大好きだよ。自分の中途半端な体が人に迷惑かけることは嫌だったけど、恨んだことはない。」
言い切ってから「イオンは?」とサクマは問いかけた。
「イオンは、ハイリのこと恨んでないのか?」
聞かれて一瞬固まってしまうが、これは本来のレオナの息子のハイリのことか、と納得する。
少し考えてから俺も笑った。
「誰のことも恨んでないよ。死んじゃったハイリに罪はないし。…それに正直、息子を蘇らせたかったレオナの気持ちも分かる気がするんだ。身勝手な人ではあったけど、そういうところ純粋な母親だよね、あの人は。」
俺の話にサクマは驚いたように、どこか呆れたように「はあー」と息をついた。
「お前いいのか、そんなんで。実際息子には求めないようなことまで求められたんだろ。」
「体のこと?…もういいよ、済んだことだし。」
あまりにもあっさりしている俺の返事にサクマは肩をすくめた。
どうせ現実じゃないなら、こんな会話も忘れてしまうかもしれない。そう考えて、なんとなく言うか迷っていたことを話す気になった。
「…レオナ多分、本当はサクマのことすごく気にかけてたのかも。」
「は?」
「…手紙には書かなかったんだけどハイリについてはもっと情報があってね。」
気づくと白い霞みが部屋に広がってきていた。時間がないことを悟り、言うだけ言ってしまう。
「ハイリ、人間と魔族の子だったんだよ。」
俺が言うと、サクマは目を丸くして固まった。本当に言葉が出なくなってしまったように、口を少し開けたまま俺を見つめる。
「レオナの夫、人間だった。」
白い霞みがサクマの姿を隠していく。表情を伺うのもギリギリだった。
「レオナのこと、恨みすぎないであげてね。」
何でレオナのことを庇っているのか分からないが、口をついてそう言っていた。これだから自分はお人好しだとか何とか言われるんだろう。
サクマの姿が霞んで目を閉じる。自然な眠りに体が沈んでいく。




