葛藤
サクマとリカコが喧嘩するなんて、珍しい。
頭の堅いサクマとまだ年頃で思春期なリカコは些細な言い争いこそあっても、本当に気まずくなるほど喧嘩することなんてなかった。元々サクマが保護者目線で接していたから、というのもあるだろう。
半分魔族だという話を聞いてもサクマへの印象は変わらなかった、と言うと嘘になる。一番魔族への敵対心が強いサクマが魔族の血を継いでいる、というのは素直に驚いた。
リビングにアキノと二人で残された後、リーダーに指定されていた時間が来たのでアキノを地下室に送った。リカコの血を吸いたいとギリギリまで言っていたが、これ以上こいつを外に置いておくわけにはいかない。
その帰りに廊下を歩いていると、ガタン、とどこかの部屋から物音がした。一度だけならまだしも、そんな物音が何度もしている。
不審に思い物音がしている部屋を探すと、サクマの部屋に辿り着いた。血液パック取ってくると言って戻ってこなかったサクマ。部屋に引きこもっていたのか。拗ね方が小学生並だな。
それにしたって、何をしているんだろうか。気になり、ドアをノックする。
「…サクマ。」
返事はなかった。物音だけがしている。
ドアノブを捻ると、あっさりと開いた。だが、その先に広がっていた部屋の荒れ様を見てぎょっとしてしまった。
生真面目なサクマとは思えない散らかり様だった。資料らしき紙が床一面に広がり、ペンやノートも転がっている。倒れている棚もあり、足の踏み場もないとは正にこんな状態を言うのか。
唖然としながら部屋を見回していると、部屋の真ん中で丸まっているサクマに気づいた。
「…おい。」
近づいて声をかけると、サクマはよろよろと顔を上げた。珍しくひどく弱っている。
その片目が黄緑色に光っていた。
「…腹減ったの?」
いざとなったら自分の血を分けてもいいと思っていた。知らない魔族相手ならまだしも、サクマだ。
だがサクマは強がるように首を横に振った。
「…生き血吸ったら、人間じゃなくなる…。」
「…元から人間じゃないんだろ、半分魔族。」
はっきりと言うと、サクマは唇を噛んだ。
半分であることが相当コンプレックスなのだろうが、あまり気づかうつもりもなかった。長いこと一緒に仕事をしてきたんだから、今更気づかって優しくしても仕方ない。
「…何が嫌なんだよ、半分で。」
「…ちゃんと、人間として、生きてきたんだよ。」
サクマが呟くように言った。俺の腕を強く掴む。
「吸血衝動なんて滅多になくて、母さんも父さんも人間として育ててくれて、人間として、魔族恨んで、リカコとかキユウとかイオンとかと一緒に過ごして、楽しくて、……なのに、何で…、今更……、こんなに血吸いたくなるんだよ…。必死に血液パックで我慢しても発作起こるし、苦しいし、…なんで…」
震える声で話すサクマを、ただ見下ろしていた。サクマの葛藤に気づかず、呑気に仕事を押し付けていたことを今更ながら悔いた。
「……リカコ達に迷惑かけたくないなら、苦しくなりたくないなら、ちゃんと受け入れるべきなんじゃないの。魔族の自分を。」
自分でも驚くほど冷静な声が出た。いつもと立場がまるで逆だな、と思い少し笑える。
「…びっくりはしたけど、俺はお前が人間でも魔族でも何でもいいし、お前の面倒だってたまには見るよ。それで吸い殺されたならまあそれでいいかって思うし…だから、何つーの、俺ら頼っていいから、ちゃんと魔族の力も受け入れてやっていいと思うよ。」
どう言ったらいいのかも分からないので本音を零すと、サクマは顔を上げた。
「…キユウ、それで平気なのか。」
「イオンのことに比べたらお前が半分魔族だとか大してショックじゃねーよ。」
軽く笑って言うと、サクマも少し微笑んだ。
「ありがとうな。……じゃあ、たまには頼るよ。」
サクマと目が合い、頼るってそういう事か、と理解して首元を晒す。
「…お前吸えるの?」
「…分からん。生き血は吸ったことないから。」
当のサクマが一番緊張しているようだった。
昨日イオンに噛まれた痕がまだ俺の首に残っている。
「貧血とか…平気か?」
「寝たら大体治った。…早くしろよ。」
躊躇うサクマにやや呆れる。
意を決したようにサクマは俺の首筋に唇を当てた。恐る恐る、歯を食い込ませる。
昨日イオンに思いっきり噛まれた時も痛かったが、じっくり噛まれても痛いな、なんて呑気な事を考えている間に血が滲む。
「………下手くそ…」
「人の首噛むことなんかやったことないんだから仕方ないだろ。」
サクマの慣れてなさを素人の俺でも感じる。血はやたら出るのに、うまく飲み込めてない。
「つつっ…絶対歯ずっと刺してるからだろ!血出たら一回噛む力抜けよ、痛い!」
耐えかねてサクマの頭を叩く。
戸惑いながらもサクマは一度食い込ませていた歯を抜き、改めて首筋に口をつけた。
「……美味い。」
「…そう。」
なんで俺が吸血を誘導してやってるんだ、と思いながらも体の力を抜いて素直に見守る。
少ししてサクマは口を離した。顔を上げて、唇を拭う。さっきより随分顔色は良くなった。
止血をしながら、また貧血気味になっていることを自覚した。ゆっくりと体を横にする。
「…仕事は、ちょっと休んだらするから…」
「ああ、ありがとう。」
礼を言いながらサクマがふと何かに勘づいたように目を光らせる。まだ片目の色は黄緑色のままだ。
「…どっかででかい闇が出てる気がする。」
「そんな事まで分かるの?すげーな。」
サクマは立ち上がると、一瞬窓の外に目を向けた。
「…出かけてくる。」
「まじ?平気なの?」
「おかげさまで元気百倍だ。」
サクマはニッと笑うと部屋の扉の方に向かった。
「好きに休んでていいから」とだけ言い残して部屋を出て行く姿を見送って、俺は目眩から逃れるように目を閉じた。




