4(2)「獅子谷敬蔵からの挑戦」
枷部・ボナパルト・誠一は桜野を凌ぐ有名人だ。流行りにうとい僕のような人間でも一目で彼をそれと認識できた。彼はその奇矯なキャラクター性からか、時折テレビに出演している。生放送で難事件を解き明かして見せるというパフォーマンスを何度も成功させていて、彼を胡散臭く見る者も多いが、それだけ注目を集めている存在でもあるのだ。
顔を上げた枷部さんの両の瞳はブルー。顔立ちも濃く、鼻が高い。枷部・ボナパルト・誠一というのが本名かは分からないが、日本とフランスのハーフであるのは確からしい。長身に英国調のスーツがよく似合っている。ただ、整髪料で整えてある髪の色は黒だ。溌剌とした言動等かなり若々しいけれど、年齢は三十を越しているのだったか。
「枷部さん、はじめまして。お話、楽しく聞かせてもらったよぉ。マスメディアが貴方を欲しがるのも頷けるね」
桜野の言葉を受けて、枷部さんは勢い良く天を仰いだ。
「恐縮だ、そして感激の至りだよ桜野美海子さん! 君には前々から一度お会いしたいと思っていたのさ。おや、隣の君はもしや塚場壮太くんかな」
「はい、そうです。はじめまして」
「おお、やはりそうだったか! 是非、先生と呼ばせてくれたまえ。小説を何冊か拝読したよ。いや、ノンフィクションならば小説という呼称は不適当なのだろうか」
「小説で正しいですよ。それに実話を基にしていても脚色は入っていますし、探偵小説のかたちを取って書いています。まだまだ未熟ですが……」
どうも自分の話をするのは得意でない。最後の方は早口になってしまった。
「ご謙遜を! 小説のイメージどおり、謙虚なお方だな先生は」
枷部さんは次に義治くんに目を向けると、大袈裟に二歩ほど後ずさりした。
「霊堂義治くんではないか! さすがは獅子谷氏が揃えた客人だ。実にお目が高い。可愛らしいお嬢さんまで連れて……そう、君だよ。君、お名前を聞かせてくれるかな」
「あ、藍条香奈美」
香奈美ちゃんは枷部さんの過剰な挙動に退き気味だった。片手は義治くんの服の裾を摘まんでいる。
「オーケイ、藍条香奈美さんだね、よく銘記しておくよ」
そんな言葉と共にウインクされた香奈美ちゃんは顔を引きつらせると、逃げるように義治くんの腕を抱き締めた。枷部さんはそれを気にも留めず、今度は杭原さんの方へ身体を向ける。
「すまない、素敵なレディよ。僕は業界についてまだまだ不勉強なところがあってだね、失礼ながら君について心当たりがないんだ。気分を害したのなら、そのヒールで僕を踏むなり蹴るなり好きにしてくれたまえ」
痛切な表情の枷部さんに、杭原さんは軽く笑った。
「愉快な人ね。気にしないで。貴方があたしを知らないのも無理はないわ。あたしは決して表舞台には現れない類の探偵だから。闇医者という言葉があるけど、その表現を借りるならあたしは闇探偵ね。もっとも腕は確かよ。闇医者と云っても、想像して欲しいのは手塚治虫のブラック・ジャックってわけ」
「なるほど。しかしブラック・ジャックと云うなら、大層値が張るのかな」
「どうかしら。誠一さんみたいな男になら、サービスしてもいいけど?」
杭原さんから上目遣いの視線を受けて、枷部さんはわざとらしくよろめいた。
「いやはや、参ったな。少なくとも悩殺の腕は確からしい。このボナパルトが太鼓判を押そう。ところで、伴いのお嬢さんはピノコと呼ぶには背丈が高いようだが?」
「こいつは樫月琴乃と云ってね、あたしの弟子よ」
樫月さんはぺこりと頭を下げる。彼女は少なくとも僕の前ではまだ一言も発していない。無口なのだろうか。
「枷部さんは誰も連れて来なかったの?」
桜野が問い掛けた。
「ああ、僕は助手も取っていなければ、可愛らしい弟子にも、僕を本にしてくれる作家先生にも恵まれていないからね。かと云って、友人となればひとりに絞るなんて残酷な真似はとてもできなかったのさ。ほら、何かを選ぶという行為は裏返せば他を選ばないという意味じゃないか」
依然として義治くんにくっ付いている香奈美ちゃんが小声で「本当は友達いないんじゃないの」と発したのを、枷部さんは聞き逃さなかった。
「あはっ、冗談が上手だな藍条さん。友人ならこの塔の中に限っても既に七人いるよ!」
これまでの発言を聞く限り、枷部さんの云うことはいちいち大仰で演出過剰だから、あまり真に受けない方が良さそうだ。
「失礼します」
今まで僕らの会話――ほとんど枷部さんの独擅場だったが――を傍観していた能登さんが輪の中に入ってきた。能登さんも出雲さんと同じ二十歳くらいに見えるけれど、出雲さんが童顔なのに比べ能登さんはキリッと引き締まった顔立ちだ。二人とも腰まで伸ばした黒髪で同じエプロンドレスを着ているので、後ろ姿では判別が付かないだろう。
「もうじき十八時となります。獅子谷様から皆様へご挨拶がありますので、このままお待ちください。もう一組のお客様も只今お連れ致します」
能登さんは一礼の後にエレベーターへ向かって行った。どうやらもう一組も既に到着していて、今は部屋にいるようだ。
枷部さんはトランクを足元に置き、椅子に腰掛けた。長テーブルを囲む椅子は大半が埋まり、空席はあと三つである。あらかじめ客の人数に合わせてあるのか。
「ひとつ足りないね」
桜野が云った。
「枷部さんが付添人を連れて来なかったから一席余裕が生まれたけど、これじゃあ獅子谷さんの席は用意されてなかったことになるよ」
「じゃあ獅子谷氏は列席しないのか?」
「きっと獅子谷さんとの顔合わせはモニター越しなんだよ」
僕は玄関扉の上に取り付けられた大きなモニターを見た。しかし招待主が直接の対面をしないとはおかしな話だ。獅子谷氏は足が悪くなったとか、そういう事情があるのだろうか。
しばらく経って、枷部さんが不意に「ああ、もう一組というのは君だったか!」と声を張り上げた。つられて振り返ると、エレベーターから降りてきたのは真黒なドレスに身を包んだ少女だった。さらに後ろには、能登さんともうひとり、初老の男性が立っている。
「また会えるとは実に奇跡的な巡り合わせだ。獅子谷氏には当然のこと、これは神に感謝しなくちゃいけないな。親愛なる甘施無花果さん!」
枷部さんの言葉で、僕は少女の名前を思い出した。
甘施無花果。外見は十代前半にしか見えないが、年齢も含めその素性はほとんどが不明。ただ確かなのは、探偵としての高い能力である。少女ながらに気品溢れる凛とした佇まいは多くの人々を惹き付け、彼女の探偵活動は逐一マスコミに取り上げられる。本人はそういった露出を厭う向きらしいが、それでも充分すぎるほどに名が知れ渡った探偵だ。真黒なドレスに金色の長髪、真白な肌に大きな漆黒の瞳……その人形の如き姿は写真で見たとおりどこか人間味に欠けている。
「あら、いつだかの芸人さん。カメラマンも連れずに何をしているのですか」
無花果ちゃんは澄まし顔だ。口調は平淡で、やはり作り物めいている。
「喜ばしいことに今回は完全なプライベートさ。……おお、新倉氏もご無沙汰ですね。お元気そうで何よりだ」
無花果ちゃんの後ろに控えている初老の男性は会釈した。彼は無花果ちゃんの助手……というか執事だと何かで読んだ憶えがある。格好もそれらしい。温厚そうな顔には丸い縁の眼鏡をかけている。
無花果ちゃんは空いていた僕の隣に腰掛けた。新倉氏は背後に立ったままでいようとしたらしいが、無花果ちゃんから目配せを受けて結局その隣に座った。
これで客人は全員が席に着いたわけだ。エレベーターから見ると、手前は左から順に空席、桜野、僕、無花果ちゃん、新倉さん、奥は左から順に樫月さん、杭原さん、枷部さん、香奈美ちゃん、義治くんである。
桜野や杭原さんが無花果ちゃんと挨拶を交わしていると、不意に、老人の嗄れた声が響いた。
『諸君、白生塔にようこそ』
全員が一斉にモニターを見上げる。そこには獅子谷氏の顔が映し出されていた。引退間際の写真よりも少し痩せて、皺が深くなり、髪も白いものが増えている。しかしその眼光は鋭く、声も厳粛として衰えは感じさせない。声はモニター下部のスピーカーから出ているらしい。
『君達にはこれよりしばらく、この塔に滞在してもらう。手紙には三日間と書いたが、三日で帰れるかは君達次第だ』
「おや、それはどういうことですかな」
枷部さんが問い掛けた。こちらの声は獅子谷氏に届いているのだろうか。
『この白生塔の謎を解明してもらいたい。謎と云うのが何を指すのかは、すぐに瞭然となるはずだ。それを解かないうちに逃げ出すような手合いを招いたつもりはない。探偵としての矜持で以て、存分に挑んでくれると期待する』
「ふふ。面白い趣向だね」
隣の桜野が呟いた。たしかにこれは、桜野好みの展開と云える。
『この塔には客人である君達、すなわち五人の探偵とその同伴者の他には私と能登、出雲しかいない。この塔には君達が這入ってきた玄関扉の他に、人間が外に出られる隙間は一切ない。これらは私から断言しておく』
それでは、また会おう――その言葉を最後に、画面はプツリと真黒に戻った。
なんて簡潔な、しかし強烈なご挨拶だろう。僕はやや呆気に取られてしまったが、正面の枷部さんが勢い良く立ち上がったことで我に返らされた。
「さすがは大作家、獅子谷敬蔵だ。何らかのサプライズがあるとは予想していたが、これは堪らないな! 獅子谷氏は探偵である僕らに謎を提示し、覇を競わせるつもりなのだろう。よろしい! このボナパルトの名に誓って、全身全霊で応えよう。皆さんも同じだろう?」
枷部さんが皆を見回す。「もちろんだよぉ」と桜野。「ええ、楽しい滞在になりそうだわ」と杭原さん。さすが探偵達。突然の挑戦にも動じたりしない。ただ、義治くんだけは「面倒くせぇな……」とぼやいた。
「霊堂くん! 老婆心ながら忠告するが、そんな消極的なことではこれから探偵としてやっていけないよ。まだそんなに若いというのに」
「悪いけど、おっさん、俺が探偵なんてやってるのは楽に金が手に入るからだ」
義治くんはいかにも億劫そうに喋り始めた。
「此処に来たのだってビジネスの一環なんだよ。詳細不明のわけ分かんねぇ誘いに乗ったのは、聞くところによれば獅子谷って爺さんがかなりの富豪らしいからだ。金の匂いがするから、特別に、例外的に、遠出して来てやったんだ。なのに蓋を開けてみれば、くだらねぇ謎解きごっこだと? 眠いよなぁ。こっちはボランティアじゃねぇんだぜ」
義治くんは想像以上にドライな性格らしかった。
「おお、何ということだ!」
枷部さんは仰々しく両手を広げた。
「昨今の若者は無気力と聞く。一説によればそれは彼らがバブル崩壊の後に生まれたせいで、不況しか見ていないからだと云う。あの隆盛を体験していないから、多くを得るということに実感が湧かないのだ。欲望を実現させるビジョンが持てなければ、貪欲になりようがない。嗚呼、まさに時代の犠牲者。彼らの積極性を欠いてしまったのは僕らの世代の不甲斐なさだ! すべての大人達を代表し、僕が君に謝罪しよう! そしてどうかお願いしたい、内なる情熱に気付き、その探求心によって謎を解き明かすに励んでくれたまえ。堅実な現実主義も結構だが、これを機に君は謎解きにまつわる愉悦を知るべきだ!」
しかし枷部さんの説得も虚しく、義治くんは溜息を吐くのみで、心を揺さぶられる様子はなかった。代わりに応えたのは香奈美ちゃんだった。
「よく分かんないけど、どんな謎だって義治はあっという間に解き明かすよ。だって義治は天才だもん。お金が貰えないからやる気をなくしてるけど、義治にとって謎解きなんて息するより簡単なんだから」
「それは良い! だが僕も負けるつもりはない。皆さんにあらかじめ宣言しておこう。非常に名残惜しいが、僕が優秀なのがいけなかった、僕らは三日もかからず此処を出ることになってしまうだろう!」
枷部さんは不敵に笑った。