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10「真なる真相の甘美」 ◯おわりに

    10


「どうしてだ……」

「ん?」

「どうしてそんなことをしたんだよ、桜野……。いくらていねいに説明されても、お前がこんな殺人事件を起こした理由が僕にはどうしても分からない!」

 カラカラの喉から声を振り絞る。涙が出てきてしまった。桜野との幼少期からの思い出が次々と頭に浮ぶ。しかし、それらは目の前にいる殺人鬼によって真黒に塗り潰されてしまうのだ。こんなに悲しいことが、こんなに悔しいことがあるだろうか。

 なぜ、桜野は人殺しなんかしたのだ。

 理由がある。理由がなきゃおかしい。

 何か、止むを得ない動機が。

 同情を誘う、それほどの凶行も仕方ないと思わせてくれる、そんな動機が……。

「ふふふ」

 桜野は恍惚とした表情を浮かべた。

「私が名探偵だからだよ」

「違う……これじゃあ殺人犯じゃないか。名探偵とは真逆の存在だ……」

「もう、塚場くんったら。

 一緒にお風呂入ったとき、あんなにもあからさまに伏線を張ってあげたでしょ?

 あれには、第二のエレベーターがある浴場を印象づけてあげる他にも、私が犯人なり得るのだという重大な示唆しさを与える目的があったんだよ。

 塚場くん、私は真相を掴みたかった。

 ずーっと推理小説を読み続け、ずーっと現実の事件を解決し続け、謎と戯れ続けてきた私だけど、これまで一度も真相を掴めた実感はなかった。

 だって真相なんて掴めないんだ。

 浴場で話したとおりだよ。

 探偵が真相を解き明かして、事件が綺麗に解決しても、それが本当かどうか証明する手立てはない。何者かの掌の上で踊らされてるだけ、という可能性は常に付きまとう。

 もう私には、生きた心地がしなかったよ。

 こんなにも真相を渇望してるのに、永遠にそれを手にするのは叶わない。

 こんなにも真相に恋焦がれてるのに、それに口付けするのは叶わない。

 でもね塚場くん、私は気付いたの。

 自分が起こした事件を、自分が解決する。

 自分が真に犯人となり、自分が真に探偵となる。

 事件におけるこの両極端を、すべてを、私が支配する。

 私は真相を手に入れられる」

 楽しくて堪らない、嬉しくて堪らない、幸せで堪らない、そんな桜野の姿は、どこまでも純粋で、実は歪んでいるのは僕の方なんじゃないかと錯覚させられる。

「探偵が犯人、なんて生易しいものじゃないよ。

 真に探偵が犯人なんだ。

 前に話したとおり、探偵という肩書の私が犯人でも、それを別の人間が推理したのなら、この場合における探偵とはその人物を指すんだよ。探偵と犯人とはいわば舞台装置だからね。それがミステリである限り、絶対に存在する概念だよ。

 だけど私は、私の犯罪を、本当に私が探偵として看破したんだ。これは犯人の自白でもない。真に探偵の推理だよ。その犯人も真に私。

 これで塚場くんでも理解できたでしょ?

 私は真相を掴んでいるんだよ」

 僕は首を横に振った。

 分からない。分かるわけがない。

 そんな理由で、こんな殺人事件を起こしたのか?

 首切りジャックを泳がせていた、とも桜野は云った。首切りジャックを操っていたようなものだ。この塔における支配者は桜野で、この事件における支配者は桜野で、すべてが桜野の仕業だと云える。

 理解できない。

「嗚呼、やったよぉ。遂にやったよぉ。

 真相だ。私が求め続けていた真相だぁ。

 この瞬間のために私は生きてきたんだ。嗚呼、全部が報われたよぉ。長い長い探求の旅は終わり、やっと辿り着いたんだよぉ。

 ふふふふふ、ふふふふふふふふ。

 フェアプレーには徹したよ。塚場くんなら、此処に来る前に、私を犯人として充分に指摘するに足る条件を揃えていたよ。

 君が探偵となるのは可能だったんだよ。

 そうじゃないと意味がないからね。

 フェアな謎を、フェアに解かないと、私の考えるミステリにはならないからね。

 ふふふふふ。真相の、真なる真相の、なんて甘美なことだろう。

 私は真相を掴むに至った、唯一の名探偵……。

 ようやく、気掛かりはすべて消えた。

 こんなの、生まれて初めてだよぉ」

 もう僕には、桜野を責める気にはなれなかった。どんな言葉も桜野には届かない。僕なんて桜野にとっては路傍ろぼうの石に等しい存在なのだ。

「これから……どうするんだよ。こんなことして、お前はこれからどうするつもりなんだ……」

 桜野がこの質問に答えてくれたとしても、どうせ僕には意味なんて分からないだろう。遠い、なんてものじゃない。明らかに、違うのだ。

「ふふふ。まぁこれから話し合おうよ。せっかくの良い気分なんだ。浸らせて欲しいなぁ。

 塚場くん、喉が渇いてるみたいだね。死にそうだよ? 大丈夫?

 私も今回はたくさん喋ったし、お茶の時間にしようね。

 珈琲は嫌だよ。うーん、ミルクティーにしようか」

 桜野はスキップでもしそうなくらい上機嫌な足取りで部屋の端に向かい、ミルクティーを淹れ始めた。

 桜野は僕に背を向けている。だけど僕には、逃げ出す気力もなかった。逃げる理由も特に見出せなかった。

 僕が桜野を見る目は言葉なんかじゃ表せない混沌としたものに変わってしまっていたけれど、きっと桜野が僕を見る目は首尾一貫しているのだ。僕と生まれて初めて逢ったときも、いまも、何も変わらない。

 桜野が見ていたのはいつだって、真相を手にしたいという欲求。それこそが彼女にとって自分が生まれてきた意義のすべてだったのだろう。

 しかしそんな願いが成就した桜野を、僕はとても祝ってやれない。

 桜野は二つのカップを持って、僕の目の前までやって来た。未だ床に膝をつき立ち上がれないでいる僕に、ミルクティーで満たされたカップが差し出される。

 そういえば、桜野が僕にミルクティーを淹れるのは初めてかも知れない。

 喉が渇いているのは確かだった僕は、熱々のミルクティーを喉の奥へ流し込んだ。舌を少し火傷してしまったが、そんな些事さじを気にする感性はなくなっていた。

「これから、お前は……」

 僕は桜野を見上げる。救いの主を仰ぐような姿勢。僕は桜野に信仰心めいたものを抱いていると思っていた。だが、いまの桜野を僕は信仰なんてできない。それは僕が彼女の思想をまったく理解できないからだ。僕じゃなくたって、彼女の思想を正しいと思う人間なんて、果たしているのだろうか。そもそも、正しいとは何だろう。この世に正しいことなんてあるのだろうか。正しいとされていること、ならいくらでも転がっている。便宜的に。蓋然性が高いから。桜野が真相を渇望した所以が、本当に少しだけ、分かった気がした。それを桜野は、掴んだのか。何者も及び知らない領域に到達したのか。

「これからかぁ……。最後の仕上げ、かな」

 視界の中で桜野の笑顔が、突然揺らいだ。

 身体の奥から強烈な違和感が噴出し、全身を駆け抜け、身体がり、遠くからカップの割れる音がして、視界が明滅し、熱いんだか痛いんだか、とにかく暴走した感覚が僕の身体をじって捩じって、真っ赤な、鮮血が、口から血が――

「塚場くんは最後まで駄目駄目だったなぁ。私は塚場くんが大好きだったけど、塚場くんはついぞ私に応えてくれなかったねぇ。ほら、塚場くん、憶えてる? 砒素だよ、砒素。私はあれを少しもらっておいたんだよ。あんなに堂々と伏線を張ってあげたのになぁ。定番の毒殺を私がやらないわけないでしょ? これで私の犯罪も完遂だから、嬉しい気持ちの方が勝るけど、少し悲しいってのも本当だよ。じゃあ塚場くん、さようなら」



○おわりに


 この小説の著者が私――桜野美海子であると、ここまで読んだ読者諸君はお気付きだろう。

『はじめに』で断った〈事実とそぐわない点〉というのは、私が塚場壮太ではないから、私が同席しなかった場における描写は、どうしても一部想像によってしまうという意味である。

 私は今、白生塔の十階にある獅子谷敬蔵の仕事部屋でこの文章を綴っている。親愛なる友人、塚場壮太が命を落としたのは昨日のことだ。是非とも事件の記録を残しておきたいと考え、私自ら筆を取った次第である。

 なぜ塚場壮太の視点で本編を記したかと云えば、私の語り手は彼だからである。名探偵であるところの私の活躍を記述するのは語り手の役目であり、既に世に出回っている『桜野美海子シリーズ』なる作品群の著者も彼なのだから、彼として記述しなければならないのが道理だ。

 執筆にあたって、塚場壮太のノートが非常に役立った。彼の目にしたもの、耳にしたもの、感じたものが克明に記されているノートだ。彼がいつもこのノートに事件の記録を取って、後日小説を執筆していたのは私も知るところである。

 だからおおよそ、本編の記述に偽りはないと思われる。

 塚場壮太の稚拙な語り口も、できる限り真似をした。彼の書いた小説は私も友人として目を通しているので、難しくはなかった。彼の思考も私からしてみれば手に取るように分かるため、やはり本編の記述は、仮に彼が書いたとしても、そう変わらなかったと保証する。

 さて、この文章を書き終えた私は、自害しようと考えている。

 これから生きる目的は特別見当たらない。第一、この国の司法制度では私は極刑に違いない。逃げおおせるのは私では難しいだろう。何より、やはり逃げる理由が見当たらない。

 真相を手にしたことで、私の本懐は遂げられたのだ。最後に残った望みと云えば、有終の美を飾りたいといったところか。

 ところで読者諸君はお気付きだろう。塚場壮太の語りを装った私もまた、読者諸君にとっては語り手なのだ。私は私が告げた推理が真に正しいと知っているが、読者諸君にそれを確かめるすべはない。理由は作中で述べたとおりである。

 だが、私は知っている。私だけは、真相を手にしている。

 私がどれほどの至福にあるのか、これでその一端でも感じ取ってもらえたなら、この文章を綴った意味もあろうというものだ。


 真相は、私の手の中にある。

 これを抱えて、私は死のう。


 白生塔にて、私の最期を、確かに記述させていただいた。


 桜野美海子



 ※※※※※※※※



 以上が桜野美海子が死の直前に記述したすべてである。手は一切触れていない。倫理的に問題がある描写も散見されたが、本書の資料的価値を高めるために、わずかな表現の改めも為されないように取り計らっていただいた。大勢の方達に多大なご迷惑をお掛けしたことを、まずこの場で謝っておきたい。

 ところで読者の皆様は、白生塔にて起きた前代未聞の殺人事件の唯一の生き残りが僕――塚場壮太であるとはご存知だろう。

 簡単に事情を記しておきたい。

 白生塔の十一階で桜野美海子がミルクティーを淹れているとき、愚鈍な僕でも毒を盛られていると疑った。当然、砒素だろうと考えた。彼女はこちらに背を向けていたので、僕は近くの棚から血のりを取ると、口の中に仕込んでおいたのだ。幸い、僕の工作は見抜かれなかった。

 僕はミルクティーに口をつけたが、飲みはしなかった。それから彼女の言動に毒を盛った旨が窺えたので、毒が回った振りをし、血のりを吐き出し、床に倒れたのだ。

 それからは生きた心地がしなかった。彼女はすぐに十一階から出て行ったが、いつ僕の浅はかな工作が見破られないとも限らなかった。しかし僕は生き残ることができた。

 桜野が残した小説を『桜野美海子シリーズ』の最終作として出版するには、これまでの中で最も苦労があった。僕が書くのはこの文章だけだが、世に出すためには多くの方達のご尽力が必須だった。先ほどの謝罪と併せ、感謝の意もここに記しておきたい。

 白生塔にて起きた悪夢のような事件を、決して忘れて欲しくない。僕の強い願望が、こうして半分叶ったのは有難い。もちろん、残りの半分はこれを読んでくださった皆様が事件を語り継ぐことによって埋められる。


 最後に。

 桜野、僕は君のやったことが正しかったとは思えない。

 きっと誰も、君の行いをゆるしはしないだろう。

 幼いころからずっと僕の憧れであった君は、最悪のかたちで人生を終えた。

 それが残念でならない。

 ただ、読者の皆様に誤解がないよう、君を決して認めないともう一度強く書いたうえで、

 僕は君にも、礼を述べたい。

 ありがとう、桜野美海子。


 君の語り手――塚場壮太より。

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