2、3「急転直下」
2
杭原さんの死体発見から二時間。桜野、僕、琴乃ちゃんの生存者三人はサロンにいた。
桜野はずっと読書している。この期に及んでまだ読書なんて、とさすがに僕も怒ったけれど、彼女は「最後の一冊なんだ。邪魔しないで」と割合真面目なトーンで云うだけで、僕は失望の念を覚えた。
いくら桜野でも、この事件は荷が重かったのだ。解決を放棄する桜野の姿なんてものを見る羽目になるなんて……。師を失った琴乃ちゃんには劣るが、僕が抱いた喪失感も相当なものだった。
「師匠がうちの発言を禁止したりしてたのも、全部うちのためだったんだよ……うちがちゃんと考えてからものを云えるように……思ったことをすぐ口に出しちゃうのは探偵にとって致命的だからって……なのにうちは、最後まで何の成長も見せられなかった……」
涙も枯れ声も枯れ、それでも後悔の念を洩らして止まない琴乃ちゃんに僕は「自らを囮に犯人を暴こうとした琴乃ちゃんの決断は、杭原さんにとって何よりも嬉しかったんじゃないかな。きっと杭原さんは、君に関しては満足して死ねたんだと思うよ」なんて気休めの言葉しか掛けられなかった。
もう僕らは敗北したのだ。この犯人は、探偵達の遥か上をいっていた。惨敗である。
このまま此処にいても殺されるだけ。相手は銃を所持している。僕ら三人を同時に相手したところで余裕だろう。
「下山しよう。太陽が高くなる時間までこのサロンで粘って、それから一気に山を下るんだ」
「でも同級生、それじゃあ師匠の仇討ちが……」
「琴乃ちゃん、気持ちは分かるけど、此処で殺されてはそれこそ杭原さんが報われないよ。月並みな物云いだけど、これは絶対にそうだと思う。大体、この犯人はもう探偵との知恵比べなんか――」
パタン、と。
本の閉じられる音がした。
「読み終わったぁ――」
桜野は晴れやかな表情で告げた。
「――そして、謎も解けた」
3
「え、桜野、今なんて……?」
困惑する僕と琴乃ちゃんに対して、桜野は相変わらず呑気な佇まい。
「謎は解けた。おおよそすべてね。〈名探偵、皆を集めてサテと言い〉なんて云うには、いささか人数が欠け過ぎちゃったけど」
「本当か! ほ、本当に全部が……」
「ん、塚場くん、ずっと私を見てきたのに、信用できないの?」
「そ、そうじゃないけど……」
今回ばかりは規格が違う。てっきり桜野も諦めてしまったとばかり思っていたから、全部解けたなんて簡単に云われても、戸惑ってしまうのは当然だろう。
「美海子ちゃん、聞かせて!」
琴乃ちゃんも懇願する。先ほどまで泣き腫らしていたのが、どこかへ飛んで行ってしまったかのようだ。
「うーん、錯綜してるのは事実だからね、どうやって話すか迷うなぁ。まずは首切りジャックにでも会いに行く?」
「やっぱりいるのか! 首切りジャックがこの塔に!」
「うん、もう死んでるけど。だってほら、杭原さんが銃殺されてたのは、そういうことだよ」
益々混乱する僕と琴乃ちゃん。しかし桜野はお構いなしに席を立つとエレベーターへ向かって行く。僕と琴乃ちゃんはついて行くしかない。
エレベーターに乗り込むと、桜野は『4』のボタンを押した。
「ところで塚場くん、前に杭原さんがこのかごの上を見ていたよね。能登さんはそこに転落したと考えられてたけど、血痕はなかったんじゃない?」
「そ、そうだ。でもお前に話したっけ?」
話していない。つまり桜野にとって、このかごの上に血痕がないのというのは、結論から帰結する必然なのか?
四階に出た桜野は、迷わず図書室へと這入って行った。
「首切りジャックが身を隠していたのはこの図書室だよ。昨日一斉に捜索したとき、私が受け持ったのは六階から十階だったからね、逆だったらもっと話は早かったかも知れないねぇ」
「うちらは此処も念入りに探しましたよっ」
「本棚の上も?」
桜野は人差し指を立て、上に向けた。
「白生塔は各階とも、天井が高い。この図書室も背の高い本棚に囲まれていながら、本棚の上と天井までには空間がある。つまり、ロフトがあるんだよ。本棚は梯子として機能するね」
「……い、いえ、師匠は上も一度、それこそ本棚をよじ登って、確認してました」
「そのときは下りればいいね。この図書室は本棚がまるで迷路のように入り組んで配置されている。本棚の上も利用できてこの配置だと、三人ではどう頑張っても理論上、挟み撃ちにできない。どうしても死角が生じる。捜索は容易にかわせるよ」
僕も琴乃ちゃんも絶句である。
「でも首切りジャックはもう死んでるから、いまはどこかの床に倒れてるんだろうなぁ」
桜野が本棚と本棚の隙間を縫い、歩き回る。
「あったあった」
角を曲がり、桜野の肩越しに彼女が指差す先を見た僕は、驚きばかりが先行し、ろくに声をあげることすらできなかった。
其処には、杭原さんと同じく銃殺された、枷部・ボナパルト・誠一の死体が――首と胴体がちゃんと繋がっている死体が、横たわっていた。




