8「樫月琴乃、決死の覚悟」
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出雲さんは無事だった。いくら憶測の中でとはいえ勝手に殺してしまって申し訳なかったが、この白生塔で連続殺人の渦中に身を置いているのだから大目に見てもらいたいと内心で弁解する。
桜野と僕が同伴して、出雲さんは厨房で料理した。何か手伝えれば良いのだが、あいにくと桜野も僕も自炊のスキルはない。桜野は二十歳の女子なのだからそろそろ料理くらいできるようにならないとまずいのではとも思うが、これは時代遅れな考えか。
料理が出来上がってサロンのテーブルに並べられる間に、僕は無花果ちゃんにそれを運び、毒見をさせられたり罵詈雑言を浴びせられたりした後に杭原さんと琴乃ちゃんを呼び、サロンに戻った。ひとりのときはエレベーターでなく螺旋階段を使用することを心掛けているため、此処に来てからだいぶ足腰が鍛えられた気がする。
食事の最中、琴乃ちゃんが声を潜めて宣言した。
「甘施無花果もいないので、此処で話すことにしますが……今晩、うちが囮となります」
「囮?」
僕も小声で反応する。桜野を除いた皆は、顔を寄せるかたちとなっている。
「犯人は夜のうちに必ず殺人を行います。でもいま残っているメンバーは用心深く、殺しづらいからこそ残っているんだと思います。そこで、うちが一晩、無防備でサロンで過ごします」
「き、危険じゃないですかっ?」
出雲さんの声が大きかったので、琴乃ちゃんは人差し指を口の前で立てた。出雲さんは顔を赤くして「すみません……」と萎縮する。
「明らかに罠とは悟られますが、犯人の目的がうちらの抹殺にあるなら、うちを見逃せはしないはずです」
僕はそれでも反対しようとしたが、ここで琴乃ちゃんの師匠である杭原さんが僕を制した。
「琴乃自ら志願したことよ。あたしも最初は反対した。でも生半可な覚悟じゃないと分かって、あたしが折れた。皆も分かってあげて。琴乃は探偵として、一皮剥けようとしてるのよ」
「で、でも……そんなの探偵のやり方でしょうか」
「同級生、心配してくれるのは嬉しいけど、うちは決意を曲げないぜ」
琴乃ちゃんの顔が、これまでで最も頼もしく感じられてしまい、僕は何も云うまいと決めた――決めさせられてしまった。
「それに同級生、こいつがうちらのやり方さ。知性だけじゃない……命を張って事件に臨む。師匠だってね、うちの教育上良くないから自粛してるけど、以前はハニートラップばっか駆使してそれはもう過激な――」
話が脇道に逸れた琴乃ちゃんの頭を杭原さんが叩いた。
「ともかく、師匠はこの犯人には純粋な頭脳で挑みたいと云った。でも、それでもうちは、このやり方に決めた。うちは頭が良くないけど、そのぶん気概じゃ誰にも負けない。師匠の意志に背いて、不孝行な弟子だとは思うけど……うちは逃げたくない」
琴乃ちゃんの決意表明が終わると、杭原さんが頭を下げた。
「認めてやって欲しい」
大人の女性が若輩である僕らに頭を下げる……それは有無を云わさぬ重みを持っていた。
「僕はいいです。桜野は……」
桜野はどう思うだろう。琴乃ちゃんの作戦は犯人との知恵比べを放棄するに等しい。しかし桜野は悩みもせず、
「私にはそれを止める権限なんてないよぉ」
いつも通りの桜野で、僕は不謹慎ながら安心感を覚えた。
「ありがとうございます。師匠に教わって武道の心得もあるけど、できるだけ戦闘は回避しようと思ってます。犯人、少なくとも実行犯のひとりが分かり次第、うちは皆に知らせて回ります。心配しないでください。それと、作戦成功のために全員、部屋の中からバリケードを築き、くれぐれも犯人に襲われないよう注意を払ってください。うちは日付変更と同時にサロンに向かうつもりです」
いきなり一回りも二回りも大きくなった琴乃ちゃんに、感慨深いものがあるに違いない杭原さんは、
「声が大きい」
と愛の鞭だった。




