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1、2、3「窓のない塔」

    1


 空が茜色に染まる時分。

 出雲さんの運転する車は、鬱蒼とした密林に挟まれた細い山道をのぼっている最中だった。道の両端には、今朝に降ったらしい雪がまだ溶けずに残っている。

「滞在中に道が塞がったら大変ですね。閉じ込められてしまうんじゃないですか」

 僕は斜め後ろから出雲さんに話し掛けた。

「そうですね。でも白生塔には充分な食糧の蓄えがありますから、閉じ込められても急を要する事態にはならないかと」

 出雲さんは白生塔の使用人で、愛想の良い色白の女性だ。幼い顔立ちと薄い化粧のために高校生くらいに見えるけれど、実際は二十歳の僕や桜野とそう変わらないだろう。彼女はふもとの駅まで来た僕らを山頂近くにある塔まで運ぶ役割を担っている。

「ふふ。クローズドサークルかぁ。吹雪の山荘には凄惨な殺人事件がよく似合うよね」

 隣の桜野が、独特の間延びした口調で会話に参加した。

「ちょっと、桜野さん、不吉なこと云わないでくださいよ」

 臆病な性格なのか、出雲さんの笑顔は若干じゃっかん引きつっている。

「でもさ、獅子谷さんは意図してそういうシチュエーションに近付けてるんだと思うなぁ。だって稀代きだいの推理小説家だよ?」

 桜野は先ほどから読んでいる文庫本を頭上に掲げた。その表紙には獅子谷敬蔵の名前がある。桜野は推理小説マニアというより推理小説ジャンキーの域に達しているので、獅子谷敬蔵の著作ともなればとうの昔に読んでいるはずだ。だから今は再読中なのだろう。

「獅子谷さんの小説には毎度、舌を巻いたものだよぉ。荘厳そうごんな筆致、重厚な物語世界、殺人の美学、まさに身も凍る狂気の文学だよ。塚場くん、君にも見習って欲しいね。君ったら一向に上達しないんだから」

 桜野はにんまり笑って、視線をこちらに寄越した。彼女の活躍を小説にして生計を立てている身なので、僕は何も云い返せない。

「塚場さんの小説だって、すごい人気じゃないですか。私も愛読していますよ。作者ご本人とその主人公にお会いできて不思議な気持ちです」

 出雲さんがフォローを入れてくれた。

「本当ですか。光栄です。ありがとうございます」

「いえいえ」

 僕と出雲さんのやり取りに桜野は「君は女性と話すとすぐに鼻の下を伸ばすよねぇ」と溜息を吐いて、また読書に戻った。


    2


 桜野美海子は探偵である。僕はその活躍を幼少期から近くで見続けてきた。

 と云うのも桜野と僕は幼馴染で、親同士も仲が良ければ僕らも仲が良く、物心ついたころから自然と一緒にいたのだ。僕は平々凡々な人間であったが、桜野はまぎれもない天才だった。彼女は特に〈謎を解く〉ということに関して傑出けっしゅつしていた。学校の勉強なんてはもちろんのこと、彼女は世間に蔓延はびこる怪事件の数々を快刀乱麻を断つが如く解決していった。彼女は推理小説が大好きで常に読んでいたから、持っていた才覚のすべてをその方向に向けたのだろう。中学生のころには人形師連続失踪事件という一大怪事件を解決し、その名前はついに全国区となった。

 桜野は高校生のときに本格的な探偵業を開始した。桜野の活躍が僕には誇らしかったけれど、彼女が離れていってしまうような不安にも駆られていた。そこで僕が取った策というのが、彼女の活躍を小説にするというものだった。桜野は快くそれを許可してくれたし、面白そうな事件があると僕を連れて行ってくれるようになった。さながら桜野がホームズで僕がワトスンといった構図の『桜野美海子シリーズ』は、僕の拙い文章力を補ってあまりある桜野の活躍のおかげで大反響。あっという間に人気シリーズとなった。

 僕らは大学へは進学しなかった。そのまま桜野は探偵、僕は小説家としての日々を過ごしていた。

 そんななか、二ヵ月ほど前に今回の話が舞い込んだ。桜野に呼ばれて〈桜野美海子探偵事務所〉にやって来た僕に、彼女はニヤニヤしながら告げたのだった。

「塚場くん、白生塔に興味ある?」

 白生塔とは推理小説をたしなむ者ならば知らない者はいない大作家、獅子谷敬蔵の別荘だ。彼は八年前、還暦を迎えると同時に作家を引退し、それに際して巨額の財産をつぎ込み、人里離れた山奥に奇妙な塔を建てたのである。円柱の形をした全長四〇メートルに及ぶその真白な塔は、窓がひとつもないことで知られている。そして肝心の内部については何の情報も公開されておらず、それがまた好奇心を刺激するのだ。

「招待状が来たんだよぉ」

 桜野は封筒を見せつけながら、得意気に話した。それによると、獅子谷氏は今度、白生塔に五人の探偵を招いてもよおしを行うらしい。桜野はそれに選ばれたのだ。さらに探偵はそれぞれひとり同伴者を連れて来ることを許されていて、桜野は僕に声を掛けてくれたというわけである。

 興奮した僕が桜野に何度も礼を述べたのは、云うまでもない。


    3


 密林に覆われていた視界が突然開けたと思ったら、すぐ目の前に白生塔がそびえていた。

 空を突き刺すように建っているその塔は、今は夕陽に照らされて、紅潮しているかのようだ。口を開けながら塔の頂を見上げる間抜けな僕を桜野が笑った。

「到着です。お疲れ様でした」

 出雲さんが玄関近くに車を停め、僕達は外に出た。改めて白生塔を見上げる。

 ところどころに排気口が見られるだけで、本当にひとつも窓がない。話で聞いたとおりの綺麗な円柱状だが、外壁は最上階のあたりで角の取れた石みたいに丸みを帯びている。

 寒い寒い云いながら隣にやって来た桜野も白生塔を仰ぎ見た。僕と違って、だらしなく口を開けてはいない。

「見事なものだなぁ。ふふ。窓がないから、住居っていうよりゴミ処理場の煙突みたいだけど」

「それ、獅子谷氏には云うなよ……」

「人をいたずらに怒らす性癖は持ち合わせてないよ」

 桜野はおっとりした雰囲気とは裏腹に傍若無人の気があるので心配だ。いつもその尻拭いをさせられるのは僕なのだから。

「どうぞお這入はいりください」

 出雲さんが玄関の扉を手前に引いた。両開きの白い扉は鉄製で、大きさはそれほどでもない。這入ると、幅・長さはどちらも一メートルくらい、高さは二メートルくらいの狭い空間があり、正面にもうひとつ同じ形の扉があった。防寒のためか、入口が二重になっているのだ。それをまた手前に引いて開けると今度は広い空間が現れたが、それがあんまり奇妙な景色で、僕は面喰らってしまった。

此処ここがサロン……皆様が集合する際に用いる部屋でございます」

 サロンは白生塔の床面積の半分を用いた、すなわち半円型の部屋で、天井が随分と高い。もう半分は縦を三階分に区切られていて、二階と三階の廊下がこちらに突き出ている。要するに、このサロンは三階までを半分吹き抜けにして造られているわけだ。広大な空間を照らすために、蛍光灯は天井だけでなく壁にも取り付けられている。

「外観同様に無機質な意匠だね。暖房は効いてるけど、寒気を感じるよ」

 桜野の言葉どおり、無駄を排した内装には偏執的な不気味さがある。四方八方、コンクリートが剥き出しなのだ。天井付近の壁には換気扇が並んでいて……失礼ながら、何かの工場や立体駐車場といった観である。

 そんななか最も目を惹くのは、白生塔の中心を貫いている円柱状のエレベーターと、それに巻き付いている螺旋階段だった。さらには塔を支えるため、螺旋階段を囲うようにして四本の太い柱が伸びている。

「面白い構造だなぁ。あの調子で最上階まで続いてるの?」

「はい。ただ二階と三階は階段でしか上り下りできません」

 一階から三階までは此処から見られるわけだが、どの階も右端と左端にひとつずつ扉があるだけだ。

「何階まであるんですか」

「十階です」

「塚場くん、外で排気口を縦に数えることすらしてなかったの?」

 桜野は呆れた顔をするが、いちいちそんな確認をするのは探偵くらいのものだろう。

「貴女、桜野美海子じゃない?」

 聞き慣れない声がしてそちらを見ると、右端に置かれたソファーに見知らぬ人物が二人腰掛けていた。後ろから出雲さんが「探偵の杭原とどめさんと、助手の樫月琴乃さんです」と教えてくれる。

「いかにも私は桜野美海子だよぉ。そっちの眼鏡のお姉さんが杭原とどめさんでいいの?」

 桜野に問われて、黒縁の眼鏡をかけている人がうなづいた。僕ははじめその人が男性に見えたけれど、扇情的な服装が主張している身体のラインで女性と知った。短い赤髪はおそらく染めているのだろう。白いシャツのボタンを二つか三つも外していて、黒いタイトスカートは衣服としての機能を果たせるか心配なほどに短い。顔立ちは端正だが目つきがキツく、やはり男性的なところがある。

「ええ、そうよ。こっちが弟子の樫月琴乃」

 紹介された女性がぺこりと頭を下げた。黒髪を頭の上でお団子みたくまとめている。大人の色気全開の杭原さんに比べて、服装もたたずまいも垢抜けない印象だ。杭原さんは年齢が判別しにくいが、樫月さんの方は僕らと同い年くらいに見える。

「美海子ちゃん、と呼ばせてもらうわ。ご高名はかねがね。貴女についての本も何冊か読んだわよ。もしかして、隣の彼が壮太くんかしら」

「はい。はじめまして」

 僕が答えると杭原さんは「そんなに堅くならないでよ」と必要以上に色っぽい声で云った。自意識過剰でなく、男として危険を感じる。

「まぁいいわ。先に荷物を置いて来ちゃいなさいよ」

 桜野も僕も旅行用の大きなトランクを引きずって来ていた。

「うん、そうするね。じゃあ、また後で」

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