3「そして誰もいなくなった」
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サロンのテーブルを囲む面子は桜野、僕、杭原さん、琴乃ちゃん、出雲さん。被害者はかなり増えたが、この定番のメンバーは枷部さんが欠けたくらいだった。
「誰も潜んでなんかいないのでしょうか。無花果ちゃんは気乗りしてないふうでしたが、やるからには徹底的にと云って、捜索は微に入り細を穿つが如くでしたよ」
「当たり前じゃない。犯人は甘施無花果なんだから」
そうだった。杭原さんはそう考えているのだった。
「でも香奈美ちゃんと、誠一さんの胴体が気掛かりね」
「桜野は、首を切られた人達の胴体に関しては気にしないでいいって云ってますけど」
当の桜野は獅子谷氏の未発表原稿に夢中になっている。
「死人の胴体はいくらでも隠せるそうです。あの……バラバラにして、排気口から捨てるでもトイレに流すでも……」
「そうね。首が見つからないんじゃ懸念材料だけど、胴体ならあたし達からしても差し当たって問題はないのよね」
それは推理小説では王道のガジェットである〈首のない死体〉に絡んだ物云いだろう。首がないことで、胴体を別人のものと誤認させたり何だりとトリックを仕掛ける余地が生まれるのである。だが、ああも堂々と首を見せつけられては、その人物が殺されているのは間違いない。
そういえば桜野は、犯人が首切りジャックであるのなら、胴体を隠すような行いは不自然だと指摘していた。新倉さんの胴体も首から遠い場所にあったが、果たしてその意味とは……。
「ふふ」
桜野が気味の悪い笑い方をした。
「この小説、全部が白生塔を舞台にしているよ。もしかしたら実話を基にしてるのかもねぇ」
「え!」
とんでもない大発見ではないか。杭原さんも身を乗り出して、既に原稿の文字を目で追っている。
「全部で三編。どれも五人の探偵とその同伴者が集められて、連続殺人事件が起きるという内容だよ。それぞれ触りは読んだけど、これは獅子谷氏の筆致で間違いないんじゃないかなぁ。いくら真似しようとしても、その点で私を欺くのは至難の業だし」
杭原さんは一編を手に取り、読み始めた。それを隣の琴乃ちゃんが覗き込んでいる。僕も一編もらった。出雲さんは何が起きているか一向に分からないという様子で僕らを傍観している。
原稿のはじめには登場人物表が記されているが、名前はどれも覚えがない。
「三編とも三人称――神の視点で統一されてるね」
「美海子ちゃん、これは実際に此処で起きた出来事に違いないわよ。名前は変えられてるようだけど、どれかにあたしの師匠もいるはず……」
杭原さんは興奮を隠し切れない様子だ。
それからしばらくの間、僕らは原稿を読むに徹した。途中から出雲さんが僕の隣に来て一緒に原稿を見ていたが、ただ見ているだけで読んではいない観があった。
ほとんど飛ばし読みに近い読み方をしていた杭原さんが一番早く、一時間足らずで読了した。
「駄目ね。最後まで、謎の肝心な部分はひとつも解かれなかった。犯人もトリックも分からず仕舞い。推理小説としては破綻してるわ」
「あああ、云わないでよぉ!」
桜野が大きめの声で場違いな非難をした。しかし割と真面目に怒っていると察知したのか、杭原さんは頭を下げた。
「でも美海子ちゃん、許して頂戴。事件に関係してることよ」
桜野はさすがに「それでも駄目」なんて憤怒するほどに大人げなくはなかった。
「あたしが読んだものでは、最後には全員が殺されてしまったわ」
「アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』みたいですね」
「ええ、その解決編なしバージョンね」
僕が読んでいるものも、そうなりそうな兆しが見え隠れしている。
桜野と僕もそれから一時間強かかって読了した。桜野はていねいに読んでいたからだが、僕は単に読むのが遅いだけだ。と云っても、それなりの長さなので二時間くらいで読めたのはあまり遅いわけでもないか。
三人で確認し合ったが、やはりどれも、最後には登場人物が全滅してしまった。内容は似てこそいるものの、一致してはいなかった。共通しているのは、最初に塔の主が密室から消えるということ、謎の転落死体が発見されるということ、玄関扉に外から閂がかけられるということ等。作中の探偵達はときに推理を展開したが、真相に到達できた者は皆無だった。
「これが実話を基にしてることは疑いようがないわ。そうなると、作中では明示されてないけど、犯人は塔の主人としか考えられない」
杭原さんの意見には僕も同意だった。
「最後まで死体が発見されないのは、塔の主人だけ。はじめに自室から消失するからよ。そして三編どれもに、塔の主人だけが等しく登場してる。つまり消失を演じて、身を隠してるのね」
「これらが過去に此処で起きた事件を小説化したものなら、これから僕らに起きる出来事を予測するのに役立つかも、と僕は思ったんですけど、それはあまり望めませんね」
「ええ、なにせ出てくるのは転落死体ばかりだもの。あたしが読んだものでは途中から探偵達が交代でエレベーターのシャフト内を監視したくらいよ。すると撲殺や刺殺に変更されたけど……。首切り殺人はなかったわね。首切りジャックの名前も登場しなかった」
しかし僕らを襲うだろう未来として、ひとつはっきりした。
このままでは、全員が殺される。
「今回も、犯人は獅子谷氏なんでしょうか」
僕はそれから、昨晩に気が付いた可能性を簡単に話した。
「閂も獅子谷氏なら外から掛けられますし……ただ、その後も内部で殺人を繰り返しているのは謎ですけど……」
いま読んだ小説の中でも、探偵達が頭を悩ませていたのはその点だ。後半では全員が疑心暗鬼に陥って、ギスギスした雰囲気が続いていた。
「なら獅子谷氏と無花果ちゃんが共犯関係なのよ。能登さんも、たぶんそこに入っていたのね。獅子谷氏は外にいて、中で起きてる殺人はあたしが昨日話したように、無花果ちゃんがおこなっている」
理屈の上では可能だ。だけど、獅子谷敬蔵、甘施無花果、能登……この三者の並びがあまりにちぐはぐで、いまいち納得できない。
「これらの小説が事実を基にしてると決まったわけじゃないよ。一部でそうだったとしても、人名同様、かなり歪曲されてるかも」
桜野の指摘はもっともだ。
「でも桜野、そんなこと云い出したら、一生解決しないよ」
それこそ昨晩、桜野が浴場で語ったとおりになってしまう。
大きな手掛かりを掴んだのに未だ釈然としない心情の僕ら。この白生塔が邪悪な意思を持って、僕らを弄んでいるかのようだ。
「ところで杭原さん達は、玄関扉は確認したの?」
桜野が突拍子もない質問をした。二グループに分かれて塔内を見て回ったときの話をしているのだろう。
「いいえ」
杭原さんは首を横に振った。琴乃ちゃんが駆け足で玄関扉へ向かう。
「桜野、あそこは開かないんだから確認しても仕方ないだろ」
「それは昨日の話。今日はまだ分からないよ」
桜野はそう云うけれど、いま読まれた三編の小説でも玄関扉は最後まで開かなかったし……。
だがその時、杭原さんによって発言を禁じられている琴乃ちゃんが、そんな決まりはどこかへ吹き飛んでしまったとばかりに「わあああっ」と叫んだ。僕は弾かれたように立ち上がり、急いで彼女へ駆け寄る。
開かれた扉。外側に面している方の扉も開け放たれていて、外の景色が四角く切り取られた一枚の絵みたいに見えた。
扉と扉の間の小さな空間。その床に、すっかり冷たくなった藍条香奈美の死体はうつ伏せで横たわっていた。




