7「灰色の脳細胞」
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「結局、無花果ちゃんの推理は間違っていたんでしょうか」
僕はサロンに残っている人々に向けて問うてみた。隣で生クリームの乗ったドーナツをフォークを使って食べながら読書をしている桜野が「だろうねぇ」と答えた。
枷部さんはどこかへ行ったきり帰って来ず、無花果ちゃんも新倉さんを連れて自室へ引っ込んでしまった。去り際の無花果ちゃんは目の前で枷部さんによって自分の推理を完全に否定されたショックからか、涙ぐんでいるように見えた。
残ったのは桜野、僕、杭原さん、琴乃ちゃん、出雲さんである。
「誠一さんが犯人でないのなら、獅子谷氏がいた場合、〈密室からの消失〉が説明できなくなるものね。やっぱり獅子谷氏ははじめからいないんでしょ。そうよ、師匠の失踪が白生塔と無関係だとは思えないし、これはこれまで何度も行われているんだわ」
杭原さんの言葉は、自分に云い聞かせているかのようだ。
「勢いで一瞬納得しちゃったけど、彼女の推理は穴だらけよね」
「死体の死後硬直を利用して閂をかけた、とかですか」
冷静に考えてみると、現実味に欠けている。いくら人間の身体だからと云って、内側から器用に取っ手に抱き付かせるなんて可能だろうか。
「そもそも死後硬直では、あんなにビクともしないなんておかしいですよね」
「ええ。それに獅子谷氏がいない以上、その死体もないのだから、可能不可能に関わらず間違いだわ。大体、心理的死角なんて都合が良すぎるわよ。あたし達の誰にも気取られずに背後に回り込むなんて、あの長身でできるはずない。まして、あたし達は探偵なのよ?」
何だか無花果ちゃんの陰口を叩いているようで、彼女の涙ぐんだ顔を思い出すといたたまれなくなった。
「きっと、枷部さんが首切りジャックの変装した姿だって信じて疑わなかったんですね。無理のある数々の推理は、そこから逆算したんじゃないでしょうか」
こうして整理してみるとすべては振出に戻っており、何も進展していなかった。
「首切りジャック……かの殺人鬼が犯人だってのは、認めるしかないのかしら」
浮かない表情の杭原さん。
「あ、あの……」
遠慮がちに口を開いたのは出雲さんだ。
「どうしたんですか、出雲さん」
「素人の私が意見するなんて生意気なようで、云えずにいたんですけど……でも、私には獅子谷様がいないとは思えないんです。だから甘施さんの推理には、その部分で、納得してしまって……」
「実は僕もそう思うんです」
出雲さんが勇気を出してしてくれた発言に、僕は同調した。
「獅子谷氏の挨拶……あの映像での獅子谷氏は、本来の年齢相応の外見だと思いました。数年前の録画だって云われると、首を傾げざるを得ないと云いますか……」
「それと、私は獅子谷様とじかに顔を合わせてはいませんが、モニター越しの会話なら何度かしています。少なかったですが、いちおう会話となっていました。あれが録画だというのは無理があるんじゃないかと……」
出雲さんはさらに「あと、」と言葉を続ける。
「皆さんは能登さんが犯人の共犯者だったのだろうと云われますが……獅子谷様がいないのだとしたら、能登さんがそれを知らないなんて有り得なくて、私達を欺いていたということになるとは理解できるんですが……私には能登さんがそんな悪い人だとはとても思えなくて……」
これまで出てきた推理の中で唯一、能登さんが犯人の仲間ではなかったとしていたのが無花果ちゃんの推理だ。だから出雲さんは、全面的ではないにせよ、無花果ちゃんの推理を支持しているのだろう。
「でも能登ちゃんと貴女はせいぜい二日間しか共に過ごしてないでしょ。それだけで信用するのは甘いってもんじゃないかしら。獅子谷氏との会話に関しては、そうね、私はそれを見てないけど、ある程度貴女の発言を予期して映像を用意しておくことは可能よ。使用人が主人と話す内容なんて、限られてるもの」
「そうなんでしょうか……」
出雲さんは自信を失くして俯いてしまった。使用人だからというだけでなく、元来気が弱いのだと思われる。
議論はまた白紙に戻ってしまった。僕は席を立ち、玄関扉を開けようと試みた。踏ん張って全力で扉を押すが、動く気配は微塵もない。これではやはり死体が閂にされているとは考えられない。
だけど……外部の協力者……塔内の首切りジャック……獅子谷氏を装って僕らを招待し、殺していくつもり……いまもどこかに隠れている……それが自然な考えなのに、いまいち納得できない。そんな行き当たりばったりな推理では、真相の輪郭さえ掴めた気がしないのだ。
なぜ首切りジャックはそんなことをしているのだろう……これまで繰り返してきたと云うなら、なぜ事件として取沙汰されもせずに都市伝説のような噂にとどまっているのだろう……。桜野が述べていたとおり、推理小説をモチーフにしたような奇妙な犯行と、探偵達の推理を消去法で限定していくかのような状況づくりも、一貫性に欠けている。
これらに綺麗な説明なんて付けられるのだろうか。
桜野はどうなのだろう。僕は彼女が不可能と云われた事象の数々に論理的な解答を与える場面を幾度となく見てきた。いつも最後には、彼女がその驚異的な推理力を発揮して事件は解決されていった。これまで例外は一度としてなかった。
このような状況にあっても僕が平静を保っていられるのは、そんな桜野を信頼しているからだ。彼女が「謎は解けた」と宣言すれば、たちまちすべては終わる。僕の経験から、そろそろ彼女は動くはずである。
灰色の脳細胞が目覚める頃合いだ。




