2「厨房での一幕」
2
桜野と僕はだだっ広い厨房にいた。出雲さんが朝食をつくってくれているのだが、ひとりだと不安だと云うので僕らも此処にいることにしたのだ。桜野は図書室から持ってきた小説にご執心で、手持無沙汰な僕は出雲さんの料理する姿を眺めていた。
厨房には他に、先ほど来たばかりの香奈美ちゃんもいた。流し台は三台あって、彼女は出雲さんとは別のそれで料理している。自分と義治くんの分をつくっているらしい。新倉さんも自分と無花果ちゃんのぶんをてきぱきとつくり、少し前にそれを持って出て行ったところだ。この二組は料理に毒を盛られる可能性を危惧しているのだろう。出雲さんの心境を思うといたたまれないけれど、その用心が間違っていないのも事実だ。
玄関扉が外から閂をかけられている。それによって探偵達の議論は滞った。いまはいわば膠着状態であり、別の云い方をすれば様子見の最中でもある。結局、杭原さんや枷部さんの望みどおりとなってしまった。皆で協力して――たとえば常にサロンにいる等して――これ以上の犠牲者が出ないようにしようと提案しても採用されなかった。桜野以外の探偵に会ったのは初めてだけれど、桜野はかなり常識を持っている方だったらしい。実際の探偵というのは自分勝手で協調性に欠け、倫理観も滅茶苦茶な生き物であった。……この期に及んで読書に励んでいる桜野も大概か。
現在、サロンには枷部さんがいる。いちおう、玄関扉から誰かが這入ってこないかの見張りとしても機能している。あとは厨房にいる僕らと、それぞれ自室に引っ込んでいる人々といった具合だ。能登さんの死体は彼女の使っていた部屋に移され、床に残った血も綺麗に掃除された。
僕は事件について考えようと何度か試みたが、余計に混乱するだけだった。
「なぁ桜野、杭原さんの話は本当だと思うか?」
「どの話?」
「この白生塔で、探偵を集めて殲滅するなんて事件が何度か起きているとか、そういう話」
数年に一度、有名な探偵数人が一斉に行方不明となってしまい、それがどうやら白生塔に関わっているらしい、という話は事前に桜野も掴んでいた。しかし都市伝説の類だと判断していた。杭原さんのあの話を聞いて、その見解に変化はあったのだろうか。
「白生塔に集められた探偵達の行方が分からなくなってしまうということが何度かあった。その被害者達のひとりが杭原さんの兄だった。杭原さんはその仇を討ちたいと考えている。これらは本当だと思うよ」
つまり杭原さんが推測で補った事柄に関しては真偽は分からない、か。すべてを解き明かすまでは憶測を披露しない桜野らしい答えだ。
「あー馬鹿馬鹿しいわ」
香奈美ちゃんが遠くから口を挟んできた。
「義治の云うとおり、そこの出雲って女が犯人なんだよ。入口の閂とかよく分かんないけど、義治が間違ってるわけないもん。さっさと認めて、香奈美達を帰らせてくれない?」
出雲さんは弱弱しい声で「本当に違うんです」と否定する。
「香奈美ちゃん、決め付けは良くないよ」
「うるさいわね。あんたその女に惚れてんでしょ。だから庇うんでしょ。さっきも嬉しそうに抱き合ってたもんね」
抱き合った場面なんて一度もなかったが……。
「桜野美海子とできてるくせに、最低の浮気野郎ね」
「僕らはそういう関係じゃないし、出雲さんにも疚しい気持ちなんてないよ」
「どうだか。あ、さてはあんた達全員グル? 嫌だ、怖い怖い」
話にならなそうだ。
「塚場くんは私と付き合ってないし、出雲さんに手を出そうとかも考えてないと思うなぁ」
少し遅れて、桜野がなぜか僕の発言と同じ内容を繰り返した。
「塚場くんは女性と話すと鼻の下伸ばすけどね、下心は全然ないんだと思う。だって塚場くん、性欲ないもんねぇ」
「は?」
桜野の話は見当違いの方向に進み始めた。
「だって私と長年二人一緒だけど、やらしいこと一度もしようとしないもんね」
「当たり前だろ。僕とお前は幼馴染で――」
「でも小さいときにお風呂覗かれたか。塚場くんは故意じゃないって云ってたけど」
「桜野、やめろっ」
みっともなく声が上擦ってしまった。デリカシーがないのは桜野の特徴だが、そういう発言を人前でするのは控えて欲しい。「ふざけないでよ!」と香奈美ちゃんの怒声が聞こえてきたが、今回ばかりはもっともである。
その時、出雲さんが、
「朝食できました。サロンのテーブルにお運びしますね。厨房にいて欲しいなんて我儘に付き合って下さり、ありがとうございます」
「いえ。料理運ぶの手伝いますよ」
「でも塚場さんはお客様なんですから……」
「そんなこと気にする状況じゃないですよ。大事なのは助け合いだと思います」
「あ、ありがとうございます」
僕は出雲さんと一緒に、和食の乗った皿をワゴンに移していく。
「やっぱり下心あるじゃーん」という香奈美ちゃんの発言は無視する。「下心はないけど女好きではあるんだよ」という桜野の発言に対しては「女好きでもない」と訂正した。出雲さんがおかしそうに笑った。




