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1(1)「ありえない転落死」

    1


 能登さんの死体は、サロンの玄関扉近くに仰向けで横たわっていた。

 その死体は直視し難く、と云うのも首が有り得ない角度で折れ曲がっており、頭は割れた果物のような有様で、身体も不格好に捻じれていた。変形した顔は一見しただけではそれが能登さんと判別できないほどだった。

「これは疑いようもなく転落死だね。しかも殺人事件だ」

 枷部さんは冷静な判断を口にした。皆が探偵業に関わる者なだけあって、パニックには陥っていない。ただひとり、出雲さんだけは今にも気を失いそうだった。少し離れたソファーに腰掛けて頭を抱えている。午前六時に目覚めて使用人としての朝の仕事を始めようとした彼女が、能登さんの死体を発見したのだ。彼女はすぐに客人の中で最も下の階にいる桜野と僕を起こして異変を知らせ、他の人達には僕が呼び掛けて回った。

 今は全員――もちろん獅子谷氏を除いて――が、このサロンに集合している。意外だったのは香奈美ちゃんがあまり動転しなかったことだ。さすがに死体からは目を逸らして義治くんに縋り付いているものの、気は確かだった。ただの恋人と云っても、相手が義治くんなので死体にはある程度慣れているのかも知れない。

「でも、待ってください」

 僕は枷部さんの見解は正しいと思うけれど、それでも腑に落ちなかった。

「転落って、どこからですか?」

 能登さんが高所から転落して死亡したのは、死体を見れば瞭然だ。他にどうやったって、この死体は出来上がらないだろう。しかし、それはこの場所においては有り得ないのだ。

「白生塔には窓がないんですよ?」

 転落のしようがないのである。死体そのものは血まみれだが、周囲に血が飛び散っている様子はない。この死体がどこからか此処に運ばれてきたのだというのは、僕にも分かる。つまり他殺。しかし誰かが意図的に突き落とすにしても、その場所がない。このサロンは吹き抜けとなっているので三階の廊下から落とすことは可能だけれど、この死体はどう見てもその倍以上は高い場所から転落した死体だ。

「屋上は?」

 そう云ったのは香奈美ちゃんだ。しかし杭原さんが「駄目ね」と一蹴いっしゅうする。

「白生塔の外観については写真も多く出回っているからあたしも何度も見たけど、この塔には屋上に出られる隙間もない。エレベーターも螺旋階段も十階までだったでしょ。昨日の獅子谷氏の発言どおり、この玄関以外に外に通じる穴はないわ。排気口は赤ん坊じゃない限り通れないから、勘定に入れる必要はないわよね」

 獅子谷氏の〈密室からの消失〉も不可解な謎だが、この能登さんの死体はその本質が大きく異なる気がした。不可解どころではない、不可能犯罪だ。

 それに、もっと単純な問題がある。

「殺された人がいる以上、殺した人がいるってことですよね……」

「うん、獅子谷氏からの単なるクイズなら、やり過ぎだよねぇ」

 桜野の口調には相変わらず緊張感が欠けている。それは他の者にも云えた。探偵ばかりで妙に落ち着き払っているせいで、悲惨な死体が転がっているというのにどこか滑稽で、現実味が湧かないのだ。

「狂ってるよ。ゲーム感覚で人を殺すって云うの?」

 香奈美ちゃんはさすがに蒼褪あおざめた。

 そんなはずがない……と僕は内心で呟く。獅子谷氏は屈指の推理小説家。こんな塔を建ててしまうあたり、ミステリに対して規格外の情熱と稚気を持ち合わせた人だとは分かる。それでも、僕らへの挑戦のために殺人を犯すなんて考えられない。

 犯人は別にいる……。杭原さんと琴乃ちゃんはそう考えていたらしい。でもそれだって、全然理解ができない。一体何が起こっているのだ。

 これから殺人事件が起こると、杭原さんは昨夜云っていた。あの発言を僕は愚かにも軽視していた。一流の探偵の言葉なのだ。僕はそれをもっと重く捉えるべきだったのだ。

「はっはっは。どうしたんだね諸君。まさか本当にこの謎が解けないと云うんじゃあないだろうね!」

 枷部さんが両手を広げた。全員の視線が彼に集中する。

「獅子谷氏が乱心してしまったらしいのは非常に残念であると共に戦慄を禁じ得ない悲しき事態だが、この能登さんの転落死体に関しては頭を悩ませる必要もあるまい。導き出される答えはひとつ。能登さんはもっと遠くで殺されたのだよ! なにせ外には車があるじゃないか。どこか能登さんを突き落せる場所まで連れて行けばいい。夜は長いのだからね」

「えー、それはないよぉ」

 桜野が苦笑した。

「夜中に車で連れ出されて、そのうえ高所から突き落とされるなんて、能登さんはそんなに間抜けかなぁ。気絶させられるか眠らされるかして連れ出されたとしても、どうしてそんな面倒をかけるの? 死体を此処まで持ち帰ってくるなら、刺殺でも絞殺でも撲殺でも、最初から此処で殺して良かったよね。その程度のトリック……ふふ、トリックとも呼べないと思うけど、そんなもののためにそこまでリスキーな行動はしないよぉ」

「ふむ。しかし他に方法はないだろう。受け入れ難くとも、それが真実なのだよ」

 ばしばしと音が聞こえるので何かと思って見ると、琴乃ちゃんが杭原さんの肩を叩いていた。

「なに、琴乃。推理できたのかしら」

 首が取れそうなくらい激しく頷く琴乃ちゃん。

「喋っていいわよ」

 発言を許可された琴乃ちゃんは、自信に満ち溢れた声で推理を披露した。

「トランポリンを使ったのよ! この白生塔のすぐ外にトランポリンを置いて、能登さんを高く跳び上がらせるの。その跳躍が最高点に達したときにトランポリンを素早く移動させちゃうと――」

「琴乃」

「何ですか、師匠」

「黙ってなさい」

 琴乃ちゃんの論外な推理は、他の皆には完全にスルーされた。彼女は納得できない様子で名残惜しそうに口元をもぞもぞ動かしている。非常に失礼だけれど、あれで杭原さんの弟子と云うなら、僕の方がまだマシだ……。

「そもそもこの死体、血の他はほとんど汚れてないわ。埃が多く付着しているくらいで、砂も泥もない。枷部さんの云うとおり別の場所で殺されたにしても、野外ではないわね」

 それでは、枷部さんの推理を採用するなら犯人は能登さんと一緒に、山中の崖なんかではなく建物がある辺りまで下山したことになる。高い建造物なら、桜野と僕が出雲さんに迎えに来てもらった駅の周辺にしかない。そんな場所で目撃されるリスクを負いながら殺人を行うなんて考えられないので、枷部さんの推理は完全に間違いとなる。

「もう獅子谷ってお爺さん捕まえようよ! 人殺しなんだよ?」

 香奈美ちゃんの意見はもっともだ。挑戦がどうとか、探偵としてのプライドがどうとか云っていられる状況ではない。犯人が獅子谷氏ではないにしても、塔の中を捜索すべきだ。

「無駄だな」

 口を開いたのは、義治くんだった。興醒めと云わんばかりの気怠そうな表情を浮かべている。

「つーかお前ら全員、本当に馬鹿じゃねぇの。呆れるばかり、眠っちまいそうだ。……仕方ねぇ、無料で教えてやるよ。いくら俺だって、道端でゴミ拾いしただけで金せびるような真似はしねぇし」

 つまり義治くんにとってこの謎は、そのくらい何でもないらしい。

「エレベーターだよ。この塔の真ん中を天辺まで貫いてるだろ」

 僕は「あっ」と声をあげてしまった。あまりにも単純でいて、完全な盲点だった。

「エレベーターのかごを一階まで下げておいて、高い階の扉をこじ開けて落とす。かごの天井には救出用の開口部があるからな、そこから死体を回収すりゃあ事足りる。はぁ、くだらねぇ……」

 義治くんは「いいぜ、目が覚めてきた。〈密室からの消失〉も、犯人も、全部教えてやる」と続けた。なんと犯人まで分かっていると云うのである。僕は信じられない思いで、この高校生探偵を見詰めた。無気力そうな表情からは計り知れない知力……彼は本物の天才なのかも知れない。

「犯人はこの後も殺人をしようってつもりかもな……でも俺には付き合ってられねぇ。終わらせてやるよ。えーっと、出雲って云ったっけか」

 義治くんはソファーに座って話を聞いている出雲さんに目を向けた。

「てめぇが犯人だ。人を殺すとはとんだ畜生だな。死刑だ死刑」

「ええっ? 私ですか?」

 出雲さんは慌てて弁解しようとしたが、義治くんが「うるせぇ」と遮った。

「待ってくれ霊堂くん。出雲さんが犯人と云うなら、獅子谷氏はどうしたんだい?」

 義治くんは億劫そうに枷部さんに首を向ける。

「はぁ? 最初からいねぇんだよ、そんな奴」

 僕は今度は声すらあげられずに、ぽかんと口を開けたまま固まってしまった。

「そういう小説家はいるんだろうし、この馬鹿みたいな塔を建てたのもそいつなんだろうけど、今回は関係ねぇんだ。此処に来てさえいねぇ。だからあの部屋には最初から誰もいなかったんだ。〈密室からの消失〉ってのがまるまるフェイクだったんだよ」

「でも義治くん、獅子谷氏とはモニター越しで会話したじゃないか」

 馬鹿にされても構わないから、僕はどうしても気になったことを指摘した。

「会話? 相手が一方的に喋ってただけだろ。録画だよ、あんなの」

 簡単に答えられ、唖然としてしまう。

「おい、おっぱい丸出しのおばさん」

 シャツの前が大胆に開いてこそいるが決して丸出しでもないし、まだおばさんと云われるには不服だろう杭原さんは、さすがに表情を引きつらせた。

「獅子谷って爺さんは、探偵達を招いた催しを何度かしてきたんだろ?」

「ええ、そうよ」

「あの映像はそのときの使い回しだな。部屋のコンピューター類が破壊されてたのも、あらかじめ施されてたフェイク。操作は別の端末からしてたんだよ。とにかくあの獅子谷って爺さんは犯人にとっちゃスケープゴートみてぇなもんだ」

 浅はかだな、と義治くんは一笑に付した。

「そういう騙しができるのは使用人の二人しかいねぇ。細かい事情や動機は知らねぇが、俺らを集めたのもこいつらだよ。で、そこの出雲って女は、まぁこれも理由は知らねぇけど能登を殺した。もしかしたら能登も、出雲に騙されてたのかもな。で、不利な証言をされる前に始末したとも考えられる。俺らを呼んでる以上、この後俺らを殺すつもりだったんだろうけど、俺にはこんな女の心当たりはねぇな。どうせ本命がこの中にまぎれてんじゃねぇのか? 木を隠すなら森ってか? 何にせよ、子守唄みてぇな犯罪に変わりはねぇ」

 そこで義治くんは一度あくびをした。

「大体、その出雲って女以外で残ってんのは探偵だけじゃねぇか。獅子谷って爺さんがいないと看破された時点で負けなんだよ、馬鹿」

 女狐と呼ぶにはここが足りてねぇな、と義治くんはこめかみに人差し指をあてて、推理を締めくくった。香奈美ちゃんが「格好良すぎる! 最高に素敵だよ義治!」と騒ぎ立てる。僕も拍手を送りたくなったが、寸前で思い止まった。

 出雲さんが泣き出しそうな表情で震えていたからだ。それは観念したとかそういうふうではなく、いわれもない中傷を受けた無垢な少女のそれだった。

「違いますっ。違います、違います。信じてくださいっ。私は何も知らないんですっ。こんな酷いことやってませんっ。お願いします、信じてくださいっ。だって私は雇われたばかりの使用人で、こんな、こんなことになるなんて、こんなこんな……」

 出雲さんはとうとう嗚咽おえつ混じりに泣き出してしまった。ソファーから落ち、床に突っ伏して泣き喚いている。その姿はあまりに悲壮で、他の誰も動こうとしないので、耐えられず僕が彼女に駆け寄った。

「落ち着いてください。落ち着いてください、出雲さん」

 彼女の隣にしゃがみ、その背中をさする。義治くんの推理は確かに見事だったが、この姿を見ると、僕にはこの女性が殺人犯であるとは到底思えなくなった。そうだ、まだ証拠はない。理屈が通っているだけで、まだ確定してはいないのだ。

「みっともねぇ。俺と香奈美は帰るぜ。おい、誰か運転できる奴いねぇのか」

「待ちたまえ、霊堂くん!」

 枷部さんが声を張り上げた。

「君の推理、正直感服したよ。君の探偵としての才覚は間違いなく一級品だ。しかし、詰めが甘いな。君の推理を受けて、僕はそれを真実へと結び付けるに至った。ありがとう、美味しいところを持って行くようで済まないが、この事件が解決するのは間違いなく君の功績によるところが大きいよ。後で僕から花束をプレゼントさせてもらおう!」

「いらねぇよ。つーか、何が云いてぇんだよ」

「すべてのトリックは君の云うとおりだ。異存はない。だが犯人を出雲さんと決め付けるのは早計だよ。君は云ったね、能登さんは出雲さんに騙されていたのかも知れないと。それは、逆も云えるんじゃないかい」

 どうやら枷部さんは出雲さんの潔白を証明してくれるらしい。出雲さんはまだ肩を震わせてこそいるものの、声はなるべく抑えて枷部さんの話を聞いている。

「出雲さんに罪を被せることこそが、真犯人の狙いなのだ。彼女もまたスケープゴートなのだよ。獅子谷氏がいると思わせるよう策を打ったのは真犯人と能登さん。現に出雲さんは昨日、自分は一度も獅子谷氏と直接顔を合わせていないと証言していたよ。そして真犯人は能登さんを裏切り、殺害した。そうすれば自分に辿り着かれる可能性は万に一つもなくなると考えたのだ」

「で、その真犯人ってのは誰なんだよ。此処には探偵しかいないって――」

「本当にそうかい?」

 枷部さんは天井を指差したかと思ったら、その指をビシッと杭原さんと琴乃ちゃんに向けた。

「君達は探偵ではないね! 杭原とどめに樫月琴乃!」

 琴乃ちゃんが「んー、んー、んー」と口を一の字に結んだまま抗議しようとしたが、杭原さんが制した。枷部さんの話の続きを聞くつもりらしい。

「獅子谷氏の挨拶が録画だったならば、五人の探偵というのもフェイクとして作用し得るのさ。僕らに届いた招待状も犯人が用意したものなのだからね。皆さん、考えてみなさい。この中に探偵をかたった真犯人がまぎれ込むなら、闇探偵を自称する彼女らしかいないのだよ! 他の全員は名も顔も知れた探偵だが、彼女らだけが唯一、誰にも知られていないのだからね!」

 それから枷部さんは天を仰ぐ格好で、悲嘆に暮れるような表情を浮かべた。

「僕が最も親睦を深めた貴女が犯人だなんて、残念至極だよ。しかし僕もベテランだ。探偵にとってこういった悲しみは旧来の仲である。今夜は独りでグラスを傾けるとしよう。出雲さん、是非極上のワインをお願いする」

 緩やかな拍手がサロンに響いた。手を叩いているのは杭原さんだ。

「面白い推理だったわ。だけどごめんなさい、今夜も一緒にお酒が飲めるわよ」

「おや、どういう意味だい」

「あたしも琴乃も、犯人じゃないもの」

 杭原さんは堂々としている。隣の琴乃ちゃんも腰に手をあてて不遜ふそんな態度を演出していた。

「証明はできないけど、そうね、ひとつお話をさせてもらうわ。犯人の出方を窺うために秘密にしていたけど、あたし達はこの塔に因縁があるの」

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