表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

青春ノート

俺は草香紗和が本当に好きだ

作者: 品川恵菜

 俺は自分で言うのもアレだが、スペックは高いと思う。学業の成績で首席を他人に渡したことなどない。剣道部では先輩方から主将を任せられたし、御曹司や御令嬢が通うこの学校で、昨年度は生徒会では書記を務めてきた。既に引き継ぎが終わって、今は生徒会で会長を務めている。でも、一つだけ。出来ないことがある。元々はそのために此処まで努力したのに、未だそれは功を成していないのだ。


「おーい、八尋。次の総会の資料あるー?」


と、ここで友人が訪ねて来た。友人はヒラヒラと手を振りながら俺の元までやって来ると、ニヘラッとどうも閉まりの無い顔で笑った。その途端、周りの声が煩くなる。


「お前が来ると煩い」

「えー?八尋も人のこと言えないじゃーん」


妙に間延びした話し方をするこいつは、共に生徒会で初等部の時から活動している、泉院 雅人という男だ。初対面で俺に「君カッコイーねっ」というナンパ紛いなことを噛ましてくれた阿呆である。見た目は阿呆なチャラ男なのに、内面は中々策士な一面も持つ、うちの副会長様である。昨年度は会計として生徒会に籍を置いていた。この無害そうなオーラと抜群のルックスのお陰で、こいつの人脈は恐ろしいことになっている。自称俺の親友である。


「で?草香センパイとは上手く行ってるのー?」


ニヤリと笑いながら俺の顔を覗き込む雅人を横目で睨むと、その頭を軽く叩いて席から立った。


「いったー!ちょっとからかっただけじゃんかー。って、ちょっと資料は?」

「資料は生徒会室だ。ついてこい」

「もー。分かりましたよー八尋ちゃーん」


幸い、今は既に放課後だ。生徒会室は使いたい放題だし。不満げな声をすぐに引っ込め、雅人は周りの女子に「煩くてゴメンねー?」と言いながら俺の後を着いてきた。タラシめ。


雅人と並んで廊下を歩いて居ると、図書室の前を通った。俺はそこで自然と足のスピードが緩まる。


「行っちゃうー?」

「…阿呆か。行けるわけないだろ」


隣で雅人がニヤニヤしていて、非常に不愉快である。


「それで?まだ言えないの?」

「…分かっているなら聞くな」


そう言ってから、立ち去ろうとした時、扉が開いた。そして、中から出てきた人物と目が合い、俺は息を飲んだ。


さらさらの背中まである艶やかな黒髪。長い睫毛に、優しげな光を宿す瞳。ほっそりとした体型に、白雪を思わせるような肌。儚げな、美しい人が居た。その人は俺にいつものように《・・・・・・・》、優しく笑いかけた。


「あら八尋。生徒会のお仕事かしら?放課後まで御苦労様」

「あ、ああ…」


馬鹿か俺。他に何か言え!!


「泉院君も御苦労様。いつも八尋と仲良くしてくれて、ありがとう」

「いえいえー。それより、草香センパイは何を?三年生はもう午前中で放課ですよねー?」


このやろ、雅人!俺より長く喋りやがって!理不尽だとは分かりながらも、怒りが沸々と湧いてくる。


「ええ。でも私は、ここが好きだから。それに、図書委員長の仕事の引き継ぎもちゃんとしておきたいと思って」

「へー。じゃあセンパイはもう、進学先は内定済みですか?」


おっとりと話す彼女の声は、とても耳に心地いい。それにしても、クッソ。雅人…!


「ええ。大学部に進むわ。そこの留学制度を使って、アメリカの姉妹校に、行こうと思うの。英文学に、興味があるの」

「!?」


頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。アメリカ…?


「ああ、八尋にはまだ言って無かったわね。ごめんなさいね、バタバタしていて、伝えるのが遅くなってしまったわ」

「いや…」

「あら大変。お稽古の時間。それじゃあ、またね」


そう言い残し、小走りで去っていく彼女の後ろ姿を、俺は茫然として見ていた。


***


生徒会室。俺は机に突っ伏していた。


「ちょっと大丈夫ー?八尋ちゃーん?」


俺の周りをウロウロする雅人は、一応俺を心配しているらしい。俺の好きなミルクティーを用意してくれた。


「取り合えず復活しなよー。じゃないと策も講じれないじゃーん」

「こんにちは…ってうわ、何ですかコレ」


その時、生徒会室に誰かが入ってきた音がした。この声は、恐らく秋津川だろう。新しく生徒会に入り、俺の後任として書記を務める、一年生の秋津川あきづかわ 蒼真そうま。少々面倒を嫌う傾向があるが、仕事はしっかりする真面目な後輩である。外見はしっかりと美形であり、教師からの覚えもいい。要は外面がいいのである。


「泉院先輩、東翁先輩に何したんですか」

「え、俺が悪いの決定!?いつも思うけど、アキちゃん俺に対して厳しいよね!!」

「日頃の行いのせいです。それより、東翁先輩はどうしてそうなってるんです?」


いつも雅人に容赦のない秋津川はピシャリと言うと、俺に視線を移した。


「八尋は昔っからちょっとヘタレっ子だからさー。ナイーブなハート?の持ち主だからー」

「阿呆雅人。潰すぞ」

「あ、八尋復活?」


いつものようにフランクな友人にため息を吐き、秋津川を見た。


「まあ、今回は雅人のせいじゃない。俺がヘタレなのが悪い。はー。やっぱり恋愛対象に入ってないのか…」

「草香センパイってしっかりしてるしねー。八尋を見る目は何だかお姉ちゃんだしねえ」

「でも一応婚約者だぞ!?親同士の取り決めとは言え…。あーあの人に認められたくて頑張ってきたのになあ。全部空回りだ」


俺は自分で言っていながら、段々落ち込んでいく。


「あー…。そっち関連ですか。それ、中等部からですよね。まだ解決しないんですか。ラウンドツーの高等部でも駄目…。大学部でラウンドスリーしたらどうです?」


そう言いながら、秋津川は自分のデスクに座り、書類を漁り始めた。おい、顔に面倒だとありありと書いてあるぞ。


「大学部じゃ駄目なんだよな…」

「は?」

「紗和、アメリカに留学するんだってさ…」


そこで秋津川も押し黙った。そして暫く考え込み、顔を上げて言った。


「…無理ですね」

「ちょっとアキちゃーん!?ああっ八尋、しっかり!」


俺は再び、机に頭をダイブさせた。


先程図書室前で会った女子生徒、草香くさか 紗和さわは、俺の婚約者である。俺の家の東翁家と紗和の家の草香家は、昔から仲が良く、婚約は自然な流れだった。そして、俺たちは幼馴染みでもあった。昔はあまり話すのが得意ではなく、体も小さかった俺は、同い年の子たちと遊ぶのを嫌がり、いつも一つ年上の紗和の後を着いて行った。


『紗和、紗和。待って』

『ちゃんと待ってるわ。八尋のこと、絶対に置いていかない。だから、ゆっくりでいいのよ?』


置いていかれると思い、必死に紗和の背を追うと、いつも紗和は直ぐに振り返り、目を細め微笑み、俺に手を差し伸べる。


『私はずっと、八尋と一緒』


確かにあの時は弟でしかなかった。紗和が初等部に上がる時に婚約した俺たちは、人生の半分以上を既に婚約者として過ごしている。しかし、彼女はやっぱり俺を弟のようにしか見ない。初恋は紗和。物心ついた時には紗和が大好きだった。紗和と将来結婚できるということを知ったときは、大層喜んだ。しかし、彼女にとって俺は弟のような存在でしかないと気が付いた時。数日間悶々と悩み、彼女から一端離れることにした。それが中等部に入ってからのこと。それから今まで、脱弟作戦は見ての通り散々な結果に終わっている。


「やっぱり行くしかないよ、プロポーズ!」


事情を知る雅人は、拳を固め俺を鼓舞しようとする。プロポーズ…。


「いや泉院先輩、それは流石にやり過ぎでしょう。もういっそのこと、本音言っちゃったらどうですか?」


秋津川は紅茶のポットを手に振り替えって言った。


「いや!プロポーズは女の子は喜ぶよ!それに、草香センパイって絶対乙女でしょ。読書家で有名だけど、好きな本も恋愛小説とかじゃないの?」

「いや、紗和の好きな本はバリバリのアドベンチャーものだ。小さな頃から冒険小説が大好きで、そのせいで俺も何度か巻き込まれた」

「え、超意外。巻き込まれた?何に?」

「…リアル゛エルマーの冒険¨」


有名な児童文学の冒険小説を挙げ、俺が神妙な表情で言うと、雅人も秋津川も微妙な表情をした。…だろうな。今は儚げなあの紗和が、実は小さい頃は相当なお転婆娘であったなんて、誰が信じるだろう。だが、これは紛れもない事実である。


昔、紗和は俺を連れて木登りや虫採りを敢行していた。が、一度俺が大怪我…というか、木から転落したんだが、その後凄く怒られたらしく、それからは元々好きだった読書に夢中になった。何でも淑女のたしなみだとか何とか。俺は彼女の側に居れるなら何でも良かったから、本を読む彼女の隣で自分も本を読んでみたり、お絵かき、昼寝…と、とにかく自由に遊んでいた。たまに紗和が顔を上げて俺が居ることを確認する時に、彼女の優しさが垣間見えるのが嬉しかったのを覚えている。


「あー…。紗和の前だと緊張して何も言えなくなるし、何より一番嫌なのは、引かれることだし」


そうブツブツ呟いていると、ムカつくほどに優しい目をした雅人が俺の肩に手を置いた。


「何かこう、八尋がヘタレなのを見ると、俺安心するんだよね」

「は?」

「やー。外では品行方正、成績優秀、容姿端麗の麗しの生徒会長様が実はヘタレだと分かると、俺もまあ大丈夫かなと思えてくる」

「大丈夫じゃないだろ」

「少なくともヘタレじゃな…ぐほぁ!!」


ドヤ顔で言って来たので鉄拳を入れておく。剣道部を侮ること無かれ。剣道部と柔道部の練習場は隣同士だ。たまに乱入する血気盛んな阿呆共を下しているうちに、要らないスキルがぐんぐん伸びてしまった。うちは喧嘩場じゃない!!最近、本当にここは御曹司や御令嬢の通っている学校なのか、謎に思われるようになった。


「東翁先輩、男子生徒にも皆の兄貴とか言われてますもんね…。男女問わず人気って凄いですよねー。後任の俺の身にもなってくださいよー」


秋津川は紅茶のカップを手に、椅子に乗ってクルクル周りながら言った。コイツ、器用だな。よく紅茶溢さないな。ていうか、男にモテても嬉しくない。いや、女にモテても俺は紗和一筋だから、嬉しくないわけで…。


「紗和…」

「はい、撃沈ー」

「結局こうなりましたね。卒業式は明後日ですよ?どうするんです?」

「生徒会の方の仕事もあるしねー。まぁ、俺の人脈使って何人かヘルプ貰ったし、多少の余裕はあるよ?」

「てか、東翁先輩。送辞読まなきゃなんないですね」

「もう用意してある。椅子も照明も音響も、チェック済み」

「「いつの間に!?」」


俺が答えると、二人は口を揃えて言った。…仲いいな、お前ら。


「紗和への煩悩を打ち消そうと、ひたすら仕事していたら、終わっていた」

「流石、天才スペック…」


呆れも含まれる秋津川の声に、俺は不貞腐れた。仕方ないだろう。もうすぐ紗和が大学部に行ってしまうと思っていたら、想いが溢れだして…。あれ、何かうとうと…。


「よーしっ。八尋っ。卒業式の日、ちゃんと草香センパイに気持ち確認しろ!フォローは俺らが受け持つ!」

「えっ。フォロー?泉院先輩、俺に何やらせる気ですか?」

「大丈夫!ランちゃんも一緒にしてもらうから!今は風紀のところに行ってるけど、直に戻ってくるから、それから作戦会議だっ」


何か盛り上がってるな。…でも、何かねむいな。やっぱり三時まで起きていたのはヤバかったか。帰って寝ようか。三十分くらい仮眠して、それから書類に目を通そう。


「悪い。眠いから帰る」

「よし!寝て英気を養っておけ!こっちは俺らに任せろ!」

「は!?ちょっと、東翁先輩カムバック!こんなんと俺、二人きりじゃ収拾つかな…。って、帰るのはやっ」


何か秋津川が言ってたような気がしたけど、恐らく空耳だろう。あの常に冷静沈着な秋津川が叫ぶなんて、あり得ない。


「董吾。今から帰る。校門に車つけて」


生徒会室を出て、玄関につくと、靴を履き替える前に世話役に連絡を入れる。そして待ち合わせ場所に向かうと、見えてきた校門前には既にうちの車が待っていた。車から降りて待っていた世話役は、俺を見つけると、恭しく一礼した。


「おかえりなさいませ、八尋様」

「そういうのは軽くでいいと言うのに」

「昔からなのです。もう諦めてくださいませ」


世話役、染山そめやま 董吾とうごはそう言って微笑んだ。幼い頃から俺の世話役なコイツは、なかなかいい性格をしている。実際、七歳しか違わないんだが、コイツには昔から敵わない。董吾に開けられたドアから車に乗ると、座席に身を沈めた。


「八尋様、お疲れでしょう。帰ったら紅茶を淹れましょう。ちょうど今日、旦那様が交渉相手の方からお土産物で頂いてきたアフリカ産のものを、八尋様にお渡しするように申しつかまつりました」

「ミルク多目な」

「おやおや、今日はいつにも増してお疲れですね?」

「昨日は寝てないからな…」


車を運転しながら、董吾は俺に話しかけてきたので返していると、俺の寝不足発言を聞き、董吾は苦笑した。


「八尋様は根を詰めすぎなのですよ。たまには肩の力を抜いてみてはどうですか?」

「出来るならしているさ。でも、今は重要な時期だ。東翁家嫡子としての勤めもあるし、生徒会長の仕事も始まったばかり。部も主将として引っ張って行かねばならないしな。まだまだ息をつけるような状況じゃない」


俺はそう言って、鞄から帰ったらしなくてはならない案件のリストをチェックする。ああそうだ。確か明日までの課題があったな。董吾の溜め息が聞こえた。


「とりあえず、今夜は早めに御休みになってください。八尋様が寝不足だと知られようものなら、私が先輩の使用人たちにどやされるのです」

「…善処する」


俺はそう言うと、視線を窓の外に向けた。目先の悩みは、解決の糸口さえ見付からない。ここまで拗れたのは自業自得。それでも、考えずには居られないのだ。もっと別な未来の可能性を。


***


 次の日。俺はお昼休みに、書類の整理をしていた。雅人は別件の書類を受け取りに行ってくれている。


「会長、顔色悪いです」


眉尻を下げて、俺を咎めるように言う秋津川。その隣で仕事をしていた、もう一人の生徒会メンバーも、コクコクと頷いた。


「僕ら、やっておきます」


その生徒、蘭条らんじょう うしおは無表情で言った。蘭条は生徒会の会計に就任している。秋津川が1年の文系のエースなら、蘭条は1年の理系のエースだな。昨日は部のミーティングがあり、生徒会に顔を出せなかったらしい。蘭条はいつも無表情だが、俺は付き合いが長いから、何となく思っていることは分かる。そして、今は多分、心配されている。



「でも、これは会長のサインが無いと進められない案件なんだ。早めに目を通さないと、他が滞るだろう」


そう言い、俺は書類に目を走らせていた。結局、昨日は董吾の忠告を無視して徹夜コースだった。バレたら確実に怒られるだろうから、悟らせはしなかった。


「会長本当にヤバそうなんですよ、鏡で見ましたか?お願いですから、仮眠室でこの昼休みが終わるまでは寝ててくださいよー」


秋津川は溜め息を吐きそうな勢いで言ってくる。心配してもらえるのは有難いんだが…。


「大丈夫だ、これを風紀に届ければ取り合えず全て片付く」


俺はそう言い、立ち上がった。そして、隣の書庫の鍵を取ると、その戸の鍵を開け、中に入った。まだ何か言いたそうな秋津川や蘭条の顔がチラリと見えたが、それらを無視して、書庫の戸を閉めた。


分かっている。切り詰めすぎだと。そのせいで、周りに多大な心配をかけていることも。でも、気持ちが休むことを良しとしない。仕事をすることで、気が紛れるのだ。


俺は必要なファイルを何冊か抜き出し、中を確認する。そこで、不意に目眩がした。そして、俺は重力に抗うことなく、床に倒れ付したのだった。ああ、これは後で相当怒られるな…と思いつつ。俺は目を閉じた。


***


 幼い頃から、俺の両親は世界を飛び回っているような人たちだった。仕事が生き甲斐のような人たちだったけど、大切に思われていた記憶は有るし、俺自身、彼らのように仕事に生きる価値を見出だしたいと思っている。既に父に代替わりしているが、当時は祖父が総帥を勤めていた、俺の家の東翁コーポレーションは、世界各地に支店を持つ、所謂大企業というやつだ。それ故に、その重役の両親が忙しいのは、仕方のないことだった。家にいる祖父も忙しく、なかなか時間に余裕を持って会うことはできない。だから、いつも俺は董吾か紗和と居た。董吾は学生の身で、いつも一緒に居られる訳では無かったから、俺は大抵紗和と遊んでいた。紗和は何でも知っていた。小さな俺の世界は、お転婆で好奇心旺盛な彼女によって広がっていった。風の音。花の色。波の香り。ひだまりの暖かさ。そんな何気ないもの全てが、本当はとても素敵なものなのだと、紗和は得意気に俺に言った。


「八尋は、いつも頑張り屋さんね。でも、心配をかけるのも相変わらず」


ふわふわとした意識の中、心地のよい手が額に当てられたのを感じる。この手をよく、知っている。熱を出したとき、使用人の目を掻い潜って、会いに来てくれた。寂しい、行かないでと駄々を捏ねた俺の為に、俺が眠るまでずっとそこに居てくれた。そのせいで風邪をひかせてしまったんだっけ。


「紗和…」


俺はその手を掴み、安堵した。ああ、まだ居てくれている。薄く目を開けば、そこには困ったように笑う紗和が居た。


「好きなんだ。紗和が居ないと生きていけないくらいに。紗和は俺の世界そのもので、俺は…」


目の前の紗和が、目を丸くしている。そんな紗和を見たのは久しぶりで、随分と長い間、距離を置いていたことを自覚した。まだはっきりと覚醒していない意識の中、俺の口は溢れそうな、ずっと言いたかった言葉を言うために自然と動く。段々、頬が赤くなっていく紗和を見て、少し優越感に浸る。


状況把握。ここは保健室。あの後、俺は運ばれたのだろう。もれなくこの後はお説教コースだろうが、今はこっちが大事。紗和はここに来てくれた。なら、少しくらい期待してもいいだろうか。さっきは無意識に口走ってしまったが、もうここまで来たらどうでもいい。成るようになれ。ここで口説く。俺は起き上がり、紗和の目を真っ直ぐ見つめた。


「俺、もうガキじゃない。紗和のこと、何からだって守ってやるつもりだし、紗和が望むなら何だって叶えてみせる」


紗和の手をギュッと握り、俺が本気なことを伝える。俺だって、男だ。紗和にいつも付いて回った子供の八尋は、もう居ないんだ。それを紗和に知って欲しかった。そして、俺は紗和のことを抱き締めた。紗和は拒絶せずに、俺の背に腕を回した。そして、クスクスと笑った。


「意地っ張りの八尋が、やっと本音を吐いてくれたわ」

「え?」


紗和の嬉しそうな声に反応して、俺は紗和の顔を見た。紗和は昔のようないたずらっ子の目をして、俺を見ていた。俺には訳が分からず、紗和の言葉を待った。


「よくって?八尋。私、貴方が好きよ。貴方が私を想う気持ちの何倍も。勿論、異性としてね。貴方が距離を置いて直ぐに、私はこの想いを自覚したわ。なのに、貴方ったら、ちっとも私からのアプローチに気づかないんだもの、嫌になっちゃう。それで私も意地を張っちゃったの」


紗和はそう言って目を細めた。こんな紗和は、少なくとも雅人は見たことないだろう。知っている、これが俺の恋した相手、草香紗和だ。皆は儚げな、如何にも深窓の令嬢だなんて言うが、そんなことはない。紗和は好奇心旺盛で、いたずら好きな茶目っ気たっぷりな人だ。そんな紗和を久しぶりに見て、嬉しくなる。


「紗和、ずっと待って…?」

「そうよ。凄いでしょう、私」


そう言って、昔のように得意気な笑みを見せると、俺のもう片方の手も握ってきた。


「八尋。私たち、好き同士なのだから、こんな駆け引き、要らないわよね?ねえ、もっと私、貴方とお話したいわ。手も繋ぎたいし、一緒にご飯を食べたいし、貴方と休日にお出掛けもしてみたい。意外と私って、欲深いのよ?今までは私の方がお姉さんだから、我慢してあげたけど、もう我慢してあげない」


嬉しくて堪らないのだと、そんな溢れ出すような笑みを浮かべる紗和を見て、自分は秋津川の言うラウンドスリーに入らずに済みそうだと安堵した。そして、彼女も俺に劣らずに想ってくれていたのだと知り、胸がいっぱいになる。紗和ははにかみながら笑い、そして爆弾を投下した。


「ねえ、八尋。キスをしても、いいかしら」


…なんて積極的な。いや待て。それはそれで、なんだか悔しい。…そうだ。俺は紗和の肩に手を置くと、彼女の返事を待たずにその唇を奪った。紗和にばかり主導権は渡さない。ただ触れるだけのキス。それでも、紗和は顔を真っ赤にして、唇を押さえている。してやったり。俺はニヤリと笑った。悔しそうに表情を歪めると、紗和は俺の肩に頭を押し付けた。


「取り合えず、董吾さんと私とで、お説教なんだからね」


…それは勘弁してほしい。


「八尋が倒れたなんて、泉院君から聞いたとき、凄く悔しかったのよ。八尋の側に居られなかったこと。だからもう、八尋の気持ちなんか関係なく、側に居てやるんだから」


ああもう、どうしてこの人はこうも俺の心を掻き乱すのか。これが所謂飴と鞭というやつか。仕方ない、叶えてやらねば。最愛の、我が婚約者殿の望みならば。俺はフッと笑うと、何も言わずに紗和の肩を抱いた。そこでやっと、自分の肩の力が抜けた気がした。


***


 卒業式。証書を片手に、紗和は得意気に笑っていた。反対に俺の顔は、随分と間の抜けた表情を浮かべているだろう。


「アメリカ留学は、今年の夏の二週間…?」


長期遠距離恋愛の覚悟を固めていた俺には、寝耳に水だった。紗和はクスクスと笑っていた。


「八尋は相変わらずのせっかちさんね。草香家が、私の留学をギリギリまで東翁家に隠しておく訳ないでしょう?」


やられた…。すべては紗和の手の上だったということか。事の真相は、まさかというものだった。つまり、紗和は俺に素直になって欲しくて、わざと留学の話をそれとなく勘違いさせておいて、俺を焦らせようとしたってこと。すべて、目の前で今穏やかに微笑む紗和の策略。


「草香センパイ、相変わらずイイ性格してますよねー」

「ありがとう、泉院君」


雅人が俺の隣でヘラリと笑った。紗和もそれに笑い返している。そんな光景を見つつ、こいつら実は似た者同士なのか…?と思ってしまう。


「それじゃあね、泉院君」


そう言うと、紗和は俺の手をギュッと握り、歩き出した。


「紗和!?」

「生徒会の仕事は、泉院君が快く引き受けてくれたわ」


紗和は俺の手を引き、校門に向かってスタスタと歩く。困惑して名前を呼ぶと、さらりと言われ、瞬きした。


「ねえ八尋。今日は歩いて帰りましょ。ゆっくり、ゆっくり。制服デートというものをしてみたいわ」


そして、そこで俺の手を離すと、自分だけ校門の向こうに行ってしまう。そして、俺に手を差し伸べた。


「…叶えてくれるのでしょう?」


そういえば、紗和は中々のロマンチストなんだった。仕方ないな。俺は紗和には弱いんだ。俺は校門の向こう側で待つ彼女の手をとり、笑いかけた。


「君が望むなら、何だって」


俺たちは、それこそ紗和の言ったように、ゆっくり、ゆっくりと歩を進めた。空には青空が広がっている。花は色とりどり、自由奔放に咲いている。風は穏やかだ。ありし日の君が教えてくれたように、やはり世界は輝いていた。そのことに気付けたのは、きっと綺麗なものを綺麗と言える、本当に綺麗な君が居たから。


こうやって、これからもずっと、二人で歩いて行こう。君が居れば、俺はもう何も要らないから。この綺麗な世界で、一緒に生きていこう。掌を包み込む温もりに、俺は再認識した。


嗚呼、俺は草香紗和が、本当に好きだ。

この後二人は本当に紗和の家の前まで歩いて帰ります。でも紗和のあらかじめの手回しにより、董吾を筆頭とする東翁、草香両家の護衛チームが陰から護衛。実は彼らの中に二人を見守り隊とかが発足してたりして。紗和の家で別れた後、八尋は董吾らに回収、家にてきっとパーティーです。東翁家のご両親は親バカですので、昨晩のうちに耳に入れ、息子の恋愛成就祝いの祝宴を準備して待ってると思います。




お読みいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ