3 野球
『この話おもろないんじゃ、ボケ』とか、
『テメェ、なろうの機能使いこなせてねぇよ』とか、
小さな事でも感想がいただけたら幸いです。
3
俺たち一年生が入学した本年度、四月から学校を賑わせていた『行き止まり廊下の番長』が消えてから数日。その真相については色々な噂が飛び交っていた。
やれ『普通の学生に戻ります宣言』だとか、やれ『俺より強いヤツに会いにいくと言って出て行った』だとか、『実はそんなヤツいなかった』なんて事も言われたりしている。
「ねぇ、カツベぇ」
「あんだよ」
当の本人は、昼休みに我が一年二組に遊びに来るほど、お気楽そのものだった。
立風ノブコ。彼女がその『行き止まり番長』である。
「そのお弁当、おいしそうだね。自分で作ってるの?」
「んなわけねぇだろ。俺に料理スキルはこれっぽちもない」
「じゃあお母さん?」
「まぁ、そうなるな」
「へぇ~……あたしにもお弁当作り、出来るだろうか?」
ちょっと前まで、上級生の男子生徒を何人も病院送りにしてきたヤツが、いっぱしの弁当作りなんて出来そうもない……が、それを言うと俺の首も危ないので、
「まぁチャレンジするのは悪くないんじゃないか」
と、適当にお茶を濁す事にした。
横では喜野がクスクス笑っている。くそぅ、何がおかしい。
「じゃあさ、出来たらカツベが食べてくれる?」
「そ、それは……」
そう来たか、誤算だった……。やはり良く考えずに言葉を口にしてはいかんな。
そもそもノブコが俺の周りをウロチョロするようになったのも、あの時、ノブコとのケンカの時に俺が不用意な事を言った所為な気がしてならない。
あの時からノブコは、俺の事を『ライバル』だと認め、何かにつけて俺の周りをまとわりつく様になってしまった。
確かに俺は先輩との一件の時、女の子に付きまとわれるシチュエーションもいいかもしれない、と逡巡した。ノブコはどう見ても金髪美少女。だが、しかし中身は人を病院送りにする番長。周りをうろつかれても美味しくはないだろう。……多分。
「ねぇ、カツベぇ、食べてくれんの? どうなの?」
「……ま、まずは作ってみてからだな。その様子を見て、食すかどうか決めよう」
「それじゃ遅いんですけど。作っちゃった後に食べないって言われても、材料が勿体無いんですけど。先に決めてもらわないと困るんですけど」
困るんですけど、と言われても、こっちが既に困ってるんですけど。
喜野のクスクス笑いが最高潮に達しているのを見て、俺はやはり判断を間違えたのだろうなぁ、と嘆息するのだった。
そんな時である。
「カツベくんはいるかしら?」
教室のドアのところに見知った影を見かける。
低身長で童顔だが、俺たちよりも一個年上の先輩、菖蒲ミキ先輩である。
今はすまし顔で大人しい感じがするが、先日喫茶店で見た彼女の顔は年相応どころか、俺よりも幼く見えた。
「はいはい、カツベはここですよっと」
ノブコから逃げ出すように、俺は先輩へと近寄った。
「何か用ですか、先輩?」
「うん、今日は大事なお話があるから、放課後、ちゃんと部室に来るようにってね。喜野くんも、お願いね」
先輩はちょこっと首を傾げて、俺の後方にいる喜野にも声をかけていた。
了解を示すように手を振る喜野を見て、ふっと先輩は首をかしげた。
「前々から気になってたんだけどさ」
「はい?」
「喜野くんって……男の子で良いんだよね?」
そんな事を尋ねられて、俺も後ろを振り返る。
にこやかにこちらを見ている喜野は学ランを着ている。男子の制服だ。
しかし、いざそんな事を尋ねられると、確かにヤツの顔立ちはどこか中性的だし、身長もそれほど高くはない。声も声変わり前か、と疑ってしまうぐらいどっちつかず。名前も喜野ハルと、男とも女とも思える名前だ。だが体育の着替えは男子更衣室だったはずだし……でも、そう言えばアイツの着替えているシーンなんて見た事がないな?
「……多分、男だと思いますけど」
「カツベくんも知らないの?」
「ってか、改めて聞くようなことでもないでしょう? ……先輩に言われたら気になってきましたけど」
「本人に聞いても良い事だと思う?」
「聞けば答えてくれるでしょうけど……うーん」
俺たちの視線に気付いたのか、喜野は首を傾げていた。
どうしよう、なんだか知らんが、パンドラの箱に手をかけてしまった気分になってしまった。
「カツベぇ! ちょっと来ぉい」
そんな事を話していると、ノブコから怒声が上がった。
何だアイツ、いきなりテンション上げやがって。
「先輩、じゃあ俺はこれで」
「あ、うん。じゃあ放課後にね」
先輩は手を振って階段を下っていった。この学校では上級生はより低い階に教室があるのだ。
まぁ、そんな事はさておき、早く番長様のお呼びに答えなければ俺の命が危ない。早々に席へ戻るとしよう。
「なんだよ、大声で人の名前を呼ぶんじゃない」
「んな事ぁどうでもいいんだよ! 誰、あれ!?」
詰め寄ってくるノブコ。その詰め寄り方がハンパではなく、頭突きでもされるのではないかと思うぐらいの勢いなので困る。ちょっと寿命が縮む。
「誰って、先輩だよ。部活の」
「カツベって部活入ってんの!?」
「ああ、入ってるよ。最初に名乗った時、ちゃんと言っただろうが」
「覚えてないけど!?」
「じゃあテメェの鳥頭を恨むんだな」
「もっかい名乗れよ! ちゃんと聞いておくから!」
「断る」
「なんで!?」
そこまでお前に付きまとわれると、正直鬱陶しいから……とは言えまい。俺は逆境萌えと言えど自ら処刑台の階段を上るような趣味は持ち合わせていない。自然に出来上がった逆境を好むのだ。
俺が黙っていると、ノブコはこちらに殺人的なガンを飛ばしてくる。
「わかった。あの先輩との時間を邪魔されたくないんでしょ?」
「最大限の婉曲表現を使うと、そう言えなくもない」
「そんなに、あの先輩と二人きりで逢瀬したいと申すかッ! このエロカツベ!」
「なんとでも言え。俺はお前に俺の所属部活の名を明かすつもりは……」
「勝吾の部活はショーブだよ」
悪魔の一声がポツリ、と。
喜野は変わらず笑顔である。が、その笑顔にこれほど殺意を覚えた事などあるまい。
「喜野ぉ! テメェ、何サラッと教えちゃってるんですかぁ!?」
「いや、だって立風さんが知りたい、って言うから」
「ヨシノはいい子だなぁ。後であたしが飴ちゃんをプレゼントしてあげようねぇ」
喜野の謀反を受けた今、敵軍は我がショーブの領土までズカズカと乗り込んでくるだろう。こうなっては俺にはどうする事も出来ない。
先輩は来る者は拒まないだろうし……ああ、俺の安寧の地が蹂躙されてしまう……。
「勝吾、そんなこの世の終わりみたいな顔しないでよ。嬉しくなっちゃう」
「テメェはいつか、本気で殴る」
とは言いつつ、この逆境にもちょっと楽しみを覚えている自分がいた。
****
まぁそんなわけで、その日の放課後、部室にて。
「あたしも入部する事にしたから!」
入部届けを持って現れたノブコを誰も止める事は出来ず、こんな事態に至るのである。
「はぁ……私は構わないけど……」
ノブコの勢いに圧され、ちょっとしどろもどろな先輩。
何気なく俺に寄ってきて、耳打ちをしてきた。
「大丈夫なの、この娘?」
「頭の方はちょっとおかしいと思います」
「いや、そういう事を聞いてるんじゃなくて。ショーブに入部できるぐらいの『強さ』を持ってるの?」
「ああ、その話ですか」
言われて俺はノブコとケンカした時の事を思い出す。
コイツの身体能力は常軌を逸していると言っても良い。二メートルを越す高さを持った廊下の天井に足をつくほどの跳躍力、そして男子生徒を複数人相手しても息切れしない継続戦闘能力。運動に関して言えば、恐らく我らショーブにおいて右に出るものはいないだろう。
「大丈夫だと思いますよ。俺たちにフォローできない分野をフォローしてくれる人材だと思います」
「……まぁ、カツベくんがそう言うなら、まぁいいか」
そう言って先輩はノブコに一歩近付いた。
「よろしく、ええと……?」
「あたしは立風ノブコ。よろしくね、菖蒲先輩!」
両者、握手。
……心なしか、物凄く力が入っている握手に見えるのだが、気のせいだろうか。
「さて、これで一応、部員が揃ったね」
一人だけテーブルについていた喜野が手を叩く。
「菖蒲先輩、お話って言うのはなんなんですか?」
「そうそう、それだった」
今日呼び出された理由は確か、大事なお話があると言う事だった。俺も忘れるところだった。
各々椅子に座り、菖蒲先輩はテーブルの上に何枚かの紙を置いた。
「私たちショーブはやっと、三人以上の部員を取り戻し、学校側からの承認を得て、部活動として活動する事を許されました。と言うわけで、今まで出来なかった『公式戦』を行う事にします」
「公式戦? 対外試合でもやるんですか?」
「そうじゃなくて。ショーブは成り立ちから活動方針まで特殊だからね。学校の外へ向けての活動はほぼ皆無なの。だから、公式戦は学校内に向けての勝負になるわ」
菖蒲先輩はテーブルに置いた紙の一つを手に取る。
「これはショーブに申し込まれた挑戦状よ。今、手元にある挑戦状は全部で五枚。野球部、サッカー部、演劇部、吹奏楽部、書道部の五つよ。私たちは今月中に、この内の部活と対戦し、結果を提出しなければならないわ」
「それも初代の公約ですか?」
「そう、カツベくんのお察しの通り」
菖蒲先輩が説明してくれた事には、初代部長の公約によって、一ヶ月に一回以上の『公式戦』と呼ばれる試合を行い、結果を学校に提出しなければならないらしい。毎度思うが、この初代の公約と言うのは面倒なものだ。
「で、俺たちはどの部活と戦うんです? ……って言っても、たった四人じゃ野球もサッカーも出来ませんけど」
「そこはホラ、勝負方法を限定するのよ。順番に説明するわ」
適当に取り出したノートに、ペンを走らせる先輩。
「公式戦のルールとして、勝負方法は三つになるわ。これはショーブと対戦部の公平さをある程度保つためのルール。対戦を申し入れた部活とショーブが一つずつ勝負方法を提案し、先に二勝した方が勝ち。一勝一敗になった時はコインで勝負方法を決めるわ」
「表ならショーブが提案した勝負方法、裏なら対戦部の勝負方法、ってな具合ですか」
「その通り。でも基本的に勝負を申し込まれた方が優先権を持つ、ってところに変わりはないから、野球部が勝負を申し込むにしても、その勝負方法をフルメンバーの野球にする事は出来ない。何故なら私たちは四人しかいないから」
「つまり野球部は自分たちに不利にならないような、最大でも四人で出来る勝負方法を提案しなければならない、って事か」
こうなってくると勝負を挑まれるだけのショーブは気が楽だ。人数制限に悩まされる心配もないのだから。
「と言うわけで、今月の公式戦の対戦相手を決めたいと思います」
「対戦相手って言ったってねぇ」
ノブコはテーブルの上の挑戦状を手に取り、パラパラとめくる。
「この中にあたしたちで勝てそうなヤツらっているの?」
「勝てそう……とは、どういう意味なの?」
「明らかに格下ってヤツ。どう頑張っても負けられない、ってレベルの部活って事」
その言葉を聞いて、菖蒲先輩はため息をついた。
「この中にそんな部活はないわ。全て何らかの特色を持っているし、対戦方法や出場する人間によっては勝率が大きく変動する。必ず勝てる勝負なんてない」
「んな事ぁわかってるけどさ。でもあるでしょ? 今までのセンパイの経験からして、勝率は高めだな、ってヤツら。そいつらはさ――」
挑戦状をテーブルの上に放り投げたノブコは、ニヤリと笑う。
「――そいつらは外そう。そんなヤツらと戦ったって面白くない。でしょ、カツベ?」
「何故俺に振る……」
笑顔満点の顔を向けられても、正直困る。
確かに俺の信条からしてみれば、あまり逆境になりにくいモノはパスしたいところだ。戦っても面白くないと言えばそうである。
だが、そんな俺の一存を部活全体に押し付けてもいいものだろうか?
「カツベくんは、それで良いの?」
「まぁ、俺個人の意見としては全く構いませんよ。ただ、それで先輩と喜野が納得してくれるかどうかは別です」
「僕は構わないよ。どんな勝負でもある程度楽しめ……いやいや、どんな勝負でも全力を持って戦うのが僕の流儀だし」
喜野はなかなか悪意がありそうな返答を返していたが、それでも先輩は大きく頷き、満足そうに笑みを零す。
「どうやら今期のショーブ部員も将来有望そうね。初戦って事もあって出来るだけゆるい勝負でも良いかと思ったけど、みんなの心意気を汲むわ」
先輩が手に取った挑戦状は野球部のものだった。
「まずは次の日曜に野球部との勝負。その結果次第で翌週にもう一戦、サッカー部か吹奏楽部との勝負を執り行うか、検討します。野球部への返答は喜野くんにお願いしたいんだけど、大丈夫かしら?」
「はい、行ってきますよ。いつごろが良いもんですかね?」
「明日の昼休みないし放課後にでも。野球部の部長のクラスは追って通知します。では、私たちの初めての公式戦はこの日程、この対戦相手で進めます!」
バン、と音を立てて、先輩は懐から木札をテーブルにたたきつけた。
「いい、みんな。ショーブの歴史に、確かに負けはある。でも、一度として『負けるつもりで挑む勝負』なんてのはない! この勝負も、全力で勝ちに行きます! 各々、全力を尽くすように! 以上!」
木札に書かれた『尋常勝負』の文字から、得も言われぬプレッシャーを感じた。
なるほど、これがショーブの歴史の重さと言うヤツか。
****
部室を後にし、帰り道の事。校舎を出てグラウンドの隣を歩いている時である。
「結局、カツベとセンパイの間柄がわからなかった」
何故か俺と連れ立って歩いているノブコが、そうやってブーたれていた。
「お前は俺と先輩をなんだと思ってるんだ」
「だって昼に『先輩との逢瀬が楽しみだぁ!』って言ってたじゃん」
「言ってねぇし。……あ、いや言ったか?」
そう言えば最大婉曲表現が云々の時に、そんな事を滑らせてしまったかもしれん。
「まぁ、言ったとしてもそれは言葉のアヤってヤツだ。別に、俺と先輩はなんでもねぇよ。あったらあったで、今もお前となんか連れ立って歩いてないだろうしな」
「ふぅん、怪しいもんね」
どこまでも訝るノブコだが、俺からはこれ以上何も言う事もない。
それより、来る野球部との試合に備える方が幾分建設的だ。
「ノブコ、お前が野球部なら、どんな勝負を持ちかける?」
ショーブの公式戦は、対戦者同士が一つずつ勝負方法を持ちかける方式らしい。相手の手札がわかればこちらもある程度は対策が取れるはずなのだ。
「あたしならぁ? そうだな……野球拳とか?」
「面白くない」
「ツッコミにしてもぶっきらぼうすぎやしませんかね!?」
たとえ先方が野球拳を持ち出してきたとしても、俺と野球部員(男)のそれは、誰が望む光景だと言うのだろう? それぐらいは相手方も想像してくるはずだ。だったら、その場に居合わせるであろう全員の心の安寧のためにも、そんな勝負は提案しないだろう。
「じゃあカツベはどんな勝負だと思うのさ?」
「そうさな、例えばボールの遠投とかな」
中学校の頃にソフトボールを使った遠投が、体育の授業であった気がする。
あれは中学の野球部や少年野球チームに所属していた連中が、ここぞとばかりに輝かしい成績を収めていた気がする。アレならば野球部に分があるだろう。
「えぇ? でもそれならあたしでも百メートルは余裕だけど?」
「お前、どんだけ鉄砲肩なんだよ……」
現役女子高生がプロ野球選手と同じ程度の遠投スキル持ってるとか、この娘、末恐ろしいわ。誰だ、こんな怪物育てた輩は。
「って事はお前、球速勝負でも良いトコ行きそうだな」
「八十マイルってところかな。ちょっと前の記録だけどね」
八十マイルって何キロだ? ええと……百三十キロ弱くらいか?
コイツもう、女子ソフトでもやってろよ……。
「因みに、百メートル走は十秒切ったよ」
「うるさいうるさい。お前の話を聞いていると男子としての尊厳を著しく損なわれる」
くそぅ、俺は遠投三十メートルだし、球速なんて測ったことないし、百メートル走は十二秒台だよ、チクショウ。
そんな事を話しながら歩いていると、ようやく校門へと差し掛かる。
すると、そこには見慣れぬ黒服姿の男が一人、恭しく頭を垂れながら立っていた。歳は二十前半と言ったところか、どう見ても生徒ではないし、職員だとしたら大分風変わりだ。
そんな彼を、俺が物珍しげに眺めていると、ノブコが駆け出した。
「それじゃ、あたしはこれで!」
「え? 帰るのか?」
「なに、さびしい?」
「別に? そうじゃなくて……」
なんだかあの男に駆け出していたような気がしたので、ちょっと気になっただけだったが、他人の交友関係に口出しをするような、偉い身分でもない。黙っておこう。
「ノブコ……危ない遊びはほどほどにするんだぞ」
「カツベは何か、とても失礼な勘違いをしているな? あの人はウチの使用人よ」
「し、使用人!?」
ビックリした! いきなり何を言い出すかと思ったら……冗談か!
「はっはっは、ノブコにこんなユーモアのセンスがあるとは、一本取られたな!」
「言っておくけど、ジョークの類じゃないからね」
「え? 違うの?」
「違うわよ! あの人は立風家の使用人なの! ちょっと見てなさい」
頬を膨らせたノブコは、黒服の男に近寄り何か言葉を交わすと、彼を連れてこちらに戻ってきた。
「はい、自己紹介して」
そう言われた黒服は、俺に対しても恭しく礼をする。
「わたくしは立風家の使用人、とりわけノブコお嬢様の運転係を勤めております、藤原と申します。どうぞ、お見知りおきを」
黒服の男は近くに立ってみると、かなりの長身かつ、がっしりした身体つきだった。なるほど、どこぞのSPと言われれば信じてしまいそうなものだった……が、それがノブコの使用人? 嘘だろ?
「え? ノブコってお嬢様なの?」
「そうよ、知らなかったの?」
「知るわけねぇだろ!」
ノブコと知り合って数日、そんな事は尾首にも出さなかった。って言うか、噂の『行き止まり番長』がどこぞのお嬢様だなんて、誰が信じるだろうか?
「まぁ、そんなわけだから、今後あたしに口を開く時は気をつけることね!」
「お嬢様、そろそろお時間です」
「わかってるわよ! ふふん、良い面拝めたわよ、カツベ」
ウインクをかますノブコに対して、俺は何も言えなかった。
恥ずかしながら自失していたのである。くそぅ、マジで意外度満点過ぎるだろ、あの娘。
そんな俺に対し、藤原と名乗った黒服はもう一度深々と頭を下げた。
「貴方様がカツベ様でございますね。お嬢様からかねがね、お話を伺っております。お嬢様とはこれからもどうぞ、末永いお付き合いをお願いいたします」
「え、ええ、そりゃどうも……」
「お嬢様は跳ねっ返りの強い性格をしておいでです。これまで友人と呼べる友人も少のうございました。ですので、ぜひとも……」
「フジワラぁ! ドア開けろぉ!!」
遠くから件のお嬢様の怒号が聞こえ、藤原さんはもう一度会釈し、俺から離れて行った。すぐに車の遠ざかる音が聞こえ、嵐のようだった藤原登場の一幕は終えたのである。
なんだったんだ、一体……。
****
翌日の放課後。また部室に召集された俺たちショーブの部員。
「一応、野球部の部長には話をつけてきました」
そう言って喜野が差し出したのは、野球部部長の署名入りの紙。名前の他には『尋常勝負、お受けいたす』と書かれている。やたらと時代がかったセリフなのは一体どういう事なのか……。雰囲気作り?
「よし、それでは私たちは野球部との勝負で提案する勝負方法を決めたいと思います」
先輩はノートを広げる。ホワイトボードや黒板がないこの部屋では、会議も一苦労だ。
「野球拳ってのは……」
「却下」
ノブコの提案を速攻で棄却する。
不貞腐れたような表情のノブコだが、どうやら食い下がるつもりはサラサラないらしい。
「野球拳、っと」
「先輩も書かなくていいですから!」
まさか真っ当な意見として取り上げられるとは思ってなかった。この人、もしかして自分が野球拳やるかもしれない、って言う危機感はないのか!?
「真面目に話をしましょう。俺は少しでも勝率の高い方法を提案した方がいいと思います。野球部に不利で、こちらに有利な方法ならなお良い」
恐らく、野球部の方もこちらに不利な勝負方法を提案してくるはずだ。もしその勝負方法で勝ちを拾えなかった場合、状況はかなり不利だ。最悪でも一勝一敗の状況を作らなければならない。
とすれば、俺たちが提案する方法は出来るだけ有利な方が良い。
「僕らに有利な勝負方法って何さ?」
「出来るだけ身体を使わない方法だな。体力では野球部連中に勝てるのはノブコぐらいだろう」
ノブコの規格外の身体能力は、自己申告ではあるものの、昨日聞かされたばかりだ。コイツならば野球部とステゴロしたとしても勝てそうな感じはする。
だが、他のメンバーではどうしようもないだろう。俺や喜野はどちらかと言うとインドア派。先輩はなんとなく、身体を動かしそうな感じもしない。そもそも身体が小柄なので色々な運動において不利になるだろう。
「じゃあさ、頭を使った競技って事でしょ? テストの点数とか?」
「それは却下だわ。テストの作成に第三者を介入させなければならないし、時間がかかりすぎるもの。過去の成績で勝負するなんてのは論外だしね」
先輩に一刀両断され、ノブコはぐうの音も出ないようだった。
そこに喜野が手を挙げる。
「ではボードゲームとかですかね? オセロとか将棋、チェスなんか」
「そうね。その辺が無難だとは思うけど……」
先輩はノートに文字を書きながら、言葉を濁す。
そして俺たちを順に窺った後、迷った末に言葉を零した。
「私は野球部に分のある勝負でも構わないと思う」
その言葉は俺の提案に真っ向から対立する言葉だった。
「どういう事です?」
「これは『そういう事もあった』と言う話として聞いてね」
先輩は前置きを置いた後、ペンを置いた。
「ショーブは常々、相手の有利な状況を覆す勝負を多くこなして来たわ。公式戦でこちらが勝負方法を提案する時にも、そういう状況を作り出して、意図的に自分たちを不利に追い込む事もあった」
「ドMなの?」
ノブコの茶化しを、俺が小突く事で制し、先輩の話の先を促す。
「初代部長の言だけど、勝負は不利を覆してこそ真の価値を得る、と。それ故に、ショーブは伝統的に、可能な限り相手の得意な土俵で戦ってきたの」
また初代部長か。その人はどれだけこのショーブに影響を残しているのやら。
しかし話はわかった。
先輩が初代部長の言を、ひいてはそれに従っていた歴代ショーブ部員の伝統を守りたいと言うのならば、俺に反する論もなし。
「なら、いっちょ野球部にワンイニング勝負でも持ちかけますか?」
「ワンイニング?」
ノブコが首を傾げていた。
「野球の基本的なルールは知ってるよな? 打者がスリーアウトを取られると、攻守が逆転する。どっちのチームも一度、攻守を行うまでをワンイニングって言うんだ」
簡単な説明だが、ノブコも『そりゃ知ってる』と頷いていた。
「今回の場合は俺たちショーブと野球部でワンイニングだけプレイし、打点か何かを競うって事だな。この勝負方法なら時間もかかり過ぎないし、野球部にかなり分があり、それでもルール次第では俺たちが勝てる見込みもある。どうですか、先輩?」
「……うん、私はそれで良いと思うけど……」
おっかなびっくりと周りの様子を窺っている。
喜野は笑顔で頷くのみ。ノブコも何も言わない。
「決まりですね」
「そうね。でも本当に良いの? 昨日も言ったけど、初戦なんだから無理をする必要はないわよ?」
「センパイこそ、あたしたちに遠慮する必要なんてないんですよ? それとも、あたしたちの力が信用できないって言うんですか?」
挑発的なノブコの態度だが、先輩はそれを自信の表れと取ったのか、笑顔で頷く。
「うん、頼もしい。だったら決まりね。私たちから提案する勝負方法は『ワンイニング勝負』とします。これは勝負当日まで誰にも明かさない事! 相手に情報が漏れたらそれは無駄なリスクになるからね」
勝負方法が先バレしてたら対策を打たれる、と言うのは昨日確認した通りである。逆境は楽しむべきだが、人の手が加わりすぎた物は俺の好みではないからね。
話も大分まとまった時、部室のドアがノックされた。
俺たちは互いに顔を見合わせるが、どうやら来客の予定は誰も聞いていないらしい。
「どちら様ですか?」
代表して先輩が誰何の声を上げる。
『生徒会です』
返答に、部室全体が緊張に包まれた。先輩などは少し腰を浮かしかけたほどである。
生徒会。ショーブの仇敵である。いや、それは相手にとっても一緒か。
先輩から聞かされたショーブの歴史、そしてここ最近の生徒会のショーブに対する圧力。それを考えると、この来訪にも何か意図があると見ていいだろう。
「どうします?」
「追い返す理由はないわ。カツベくん、お願いできる?」
先輩に言われ、俺は部室のドアを開けた。
そこに居たのは三年生の男子。長身でメガネをかけたイケメンだった。
「おや、見知らぬ顔だね。新入部員かい?」
「ええ、そういう貴方は?」
「僕の事をご存知でない? ……はは、参ったな」
三年生は頭を掻いて、自らの腕につけていた腕章を指す。
そこに書かれてある文字は『生徒会長』と、身分を雄弁に語っていた。
「おわかりいただけたかな? 僕は現生徒会長、不破統司といいます。覚えておいて欲しいものだね」
「それは失礼」
敵の大将が堂々とお出ましかよ、こりゃ驚いた。
そりゃコイツを討ち取ったところで全てが終わるわけでもなし、別に相手方の大将が堂々とこちらに乗り込んできてもおかしくはないが……。
「生徒会長自ら部室に来ていただけるとは、思わなかったわね」
振り返ると、先輩が立ち上がって不破を睨みつけていた。
「何の用?」
「いえ、ショーブが復活したと聞いて、寿ぎに」
どこまでも余裕綽々の不破は、大胆不敵に挑発していた。
寿ぎに、とはどの口がほざく……。
「どうやら部員は四人も集まったようで? これから公式戦も始めると伺ったのでね。それはこちらからもご挨拶をしなければならない、と思って馳せ参じた次第さ」
「それはご丁寧にどうも」
心なしか、先輩の声には余裕がない。相手はショーブの部員を根こそぎ退部にした組織の親玉だ。当然と言えば当然か。
「用件が済んだのならば、出て行ってもらえますか。私たちはまだ話し合いが残っているので」
「ふふ、邪険にされたものだな。……用件はもう一つあるよ」
そう言って、不破は俺に紙切れを一枚差し出した。
受け取って中を確認すると、それは挑戦状だった。
「こ、これ、先輩、挑戦状です!」
「なるほど……宣戦布告ってわけね」
「ショーブには我々も煮え湯を飲まされ続けているからね。そろそろこの不毛な争いにも決着をつけたいと思ってる」
表面上は柔和な笑みを湛え、不破は先輩を見据えていた。
「幾ら部員を削って『これ以上は無駄だ』と教え込んでも意味がないみたいだからね。ここらで止めを刺してやろうと思ってさ」
「……生徒会の勝負に負ければ、廃部って事?」
「廃部どころか、これから先、ショーブなんてふざけた部活は作らせない。代わりに君たちが勝てば、相応の報酬が学校側から支払われる手はずになってる。悪くないだろう?」
ハイリスクハイリターンと言った所か。
しかし、そんなリスクにビビッて逃げ出すわけにも行かない。
先輩は俺に近寄り、挑戦状を受け取る。
「この挑戦状は、一応預かっておきます」
「色好い返事を期待しているよ」
終始笑みを崩さなかった不破は、そう言って出て行った。
不破が消えた後、ノブコはドアに向かって舌を出した。
「なーんか、やな感じ! 生徒会が勝って当然、みたいな雰囲気かもしてなかった、アイツ!」
「実際、あの生徒会長は強敵よ」
先輩は受け取った挑戦状をグシャリと握りつぶし、悔しげに呟く。
「今までショーブに在籍していた部員を、私以外の全員負かしたんだもの。どんな勝負方法でも勝てる自信があるんだわ」
「僕の集めた情報でも、彼は歴代でもトップクラスの成績を持つ生徒会長だそうですよ」
喜野がメモ帳を取り出して、そんな事を言っていた。
「お前、いつの間にそんな事調べたんだよ?」
「まぁ、ここ数日は暇だったしね。敵情視察は当然でしょ」
メモ帳をめくりながら、喜野にしては珍しく、渋面を表に出していた。
「嘘みたいにオール五だよ。通常教科五つは当然として、選択教科である実技やら教師陣への心証評価も高い。文武両道で誰にも好かれる生徒会長って感じだね」
「そんな完璧超人がいるかよ……どっかに弱点あるだろ?」
「僕が調べた感じ、弱点らしい弱点はないね。まともにぶつかったらまず勝ち目はないんじゃない?」
くっ、喜野がこんな詰まらん嘘をつくような輩ではない事は知っている。
つまり、あの生徒会長はラスボスとして貫禄十分と言う事だ。へっ、逆に燃えて来らぁ。
「あの人に動揺を誘われたら生徒会の思う壺よ。さぁ、みんな、今は目の前の戦いに集中しましょう」
先輩がポンと手を打つ。
そうだ、生徒会との勝負の前に、もうすぐ野球部との公式戦がある。それで勝てなければ生徒会打倒だなんて夢のまた夢だ。
「まずはこちらの提案するワンイニング勝負のオーダーを決めます。誰か自信のある人とかいる?」
「僕はちょっと投打共に自信がないなぁ」
「じゃあ喜野くんを抜いた私たち三人で組みましょう。喜野くんは控えをお願い」
「了解。一応、傍から見つつ、敵のデータとか収集しておくよ」
そんなこんなで、会議は滞りなく進むのだった。
****
来る日曜日。蓬台高のグラウンドに集まった我らショーブは全員、体操着だった。具体的に言うならば、校章の入った半そでTシャツと膝丈ぐらいのハーフパンツといったいでたちである。
野球部のキャプテンとショーブの部長である菖蒲先輩が互いの対戦方式をしたためた紙を交換し、野球部の驚く顔を見て、先輩は満足げに笑った。
「お前ら、本当にこれでいいんだな?」
「ええ、問題ないわ」
三年生の主将を相手に、二年生である先輩は一歩も退かなかった。
野球部は俺たちの提示した対戦方法を見てどう思っただろうか? 挑発的と思っただろうか、それともラッキーとでも思っただろうか。
どちらにしろ、精神的動揺を得られたのは大きいだろう。
「ふん、後で吠え面かくなよ」
捨て台詞を吐いた後、野球部主将は仲間の元へと帰っていった。
それと同時に、先輩も俺たちの方へ戻ってくる。
「ただいま」
「おかえり。で、相手の対戦方法は?」
俺が尋ねると、先輩が紙を見せてくる。書かれてあったのは『一対一シャトルランタイムアタック』の文字。シャトルランとは短い距離を往復する、主に持久力や俊敏性を測る体力測定に用いられる方法だ。
対戦方法の詳細を見ると、二十メートルのシャトルランを往復五十回するのにかかったタイムを計る、と言う変則的なルールになっていた。
「二十メートルを五十回って言うと、約千メートルか。実際の長距離走とは違うだろうけど、そのタイムを基準に出場者を決めた方が良さそうだな」
「そうね。因みに、私はすっごい遅いよ」
胸を張る先輩。小柄なだけあって足の長さも相応だ。走ったり飛んだりは得意そうには見えない。
喜野を見ても、パスと言わんばかりに手を振っている。
「じゃああたしが出るわ。カツベよりは速い自信あるし」
「お前の身体能力に敵うヤツも珍しいと思うけどな」
確かノブコの百メートル走のタイムは九秒台だったか。陸上選手か、アホ。
しかし、単純な速さも問題だが、それと同列の重要度が持久力である。
「ノブコはスタミナには自信があるのか?」
「まぁ、そこそこね。一キロぐらいなら余裕で走れると思うよ」
「余裕ってお前……いや、何も言うまい」
「なんだよぉ、言いたい事あるなら言えよぉ」
わき腹を小突かれるが、もう何も言う気になれなかった。コイツに身体能力で勝ろうと思うのはきっと間違いなのだろう。
「おっと」
ふと、ノブコが声を上げて俺から離れた。
気がつくと、俺とノブコの間に先輩が入っていた。
「あんまりイチャつかないの。相手方だって見てるんだから」
「おやおや、センパイさん、やきもちですかね?」
「そんなわけないでしょ。さぁ、勝負を始めるわよ」
そんな即答で『そんなわけない』と言われると、多少さびしい気持ちも湧き上がらんでもないが、それよりもノブコとイチャついてたと思われた事の方が癪だ。今度から出来るだけ気をつけよう。
とりあえず、もうすぐ勝負が始まるので俺も野球のグラウンドへと歩むのだった。
第一回戦はショーブ発案のワンイニング勝負。
攻守をどちらのチームも一度ずつ行い、ヒット数の多い方が勝ちとなる。ただし打者は三人まで。全ての打者がヒットを打ったら、その後は攻守を逆転させる。両チームともヒットを三本出した場合はストライク数の多いチームが勝ち。ストライクの数まで一緒ならファール数の少ない方が勝ち。それも一緒ならボールカウントが少ない方が勝ちである。流石にここまでやって勝負がつかないことはないだろう。
ワイルドピッチはヒット扱い。フォアボールやデッドボールもヒット扱いだ。とりあえず、出塁したらヒットとなる。
そしてショーブがフルメンバーでも四人である事を考慮した特別ルールとして、内野フライは即時アウト、キャッチャーフライも即時アウトとする。内野ゴロはヒット、外野まで飛ばせば無条件でヒット。ただし、内野ゴロでもピッチャーがすぐに捕球出来た場合、つまりはピッチャー返しなどはアウトとする。
と、まぁ守備陣が敷けないショーブに寄った形のルールとなっている。仕方ないね。
先攻は野球部。ショーブのピッチャーはノブコ、キャッチャーは俺である。人選としてはパワーバカのノブコならそこそこのボールが投げられるだろう、と言うのと、動体視力に自信のある俺ならば、とりあえずボールを後逸させる心配はないだろう、と言う理由からだった。
「とりあえず、軽くで良いから投げてみろ」
「ほーい」
投球練習の時間もくれるらしく、ピッチャーマウンドに立っているノブコに声をかけた。俺はキャッチャーマスクを被り、防具をつけてミットを構える。
「まずはここ」
右バッターなら外角低め。一番手の出しづらい場所だ。
ノブコはオーソドックスなオーバーハンドでボールを投げてくる。
バシン、と気持ちの良い音がしてミットにボールが収まった。ふむ、コントロールも悪くないな。
「ナイスボール」
返球しつつ、今度は内角高めにミットを構える。ノブコはそこにも軽々とボールを放って来た。
バッターが立つとまた別だろうが、今のところは問題ないか。
俺はまたノブコにボールを返し、最後にど真ん中にミットを構える。
「一回、八割くらいの力で投げて来い」
「オーライ」
ニコッと笑って返事をしたノブコ。
そして『八割』の力で投げられたボールは、勢い良く、俺のミットに投げられた。
「っつ痛ぇ!」
「へへっ、あたしを侮ったな、カツベぇ」
その瞬間、ギャラリーにいた野球部がドヨめく。
単なるストレートではあるが、傍から見てもこのスピードは異常だったのだろう。
くっ、左手がビリビリする。これが女子の投げるボールか。
俺はミットからボールを取り出しながら、ピッチャーマウンドに近付く。
「お前、八割って言っただろうが」
「だから、八割だってば。あたしの本気はこんなもんじゃないよ。ただ、コントロールは自信なくなるけどね」
さっきのよりも速くなるって……どんな強肩だ、おい。
「じゃあその本気球は隠し玉として取っておけ。とりあえず、お前に変化球は期待してないから、ストレートの緩急で相手の虚を突こう」
「そんなまだるっこしい事しないとダメなの?」
「バカヤロウ、相手は野球部だぞ? お前の棒玉なんて、無策で突っ込めばすぐに打たれちまう。ストライクゾーンの端っことボールの緩急で攻める。これが俺たちに出来る最大の策だ」
「ふーん……まぁ、カツベがそれでいいって思うんならそれでいいよ」
俺からボールを受け取り、ノブコは頷いた。
「頼んだよ、女房役!」
「確かにキャッチャーの呼び方の一つだが、お前に言われるとなんか色々と含むところがあるな」
ノブコにグローブで叩かれ、微妙に苦笑しながらも俺は定位置に戻った。
バッターボックスには既に野球部の第一打者が納まっている。
「よろしく」
軽く会釈を交わし、俺の背後にいる審判(野球部顧問)がプレイボールを宣言した。
****
事前情報を思い返す。
喜野曰く、今、打席に立っているのは野球部の補欠のバッターであるらしい。と言うか、今回の勝負に出てきているのは全て二軍の連中らしいのだ。
なんでも夏の甲子園に向けての練習をしている一軍を、ショーブとの試合で手間を取らせたくないのだとか。今、この場にいる野球部キャプテンも、もしもの怪我を回避するために控えに回っているそうだ。だったらまず勝負を挑むな、と思うところだが、そんな気持ちをグッとこらえよう。
初戦を白星で飾りたい俺たちにとって見れば、これは僥倖と言える。
相手が二軍ならば俺たちシロートでも勝てる可能性がグッと高まるのだ。
とは言え、バッターボックスの彼も野球部。俺たちよりは長い時間、バットを握ってるし、グローブをはめている。ボールに触れている時間は明らかに長いだろう。
だとすれば、俺たちは全力を出す。相手は俺たちを見下している。一軍を持ち出してこないのが良い証拠だ。
ならば……。
事前に決めたサインをノブコに出し、外角低めにミットを構える。
ヤツはそれに頷き、やおら両腕を掲げた。ワインドアップのポーズである。
おお、なかなか様になってるじゃないか。
ノブコはそのまま腕を振り切り、
「ふっ!!」
ボールを投げる。
ストレートで飛んできたボールは、ストライクゾーンの隅っこギリギリで俺のミットに納まった。
「ボール!」
後ろから聞こえてきた判定はボール。まぁ、予想できた判定だ。
審判は公平を公言していた教師ではあるが、野球部の顧問だ。怪しい判定であれば野球部の有利になるように計らうだろう。
俺から見れば贔屓目を抜きにしてもギリギリストライクゾーンに見えたが、審判がボールと言えばそれは仕方ないだろう。
「ナイスボール!」
俺はノブコに声をかけながら返球する。アイツの顔を見るに、わかった顔をしていた。
ノブコも審判の特性について気がついたのだろう。見逃しのストライクを取るなら出来るだけストライクゾーンの内側に投げなければならない、と言う事を。
まぁ、これは想定内の事態だ。ボールカウントを一つ取られたが、審判の判定基準を確認できただけでも良しとしよう。
次のサインは内角低め。バッターにとっては打ちにくい場所である。
ノブコはまたも、俺の構えたミットの場所に、気持ちの良い音と共にボールを投げて来た。
「……ットライ!」
審判も今のはストライクを取った。うむ、やはりストライクゾーンは一回り小さくなってると見た方が良いな。
ノブコに返球しながら、バッターの様子を窺う。
今までの二球を完全にスルーしていたのは恐らく、ノブコの球を見るためだろう。
シロートピッチャーとは言え、簡単にバットを振ってストライクカウントを数えさせるには野球部としてのプライドが許さないのかもしれない。
しかし、二球も見せれば次は手を出してくるだろう。そのように取り計らう。
ミットはやや外角の中ほど。サインは『全力』だ。
ピッチャーマウンドのノブコがニッと笑う。
そして高々と両手を掲げ、全力で腕を振り切る。
「……んっ!!」
身体全体を以って腕のしなりを全力でサポートする投げ方。スナップが効いてボールにはバック回転がかかっている。
狙いは俺のミットよりもやや外角高め。力みすぎてコントロールが甘くなっている。
だが、それも俺の狙いの内だ。
案の定、バッターはバットを振りにかかっている。恐らく、ミートを重視したスイングだろう。この勝負のルールではピッチャーに捕球されない内野ゴロはヒットとなる。とすれば強打は必要ない。
しかし、そのバットはミットを叩くボールの音に幾分遅れる。
振り遅れたのだ。今までのノブコの球よりも数段速い全力の球に反応しきれなかったのである。
その上、今までは俺のミットからほぼ外れてなかったノブコの球を予想していたバッターにとって、そこからズレた今回の球は彼の狙いからも逸れていたのである。
当然のストライク。
「ットライクツー!」
審判もそれを宣言する。
「ちっ……」
バッターの舌打ちが軽く聞こえた。よしよし、焦るが良い。それが俺の権謀術数を確かなものにするのだ、フハハハ。
さて、ともかくこのバッターは、あとストライク一つ。
このバッターを討ち取れば、こちらの攻撃も楽になるはずだ。
ノブコにサインを送り、ミットをど真ん中に構える。
チラリとこちらを窺ったバッターと目が合った。俺は口元を上げる。出来るだけ挑発的に。打てるもんなら、打って見やがれ、と。
バッターの様子が目に見えて変わる。自尊心を傷つけられただろうか。ククッ、扱いやすいヤツだ。すぐに熱くなるから二軍なのかも知れんな!
とりあえず、これでこのバッターを討ち取る準備は整った。
あとはサイン通り、ノブコが投げてくれればそれで良い。
ノブコが手を掲げる。
バッターの手に力が入るのがわかった。打ちに来るのがバレバレだ。
そこに飛んでくる球は……今迄から見れば明らかに気の抜けた球。球速はがた落ちし、山なりの軌道を取って俺のミットに収まる。
当然、バッターのスイングはボールの通るよりもかなり早く振られ、
「ストライック! バッターアウト!」
三振を取られるわけだ。
「よくやった、ノブコ!」
俺はピッチャーマウンドに駆け寄り、ボールを渡す。
「どうだった、カツベ? ちゃんと投げられたでしょ?」
「ああ、上出来だ。でも、これからが本番だな」
今までは野球部も俺たちを素人としてなめてかかっていた節がある。
しかし一人を三振で討ち取ってしまえば、その後はもう少し違うはずだ。
一番バッターから情報が得られるだろうし、簡単ながら対策も練られる。今回の戦法だけで野球部を攻略するのはまず無理だろう。
「これからは出来るだけボール球を減らして、ストライクカウントを取りに行くぞ。この際、打たれても構わん」
「どういうこと? それじゃあ苦しくね?」
確かに、この後二人にヒットを打たれればこちらとしては苦しい限りだ。何せショーブのバッターは俺とノブコ、そしてあんまり自信のない先輩なのである。
俺とノブコがヒットを打てたとしても、先輩がヒットを取れなければ勝利は確実とは言えない。故に、出来るだけストライクを取りに行くのだ。ヒット数が同じならばストライク数の多い方が優先される。
「一番バッターは三振で討ち取った。これでショーブのストライク数は三つ以上となる。つまり先輩が三振を食らっても、まだ勝ち目は残ってるってわけだ。だがこれ以降は野球部もそうそうストライクを取らせてはくれないし、下手をすれば易々とヒットを打たれるだろう。苦しくはなるかもしれないが、それでも現実を見れば最善の策だ」
と、俺の考えた作戦を伝えてみるも、ノブコの反応は薄かった。
「ノブコ? 聞いてんのか?」
「聞いてるよ。……なぁんであたしに『三振で討ち取れ』って言ってくれないかなぁ」
ノブコはそう言ってニヤリと笑った。
そのどこか不適な笑みに、俺は少したじろぐ。
「お前、何か秘策があるのか!?」
「ふふふ、あたしを誰だと思ってるのよ。あたしは誰が呼んだか『行き止まり番長』。その名に恥じぬ戦いをするまでよ」
おぉ、心強い! ここはすこし、こいつに任せても良いかも知れんな!
「よし、じゃあノブコ。次のバッターはお前の思うようにやってみろ。俺はお前の投げてきた場所にミットを構える」
俺の動体視力を以ってすれば、それぐらいはギリギリ可能なはずだ。
その言葉を受け、ノブコは『サンキュ』と笑っていた。
****
その後の野球部二人との対戦結果はヒット二本、ストライク三つ、ファールゼロ、ボール四つ。合計ストライク数は六つ、ボール数は五つだ。俺たちはヒットを二本以上、ストライクを五つ以下で勝利出来るというわけだ。
「お前、さっきの自信に満ち溢れた笑みはどこへ置いてきた」
「いやぁ……人生こういう事もあるよね!」
カラッと笑うノブコ。これほど殴りたいと思う笑顔もそうそうない。
「まぁまぁ、勝吾、ここまで出来れば上出来だよ。立風さんはピッチャーなんてやった事もないのに良くやってくれたと思うよ?」
「ぐっ、まぁ確かに、コイツがピッチャーをやってくれなければヒット三本なんて事態もありえたか……」
「そうだよカツベ! あたしは褒められこそすれ、なじられる覚えはない!」
チクショウ、なんだか納得いかん!
「カツベくんも立風さんもお疲れ様。さぁ、次は私たちの番だよ」
野球部から借り受けたバッターメットをノブコに渡す先輩。
「一番バッターは立風さん、頑張って」
「ふふん、今度こそ私の実力を見せてやるわ!」
野球部から借りた金属バットを振り回し、ノブコはバッターボックスへと向かった。大丈夫なのか、アイツ……。
「喜野、野球部のピッチャーの情報はあるか?」
「うん、ちょっと待ってね。ええと……二年生の増子先輩だね。ストレートは最高百二十キロ、変化球はスライダーとフォークが使えるみたいだね」
「キャッチャーは?」
「キャッチャーは三年の浦河先輩。増子先輩とのコンビは最近組んだばかりらしいね。正捕手をやってた事もあるらしいけど、怪我があって二軍落ちしたみたいだ。因みに、怪我はもう完治してるらしいよ」
なるほど、それならばまだ戦いようもあるか。
ノブコには出来るだけ少ないストライク数でヒットを打ってもらわなければ次がないが、アレだけ自信たっぷりならやってくれるだろう。
「おおおおぉりゃああああ!!」
と、その時、気合一閃、金属バットが思い切り振りぬかれ、カァンと乾いた音と共に投球が外野へと運ばれた。
「よっしゃあ! どうだ、見たかカツベぇ!!」
ノブコが吼えているので、とりあえず拍手を送っておいた。
カウントはワンストライクのみ。上出来だ。って言うか、どうなってるんだ。予想以上の成果だ。野球部、やっぱり手を抜いてるのか。
しかし真剣勝負に待ったはない。これで先輩が三振で討ち取られても、俺がストライクカウントを二つ以内に収めれば俺たちの勝ちである。……いや、その前にボールカウントを六つ以上にせねばならんのか……。
いや、こうなればノブコよりも良い成績でバッターボックスを出なければ恰好がつくまい! やるぞ! 俺はワンストライク以内にヒットを打ってみせる! そのための秘策もある! 俺が何のために特別ルールに『あの一文』をねじ込んだと思ってるんだ!
「いやー、ヒットを打つって気持ち良いねぇ!」
ノブコがヘルメットを先輩に渡しつつ、気持ちの良い笑顔を向けてきた。
「センパイさんも頑張ってくださいねぇ? 仮にも上級生であり部長なんだから、あたしたちの足引っ張っちゃダメですよ?」
「おいこら、ノブコ。先輩にプレッシャーかけるような事言ってるんじゃねぇ」
「大丈夫だよ、カツベくん。これぐらい緊張感があった方がやりやすいよ」
ヘルメットとバットを受け取った先輩は、今まで見た事のないような真剣な顔をしている。おぉ、凛々しい……けど、元が童顔だけに可愛げのが目立つ。
「まぁ、先輩の低身長はストライクゾーンの狭さに繋がりますから、きっと有利に立ち回れますよ」
「ムッ、私は結構、身長をコンプレックスに思ってるんだけど」
「こら、カツベぇ。センパイに失礼な事言ってるんじゃないよ」
あっれ、フォローしたはずなのに何で怒られてるの?
「にしても、意外なオーダーだったね」
バッターボックスへ向かう先輩を見送りながら、俺の横に座っていた喜野が呟く。
「定跡なら三振覚悟の菖蒲先輩を一番バッターに置いて、相手ピッチャーの傾向を見るものじゃない? でも、勝吾はそうしなかった」
「まぁ、これも策の内だな」
喜野の言う通り、最初は先輩を一番バッターにして相手の動向を窺うやり方を考えた。だが正攻法ではまず野球部に敵わない、となれば、定跡を排して奇策を取るのが賢いやり方だろう。つまり、俺は奇策を狙っている。
この奇策を成功させるには野球部のヒット数を二つ以下に抑え、かつノブコのヒットが絶対条件だったが、それもクリアされた。とすれば、俺の策はほぼ磐石と言って良いだろう。その点ではノブコに感謝せざるを得まい。
「勝吾の手の内、聞いてもいいかな?」
「まぁ見てりゃわかるよ。とにかく、野球部の連中には俺の番が回ってくる前に、一息ついてもらう時間がないと困るのさ」
「ふぅん……じゃあ、お手並み拝見と行こうか」
喜野が笑う視線の先で、先輩が豪快にストライクを取られていた。
「センパァイ! もっとボールを良く見てぇ!」
ノブコが声援を送っているが、野球のシロートならまぁ無理な相談だ。
ボールは少なくとも百キロ近くのスピードで目の前を通り過ぎるのだ。訓練をしてない人間ならば、ヒットを打つどころか、バットにボールを当てる事すら難しい。対戦相手が野球部なのだからなおの事、だ。
カウントは早くもノーボール、ツーストライク。出来ればボールカウントをもう少し稼いで欲しいものだが……。
そして野球部の第三投目。ストライクカウントが二つ溜まった時の定跡として、野球部は一球外す事を選んだのだろう。キャッチャーのミットがストライクゾーンからやや外れている。
そして、そこに目掛けて、ピッチャーが投げる。
……その時である。
「あっ!」
マウンドから悲鳴のような声が聞こえた。それはピッチャーの増子先輩の声だったのだろう。悲鳴が示す状況と言うのは『すっぽ抜け』である。
投げられたボールはキャッチャーの腕の届く範囲を大きく逸れ、バックフェンスにぶつかってガシャンと大きな音を立てた。
そのボールを見て呆然としているのは野球部だけではなく、先輩もだった。
「先輩、戻ってきていいですよ」
「え? これ、どうなるの?」
「今回のルール上、ヒット扱いです」
あれは暴投、ワイルドピッチと言うヤツだ。今回のルールではこちら側のヒットと数える。これは運が良かったと言うべきか。
そう言えば先輩はブラックジャックで二度も連続で二十一を引き当てるほどの強運。今回もそれが働いたのかもしれないな。
多少嬉しい誤算があったものの、これで準備は整った。
「さて、俺の出番だな!」
ヘルメットのつばを押さえて軽く会釈をしてからバッターボックスに入る。
今まで何人ものバッターが踏んできた四角形の中には、足を置くように浅い穴が開いている。俺もそこにしっかりと足を踏みしめ、バットの先でコツコツとホームベースを叩く。
ここに至るまでに二つのヒットを得た。俺がヒットを記録すれば、文句なしのショーブの勝利である。
バットを構えてピッチャーを見据える。
ピッチャーの顔には一分の隙もない。さっきの暴投は彼の心を泡立てるどころか、逆に冷静にさせたようだ。心の強いピッチャーだな。来年が楽しみだ。
しかし、ここは勝たせてもらう。
俺の予定では先輩が三振で討ち取られて、少し浮かれたところのバッテリーからきっちりヒットを奪うって感じだったが、あのピッチャーではそんな心の隙は突けなかったかも知れないな。ならば今のヒット二本という状況はかえって好ましい。
「プレイ!」
審判が手を掲げる。
俺は少し身をかがめ、腰を落として目に神経を集中させる。
ピッチャーの増子先輩はノブコと同じく、ワインドアップのポーズをとる。
そして、滑らかな動作の後、その手からボールが投げられる。
それは一陣の風の如く、俺の脇を通り過ぎ、バシンと音を立ててキャッチャーミットに吸い込まれる。
ストレートの外角低め、ギリギリストライクゾーンに入っている場所か。
「ットライ!!」
審判もそう告げる。まぁ、予想していた事だ。少し外れていたとしてもストライクにされていただろう。
恐るべきは増子先輩のコントロール。キャッチャーの構えたミットに寸分違わず飲み込まれていったボールは、芸術的だった。ストレートの球威としては恐れるに足らないのだろうが、野球と縁遠い俺からしてみれば、あのボールだって十分脅威だ。もし身体に当たったら相当痛いんだろうな。
ククッ、良いね、この緊張感。雰囲気のピリピリする感じ。バッテリーの負けまいとする気迫が俺にも伝わってくる。気圧されそうな圧力の中、俺は確かに楽しみを感じていた。
逆境萌えの真価が発揮されようとしているのだ。
いつもより良く『視える』気がする。
返球されたボールを増子先輩が受け取る姿がスローで見える。
座りなおす浦河先輩の動きが目を向けずとも感じられる。
五感が研ぎ澄まされ、世界が俺を除いて、全て遅くなったような感じすら覚える。
この時、この瞬間の万能感。これがたまらない。
今の俺なら何でも出来る気がする。宇宙を手中に収められる気がする。
野球部の二軍を叩き伏せるぐらい造作もない、と言う気になる。
さぁ、来い。
バットを構え、注意深く増子先輩を見る。
振り上げられた手、睨みつけるような瞳。
一挙手一投足に気合が感じられ、オーラのような物を幻視した。
来る。全身全霊を込めた一球が。
ボールが投げられる寸前、俺は極限まで目を凝らしてピッチャーの指を見る。
人差し指と中指の間にボールが挟まれ、出来るだけ回転をなくすような握り方。これはフォークボール!
情報を頭で整理する。狙いを下方向に修正し、ボールの通るラインを空中に描く。
「ここだッ!」
ピッチャーからリリースされた球が俺の描いたラインをなぞる様に飛んでくる。
誤差は想定の範囲内。これはいける!
意を決し、俺は最後のジョーカーを切る。
それにはバッテリーどころか、ギャラリーも驚いた事だろう。当然、ショーブのメンバーも目を瞠ったはずだ。
俺が取った行動は『バント』。バットを水平に寝かせてボールの通るラインに置く。これこそ俺の取れる最大の奇策である。
バントはミートの範囲が横一列に長時間広がるため、普通にバットを振るよりもミートしやすい。相手のボールの軌道が読めれば当てる事は可能だ。しかし、使いどころが難しく送りバントやセーフティバントの成功率が高い選手はしばしば仕事人の称号を与えられる事がある。
だが、俺にはそんな称号や、バントを試合中で使える程度に成功させる必要はない。
きっと喜野を見れば『なるほど』と呟いて笑っている事だろう。
投球は俺の構えたバットに当たり、コンっと音を立てて内野に転がる。
キャッチャーは驚いて立ち上がり、捕球に向かう。
「これでおしまいですよ、先輩」
しかし、俺はそれを制する。
「な、何を……」
戸惑う浦河先輩を前に、俺はしたり顔で口を開く。
「ルールを覚えてますか? ピッチャー返しでない内野ゴロはヒット扱いです」
それを聞いた浦河先輩の顔が青ざめるのがわかった。俺の言っている意味を理解したのだろう。
バントだって立派な内野ゴロ。ピッチャーがすぐに捕球出来ない内野ゴロは、今回のルールではヒット扱いなのだ。この点、俺はボールの勢いを殺すのに苦心した物だ。自慢の動体視力を最大限酷使し、ミートの瞬間にフッと腕を引く。これほどタイミングと技術を必要とするバントは、俺が思った以上に奇策として成り立っただろう。
このルールの盲点、最初に特殊ルールを説明した時に、野球部にも気付くチャンスはあったはずなのだ。質問を挟む隙だってあった。にも拘らず、彼らが攻撃の際にバントを行わなかったのはヒットと言う言葉に惑わされたのだろう。
走者がいない今回のルールで、バントを行うとなれば気持ち的にはセーフティバント。送りバントよりも技術を要するセーフティバントは野球部員にとっては考えにくい方法だったはずだ。
しかし、今回のルールでバントほど有利な方法はない。
ミートがしやすく、勢いを殺す事が出来ればピッチャーに捕球される事もない。高確率でヒットを奪える安全策なのだ。野球部もバントの練習ぐらいしている人間はいるだろう。そういう選手を出されればヒット三本出される危険もあったのだ。
それをされなかったのは単に運が良かった、と言う事だ。相手の気付きが遅かった。もしくはそこまで頭が回らず、俺はそれに気付いたと言う話だ。
因みにこれを他のショーブメンバーに教えなかったのは、バッターに抜擢された二人がバントが最良手である事を教えてもそれをやる事が出来ないだろう、と予想できた事が挙げられる。前の二人がバントに失敗してそれを警戒されれば、俺のヒットの確率がグッと下がる。少しでも警戒されたなら、俺の無様なバントなどピッチャーにすぐ捕球され、アウトを取られてしまって終了なのだ。
色々と好条件が揃い、俺は万全の状態でバントをする事が出来た。
「ゲームセット!」
審判の宣言もあり、この勝負は幕を閉じたのだった。
****
その後、ワンイニング勝負で負けた野球部は、心理的に気負ってしまったのか、シャトルランの勝負に置いてもノブコに負け、ショーブはストレートで二勝し、野球部との勝負は終わった。
「あー、くっそぅ!」
「チクショー! 悔しいっ!」
野球部員は口々に悔しさを述べていたが、その顔はどこか清々しげだった。
野球部にとってショーブは、割りと快い存在なのかもしれないな。先輩は『敵も多い』と言っていたが、俺は今のところ、敵対してるのは生徒会ぐらいしかしらない。
「いやぁ、良い勝負でした」
顧問の教師と先輩が握手をしていた。
「こちらこそありがとうございました。また機会がありましたらよろしくお願いします」
「その時は勝たせてもらうよ」
「私たちも全力で勝ちに行きます」
などと先輩が挨拶している間に、向こうでは
「ねぇねぇ、ノブコちゃんって言ったっけ? ウチ、今マネージャー募集してるんだけど、どうかな?」
「えぇ? あたしはマネージャーよりもプレイヤーだよ」
とか、
「増子先輩はストレートの球威と、決め球に磨きをかければ、もっとよくなると思います。それには浦河先輩の指導が不可欠だと思うんです。二年生は来年を背負う学年なので、蓬台高の未来を繋ぐ意味でも、頑張ってください」
「一年生にそこまで言われちゃ、頑張らないわけには行かないな」
とか、各々野球部との交友を深めているようだが……。
あっれ、俺の傍には誰もいないな?
「よぅ、カツベって言ったか?」
と、その時、後ろから声をかけられ、ちょっとドキドキしながら振り返ると、そこには増子先輩がいた。
「ああ、そうです。俺がカツベです」
「負けたよ。まさかバントなんて使ってくるとはね」
握手を求められたので、俺も手を差し出し握り返す。
ああ、素晴らしきかなスポーツマンシップ。試合が終わればノーサイドの清々しさは心地いいな。
「確か、キャッチャーもお前だったよな? ショーブの参謀役って所か?」
「まぁ、小ズルい手にはちょっと一家言ありますよ」
「ははっ、ズルい事は別に悪くないさ。それを隠そうとするのがいかんのだよな。その点、お前は気持ちが良い。嫌いじゃないぜ」
「そりゃどうも」
菖蒲先輩もそうだったが、この学校はズルい事に関して寛容な先輩が多いな。ショーブなんて不思議な部活がまかり通ってるんだから、そういう見解が広まるのもおかしくはないのだろうか。
「しかし、お前が参謀ならやはり生徒会には気をつけろよ」
「生徒会……ショーブと対立してる事は、他の部活の人も知ってるんですね」
「当然だ。生徒会とショーブの勝負は結構大々的に行われることもあるからな。二年生より上のやつらはもちろん、一年生でも知ってるやつは多いだろうよ」
そんなに広まってるとは思わなかった。認識を改めよう。
「で、俺は具体的に、どう気をつければいいんですかね?」
「今の生徒会長は絵に描いた様な天才だからな。あの人に敵うような人間は、ちょっと想像できない」
喜野の情報でも非の打ち所のない完璧超人だと聞いた。とすれば、そんなヤツに敵うのは同じような完璧超人ぐらいか。
しかし、それを聞いても俺は不適に笑ってやる。
「でもそれは正々堂々戦ってって話でしょう?」
「はは、そりゃ確かに。ズルい手を使えば、誰でも勝てるかもな。……相手もズルい手を使わなければ、な」
それは確かに危惧すべき案件だ。生徒会と言う学校を代表する組織ゆえに、おいそれと卑怯な手を使っては来ないだろうが、バレなければどうと言う事はない。頭の切れる完璧超人様ならそれぐらいの手段は持っていそうな物だ。
「その辺は先輩から助言を賜りたい物ですね。何か良い方法はありませんか?」
「うーん、そう言われてもなぁ。去年までは生徒会の顧問がある程度抑えてたからあんまりはっちゃけてもいなかったけど、今年からはなぁ……」
「顧問が変わったんですか?」
「去年の顧問が産休プラス育児休暇で長い休みを取ってね。このまま退職するんじゃないかって話まで出てる。今年は臨時顧問として他の先生がついてるから、どうにも生徒会長を御しきれてないきらいがある。生徒会連中も『今年以降はショーブなんて作らせない』なんて息巻いてるよ」
……これは興味深い話を聞いた。
「先輩、貴重な情報、ありがとうございます。いつかまた、勝負しましょう」
「ああ、今度は負けないからな」
もう一度握手をし、俺は増子先輩と別れた。
臨時顧問と生徒会長、ね。




