第一話 【覚醒】 6
自宅へ向かう帰路はここからだと二方向へと別れる。学校のほうへと戻り、ふたたび自宅へと進路をとるルートが一つ。そして自宅とゲームショップを突っ切るように繁華街を通り抜けていくルートが一つ。
公式なルートは一度、学校のほうへと戻って進路を変えるほうである。けれど時間も労力も無駄でしかないルート選ぶような生徒はいない。ほとんど皆無と言ってもいいくらいだ。繁華街を通り抜けてトモミを連れてきた橋とは別の橋から自宅へと戻るのが最適ルートとなるわけだが……当然危険もある。
繁華街は大人の社交場という性質上、“トラブルが多い”のだ。その点があって学校側は生徒の立ち入りを禁止しているわけだが、それもあって無いよう校則に成り下がっている。毎年、生徒の事故やトラブルなどが起こっていても学校側が対処出来ない理由は深い部分にあるのだろう。
空汰も当然のことながら、類に漏れない一般生徒だ。わざわざ迂回路を通って時間と労力を浪費したくないと考えるごく普通の男子生徒だったりする。夕刻をやや下がり始めた時間は比較的に安全な空気がある。まだこの場の本当の顔を見せていない時間だからだろう。
行き交うサラリーマン達や艶かしい姿をした女性を横目に自転車を滑らせて帰宅の道を往く。今はまだぬるま湯のような空気だけだが、しばらくすれば街を飲み込むほどの熱気で蒸せ返すだろう。夜の街とはそういうものだ。
「ん?」
空汰が自転車を止めて立ち止まった。いつもなら目に留まることもない看板。普段なら通過してるだけの背景でしかない景観。それはそこにあった。
「アポカリプス(黙示録)……」
そこはアミューズメント施設。繁華街の中でも一際異彩を放つ建物だった。
名前は『アポカリプス』。黙示録という名前を冠したとんでもない施設である。
ただこの場所“アポカリプス”は繁華街にいくらか点在しているアミューズメント施設とは一線を逸している。その理由の一つが……。
自転車を止めて入り口を通り抜けた。小物を取るプライズやUFOキャッチャーなどの置き場を通って奥の部屋へ。
そして、足を踏み入れた。
耳をつんざくような大音響。思わず顔をしかめてしまう。室内はクーラーを入れているというのにそれを遥かに凌駕する熱量があった。炎天下を思わせる灼熱は自然よりもたらされたものではないことに気付く。
多くの人間がそこにいた。室内を埋め尽くさんばかりの人溜まり。その誰もが四角い画面に集中し己の存亡を費やしている。
そう、理由の一つというのは“ここが対戦型ゲームの聖地”だということ。ここアポカリプスには数々の対戦型ゲームが導入されていて数多くの猛者たちが集結する。
己が存在を示すため。己の存亡を試すため。
あまりに苛烈な熱気に中てられかける。ここにいると人の闘争本能を呼び起こしてしまう空気があった。戦って、戦い抜いて、自分の密度を示せという声が響くような気がした。
空汰は“熱気”に中てられないように遠巻きへと離れる。そしてポケットの中にある“デッキ”を取り出した。精巧な造りをしたデッキホルダーは持ち主を喪ってどこか耀きを鈍らせている気がする。
「どうやら、ここにはないか」
少女に逢えるんじゃないか、なんて淡い期待を見事に打ち砕かれて空汰は一つ息を漏らした。安堵したような、それでいて残念そうな不可解な心持ちに空汰自身が戸惑いを覚えるが、それが何なのかを自分自身に問いかけても返る答えはない。
「なにやってんだろ。俺」
まるで恋をしてるみたいだ。いや、そんな殊勝な感覚ではないことは自分でも理解している。それがなんなのかを知るために空汰は少女を探していた。
「さて、帰るか」
分かったことは一つ。ここには少女はいないという事実。そしてLOM自体がここには置いていないという事実。その二点だけで十分だろう。空汰は踵を返すと出口への道を往く。
「キミ」
UFOキャッチャー地帯を通り抜けている途中、声をかける人物が現れた。空汰が声に振り返るとそこには青年が立っていた。やや茶色がかった黒髪の
青年は空汰を見たまま薄っすらと笑みを浮かべていた。
歳は25、6と言ったところだろうか。見た目が若く見えるだけでもしかすればもっと上なのかもしれない。背丈は一般男子よりやや高いくらい、空汰の立ち位置からはやや上を見上げるような姿勢になるだろう。ただ異質なことに男はサングラスをしている。UFOキャッチャーの中身の整理をしていたところを見れば仕事中だということ伺えた。
だというのに仕事中にサングラス? 湧き上がる違和感を押し殺して空汰は男を見つめた。
「俺のこと、呼びましたか?」
「ああ、キミのことを呼んだ。そのまま帰ろうとしていたからね、見たところ――」
サングラスのせいで男の目元を追いにくい。辛うじて首を下に向けたので空汰の手元を見たのまでは確認できた。
「――魔術師だろう?」
「ああ、これは」
空汰の手の中に収まったデッキホルダーを見て男はそう判断した。空汰は自分の腕を持ち上げてデッキホルダーを見る。神薙の……と言いかけたが説明出来ない。神薙と空汰は友人ではなければ知りあってもいない微妙な間柄だ。そんな人間のデッキを持っているなんてことを説明するには困難を極めるだろう。
「なにを遠慮しているんだい。魔術師ならば殺り合いに来たんだろう。それを門前で背を向けるなんて魔術師の恥晒しも同然だ」
UFOキャッチャーのガラス戸を閉じて鍵をかける。男は空汰に近づいて挑発的に言った。
「やりに来たんだろ“LOM”を」
空汰は驚いて男を見上げた。無いと思われていたモノがここにあるという。
「!? ……あるのか、“LOM”」
「勿論。魔術師達の楽園。魔術師達の天国。理想郷という名の戦場。キミもそれを求めてここにやってきたのだろう」
両手を広げて高らかに男は謳う。まるで大袈裟な芝居でも見せられているようで空汰は不快感を顔に滲ませながら男を見ている。
男のサングラスがUFOキャッチャーの照明によってキラリと輝いた。
「魔術師として戦うことがキミたちの生きる意味のはずだ。だからこの空気を、獰猛な香りに引かれてここに来たんだろう」
男の声が脳髄に響く。答えるべき言葉すらも浮かび上がらす空汰はその場に立ち尽くしてしまった。
「さあ、少年。魔術師になろう。魔術の粋を極めよう。それがキミのさだめだ」