第一話 【覚醒】 5
トモミが入ってくると小学生らしき子供たちが「トモトモだー」「トモー」「トモお姉ちゃーん」など声をかけてきて一人ひとり丁寧に挨拶をしていく。挨拶を終えると奥のバックヤードに入っていき、ちょっとした時間で戻ってきた。それもそのはずエプロンを付けて、髪を後ろで纏めただけだから速いわけも理解できる。
空汰はトモミに「待ってて」と言われていたので仕方がなく店内に置いてある椅子に腰掛けて待っている。その間「お前トモのなんだよ、恋人?」とか子供たちの質問攻めがあったのは秘密にしておく。なんていうか子供たちのアイドルみたいな存在なのだろう、悪ガキっぽいヤツに「トモは俺の嫁だから手ぇ出すなよ」とか釘を刺されて苦笑を漏らしてしまう場面があった。
そんなことをしている内に、トモミが屈強な店員(かなり筋肉質な男性)となにか話を済ませると、カウンターにやってきてちょいちょいと手招きをした。
「おまたせ」
「んー。別に待つってほどじゃなかったからイイけど。で、なんだよ。改まって待たせるとか」
ガラスのショーケースらしきものをテーブル替わりにしており、肘をついてニッコリと笑いかけてきた。トモミに答えながらショーケースの中を見ると様々なカード類が並んでいる。どちらかというとゲーム類の置き場のほうが縮小して隅に追いやられてる感じだ。
「ゲーム。あれだけか?」
「アハハ……最近じゃめっきりだもん。なにより利益が小さいから儲けが無いようなもんらしいし」
僅かな数だけを残して隅にゲームが追いやられているのを見るとなぜか切ない気分になった。トモミのほうも同様らしく困り顔でヘラっと笑った。空汰はケースや壁に書けられたカードを連々と見つめる。
「それが“遊具王”で、それが“Magic of Dragon”。でそれが“アバンギャルド”で、それが“ボクモン”カードときて“サジタリウスチルドレン”があれ」
「まてまてまて、説明されてもなにがなんだかわからん」
「…………はぁ?」
明らかにおかしいものを見つけたように空汰を見ると溜息を漏らす。
「絵とかである程度わかるでしょ」
「絵はわかるけどドレがドレとかまでわかるわけないだろ」
「遊具王くらいは有名すぎるくらい有名なんだから知ってると思ったんだけどなぁ」
「知っててもやってなきゃどれがどれだかなんてわからんって」
「そっかー」
「それで俺を待たせた理由ってなんだよ」
「えーっとね。ちょい待つ」
後ろを向いたトモミは背後に置いてある棚をゴソゴソとしだす。後ろに纏めた髪、ポニーテールが動作に応じてフリフリと揺れていた。「あれ、ここ。ここじゃないっけか」とか独り言を呟く背中を空汰は眺めながら“用事”とやらが終わるのを待っていた。
「あったあった。おまたせー」
「なんだよ」
そういってガラスケースの上に差し出されたのは長方形の箱。タバコの箱と同じくらいの大きさは先程見たものと同じサイズだろう。ただ先程のデッキホルダーのように豪奢ではなく紙箱で作られたような粗末なものだ。
「なんだこれ」
「“スターターパック”よ」
「スターター……?」
「名前でなんとなくわかるでしょ。LOMを“始める”ためのカードデッキ郡よ。ブースターばっか買ってたらバランスが悪くなるでしょ。だからまずスターターっていうゲームを始めるための基本セットが用意されてるわけ」
ツルツルとしたガラスケースに肘を置いて教えてくれる。けれど空汰にとってみれば、なんでそんなことを教えてくれるのかが不明だ。空汰が顔をあげてトモミを見るとその疑問を投げかけてみた。
「なんでそのスターターを俺に見せるんだ?」
「ん? なんでってこれをあんたにあげるって言ってんの」
「え? なんでまた」
「なんでって。珍しかったからさ」
「?」
「あんたがこうやって興味を示したの」
トモミがガラスケースに置いているスターターを指でなぞった。
「だってあんたってさ。あの事件以来、なにも興味がないって感じだったじゃない。何するにしてもうわの空だし。まるで仙人みたいだった」
「……人を変人扱いするなよな」
少しだけ語気が荒くなってしまったと空汰は後悔する。トモミが自分の在り方を明け透けにしたのが少しだけ気に入らなかったのだ。けれど発した言葉など取り返せるものではなく悔やんだところでどうしようもない。ふとトモミの顔を見つめると困ったような、それでいて泣きそうな顔で見つめているのに気が付いた。
「ゴメンゴメン。あくまで主観の話ね」
視線に気が付いたのかすぐに持ち前の明るさを持ち出すと空汰に心配をかけないよう謝った。
「どういう経緯だって空汰が興味の矛先を向けたのがあたしは嬉しいなって思ったワケ。それが“LOM”なら尚更」
「ん? なんで“尚更”なんだ?」
「だって“LOM”ならあたしが助言も出来るし」
自分の喉元を指さして自慢げにウインクをした。
空汰がゲームショップに送り迎えしてる時、小学生や中学生から助言を求められてた場面があったのを思い出した。その時、カードの束らしきものを手に持ってた。つまりそういうことなのだろう。
「“メイジ”としての才能はないけどトレーナーとして一流だって自負があるわ」
メイジという単語がよくわからなかったが、それ以上を掘り下げると話が長くなりそうなので空汰は黙って頷いてみせる。そして目の前に差し出されたスターターを手にとってみた。
「LOMねえ」
「公式プロとかいるし大人とかも普通にやってるわ。すぐ飽きてもいいから一度やってみなさいよ」
「ふむう」
珍しいことにトモミがグイグイ押してくる。別に断る理由もなかったこともあり手の中のカードデッキを指先で包み込むように握りこむとトモミを見た。
「そうだな。ちょっと試しにやってみる。お前みたいに忙しい身分ってわけでもないしやってみてもいいかなって思うし」
それだけ言ってカードデッキをポケットにしまうと陽気に微笑んだ。脳裏に浮かび上がる造形は“あの少女”の後ろ姿。もしかしたら、このカードを理由にもう一度逢えるかもしれないという淡い期待が胸に膨らんでいた。
彼女に出逢ったのは時間にすればわずか数分にも満たないというのに、その印象だけが空汰の胸中に棘のように残り続けている。さっき逢っただけ。通り過ぎるだけの関係でしかないというのに、どこまで少女の面影に魅入られているのか。
まるでストーカーの心境を知った気分だ。
そんな感情の発露がなにを意味するのか自身にもわからない。だがその感触をもう一度味わえるのであれば、このカードゲームとやらに触れてみてもいいという気にすらなっている。
トモミはそんな空汰を見つめてまた困ったような顔になっていた。
「ね~。トモお姉ちゃあん。ミノルのデッキにまるで勝てないの~」
「あ、はいはい。どれどれお姉ちゃんに見せてみなさぁい」
ガラスケース越しからまだ小学生に上がりたてくらいの少女がトモミに話しかける。トモミも気を取り直して差し出されたカードを真剣なまなざしで見定めはじめた。
「あー。確かミノルのは火力デッキだったわよね。帝国デッキだと相性が悪いわよ。だからね―――」
わからない単語が飛び交い始めてようやく自分がとても場違いな場所に来てしまったことに気付く。さっきまでの熱が引き、世界が急速に冷えていく。ふと添えつけの時計を見れば結構な時間が経っていた。
トモミの用事とやらも終わった。これ以上、ココにいる理由もない。
トモミの仕事のジャマにならないように踵を返すとゆっくりと店の外へと向かう。店の扉を通る前に一度、トモミの方へと振り返るとこちらの視線に気が付いたのか小さく手を振ってくれた。空汰もそれにならって手をヒラリと上げて挨拶を返す。ただそれだけ――。
トモミはすぐにこどもたちに絡まれると満面の笑顔で対応しはじめた。それがとても眩しいなんて思ったりもしつつ、そのまま背中を向けると店を後にした。
押し扉がゆっくりと閉まるとチリンチリンと鈴の音を奏でる。甲高い音に溜息は掻き消された。
「少しだけあいつ」
とだけ漏らす。こどもたちと戯れている姿をみて不覚にも「かわいいかもしれない」なんて心境を持ったことを自己嫌悪する。吐き出しそうな嗚咽を呑み込んでマフラーを深く羽織った。その足で自転車に乗ると自宅への帰路を行くのだった。