第一話 【覚醒】 15
大型のディスプレイをふたりの男が見上げている。
暗黒の中に灯るのは画面の光のみ。室内になにが配置されているのか、またそこがどこなのかを窺い知ることはできない。この暗闇には光こそが寄辺となる。ゆえに両者が仰ぎ見つめるは少年が引き当てた烈火のカード。舞台をも焼き焦がす劫火を見てひとりの男が法悦の吐息を漏らした。
「ついに“聖王器の槍”を引き当てる奴が出てきたかい。こりゃ腕がなるな」
拳を自らの手のひらにぶつけて満足気に呟いた。
屈強な男だ。腕が丸太の如く膨れ上がり、鎧でも着込んでいるかのようにその身体も鍛え上げられている。全身が筋肉の塊のようだ、まるで鍛えていないところが無いと思えるほど男の肉体は完成を帯びていた。
男は腕組みをして空汰の戦い振りを見上げたまま、もう一人の男に尋ねる。
「巴城財閥に動きはないンかい」
「ふ、情報は流れてるかもしれないけれどおそらく静観の姿勢を取るだろうね。キミの好きにすればいい」
闇に溶けるようなもう一人はファントムだ。サングラスに赤光を反射させなが質問に答える。ファントムがここにいるのには理由がある。それは試合の記録、今日の試合を観戦しログを取っていたのだ。
「てえことはやりあってもいいっチューこっちゃな。うぉっしゃー! 久々に腕がなるわい」
「とはいえ彼も新人だ。お手柔らかにしてもらいたいもんだね。折角の王座の資格者を喪うことになりかねん」
ガハハッと豪快に笑う男にファントムが釘指すように言った。
「ニイちゃん。その男の子連れてくる役目、わたしが貰ってもいい?」
遠くから声が響く。気付けば入り口らしきドアが開かれており、差しこむ光に華奢なシルエットが映し出されていた。しなやかな身体のライン、流線美と呼ぶに相応しい輪郭が光によって切り取られている。華奢な身体をドアに預けるようにするとシルエットのミニスカートも跳ねるようにうごめいた。
「綾姫かい。いままでドコほっつき歩いてンだ。心配してたんだぞ」
綾姫と呼ばれたシルエットが小刻みに揺れる。おそらく含み笑いなどを浮かべているのだろう。一頻りに笑うと満足したのか答えを返す。
「ゴメン、ゴメン。最近コレ使いすぎちゃってるから“コイツ”を貰ってきたってとこ」
手に見える影はお札が数枚ほど握られている。
「また“愛され系”かい。そんなことばっかしてぇといつか痛ぇ目みンぜ」
「あーはいはい。ニイちゃんみたいに筋肉ムキムキ、パワー最強ってぇのはもう流行んないっつーの。わたしは細イケメンのほうがいいもん」
「ケッ、もやしなんぞ殴ったら吹き飛ぶゴミみてえなもンだろうが」
毎度お馴染みの口論なのか綾姫と言われた少女は聞き流すように答えて話を遮った。屈強な男はその態度に言葉を返すと腕組みをして「ったく」とぼやく。
「で? その子が“聖王の神器”を手にした男の子?」
「おうよ、コイツも筋肉がついてねえ。肉を食ってねえからだな」
「はぁ? 関係無いっつーの。ニイちゃんの話はどうでもいいとして、確かこの戦いが初陣だったんでしょ、そりゃすごいよね」
「ああ、私のデータが正しければ彼はLOMにログインするのも初だろう。調べたところ複アカを持っているような感じでもない。だから十中八九は当たっていると思うよ」
ファントムがサングラスを持ち上げながらふたりの口論に割り込んだ。カチャリとサングラスが無機質な音を立てる。
「初陣で王器を引当てるってすごいし。どんな子なのかちょい知りたいのよ。だからニイちゃんいいでしょー」
「おうおう、別にかまわん。好きにしやがれ、ただ不純異性交友だけは赦さねえからな!」
「するわけねーじゃん? タイプじゃないし。でも――」
モニターを見上げてニヤリと笑みを浮かべる。空汰が槍を振りかざす姿が映されていた。
「この子に興味湧いちゃった。早く逢いたいなっ」
少女が愛しい人間に出逢った時のような夢見心地の声色を漏らした。
ふたりの様子を盗み見る様にしながらファントムは踵を返す。ふたりから背を向けてなにかに祈るように暗闇の虚空を見上げた。
「さあ、始まる。もうすぐだ。世界をかけた統合戦争の鐘がなる。私の望む理想郷」
押し殺すような声音で歪んだ笑みを浮かべると画面の空汰を。いや、その手の槍に陶酔した視線を向けた。
「剣を手に。剣を振り、己を鍛えるがいい魔術師たちよ。統一の時は間近だ」
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薄闇の中、目をゆっくりと開けた。
目を覚ますと知らない四角の中にいる。突っ伏していたテーブルを見やるとカードが散らばっていた。目の前にあるディスプレイを見て、ようやく自分がここにいたのかを正確に把握した。
「そうだ、俺は黙示録で“LOM”を」
寝癖のように跳ねた髪を整えるように指先で撫で付けながら周囲を見回した。室内は来た時のまま、至る所にポスターなどが貼りつけてあって何一つとして変化などない。もう一度ディスプレイを見やると、「YOU WIN」と表示されているのに気が付いた。
「勝った、のか……」
正直、実感がないというのが本音のところだ。カードバトルとしての実力は相手のほうが上だった。勝てる見込みなんて無かったところをいい勝負まで持っていけたのは神薙の力に寄るところが大きい。
「そうだ……神薙」
神薙だ。あの戦場で神薙に再会した。真っ白な空間に落ちた一点の黒。黒絹のような長い髪、つり上がった蠱惑の瞳。あれだけ激しい戦いをくぐり抜けたっていうのに、思い出される感触は彼女のことばかり。
逢ってから半日も経っていないというのに、どれだけ彼女は俺の心に食い込んだのだろう。
そしてそんな心持ちになっていることを空汰自身が一番、驚いているのだ。ただ今はあの少女に逢いたい。戦いに勝ったことよりなにより空汰自身の胸に焼き付いた少女に再会したかった。
なにかに導かれるようにカードを手っ取り早くかき集めると、カバンを手にして部屋を後にする。
ドアを開けて外に出て驚いた。
「…………。」
空汰の出てきた扉の反対側に位置する壁に背中を預けたままじぃっと誰かを待っているようだった。別れは時間にしてほんの数時間前のこと。ただ空汰にしてみれば恐ろしく長い年月だったと感じていた。それほど少女の姿が目に焼き付いて離れなかったのだ。
壁に背中を預けて、身動きもせず誰かを待つ姿は、やはり観葉植物か人形を思わせる。緩やかに上下する胸元だけが彼女の生命力を示す印だった。
少女が壁から離れると腰まで伸びた長い髪を流れるように尾を引いた。
「神薙……」
空汰の前までやってくると立ち止まって黒星のような瞳で見上げた。
「ごきげんよう、空汰くん。よく頑張ったわね」
ねぎらいの言葉をくれる、どことなく硬質的な雰囲気に柔らかい響きが混じり込んでいた。
「いや……アレは俺の負けだった。たまたま変なカードを引っ張ってこれたってだけで。本当なら、あのヴェクターって奴の勝ちだったと思う」
「運も実力よ。まぐれでも奇跡でも。その瞬間、その状況では“あなたのほうが強かった”。それがすべてだもの」
黒色の瞳が空汰を捉えている。それがなにより空汰にとって嬉しく思えた。
「そうかな。そんなもんか」
「ええ、勝ちは勝ち。もぎ取った勝利を否定するのは愚者の行いよ」
そこまで言うとお互いが黙りこむ。時間も時間だ、本当なら学生は帰らないといけない時間なのに踏み出すだけの理由を作れない。もう少しだけ、わずかな時間だけでも少女の姿を見つめていたかった。
「――強く、なった?」
「…………ん?」
少しだけ情感の籠った声音。僅かに震えを帯びた愛おしい声に動悸が跳ねた。可能な限り怪しい挙動を見せないようにひとつ返事で神薙に答えた。
「あの頃より、強くなったでしょう」
「ああ、すごく強くなった」
思い出した。いや、思い出していた。けれどそれを口に出すのは憚られる、それは神薙にとって毒のようなの事実で、空汰にとって暗闇のような結末である。だからお互い交わす言葉は曖昧に。ただ募る想いだけが舌に乗る。
「あれから私は誰よりも強くなろうとした。女であるという言い訳を捨てて誰よりも強くあろうとした」
泣いていた少女。耳に残る残響はかつてのものだ。今の少女からはその姿は欠片ほどもない。
「わかってる。神薙は強くなったよ」
それは事実だ。彼女は恐ろしいほどに強くなった。悲しいくらい、自己をなげうって研鑽を重ねたのだろう。
「ええ、全部……この日がくるのを待ってた。……空汰くん」
「…………え?」
気がつけば彼女の顔が目の前に来ていた。白い肌に似つかわしくないほど潤いを帯びた唇が重なる。目を見開いて驚いたが少女の唇の柔らかさ、むせ返るような少女の淡い匂いに骨髄がぐずぐずに溶けて判断を放棄する。どこまでもとろけそうな唇はしっかりと結ばれ空汰の脳幹に衝撃として刻みつけられた。
やわらかくて、あまい味がした。
「…………ん」
押し付けられた果実がふる、と震えながら離れると神薙の瞳もゆたりと開かれた。その表情はどこか艶かしくて魅入られてしまう。白い頬がほんのりと桜色に上気して、眉目がやや下がっている。黒点のようだと形容した瞳は潤いを帯びて漆黒の泉を思わせた。
「か、みなぎ………これはどういう……」
「聞かないで」
空汰の動揺を理解しながらも言葉を遮る。年頃の乙女がこんな行為に及んで恥ずかしくないわけがない。表情を変えずともどこか艷めいた美貌は羞じらいの色を含んでいた。
「それを答えるには、空汰くんに一つお願いをしなければいけないの」
「お願い……?」
「そうよ、ナイショのお願い」
身体が預けられると背中は壁に当たる。壁と神薙に挟まれた空汰には拒否権は初めから存在しない。押し付けられた身体は驚くほどにやわらかく、そしていい匂いがした。
得も知れぬ柔らかさが胸元あたりに感じられてもうどうしようもなくなってしまいそうになる。
少女の両腕が首に回されて、ゆっくりとつま先が伸びた。少女の顔が再び近づいてくると心臓が破裂しそうなほど胸腔を叩いてくる。正体不明の感情の波に翻弄されたまま神薙が求めるように唇をキュッ、と結ぶ。
「空汰くん……」
「あ、ああ……」
ふたたび、空汰と祇薙の伸びた影が重なりあった。
[第一話 完]
穏やかな日常が戻ってくる。代わり映えのしない毎日だったはずの日常に波乱が舞い込む。
謎の転校生美少女『和白 綾姫』。なぜか俺に好意を抱いていると言って付きまとってくる。神薙の刺す、というより貫く視線に晒されながら俺はLOMの魔物“ナインテイル”と対峙するのだった。俺の日常はなんなんだ?
第二話「妖狐」