第一話 【覚醒】 11
“LOM”――このゲームは実に非情である。
上級者と初級者の実力差が如実に現れてしまうのだ。それはデッキ構築から試合運びに渡り、一つ一つの魔術師的挙動にも現れる。得に“one-to-one”マッチでは二つの立ち位置は悲惨な状況を作り出してしまうのだ。
ヴェクターこと「嶋 明彦」は先日カードランク“B”に昇級したばかりだ。正直“C”に居た頃は敵なしと言っても過言ではなかった。嶋自身も「自分には才能がある」と思い込んでしまうくらい“C”ランクの壁は薄く脆かった。
だがB級へと昇級してからというもの、どうだ。Cランクのころには考えられない戦略、試合運び、デッキ構成の数々。一週間程、Bランクの群れの中で戦ってみたことで気が付いたことは「自分には才能がない」という無惨な事実だった。Cランクで戦えていた戦略が何一つとして通用しない。絶大の信頼をおいていた嶋のカード達はBランクの中では塵にも等しい価値にでしかない。
負けが込み追いつめられたが思いついた戦略とは下のランクを狩り続けること。
Cランク相手なら勝てていたのだ。そう、Cランクの中であれば自分は強者であるという痩せた思考に堕ちていくことなる。
その結果が今日の初心者狩りだ。初心者のうちに潰しておけば二度とLOMに寄り付くことはないだろう、と。そう考えた嶋は初心者を狩ることのみに注力し続けた。
だが今回は運がいい。
「ククク」
嶋はあまりに愉快で含み笑いが漏れた。それもそのはず、何故なら今日の狩り場に極上の獲物が舞い込んだからだ。
「まさか竜姫“アナンタ”が乱入してくるとはねぇ」
棚ボタとはこのことだろう。竜姫と言えば全国ランキングでも常に上位に位置するほどのAAランカーだ。それを倒せるチャンスがあるということを思えば嬉しくもなるだろう。
「よぅ、ヴェクター。竜姫が現れたって話だが……本当に勝てるのか?」
ログインしてきた他の魔術師が嶋に問いかけた。
「当然だろぉ。いいか、今の竜姫は“プライマリデッキ”を喪っているらしい、その時点でいつもの半分の実力もないだろう」
デッキとは己の智慧の結晶である。己の魂を切り刻むほどカードの構成を考え、そして組み合わせからコンボまでを構築していく。その魂の粋とも言うべき魔術師の秘奥を喪ってしまっているという。とうぜん一流の魔術師を自負するのならばセカンダリデッキを用意しておくのは至極当たり前のこと。だがセカンダリデッキはあくまで緊急のものである。練度で言えばプライマリデッキに及ぶところではない。
「へぇぇ、じゃあセカンドかよ。そりゃチャンスだな。おまけに三対一の状態とはね、こりゃ貰ったな」
もう一人が嶋の呼びかけにログインする。彼らは嶋と思いを共にする同志たちである。つまり初心者狩りを行う中級者。LOM界隈では彼らのことを“屍食鬼”と蔑みを込めて呼んでいた。
「ああ。やってやろうぜ。アイツをやっちまえば大量のpが頂けるだろ。そうすりゃAだって夢じゃねえぜ」
「オホッ、そりゃ最高だな。竜姫も格下相手によくこんなバトルを挑んでくれたもんだぜ」
「まったくまったく。じゃあ気合入れていっちょ行きますか」
「ああ――竜退治と行こうぜ、オタク達」
空汰は一つ、呼吸を整えた。
森の中に潜伏したまま、息を殺して訪れるであろう敵の影を待ち続ける。吐き出す息が熱い。生きていてこれほどヒリヒリとした空気を感じたことがあっただろうか。惰性のように生きてきて、おそらく惰性のように命を終えるであろう空汰には縁がなかったであろう感覚かもしれない。
いや――かつては、そんな感触を味わっていた気もした。もう遙か昔のことのように感じられる。カタカタと震える歯の根を噛み合わせると、遠く陽炎のように揺れる神薙の姿を捉える。
そして脳内にて先ほどの作戦を反芻してみた。祇薙の立てた作戦はこういう。
「いい、風原くん。私が三人と戦って注意を集めるわ。あなたは森に潜伏したまま機会を窺っていてほしいの」
「機会ってなんだ?」
「彼らを一網打尽する手立て」
表情に動きはないはずなのに少しだけ得意げな語気を感じたのは気のせいか。いや、元々感情表現の苦手な少女なのかもしれないから本当は笑っているのかもしれない。
木陰に隠れたまま空汰は自分の手札を見据える。彼女が選んだそのカード。
「英雄“オルレオンの少女騎士”。おそらくスターターデッキじゃ最強のカードね。そしてこれは他の場面でも使えるからこれ目的でスターターを買い漁る人がいるくらいだし」
「英雄オルレオン。けど攻撃力も防御力も少ないぜ。これならお前みたいな魔獣を召喚して殴ったほうが強力なんじゃ……」
「そうね、見た目の数値は正直、塵に等しいと思う。けれどこの状況だからこそ切れるカードというのは貴重なのよ」
「この状況だからこそ……?」
空汰は不思議そうにカードを見た。白銀鎧を纏う短髪の少女が旗を掲げている。凛とした姿は神薙に重なるところがあった。
「このゲームは大きく状況を切り取ると前半と中盤、後半に別れるの。後半戦、さらに終盤における手札に出来るのがこのカード」
「このカードが勝敗を別つ……」
「そう。風原くん、私を信じて」
眼前に顔を寄せて空汰に縋るようにお願いをしたのだ。それは空汰を初心者とバカにした行為ではない、共に戦う仲間として信頼を寄せているということ。
そこまで言われて拒否する男はいないだろう、空汰は大きく頷いて神薙の作戦に乗ったのだった。
「私が彼ら三人と戦うわ。その間、なにがあってもけして出てきては駄目。たとえ私が彼らに敗北しそうだとしても手出しは無用よ」
その鋭利さを残したまま、言い聞かせるように空汰に言ったのだ。
「そうは言うけどな。そんな状況に置かれたら飛び出さずにはいられない気がする」
ジリ、と額に汗が浮かぶ。果たして見過ごせるだろうか。神薙がやられている状況で耐え忍ぶってことが。目の前に広がる砂漠の熱が肌を焼く。暑苦しいという感覚だけが脳髄に送り込まれているのだろう。砂漠の中心に佇む神薙もおそらくは同じ感覚なのだろう。焼き尽くすような陽射しの下で彼女は奴らが来るのを待っていた。
「きた!」
地平から三人の影が見える。揺らめく蜃気楼を突き抜けるように走ってくると神薙の前で立ち止まった。神薙が相手に気付かれる前に空汰のほうを盗み見た。準備をしろというアイコンタクトだ。
「臨戦態勢」
空汰は小さな声でブックを喚び出すと手元のカードを確認する。
手元にはオルレオンと間に合わせの防護、そして迫る速攻と――。
「あれ?」
四枚目のカードがくすんでいた。
「テクスチャのバグか?」
何度か払うようにしてみても、取れる気配はない。この土壇場でバグなんて、と焦りもしたがよくよく考えれば今回使うのはこの三枚だけだ。如何に素早く切るかに勝敗が委ねられるのに些細なことに気を取られていても仕方が無い。空汰は頭を切り替えると三枚を右手元に再配置した。
「いつでもこい。ゼッタイに負けないからな!」
集まった四人の姿を見つめた。それだけじゃない、可能な限りあの四者の魔術師から戦い方を学びとる。実践を間近で眺めることほど上達することはない、今までにないくらい前向きな心持ちで空汰は彼らの姿をまばたきもせずに凝視した。
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「あれぇ? オタクだけ? あとひとりはどーしたんだ」
「さあ。怖くなって逃げ帰ったんじゃない」
「あっそぉ。じゃあ二度とLOMしないかもな、ギャハハハっ」
「どうかしらね。見た感じそんな顔でもなかったわよ」
「どっちにせよ、オタク一人ってことだよなあ」
蛇が獲物を捉えるようないやらしい視線で三人組が神薙の姿を上から下まで見つめる。まるで戦いで神薙を弄ぼうとでも言いたげに互いの視線を交差させると1つ頷きあった。
「じゃあ始めようぜ、竜姫アナンタさんよ!」
三人が一斉に後ろへと一足で下がる。それが彼らの戦闘開始の証明。そして神薙は目の前にブックを展開するとカードから杖を取り出して横に振るった。
「いいわ、始めましょう。魔術師同士の戦いの真髄を見せてあげる。“円環の職杖”」
振りかざした杖から膨大な魔力が溢れ出して砂漠の砂を巻き上げる。風のように沸き上がる魔力は杖が魔力の発生源であるということを告げていた。くちばしのように先が尖った杖を振り回すと魔力路より導かれるべきモンスターを召喚しようとする。
「おいでなさい、振るうべきはお前の鉄槌。無惨に散らせ、見事に散らせ。捻り潰すがこの世界の華なり―――」
うっすらと砂漠の大地に巨影の輪郭が浮かび上がると実体が現れ始める。それは神薙が喚び出そうとする魔物の実像
「こいよ。竜姫。あんたのお高くとまった鼻っ柱と綺麗な顔をグシャグシャにしてやんぜ!」
膨れあがる魔力に呼応してヴェクターの高揚も加速する。現れる魔物の影を挑発的な微笑で受け流すと手札をすばやく弾いた。
舞い散る砂飛礫を払いもせずに両雄のカードがいま開かれる!
「開始!」
「開始!」