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第零章 プロローグ

 高校の帰り、夕陽の射す車内でうとうとしてしまったことまでは覚えている。真夏の暑さが残る光とは対照的に電車の中はとてもひんやりとしていて心地よく、学校でのどたばたで身も心も疲弊していた俺にとってはまさに天国のように思えた。

 それに、今日で期末テストの結果も返ってきたことだし(その結果も悪くはなかった)、明後日からは長い夏休みだ。来年は受験だなんだで休んでいる余裕なんてないだろうから、今年は遊ぶしかないだろう。

 明日は終業式。午前で終わりだから行くのが面倒だけど、今のところ無遅刻無欠席だから休みたくはない。優等生を演じていれば親はなんとかだませるもんな。厄介ごとはごめんだ。

 ――そう、厄介ごとは嫌いなのだ。なのに、あいつは……。

 意識の遠くで語りかけてくる声がする。だから眠ってしまったのだろうと思ったわけだけれど。それにしても、妙に足下がすーすーするのは何故だろう? それに、話し掛けてくる奴、聞き捨てならないことを言わなかったか? 今、俺のことをお嬢さんって……!

「俺のどこを見て女だと言っているんだ!」

 目を開けるなり、全身を使って全力を叩き込んだストレートが駅員さんに決まるはずだった。いや、その状況は笑えない状況なのだが(だいたい、傷害罪で呼ばれる可能性は高い。あぁさよなら優等生ライフ)、俺の目に飛び込んできたものは全く別のものだった。

 まず、渾身のストレートはあっさりと止められてしまっている。

「どう見たって女の子でしょう? 寝ぼけてるの?」

 言葉が通じるとは思わなかった。なぜかって?

 目の前にいるのは金髪碧眼の少年で、およそ日本人の顔立ちではない。洋画に出てくる二枚目の俳優さんと同じくらい整った顔をしている。その少年が俺のストレートを軽々と受け止め、流暢な日本語で話し掛けているのだ。もはやなんなのかわからない。あ、でも実は生まれも育ちも日本なのかも知れないな。それなら納得だ。

 ……まて、それでもおかしくはないか? この緑色の空は何なのだ? それに電車に乗っていたはずなのにここにはそんなものはない。ないどころか駅すらない。建物らしき人工物も視界には入らない。あるのはだだっ広い草原と覆い隠すように頭上に葉を茂らせる大木、目の前の少年と彼が乗ってきたらしい馬車、そしてどこに続くか知れない道がどこか彼方に、地平線の向こう側まで延びているのだった。

 それだけのことをコンマ一秒で考え、状況を分析するとどうなるか。

「これは夢だ」

 きっぱりと発せられた俺の台詞。……俺の台詞のはずなのに声が異様に高い。まるで俺の姉貴が喋っているみたいだ。――そこまで連想して、自分の姿に視線を向ける。足下がやたら涼しい理由はすぐにわかった。つまり、スカートをはいているのだ。こんな屈辱は中学の文化祭で女装させられたとき以来だ。なんで俺はこんな夢を見なきゃいけないんだ? そうだ。まだ電車に乗っているはず。早く起きろよ自分。早く終点に着いて駅員さんよ、起こしてくれ!

 俺の様子に、金髪碧眼の少年は明らかに困った顔をした。俺たちの様子が気になったのか、馬車からもう一人の青年が降りてこちらにやってきた。彼もまた金髪碧眼で先ほどの少年とどこか似ている。兄弟かなんかなのだろうか。

「どうしたんだ? レキ」

「あぁ、トキヤ。この子、なんか変だ」

 ようやっと俺の拳を放して降りてきた青年に向き合う。並んで立ってみると、トキヤと呼ばれた青年の方がレキと呼ばれた少年よりもわずかに背が高いようで、それでも俺は彼らとは頭一つ分ほど背が低かった。もともと一七〇センチには届かない背丈だが、夢とはいえ、俺、小さ過ぎやしないか?

「そりゃあこんな何にもないところで倒れていれば不思議だよな。それに薄着だし、持ち物ないし、かといって襲われたような形跡もない」

 トキヤは俺を頭からつま先まで見る。なんか恥ずかしかった。

「それに自分を男と思い込んでいるみたいだし、これは夢だと言いきった」

 レキと呼ばれた少年がやれやれといった様子で補足する。

「ふむ。それは愉快だね」

 悪いが俺は不愉快だ。さっきから左手の甲をつねっているのに、痛い上にこの夢が終わる気配はない。ひょっとしたら涙目になっているかも知れない。

「君、何処から来たの?」

「なんで夢で住所を説明しなきゃならないのか理解に苦しむ」

 俺はわざわざ目の高さを合わせて問い掛けてきたトキヤにがんを付けながら答える。彼は見てわかるくらいはっきりと苦笑した。

「じゃあ、どっちから来たの? 誰とこんなところまで? まさか女の子一人でこんな何もない道を歩いていくってことはないだろう?」

 トキヤはなおも根気強く話し掛けてくる。俺は苛立った。

「知るかよ! 俺は電車で寝ているだけだ! どうしてこんな理不尽な思いをしなくちゃならない? そもそも現実感がないんだよ。この緑色の空もおかしいし、あんた等が流暢な日本語を話していること自体夢だとしか思えないだろう? どこに現実だと証明できるものがあるんだ?」

 一気に捲し立てるように言い切った所為で肩で息をしてしまう。トキヤは哀れむように俺の目を見つめると目の高さを元に戻し、自分の額に手を当てて首を小さく横に振った。

「外傷はなさそうだが、薬か何かを飲まされたのかも知れないな。少し様子を見た方が良さそうだ」

 ――薬? 薬なら、覚えがあるぞ。

「そうか、それなら納得ができるな」

 トキヤの意見にレキは大きく二回頷く。ふとこちらに向けたレキの視線と俺の視線が重なった。何故かわからないがどきっとする。哀れまれているのに、何だこの感情は。それに俺は男なのに。

「混乱させて悪かったな」

 レキはわずかに笑むといきなり俺を抱き締めた。腕の中にすっぽりとおさまるサイズの俺は身動きがとれない。ドキドキするのは何故なのか。そっちに目覚めてしまったのだろうか? 余計に混乱してくる。勘違いはやめて欲しいものだ。それが夢だとしても。

「……は、放してくださいっ!」

 声が妙に裏返る。彼の存在感にはリアリティがあって、とてもではないが夢として処理するにはそれはそれで違和感があった。

「兄貴の前で何をするんだね、君は」

 低めた声で言いながらトキヤが俺を引き剥がす。はぁ、助かった。

「それ以上のことはしないよ、さすがに」

 レキは肩を竦める。――冗談じゃない。それ以上のことをされようもんならただじゃおかない。

「だけど、夢なのかどうかの決着はついたんじゃないかな? お嬢さん」

 ぜいぜいと息をしている俺に、彼は優しい眼差しを向けてくる。迷惑な視線だ。

「もうほうっておいてくれ! かかわってくるなよ!」

 とはいうものの、夢ではないかもしれないという疑いを持ったのは事実なのだ。否定はできない。

「ほうっておくわけにはいかないよ。そう経たないうちに陽は沈むだろうし、この道を使っている人はほとんどいないんだ。誰かがこのあと通りかかるという保証はできない。それに夜は冷え込むぞ。そんな薄着じゃ凍えるに決まっている。野犬もうろついているって話だから、ここにいるのはおすすめしない」

 冷静な様子でトキヤが説明する。薄着で凍えるという意見には賛成だ。足下の冷えはますます厳しさを増しているのだ。それだけではない。全体的にも寒さが増していることに俺は気付く。

「この近くの街に行くには少なくとも馬車を使わないときついと思う。ひとまず、俺たちの馬車に乗って街に移動すべきだと思うんだけどどうかな?」

「う……」

 返答に困る。彼らの意見は間違ってはいない。もしもこれが現実なら、彼らの好意に甘えるのは悪くないかも知れない。

 しかし、だ。

 どういう経緯があってこうなったのかは謎だが、今は女であるらしいことは抱き締められてわかった。俺が知っている身体ではない。この妙なふかふかしたやわらかさは今までの俺にはなかったものだ。

 と、悩んでいると馬車の中から大きな声が聞こえた。

「兄さんたち! 早く戻ってきてください! トキヤ兄さん、レキの拾いものにいつまで付き合っているつもりなんですかっ!」

 俺が馬車に視線を向けると、窓から乗り出すようにして一人の少女が手を振っている。その少女の髪も金髪だった。

「すまん! 今戻るから!」

 トキヤが馬車に向かって手を振ると、少女はすぐに頭を引っ込めた。肩を震わせていたからきっと外気が寒かったのだろう。俺だって寒い。

「……わかりました。乗せていってください。お願いします」

 しぶしぶ俺は返事をする。棒読みなのは見逃して欲しい。

「そうか。よかった」

 心からほっとしたかのようにトキヤは嬉しそうな笑顔を作る。レキも同じだ。彼らは少なくとも悪い人には思えない。仕方がないのでこの長くなりそうな夢に付き合うことにしよう。彼らのあとについて、俺は浮かない気持ちで馬車に乗り込んだのだった。



 馬車の中ではずっと黙り込んだまま考え事をしていた。

 短い時間の同行となる予定だったが、一応の自己紹介を終えている。馬車を運転している青年が長男のトキヤ。俺を発見して声を掛けてきた少年が次男のレキ。目の前でにこにこと人懐っこそうな顔で見つめてくる少女が長女のミキ。ここにはいないが、留守番をしているのが末っ子のミレイで四人きょうだいなのだそうだ。ちなみにレキとミキは双子らしい。親を病気で早くに亡くし、兄弟姉妹で運送屋をしているという話を(頼んでもいないのに)ミキが説明してくれた。

 現在は隣町まで荷物を運び終えた帰りなのだそうだ。隣町といっても馬車で丸一日かかる距離だそうで、俺がいた場所から彼らの住む町に着くまでには夜もかなり更けた時間になってしまうとのこと。やはりついてきて正解だったようだ。

 そんな話をBGMにしながらずっと考えていたことは、この事態を引き起こした原因のことだ。薬には覚えがある。いや、正確には薬なのかどうかも疑わしいのだが。

 あんまり思い出したくないので、回想シーンは割愛したい。簡単に説明すると、今日の放課後、呼び出された教室でキスをされたのだ。

 え? 相手は可愛い女の子だったかって?

 そんなことなら回想シーンを何度でもやってやるさ。背景に色とりどりの花でも飛ばしてやろうではないか。それをやらないと言うことがどういうことなのかは察して欲しい。……つまり、一部の女子が喜びそうな展開だったわけだ(姉貴は絵になるから良いじゃないと平然と言い切るだろうが、冗談ではない)。その上、惚れ薬だとか言う謎の液体を飲まされるし(口移しだったという罠)。――謎の薬がこの事態を招いたというのなら、どうすれば俺は元の学校生活に戻れるというのだ? 早くこんな夢、覚めてしまえ。

「――でもミノルさん、そうなると大変ですよね。記憶をなくしていらっしゃるのでしょう?」

 ミキが悲しそうな表情で俺に問う。今の俺の設定は、名前以外の記憶をなくして気を失っていた『少女』ということになっている。

「あんまり実感はないんですけどね、うまく思い出せないだけなので」

 追加設定としては、目が覚めたときは興奮状態で冷静な受け答えができなかったが、今は記憶の整理がついて安定した状態になったというもの。暴れていても埒が明かない。意味のないことはしないに限る。環境に適応するのは大切なことだとしみじみ思う。

「それが大変なことだと思うのですが」

「そうなると、これからどうするつもりなんだ? 荷物も持ってなかったし、その格好じゃお金も持っていないだろう?」

 その格好。

 姉貴の愛するピンクハウスのデザインに似た感じのふりふりひらひら感が漂う衣装。色は全体に茶色っぽいので派手な感じはしない(ピンク色じゃなくて良かったと心から思う)。持ち物らしい持ち物はなく、ポケットの中身も空だった。

「えぇ……」

 万が一これが現実で、飲み食いの必要があるとなると完全にお手上げである。日本なら水を飲みたけりゃ蛇口を捻ればまずくても飲めるが、ここはどうなのだろうか。

「今晩はうちに泊まっていけばいいだろうけど、行く宛とか、何かそういうのを知ることができそうなものとかないもんかなぁ」

 レキが腕を組んで考え込む。結構真剣そうだ。

「そういうことなら、おばば様に聞いてみたらどうだ?」

 御者台から声がする。トキヤの台詞にミキが表情を明るくさせる。

「そうね、それがいいと思うわ。おばば様なら何かわかるかも知れない」

 ミキがにこにこしながらそう呟いてレキに視線を送る。

「だな。あの人の導きなら心配はいらないだろうし」

「おばば様って?」

 俺は隣にいるレキに問い掛ける(どうして俺の隣が彼なのかは分からない)。

「俺たちが住んでいる町の長老でさ。まじないが得意なんだ。俺等の両親が死んだとき、今の仕事を紹介してくれた恩人でもある。住民からの信頼もあついし、聞いて損はないはずだ」

「ふぅん……」

 今の日本では絶滅していそうなポジションの老婆ってところか。何だかノリがゲームっぽいな。

「その顔は信用してないだろ?」

 むっとした様子でレキが問う。俺は素直に頷く。

「そりゃあ、まぁ」

 そんなタイプの人間が現実にいるとは思ってないし。その反応に対して笑ったのは御者台にいるトキヤ。

「外部から来る連中はみんなそういう反応だよ。気休めにしかならないことを返してくることもあるからねぇ。気に入った相手だけに丁寧な助言をするものだから」

 人を選ぶのかよっ! と心の中でツッコミ。

「おばば様はどんな答えを導くかしら?」

 興味津々な様子でミキは俺の顔をまじまじと見つめる。しかしあんまり見つめられたくはない。彼女もまた美人で西洋人っぽい顔立ちであったが、そのわりには童顔で好感が持てた。長い睫毛が印象的で、くっきりとした二重も魅力的。なんとなく、誰かに似ているような気がした。

「あんまり、見つめないでください……」

 思わず視線を逸らして窓の外に向ける。空は暗い。闇の色は地球と同じだ。

「だって、魅力的なんですもの。この辺では見ない雰囲気の顔ですよね?」

「珍しいですか?」

 視線を外に向けたまま問う。

「ええ。黒い髪に黒い瞳ってこの辺りでは見かけませんから。この辺りはほとんど金髪で青い瞳ですからね。多少の濃い薄いはありますけど」

「あぁ、なるほどね」

 自分の顔を確認していないことに今更気付く。鏡なんて持っていないし、見たってしょうがないと言われてしまえばそれまでだが。

 外はいつまでも草原のままだったので馬車の中に視線を戻す。

「その髪の色で俺が気付いたからな。もしも金髪だったら目立たなかっただろう」

 言われて、俺が倒れていた場所を思い出す。大木に寄り掛かった状態だったとはいえ、保護色とも言えるこの服では遠くから見つけるのは困難だったろう。背の高い草が茂っている場所で埋もれていたんだし。

「――あれ? だけど反対に見つけにくくはありません?」

 ふと気付いて問い掛ける。影になっていたあの場所なら金髪の方が映えるはずだ。

「きっとレキの女の子探知に引っ掛かったんだわ。いやらしい」

 明らかな嫌悪のこもった眼差しでミキはレキを睨む。俺は思わず身体を窓際に移動させる。

「そんな言い方するなよ、ミキ」

 大袈裟に肩を竦め、助けを求めるようにこちらに視線を向けるレキ。俺は視線をミキに向ける。

「いや、ミキさんの意見は正しいと思いますよ。いきなり抱きつかれましたし」

 思い出したくないシーンが一瞬だけ過ぎる。そんなスクリーンショットはいらない。

「あ、ミノルさんまでミキの肩を持つんですかっ!」

 レキが小さく膨れる。御者台から笑いを押し殺すような声が聞こえる。

「事実は事実です」

 きっぱり。ここで釘をさしておかないと、何をされるかわかったもんじゃない。男の気持ちはよく分かる。

「ちぇっ、つれないなぁ」

 ぷいっと視線を窓の外に投げる。

「そろそろ学習しても良いんじゃないの?」

 やれやれといった様子で言うと、仕方ないなという表情をしてミキは小さく笑った。

 仲のいい兄弟のようだ。俺には姉が一人いるが(さっきから回想で何度も登場しているくらいだし)、仲が良いと言えるかどうかは謎だ。姉は俺のことを観察の対象としか見ていないような節がある。漫画のネタにするのだけはやめて欲しい。それに、本人は着ないくせにふりふりひらひらの服を買ってきては俺に着せたがるのもどうにかして欲しい。その他の文句は数え切れない。少なくとも俺は姉貴のことを良くは思っていない。

 ――はぁ、それにしても俺、このままどうなっちゃうんかなぁ……?



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