なーろっぱ世界の短編 婚約破棄とか聖女とかドアマットとか転生とか
愛してさえいなかった完璧な妻へ、最後に捧げる感謝
父の葬儀が終わった。
盛大な葬儀だった。完璧だった。
万事妻がしきった。
オレも妻も全く泣いていなかった。
ようやく、死んだ。
あの怒鳴り声や、振り回される杖を浴びなくていい。
これでもう遠慮することはない。
死に際に「オレと妻は白い結婚だ。これからも子供は出来ない」と言ってやった時の父の顔。
絶望に見開かれた目。
ざまぁみろ。
※ ※ ※
その夜。
オレは書斎で妻から今月の財政報告を聞いていた。
「今月も赤字ですが、この借り換えによって借金をまとめて――」
報告も聞いても何も判らない。
判るのは、妻の優秀さをもってしても、借金が減っていないことだけだ。
だが父という見栄と虚飾の塊の浪費家が消えた以上、妻の優秀さをもってすれば、なんとかなってしまうかもしれない。
「いろいろとお前は偉そうに講釈を垂れているが、借金は減っていないのだな」
「ええ。ですが――」
「お前が無能だから借金が減らないのだ」
「何かお考えがおありなのですか」
その顔は『お前には何の考えもないだろう』と告げていた。
オレは酒臭い息を吐きながら告げた。
「でていけ、無能なお前の代わりはいくらでもいる」
「わかりました」
彼女は晴れやかな顔で言った。
その顔はうつくしかった。
夜空の月よりも遠かった。
そう言うだろう。当然だ。
この屋敷、いや、この侯爵家の全てを、彼女が差配していたのだから。
というか、させていた。
オレには出来ない。
オレができないからこの女がここへ呼ばれた。
それから5年間、白い結婚だった。
彼女は何のためらいもなく離縁状にサインした。
「では、わたくしがこれを届けておきますわ」
その声は弾んでいた。
「勝手にしろ」
「勝手にさせていただきますわ」
書斎から出ていくとき、振り返りもしなかった。
いつになく軽やかな足取りだった。
それはそうだろう。
オレは、愚かで何も判らぬ当主なのだから。
彼女はちいさなカバンひとつだけで出ていった。
この家に来てから増えた物は何も残さず。
オレは見送らなかった。
※ ※ ※
翌日。
屋敷は静かだった。
静かすぎた。
誰もオレを起こさず。
朝食の支度もなかった。
予想通りだった。
オレは寝間着のまま、書斎にいた。
「旦那様。多額の返済請求が一気に」
ノックもそこそこに駈け込んで来た執事が青ざめた顔で言った。
「そうか。期日は?」
「明日で御座います」
あの女の目には憎しみはなかったが、嫌悪感はあった。
結婚して5年。
あの女はオレに、必要事項しか話さなかった。
礼儀は完璧だが必要以上に一歩も近づかなかった
最低限必要な報告が終わると即座に退出した。
当然あの女は、自分がいなくなれば、この屋敷が立ち行かなくなることを誰よりも知っていた。
「ならば、奉公人達へ給料を出せ。今日しか金は動かせない」
「給料などより!」
「給料だ。あと、推薦状を用意しろ」
「奥様が――」
「アシュフォード侯爵令嬢だ」
オレは訂正した。
あの女はもうオレの妻ではない。
「なるほど、まともに働いていた人間には渡していたか。流石だな」
執事が目を見開いた。
「御存じで御座いましたか」
オレは、昼間から酒を飲み、くだをまいていた当主だからな。
単に正気ではやってられなかったのだ。
「では、アシュフォード侯爵令嬢が推薦状を書いていない奉公人に推薦状を用意しろ。そして給料を渡せ。明日の朝までだ」
執事は
「……承知いたしました」
「お前のはあるのか?」
先々代から仕える執事。微妙なところだ。
「……用意してございました」
「ならよし。任せる」
執事は、それでも何か言いたげに立っていた。
「なんだ。早くしろ。時間がない。それから退職金も出せ。規定の定める範囲で出来るだけ多く。もちろんおまえの分もな」
「……旦那様は判っていたのでございますか」
「なにを」
「この屋敷が、奥さ――いえアシュフォード侯爵令嬢に支えられていたことを」
「オレがやれず、奉公人達もやれないなら、アシュフォード侯爵令嬢以外いないだろう」
「なら、なぜで御座いますか、あの方を追い出したり」
「間違って迷い込んで来たものが本来の場所へ帰っただけだ。さぁ急げ。朝まで時間がない」
執事は、足早に部屋を出ようとして――
足をとめて、振り返った。
「急げ、と言ったろう」
執事は
「……ぼっちゃんのお心に気づかず、長い歳月縛り付けて申し訳ありませんでした」
「気にするな。お前のせいではない」
オレはこんな家など潰してもよかったのだ。
破産し、爵位を売り払い、全てを売り払い、酒に溺れて死ねばよかった。
だが父が、オレに継ぐことを強制した。
愛していたからではない、血筋がオレしかいなかったからだ。
逆らえなかった。
それだけのことだ。
「もうこの家は終っていたのだ。アシュフォード侯爵令嬢が来るずっと前からな。それから頼みがある」
「なんなりと申しつけください」
「屋敷を出る時、戸締りを頼む。門には鍵をかけてくれ」
執事は、オレを見た。
この屋敷の歴史にふさわしく礼儀正しい彼が、執事服の袖で目のあたりをぬぐった。
そして、深々と一礼し出ていった。
オレは机を動かしてドアを内側から塞いだ。
床にあぐらをかいて酒を飲み始めた。
酒はいい。
全くうまいとは思わないが、何もかも忘れさせてくれる。
自分の愚かさも至らなさも。
※ ※ ※
瞼の裏が明るくなっていた。
朝が来たのだ。
少し眠ってしまったらしい。
床に大の字に寝ていたオレは、上半身を起こし周りを見た。
酒瓶が空になっていた。
屋敷の中は静まり返っていた。
遠くから、屋敷の門をたたく音と、怒鳴り声が聞こえて来た。
ああ、来たか債権者が。
オレは書斎の扉を塞ぐ机の上に、立てられる限りの燭台を並べて蝋燭に火をつけた。
燭台にある数十本の蝋燭すべてに。
朝の光の中、ゆらゆらと揺らめく灯りは、余りにも弱かった。
侯爵家に生まれただけの空っぽな人間にふさわしい弱さだ。
部屋に油を撒いた。
油の匂いで部屋がむせ返る。
悪臭だ。
自分の服にも全て油をかけた。
酔いそうだ。
オレはとっておきの酒瓶をあけた。
生まれた年に醸造された葡萄酒だ。
最後はこれと決めていた。
最後で最初の一杯目は、そのまま味わった。
「わからんな……」
オレの舌は最期まで子供舌だった。
最後の時も、やはり、ワインの良しあしなどわからない。
二杯目からは、睡眠薬を流し込むためだけに呑んだ。
眠くなってきた。薬が効いて来た。
遠くで何かが破壊される音が聞こえてきた。
門が破られたか、玄関が破られたのだ。
どっちでもいい。
朦朧としてくる。
オレの手からグラスが滑り落ちた。
いいきもちだ。
あとは、債権者がここの扉を破り、その瞬間机の上の燭台が倒れて部屋一面の油に引火する。
この部屋は火の海になる。
オレは眠りながら火葬される。
それでいい。
あとは全部火が始末してくれる。
「……アシュフォード侯爵令嬢に感謝だな」
アシュフォード侯爵令嬢の優秀さは疑いようがなかった。
だがその顔、姿、性格、どれも何一つ全く好きになれなかった。
オレに愛させないところまで、よくできた妻だった。
「ありがとう……」
名前を言おうとして、思い出せなかった。
5年間、名前を呼んだことがなかったからだ。
眠くて眠くて、もう何も出来なかったが、それでもオレの唇には笑いの欠片が浮かんだ。
君は最期まで完璧だったよ。
※ ※ ※
扉が破られ、燭台が倒れ、書斎の内部は火に包まれた。
300年間続いた由緒ある侯爵家の最期だった。
たくさんの作品の中から、本作をお読みいただきありがとうございました。
最後までお付き合いいただけたこと、とても嬉しく思います。
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別の物語も書いておりますので、もしよろしければ、そちらも覗いてみてください。




