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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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なーろっぱ世界の短編 婚約破棄とか聖女とかドアマットとか転生とか

愛してさえいなかった完璧な妻へ、最後に捧げる感謝

作者: マンムート
掲載日:2026/07/09


 父の葬儀が終わった。


 盛大な葬儀だった。完璧だった。


 万事妻がしきった。



 オレも妻も全く泣いていなかった。



 ようやく、死んだ。


 あの怒鳴り声や、振り回される杖を浴びなくていい。


 これでもう遠慮することはない。 



 死に際に「オレと妻は白い結婚だ。これからも子供は出来ない」と言ってやった時の父の顔。


 絶望に見開かれた目。



 ざまぁみろ。




      ※      ※      ※ 




 その夜。



 オレは書斎で妻から今月の財政報告を聞いていた。


「今月も赤字ですが、この借り換えによって借金をまとめて――」


 報告も聞いても何も判らない。


 判るのは、妻の優秀さをもってしても、借金が減っていないことだけだ。



 だが父という見栄と虚飾の塊の浪費家が消えた以上、妻の優秀さをもってすれば、なんとかなってしまうかもしれない。



「いろいろとお前は偉そうに講釈を垂れているが、借金は減っていないのだな」


「ええ。ですが――」


「お前が無能だから借金が減らないのだ」


「何かお考えがおありなのですか」


 その顔は『お前には何の考えもないだろう』と告げていた。



 オレは酒臭い息を吐きながら告げた。


「でていけ、無能なお前の代わりはいくらでもいる」


「わかりました」 


 彼女は晴れやかな顔で言った。



 その顔はうつくしかった。


 夜空の月よりも遠かった。



 そう言うだろう。当然だ。


 この屋敷、いや、この侯爵家の全てを、彼女が差配していたのだから。


 というか、させていた。


 オレには出来ない。


 オレができないからこの女がここへ呼ばれた。



 それから5年間、白い結婚だった。



 彼女は何のためらいもなく離縁状にサインした。


「では、わたくしがこれを届けておきますわ」


 その声は弾んでいた。


「勝手にしろ」


「勝手にさせていただきますわ」



 書斎から出ていくとき、振り返りもしなかった。


 いつになく軽やかな足取りだった。


 それはそうだろう。



 オレは、愚かで何も判らぬ当主なのだから。



 彼女はちいさなカバンひとつだけで出ていった。


 この家に来てから増えた物は何も残さず。




 オレは見送らなかった。



      ※      ※      ※


 翌日。


 屋敷は静かだった。


 静かすぎた。



 誰もオレを起こさず。


 朝食の支度もなかった。


 予想通りだった。



 オレは寝間着のまま、書斎にいた。



「旦那様。多額の返済請求が一気に」


 ノックもそこそこに駈け込んで来た執事が青ざめた顔で言った。


「そうか。期日は?」


「明日で御座います」



 あの女の目には憎しみはなかったが、嫌悪感はあった。



 結婚して5年。


 あの女はオレに、必要事項しか話さなかった。


 礼儀は完璧だが必要以上に一歩も近づかなかった


 最低限必要な報告が終わると即座に退出した。



 当然あの女は、自分がいなくなれば、この屋敷が立ち行かなくなることを誰よりも知っていた。



「ならば、奉公人達へ給料を出せ。今日しか金は動かせない」


「給料などより!」


「給料だ。あと、推薦状を用意しろ」


「奥様が――」


「アシュフォード侯爵令嬢だ」



 オレは訂正した。


 あの女はもうオレの妻ではない。



「なるほど、まともに働いていた人間には渡していたか。流石だな」


 執事が目を見開いた。


「御存じで御座いましたか」



 オレは、昼間から酒を飲み、くだをまいていた当主だからな。


 単に正気ではやってられなかったのだ。



「では、アシュフォード侯爵令嬢が推薦状を書いていない奉公人に推薦状を用意しろ。そして給料を渡せ。明日の朝までだ」


 執事は


「……承知いたしました」


「お前のはあるのか?」


 先々代から仕える執事。微妙なところだ。


「……用意してございました」


「ならよし。任せる」


 執事は、それでも何か言いたげに立っていた。


「なんだ。早くしろ。時間がない。それから退職金も出せ。規定の定める範囲で出来るだけ多く。もちろんおまえの分もな」


「……旦那様は判っていたのでございますか」


「なにを」


「この屋敷が、奥さ――いえアシュフォード侯爵令嬢に支えられていたことを」


「オレがやれず、奉公人達もやれないなら、アシュフォード侯爵令嬢以外いないだろう」


「なら、なぜで御座いますか、あの方を追い出したり」


「間違って迷い込んで来たものが本来の場所へ帰っただけだ。さぁ急げ。朝まで時間がない」



 執事は、足早に部屋を出ようとして――


 足をとめて、振り返った。


「急げ、と言ったろう」


 執事は


「……ぼっちゃんのお心に気づかず、長い歳月縛り付けて申し訳ありませんでした」


「気にするな。お前のせいではない」



 オレはこんな家など潰してもよかったのだ。


 破産し、爵位を売り払い、全てを売り払い、酒に溺れて死ねばよかった。



 だが父が、オレに継ぐことを強制した。


 愛していたからではない、血筋がオレしかいなかったからだ。



 逆らえなかった。


 それだけのことだ。



「もうこの家は終っていたのだ。アシュフォード侯爵令嬢が来るずっと前からな。それから頼みがある」


「なんなりと申しつけください」


「屋敷を出る時、戸締りを頼む。門には鍵をかけてくれ」



 執事は、オレを見た。


 この屋敷の歴史にふさわしく礼儀正しい彼が、執事服の袖で目のあたりをぬぐった。


 そして、深々と一礼し出ていった。



 オレは机を動かしてドアを内側から塞いだ。


 

 床にあぐらをかいて酒を飲み始めた。



 酒はいい。


 全くうまいとは思わないが、何もかも忘れさせてくれる。


 自分の愚かさも至らなさも。



      ※      ※      ※



 瞼の裏が明るくなっていた。


 朝が来たのだ。


 少し眠ってしまったらしい。



 床に大の字に寝ていたオレは、上半身を起こし周りを見た。


 酒瓶が空になっていた。


 屋敷の中は静まり返っていた。



 遠くから、屋敷の門をたたく音と、怒鳴り声が聞こえて来た。



 ああ、来たか債権者が。



 オレは書斎の扉を塞ぐ机の上に、立てられる限りの燭台を並べて蝋燭に火をつけた。


 燭台にある数十本の蝋燭すべてに。


 朝の光の中、ゆらゆらと揺らめく灯りは、余りにも弱かった。



 侯爵家に生まれただけの空っぽな人間にふさわしい弱さだ。



 部屋に油を撒いた。


 油の匂いで部屋がむせ返る。


 悪臭だ。


 自分の服にも全て油をかけた。



 酔いそうだ。



 オレはとっておきの酒瓶をあけた。


 生まれた年に醸造された葡萄酒だ。

 

 最後はこれと決めていた。



 最後で最初の一杯目は、そのまま味わった。



「わからんな……」



 オレの舌は最期まで子供舌だった。


 最後の時も、やはり、ワインの良しあしなどわからない。



 二杯目からは、睡眠薬を流し込むためだけに呑んだ。



 眠くなってきた。薬が効いて来た。



 遠くで何かが破壊される音が聞こえてきた。


 門が破られたか、玄関が破られたのだ。


 どっちでもいい。



 朦朧としてくる。


 オレの手からグラスが滑り落ちた。



 いいきもちだ。



 あとは、債権者がここの扉を破り、その瞬間机の上の燭台が倒れて部屋一面の油に引火する。


 この部屋は火の海になる。


 オレは眠りながら火葬される。


 それでいい。

 

 あとは全部火が始末してくれる。



「……アシュフォード侯爵令嬢に感謝だな」



 アシュフォード侯爵令嬢の優秀さは疑いようがなかった。


 だがその顔、姿、性格、どれも何一つ全く好きになれなかった。



 オレに愛させないところまで、よくできた妻だった。



「ありがとう……」



 名前を言おうとして、思い出せなかった。


 5年間、名前を呼んだことがなかったからだ。



 眠くて眠くて、もう何も出来なかったが、それでもオレの唇には笑いの欠片が浮かんだ。



 君は最期まで完璧だったよ。



 

      ※      ※      ※




 扉が破られ、燭台が倒れ、書斎の内部は火に包まれた。


 300年間続いた由緒ある侯爵家の最期だった。 




たくさんの作品の中から、本作をお読みいただきありがとうございました。


最後までお付き合いいただけたこと、とても嬉しく思います。


少しでも心に残るものがあったり、何かを感じていただけたなら、


評価や感想をいただけるととても励みになります。


別の物語も書いておりますので、もしよろしければ、そちらも覗いてみてください。


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― 新着の感想 ―
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