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第十話『夢の続き』

 

 その日の昼下がりは、どこまでも穏やかだった。

 春の柔らかな日差しが、縁側に温かい陽だまりを作っている。私は、沖田さんの膝の上という特等席で、その心地よい温もりに、身を委ねていた。彼の、規則正しい呼吸の音。遠くで聞こえる、隊士たちの稽古の声。全てが、完璧な子守唄だった。

 私の意識は、ゆっくりと猫の小さな身体から、離れていく。そして、深い眠りの底で、私は、一つの鮮明な夢を見た。

 私が、まだ、「相川奈々」であった頃の、ありし日の記憶。


 ……私の部屋だ。


 冷暖房完備の快適な六畳一間。ソファの上で、私は、ポテトチップスを頬張りながら、タブレット端末で大好きな大河ドラマを見ている。もちろん、新選組が主役の物語だ。

 画面の中では、今をときめく、若手の人気俳優が演じる沖田総司が、子供たちと無邪気に笑い合っている。その、あまりにも完璧な笑顔。

 私は、はふう、と、大きなため息をついた。

「……素敵すぎる……」

 私は、再生を、一時停止すると、タブレットを胸に、ぎゅっと抱きしめた。そして、天井を見上げながら、あり得ないと分かっている、甘い空想に浸るのだ。


「……もし、私が、あの時代に、生まれていたら、なんて、時々、考えちゃうけど」

「……でもなあ、直接会うなんて、恐れ多いし。緊張で、きっとひと言も喋れないだろうなあ」

「……そうだなあ。もし、なれるとしたら……」

 私の、妄想が加速していく。

「沖田さんの、飼い猫になりたいなあ。ただ、こうしてそばにいて、その優しい声を聞いて。時々、頭を、撫でてもらって。『お前は俺の宝物だよ』なんて、言ってもらえたら……」

 そこまで考えて、私は自分のあまりの馬鹿馬鹿しさに、ぷっと噴き出した。

「……もう思い残すことは、何もないや。……なんてね」

 それは、歴史の中に生きる憧れの人に恋い焦がれる、一人のファンの、ささやかで幸福な妄想だった。


 その、時だった。

 私は、ふっと目を覚ました。

 夢の中の、あの幸福感の余韻に浸りながら、ゆっくりと瞼を上げる。

 目に飛び込んできたのは、見慣れた屯所の縁側。

 私の身体の下には、沖田さんの膝の感触。

 そして、沖田さんのその大きな手が、私の頭を優しく撫でてくれていた。

 彼は、私のことを、ひどく愛おしそうな、目で見下ろしている。

 そして、その唇がゆっくりと開かれた。


「……お前は本当に可愛いなあ」


 その優しい声色に、私の心臓が大きく跳ねる。

 そして彼は続けたのだ。


「……俺の宝物だよ、トラ」


 私の時間が止まった。

 夢の中で、私がただ空想するだけだった、最高のシチュエーション。

 私が一番聞きたかった言葉。

 それが、今、寸分違わず、「現実」として、私の目の前にある。


 ああ。

 そうか。

 私は、この、一言を聞くために。

 この、温もりに触れるために。

 この、どうしようもない時代にやって来たのかもしれない。


 私の大きな翠色の瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。

 けれど、それは悲しみの涙ではなかった。

 どうしようもないほどの、幸福感と感謝に満ちた、温かい喜びの涙だった。

 私は、彼の大きな手に、自分の額をぐりぐりと、これ以上ないくらいの力で押し付けた。

 そして、今までで、一番大きな声で。

 ごろごろごろごろごろごろ、と、喉を鳴らし続けた。


 ありがとう、と。

 私も、あなたが、私のたった一つの大切な宝物だよ、と。

 その、声にならない想いの、全てを込めて。

 この、奇跡のような一瞬が、永遠に続けばいいと、心の底から、願いながら。



 了




これにて完結です。

どうもありがとうございました。


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