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第八話『月下の太刀筋』

 

 その夜は、月が驚くほど明るかった。

 こうこうと、冴え渡る満月。その青白い光は、昼間とは全く違う、もう一つの世界の景色を、屯所の庭に描き出していた。影は墨よりも、黒く。光は銀よりも、白く。

 私は、その幻想的な光に、誘われるように、沖田さんの布団を抜け出し、縁側へと足を踏み出した。


 庭の真ん中に、二つの人影があった。

 まるで、初めから、そこに生えていた、木のようにぴたりと微動だにせず立っている。

 一つは、沖田さん。

 そして、もう一つは、あの影のような男、斎藤一さんだった。


 こんな夜更けに、二人きりで何をしているのだろう。

 私の好奇心が、むくむくと頭をもたげる。私は、縁側の、一番暗い柱の陰に身を潜め、その静かな対峙を見守った。

 二人の間には、言葉は一切ない。ただ、ひんやりとした夜風だけが、その間を通り過ぎていく。


 やがて、どちらからともなく動いた。

 しゅるり、と。

 布が、擦れるような、静かな音を立てて、二人が、同時に腰の刀を抜き放つ。

 月光を浴びたその抜き身の刃が、ぞっとするほど、美しく妖しい光を放った。

 私は思わず息をのむ。斬り合いが、始まるのか。


 けれど、違った。

 二人は斬り結ぶでもなく、声を上げるでもない。

 ただ、静かにゆっくりと舞い始めたのだ。

 それは、まるで、あらかじめ、全てが決められていたかのような、完璧に調和した動きだった。

 沖田さんが、一歩踏み出せば、斎藤さんも一歩、下がる。

 斎藤さんの、剣先がひらりと空を切れば、沖田さんの、刃がそれを受けるかのように流れる。

 聞こえてくるのは、二人の呼吸の音と、衣擦れの音だけ。

 それは、戦いではなかった。

 舞でもない。

 もっと、こう神聖で、張り詰めていて、そして、どこまでも、美しい魂の対話。


 理解する。

 ああ、これが本当の達人の、世界なのだ。

 言葉など、いらない。刃を、交えるまでもない。

 ただ、互いの呼吸、間合い、そして太刀筋の、その一筋の軌跡だけで、相手の全てを理解し、そして敬意を払う。

 沖田さんの剣は、どこまでもしなやかで華麗。まるで天女の羽衣のよう。

 対する、斎藤さんの剣は無駄が一切ない。ただ、鋭く的確に相手の急所だけを狙う、必殺の牙。

 対照的な二つの剣が、月の下で一つの完璧な芸術となって、昇華していく。


 やがて、その静かな舞は終わった。

 二人は、再び最初の位置に戻り、ぴたり、と動きを止める。

 そして、互いに、こくりと小さく頷き合った。

 その、一瞬の交感に、彼らの全ての想いが、込められているようだった。

 しゅるり、と、刀が鞘に納められる。


 そして、二人はまた言葉を交わすことなく、それぞれ反対の方角へと、闇の中に消えていった。

 後に残されたのは、月明かりに照らされた、静かな庭と、そして、そのあまりにも美しい光景を、ただ、呆然と見つめる私だけだった。

 あの夜の、二人の剣士の姿は、私が生涯忘れることのできない、一枚の美しい絵として、私の魂に、深く刻み込まれている。

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