第六話『井上源三郎の陽だまり』
その日は、少しだけ肌寒い一日だった。
空は、薄い雲に覆われ、時折、吹く風が私の毛を、ひやりと撫でていく。
私は、温かい場所を探して、屯所の中を歩き回っていた。
沖田さんは、巡察に出ていて留守。日当たりの良いいつもの縁側も、今日に限ってはどこか頼りない。私は、どこかもっと安心できる、陽だまりはないものか、と、鼻を、くんくんと鳴らしていた。
その時、母屋の一番隅の縁側で、静かに座っている、一人の男を見つけた。
井上源三郎さんだった。
彼は、隊の最年長の幹部でありながら、決して目立つことのない、朴訥とした農夫のような男だった。いつも、静かに微笑みながら、若い隊士たちの稽古を見守っている。
私は、今まで彼と、あまり話したことはなかった。けれど、その身体から発せられる気配は、いつも穏やかで、少しも怖いという感じはしなかった。
彼は、私に気づくと、その人の良さそうな、目元を優しく細めた。
そして、何も言わずに、ぽん、ぽん、と自分の膝を軽く叩いてみせた。
おいで、とそう言っているようだった。
私は、一瞬だけためらったが、その穏やかな誘いに、抗うことはできなかった。
とん、と、軽い音を立てて、その大きな膝の上へと飛び乗る。
次の瞬間、私は、驚きに目を見開いた。
なんだ、この心地よさは。
彼の膝の上は、私が今まで乗ったどの膝よりも、温かく、そして安定していた。近藤さんのように、大きく動きすぎることもなく、沖田さんのように、時折、悪戯っぽく、揺さぶってくることもない。ただ、どっしりと大きな大地のように、私の小さな身体を受け止めてくれる。
彼の手が、私の背中を、ゆっくりと撫で始めた。
その手つきは、驚くほど優しく、そして、規則正しかった。頭のてっぺんから尻尾の付け根まで。同じ力で、同じ速度で。何度も、何度も。
私の身体の、芯から力が抜けていく。
ごろごろごろごろ……。
私の喉が、今までで一番大きな音を立てて、鳴り始めた。もう、止まらない。
奈々の魂が、彼の人柄を理解する。
この人は、そうだ。「父親」である、近藤さんとは、また違う。この、血気盛んな若者たちの集団にあって、ただ一人全てを受け止めてくれる、「祖父」のような存在なのだ。
その、無口は優しさの裏返し。その温もりは誰よりも深い愛情の証。
私は、その絶対的な安心感に包まれながら、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
何の、夢も見ない。ただひたすらに、温かくそして、平和なだけの至福の眠り。
私が、次に目を覚ました時、陽はすっかりと、西に傾いていた。
井上さんは、私が目を覚ますまで、一歩も動かずに、ずっと同じ体勢でいてくれたらしかった。
「……おお、起きたか」
彼はそう言って、初めて、にこり、と、歯を見せて笑った。
その笑顔は、まるで本当の陽だまりのようだった。
この温かい記憶。
それもまた、私が、この壬生の地で手に入れた、かけがえのない、宝物の一つなのだった。




