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幕間10『線香花火のひととき』

 

 あれほど空を支配していた、蝉の声が、いつの間にか、りん、りんと鳴く、涼やかな虫の音に取って代わられていた。


 夏の終わり。


 昼間の暑さは、まだ残っているけれど、夜風には、もう、はっきりと秋の匂いが混じっている。


 その夜、私は、沖田さんの膝の上で、うとうとと、微睡んでいた。

 庭の暗がりの中で、彼と、数人の気の置けない仲間たちだけが集まっている。その中心にあるのは、小さな火桶。そして、その手には、一本の、細い紙縒りのようなものが握られていた。

 沖田さんが、その先端に、ろうそくの火を、近づける。

 次の瞬間だった。


 しゅっ、という、乾いた音と共に、その先端に、小さな、赤い火の玉が生まれた。


 私は、思わず、びくりと、身を震わせた。なんだ、これは。熱い。そして、今まで、嗅いだことのない、ひどく、鼻をつく、焦げ臭い匂い。


 私の本能が、危険を告げている。けれど、沖田さんの、大きな手が、私の背中を、「大丈夫だよ」と、優しく、撫でた。その、穏やかな、手つきに、私の恐怖心は、少しずつ、好奇心へと、変わっていった。


 赤い火の玉は、やがて、ぱち、ぱち、と、小さな音を立てて、四方八方に、金色の、細い、線のような火花を散らし始めた。


 それは、まるで、小さな太陽のようだった。

 暗闇の中に、浮かび上がる、儚く、美しい、光の輪。


 あぁ、線香花火か。


 その光は、沖田さんの、澄んだ瞳の中にも映り込んで、きらきらと無数にまたたいている。彼は、まるで、子供のように目を輝かせて、その光のダンスを見つめていた。


 火花はその勢いを、少しずつ弱めていく。まるで命の灯火が消えるように。

 そして、最後の、一番、美しい輝きを放った後、ぽとり、と、小さな黒い雫になって、地面に落ちた。


「……綺麗だねえ」


 沖田さんが、ぽつり、と、呟いた。その声は、うっとりとしていた。

「ぱっと咲いて、すぐに、消えちまう」


 その、何気ない一言。

 私の、魂が凍りついた。

 奈々の、人間の魂が、その言葉の、あまりにも、残酷で、正確な、意味を理解してしまう。

(……言わないで)

 お願いだから、そんな、悲しいこと、言わないで。

 あなたは、この、線香花火なんかじゃない。もっと、ずっと、強く、輝ける人のはずだ。


 けれど、私の声にならない、叫びなど彼に届くはずもない。

 彼は、ただ、満足そうに、ふう、と、一息つくと、煙だけが細く立ち上る、その、燃えさしを見つめていた。

「……なんだか、俺たち、みたいだね」

 彼は、そう言って、少しだけ寂しそうに笑った。


 後に残されたのは、火薬の、ツンとした匂いと、ひどく、濃密な夏の終わりの静寂。そして、私の心に、深く刻み込まれた、この、美しい絶望の記憶だけだった。


 これで、私が、最後に見た、沖田総司の、夏の日の思い出はおしまい。

 この、あまりにも、儚い残照の記憶を胸に抱いて。


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