第25話 次の世代へと
半年後、ジルヴェイグ大皇国より南洋の島国リセリナ=アンジェローニ女王国首都アマゾニウムロードスには、新しい法医学者が家族を伴って赴任してきた。
新興の女王国は世界各地から優秀な学者を集め、女子教育の最先端である女王威光大学を創設し、二代女王アレクサンドリアの野心あふれる勢いそのままに繁栄へと突き進んでいた。
そんな折、二代女王アレクサンドリアはある噂を耳にした。
「北のイアムス王国が反乱と戦争を経て倒れたと聞く。その原因は黒髪緑目の女性だったようだが、彼女はとうの昔に失踪し、今も王国の民は彼女の凱旋を待ち望んでいるほどの才媛らしい」
二代女王アレクサンドリアは驚いた。
女性が国の行末を左右し、いなくなっても人気が衰えないほどの実力者だったとは。
できるならば詳しく知りたい、と望んだ彼女は、また別の噂も耳にした。
「最近、とても上品な黒髪緑目の母娘が我が国の下町にいる。外国人のようだが、すでに我が国の言葉を習得し、母親は学者である夫とともに仲睦まじく暮らしている」
そうと聞けば、二代女王アレクサンドリアはその母娘を連れてきて話をしたいと言い出した。
もちろん北の王国で噂の才媛と同一人物とは思っていないが、優秀な女性であれば己のもとで働いてもらいたいと思ったのだ。新興国はいつでも人材不足であり、たとえ身分が平民であろうと低かろうと、実力を重んじる若さがあった。
それから数日後、使者が黒髪緑目の母娘を二代女王アレクサンドリアの前に連れてきた。
誰もが目を見張るほどに美しい、三十代半ばの淑女と十五にもならない少女は、お揃いの金のバレッタで艶やかな黒髪を後ろにまとめ、母は生成りの麻生地で作られた素朴な長丈のワンピースを、娘は少年のような綿のブラウスと濃紺のキュロットを着て、二代女王アレクサンドリアの前で見事な一礼をしてみせた。
「お初にお目にかかります、女王陛下。私、クラリッサと申します。こちらは私の娘アンドーチェです。このたびのご招待、大変嬉しく、楽しみにしておりました。粗相がなければよろしいのですけれど、親子ともどもまだこちらのマナーには不慣れなため、お目溢しいただければ幸いにございます」
クラリッサの口上は、どこにも文句のつけようがなかった。加えて、二人揃っての優雅な所作は、まごうことなき上流階級のものであると二代女王アレクサンドリアならびにその側近たちへ確信させた。
となれば、彼女たちは一体全体どこからやってきたのか。とっくに興味津々の二代女王アレクサンドリアは、二人を茶の揃ったテーブルに着かせ、身の上話を要望した。
「そなたたちはどこから来たのだ? その優雅な立ち居振る舞い、庶民とは思えぬ美貌、言葉遣いもなんら訛るところもなく使いこなすとなれば、ただものではあるまい。我が国にやってきたその理由、語ってはもらえぬか?」
これには娘のアンドーチェが若干渋る様子を見せたが、母のクラリッサは微笑みを絶やさず、明朗にこう返した。
「かしこまりました。ですが、一つだけお願いがございます」
「ほう、何だ?」
「私どもはすでに女王陛下のご威光に与っておりますが、その由来を未だすべては把握しておりません。どうか、女王陛下ご自身のお話も拝聴したく存じます。市井においては吟遊詩人の詩歌も耳にしますけれども、やはり女王陛下にお目どおりが叶ったならば、贅沢とは存じますがご本人からお伺いしたいと欲張ってしまうのです」
「お母様、それはわがままがすぎませんか」
咄嗟にアンドーチェが母クラリッサを制するが、クラリッサは特に悪びれることなく前言を翻そうとした。
「あら、そうかしら。では、恐れ多くございますが、このお願いはなかったことに」
「いやいや、気にすることはない。余にもまだ誰にも語ったことのない話もあれば、先代女王である母の武勇伝や自慢話もあるのだ。お前たちの話を聞き、余もまた話す。それでかまわぬか?」
二代女王アレクサンドリアは話し相手を得てご機嫌な様子で、クラリッサは嬉しそうに頭を下げた。
「大変ありがたく存じますわ、女王陛下。夫へのとてもいい土産話になります」
「もう……お母様ったら」
呆れる娘を、クラリッサは軽くつつく。
「あら、あなたもお聞きしたいのではなくて? 初代女王リセリナ陛下のご活躍を耳にして、この子ったら目を輝かせておりましたの、ふふっ」
「それは、だって、かっこいいから」
アンドーチェは賢いが、どこか少年のようで冒険譚や武勇譚を好んでいた。リセリナ=アンジェローニ女王国を建国した初代女王リセリナに対しては憧れを、さらに最大領土を確たるものとした二代女王アレクサンドリアに対しては敬意を持っていたのだ。
その旨を聞かされて、二代女王アレクサンドリアが機嫌を害する理由はなく、むしろ好ましく、微笑ましくアンドーチェを受け入れていた。
やがて、クラリッサはとある数奇で奇妙、不可思議な己の人生を語りはじめた。
「まず、私と夫の出会いからお話しいたしましょう。私の死を偽装したことから端を発した、ある不思議な事件について——それが、私の運命をこの国へと導いたのです」
黒髪緑目の少女がいた。
彼女は他の兵士と同じ軽鎧姿だったが、腰には一際目立つ赤鞘のサーベルを下げていた。
それを見た兵士たちは、なぜか自然と背筋が伸びる気がした。まるで一番偉い将軍に見られているかのような、ここで失態を犯してはならないと自戒してしまうような、そんな気持ちに駆られるのだ。
一人の兵士が、彼女に問いかけた。
「君はなぜここにいるんだ?」
少女は答えた。
「世界を見て歩くため。ときには傭兵仕事もするんです」
「なるほど。しかしここは危ない、最前線だ」
「分かっています。ですが、私はここでは一兵士です。その責務を全うしなければなりません」
どうやら、少女の意思は固いようだ。
となると、兵士たちは自ら、彼女を守ろうという気になった。彼女は剣術が得意で、最新鋭のライフル銃さえ扱えるというのに、だ。
ある兵士は、こんなことを言っていた。
「あの少女は偉い貴族の末裔で、サーベルはその証明の品なんだろう。勇猛果敢で、男よりも先に走り出し、敵陣に斬り込んでいく姿は、とても平民の娘の度胸ではない。何か、やんごとない事情があるに違いない」
果たして、それが正しいかどうかはさておき、いつのまにか周囲にいた兵士たちは少女率いる部隊に組み入れられて、なかなかの戦果を挙げた。偵察も、奇襲も、警戒も、難なくこなす。
となると、前線指揮官たちも興味が湧いたのだろう。数人が少女を訪ねてきた。
少女は、こう名乗った。
「アンドーチェ・クラリッサ・マーガリー・クロードと申します」
「クロードか。君はどこの出身だ?」
「父はジルヴェイグ大皇国です。母はヴェルセット大公国の出だと聞いています」
「君は平民か? 貴族か?」
「平民です」
「そのサーベルは?」
「祖父から譲り受けました。会うことはもうないでしょうが、これが唯一の繋がりです」
「なるほど。少し拝見しても?」
「どうぞ」
前線指揮官たちはアンドーチェからサーベルを借り受け、鞘に彫られた文字を読む。
『Steady』という一文に、『D,O,V』の単語。
一人の前線指揮官が、その意味に気付いた。
「これは……いや、しかし……」
その困惑から何かを察したのか、アンドーチェはサーベルを返してもらい、何も言わずに去った。
それから、数ヶ月後。
アンドーチェの噂は、援軍にも届いていた。
そして、その援軍の中に、金髪碧眼の若い高級将校がいた。
彼もまた、祖父から譲り受けた『Steady』という一文に『D,O,V』の単語が刻まれた赤鞘のサーベルを持っていた。
二人は前線指揮官たちに引き合わされて出会い、こう挨拶するのである。
「初めまして、閣下」
「うむ、初対面だ。確かにな」
その出会いから新たな物語が生まれるのだが、それはまた別の話である。




