第18話 後悔は老いにあらず
イアムス王国の終焉を告げる老公爵の言葉に嘘があると言うには、あまりにも無根拠で、彼の人格を考慮していないと言わざるをえない。
ヴェルセット公爵は間違いなく、後世に偉人として名を残す人物だ。それこそ大学の教職員名簿くらいにしか名前が残らないクロードとは比較にならない広範な義務と豪華な権利、それに見合わない大地よりも重い責任を持つ人物であり、その発言に偽りがあってはならず、万一事実と異なる発言をした場合には、その言葉を真実にすることで嘘となることを許さない。
もちろん、ロロベスキ侯爵家に仕えるアンドーチェも、きわめて身分の高い人々の発言の重みを知っているだろう。彼女の場合、それを憎々しいと感じるかもしれないが、山のように動かざるものなのだ、と諦めてもいる。
であれば、『イアムス王国の終焉』はもうすぐ来るのだ。国王と第一王子は国とともに消えゆき、成人前の第二王子と幼い第三王子は王子という身分を失う。その後の国の形がどうなるかは、すでにヴェルセット公爵の頭の中に計画表があるのだろう。
となれば、もうクロードがこの国でできることはない。むしろ、アンドーチェ同様、ここにいては危ない。ジルヴェイグ大皇国に帰れなくなっては困るし、マダム・マーガリーもここに至ってまだ滞在してくれとは言うまい。
せっかく伝手を駆使して手に入れた手紙も、もう紙切れも同然——。
そう考えた瞬間、クロードは閃いた。
まだ、できることがあるかもしれない。
困惑の色を隠せず俯くアンドーチェ、少女と学者の反応を待つ老体のヴェルセット公爵、変わり映えしない堅苦しい表情のままの護衛二人。
クロードは、沈痛そのものの雰囲気を、破ってみた。
「お帰りの前に、手紙を一緒に読みませんか?」
誰からの、とはあえて言わない。言わずとも、今はそれは問題ではない。
老公爵は、すぐにクロードの意図を察してくれた。アンドーチェへ用事を言いつける。
「アンドーチェ、温かい茶を淹れてもらえぬか。ゆっくりでいい、火傷しては困る」
「はい、かしこまりました」
執事見習いとしての習性か、アンドーチェは跳ねるように反応して、背筋を伸ばして部屋を出ていった。老公爵の命令の仕方が堂に入っているせいかもしれない。
部屋の扉が閉まったことを確認して、クロードはベッドに置いていた新聞紙の下から、二通の手紙を取り出す。一通は目の前のヴェルセット公爵から、もう一通はドゥ夫人からだ。
「ふう、この手紙を手に入れるだけでも大変だったのに、まさかご本人がやってくるとは思いもしませんでしたよ」
「よく外国人である貴殿が短期間でそこまでの伝手を手に入れられたものだ。マーガリーは手伝ってはおるまい?」
「そうですね。彼女は、僕にゾフィア内で動いてほしかったみたいです。あるいは他に何か思惑があるか。何にせよ、ドゥ夫人から聞きたいことを聞ける、と思っていた矢先に、国外へ逃れるようご助言いただけるとは」
「代わりに私が答えてやろう。その前に……貴殿はどう思っている? ドゥ夫人が何者かは、推測できたと?」
どうやら、ヴェルセット公爵はそれが気になっていたようだ。クロードがジルヴェイグ大皇国に帰ってドゥ夫人の正体を言い触らされては困る、といったところか。他にももちろん用事はあって老体を押してロロベスキ侯爵領ゾフィアまでやってきたのだろうが、人を遣わして口止めするよりは自ら知りうることを話して口外しないよう、口外しても利益はないと諭しにきたのだろう。それを誠実と見るか、強権的と見るかは人それぞれだ。
クロードは、ヴェルセット公爵が決して悪人ではないことを信じて、手札の一部を明らかにすることにした。
「ええ、一応は。まず、ドゥ夫人なる人物は存在しません。これは役職のようなもので、外見を担当する女性もいれば、中身を担当する女性、身代わりの女性など複数人がいると思われます」
「ふむ。続けたまえ」
「そして、クラリッサもまた、その一人だった。何らかの理由で王城に留まり、死ぬまでクラリッサとしては行方不明扱いを受け入れざるをえなかった。それは確定です、問題は」
「その理由については、手紙に書かれているはずだ」
「はい。ですので、クラリッサはドゥ夫人から罷免され、存在を抹消されたわけです。そのことを象徴する出来事が、王城の古井戸で発見された白骨死体をクラリッサとしたこと……クラリッサは死人である、と内外に宣言し、けじめとしたのでしょう。もしかすると、他のドゥ夫人たちも本名や本来の身分を捨てていて、役目から解放されたときには正式に死亡と公表される、なんて慣習があるのかもしれませんね」
クロードは、まだ手紙を読んでいない。たった今話した自説のようなことが、手にした封筒の中に書かれているとも思っていない。それでも、間違いではないと確信があった。
クロードがドゥ夫人とのやりとりのうちで、『ドゥ夫人』という役職について開示された情報は、ごくわずかだ。すなわち、『複数人がドゥ夫人を演じており、そのうちの一人と連絡を取った』ということ、ただそれだけなのだ。
だが、イアムス王国の奇妙な政治体制や地方の状況、ヴェルセット公爵やマダム・マーガリーの動向、何よりも『行方不明のクラリッサ嬢』事件の始終を分析していけば、クロードがドゥ夫人の一人と連絡を取れること自体が異変そのものなのだ。
理想の王都、大臣と官僚たちが政治を取り仕切り、王侯貴族を独占議会から排除し、情報流通網さえも変革してしまった辣腕政治家のドゥ夫人が、そこに綻びを生む真似をするだろうか。
逆に考えれば——綻びはすでに生まれており、やっとドゥ夫人の一人が外部に連絡を取ったのだ、とクロードは推測し、その主張を手紙に書いて送った。
現在のイアムス王国がもっとも恐れるのは、『ドゥ夫人』の内部崩壊だ。しかしてそれは起き、激動の直前にクロードはイアムス王国へやってきた。
クロードは封筒を指先で破り、中の便箋を取り出して、口に出して読む。
「ドゥ夫人曰く……「あなたの考えたとおりだ」、と。答え合わせの瞬間はいつでも緊張しますね。さて」
心にもないことを口にして、クロードはヴェルセット公爵へ推論を披露しようとしたところ、ヴェルセット公爵が右手を軽く挙げて制した。
クロードが知りうることくらい、この老公爵はとっくに知っている。説明するにおよばず、ヴェルセット公爵はとうとう、覚悟を決めたかのようにとんでもないことを話しはじめた。
「アンドーチェのいないうちに言っておこう。第二王子はあの娘の兄、血の繋がった実兄だ」
「やはりそうですか」
「第三王子は他のドゥ夫人を演じた女が産んだ子ども、異母弟ということになる」
「つまりは、父親は」
ヴェルセット公爵の顔がにわかに怒りに満ち、吐き捨てるように答える。
「現国王だ。あの男はクラリッサを手放したくないあまり、デルバートが捨てたのをこれ幸いと——自分のものとして傍に置きつづけた」
ここで想像し、考えてみよう。
大事な娘が婚約者に捨てられ、行方不明となった。連れ戻そうとしても行方は分からず、探しに探して十数年後、元婚約者の父親の子を二人も産んでいた。しかも、もう娘は死んだと思われる。
ヴェルセット公爵が受けた仕打ち、その心情は、結婚せず子どももいないクロードには少ししか理解できないとは思うものの、やはり再度確認してみるとあまりにも酷いと言わざるをえない。娘の死だけでもすでにヴェルセット公爵は嘆きに嘆いただろうし、あまつさえ——娘を侮辱した男の父親の子どもを産む、となると、そこに強制力が働かなかったわけがない。
そのときのクラリッサの気持ちは如何ばかりか。それを知ったときのヴェルセット公爵の怒りは、国をも滅ぼしてしまいたいほどではなかったか。
目の前の老人は、怒りで顔を歪ませている。つまりはそういうことで、クロードはしどろもどろになって慰めの言葉をかけようとするが、上手くいかない。
「あの、お気持ちはそのー……察するに余りあると申しますか、えーと」
「勘違いしておるようだが、私は国王もクラリッサも責められる立場にはない」
表情とは裏腹に、ヴェルセット公爵は冷静に言い切る。
「私はあの子に、完璧な令嬢であれと強いてしまった。どんな理不尽にも耐えろと教えてしまった、デルバートごときとの婚約などさっさと解消してしまえばよかったのに」
完璧であれ。耐えろ。ある意味では、それは貴族の義務であり、当然のしつけだ。
だが、クラリッサは完璧で、耐えられた。だから、デルバート王子の侮辱にも耐えてしまい、どんどんとクラリッサへ向けられる罵倒はエスカレートし、最終的にはとんでもなく屈辱的な婚約破棄の場を演出されてしまった。
クロードからすれば、ヴェルセット公爵のクラリッサへの教えは、『呪い』に転じてしまったのだろうと分かる。義務や権利は人間の生き方や習性、慣習にひどく影響を与え、こうあれと理想像を形作る。理想を作り出すための言葉は呪いとなり、人間の一生を縛ることも珍しくはなく、そしてほとんどの人間は生涯をかけても理想を体現できない。
(クラリッサに『呪い』をかけたと、ヴェルセット公爵は理解している。負い目どころの話じゃない、公爵という高い地位や身分、家長である誇り……それらがあっても義理の娘一人幸せにできなかったと、あらゆる関係者よりも自分自身に怒っている)
理想なんか追い求めなければ、完璧など作り出そうとしなければ、あるいは——。




