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第三話 法医学者エルネスト・クロード

 現在、イアムス王国とジルヴェイグ大皇国の仲は冷え込んでいる。


 ジルヴェイグ大皇国出身の法医学者エルネスト・クロードは、ジルヴェイグ大皇国特有の事情がより微妙な国際関係を作り出していると知っていた。若年ながらも大学教師を務めるクロードは、多少なりとも世間の人々よりは広範な知識を持っている。


 ジルヴェイグ大皇国は、皇帝とその皇子皇女がそれぞれ神籤(しんせん)、クジで決めた領地を持つ。土地に由来する貴族たちは数十年に一度代替わりして入れ替わる自領の領主を次の皇帝にしようと画策し、もし自分たちが戴く皇子皇女が皇帝になれればさまざまな恩恵や特権を得られるからと躍起になる。それは今後数十年の地位の安泰を約束し、他の貴族たちを出し抜く絶好の機会となるのだ。


 ところが、である。


 約十五年前、現第二皇女のキルステンがイアムス王国のデルバート王子と盟約を結び、皇帝位争いに外国の力を借りようとしてしまったのだ。


 今までは不文律として、国外の勢力を味方につけることは御法度とされていた。あくまで国内問題であり、皇帝位継承に諸外国の思惑を入れぬように、と守られてきた数少ないルールを破ってしまったキルステン皇女は、デルバート王子との結婚も視野に入れていたのに、国内の貴族たちの反対によって頓挫してしまった。自身の持つ第二皇女領の貴族たちでさえ強く反対したものだから、キルステン皇女の面目は丸潰れだ。


 それに——そこには一つ、とんでもない醜聞がくっついていた。


 それが、クロードが今回、イアムス王国へ出張する理由に大きく関係している。


 国境の大掛かりな砦を抜け、イアムス王国第三の都市であるロロベスキ侯爵領都ゾフィアに到着したクロードを待ち受けていたのは、奇妙な過去の因縁だった。





 分厚い曇り空に、無数の黒壁の木造建築物が緑青色の屋根を突き上げる。


 雨の多いロロベスキ侯爵領は、木造の家の壁をわざと火で炙って焦がし、さらに木灰やにかわを混ぜた黒漆喰を定期的に塗ることで、防虫防水機能を向上させている。銅板の屋根は錆びてすっかり白混じりの緑色となっているが、ただの屋根ではなく柔らかく軽い銅を使っているおかげで、屋根のあちこちに大小の装飾が凝られていた。大きな雄鶏が並ぶ屋根もあれば、聖典に出てくる賢人たちの銅像を散りばめた屋根もあり、可愛らしい天使の楽団が舞う屋根もある。


 そんなロロベスキ侯爵領都ゾフィアは、近くの大森林から木材を切り出して輸出する林業が盛んで、自国イアムス王国だけでなく隣国ジルヴェイグ大皇国にとっても重要な商売相手だった。


 何せ、木材は希少だ。イアムス王国にもジルヴェイグ大皇国にも森林はさほど多くなく、増え続ける国民を養う食糧を生み出すためにと無制限に開拓を続けたせいで、もう鉱山にでもするしかない禿山(はげやま)ばかりなのだ。そこいらの領地で植林しようにも最短で十年二十年はかかり、長い目で計画していくには色々と障害も多い。


 木材は、寒い冬を越すための燃料、建材、日用品の材料、それだけでなく、武器の主原料である鉄を作り出すために必要な良質の木炭ともなる。その過程で生まれる灰はガラスや火薬の材料に、あるいは石鹸代わりの洗剤として広く普及している。何を取っても、木材は金になるのだ。


 それゆえに、ロロベスキ侯爵領はイアムス王国とジルヴェイグ大皇国の両国にとって不可欠な存在であり、五指に入る裕福な都市であるとともに、両国の経済交流の最前線となっていた。


 雨の中、雑貨屋で買った黒のこうもり傘を差して、クロードは砂利道を歩く。手にはボロ鞄が一つ、宿に置いてきた木製トランクもクロードの祖父から三代使っている骨董品だ。


 ここはゾフィア内にいくつもある、ロロベスキ侯爵家が管理する森林庭園の一つだ。作庭好きなロロベスキ侯爵家は庭師を養成する学校まで設立し、国内外から多種多様な樹木や植物を集めて温室や庭園作りを推奨している。ロロベスキ侯爵家が貴重な森林資源を大事にしている、というアピールでもあった。


 クロードとしては、自然から離れた土壁ばかりの大学で長年過ごしているため、ここまで木々や青臭い草花に囲まれるのは幼少期以来だった。おまけに、雨がポツリポツリと降ってきて、ジメジメしている。故郷のジルヴェイグ大皇国の大部分は乾いた気候のため、新鮮な体験だった。


 クロードの茶色混じりの金髪は湿気を吸ってうねり、いつも以上にまとまらなかった。帽子を被ることを諦め、一張羅のベージュのスーツが濡れないようさっさと待ち合わせ場所である東屋(あずまや)を目指す。森林庭園にはあちこちに休憩場所となる東屋があり、多くは景観を眺めながらゆっくりできるスペースが作られているそうだ。


 その一つ、ガラス壁の東屋が見えてきた。屋根はシェード石の薄瓦を敷き詰め、四方八方を床から天井までガラス壁で覆い、屋根を支える装飾石柱は木々を模して眺望の邪魔とならないよう工夫されている。


 とはいえ、今は湿気でガラス壁全体が曇っており、中は灯りがあることしか窺えない。


 イアムス王国は本来それほど豊かな国ではない。ジルヴェイグ大皇国は南北に長い領地を持っており、東西の海に面しているため長年海上交易で儲けているが、一方でイアムス王国は北極まで続く雪吹雪く荒野と草原の国だ。自国で生産できるものには限りがあり、比較的温暖な南部に突出したロロベスキ侯爵領は完全な例外でしかない。イアムス王国の向こうにはまつろわぬ遊牧民や未だ石窟に住まう民たちの縄張りがあるのみで、イアムス王国自体が人類の先進文化圏の端にある野蛮な国と揶揄されることも少なくない。


 実際、クロードのいる帝立フローリングス大学でもイアムス王国上流階級出身の留学生は多数見かける。イアムス王国のデルバート王子さえジルヴェイグ大皇国への留学経験者であり、件のキルステン皇女はデルバート王子が留学していた帝立大学の出資者(スポンサー)である立場を利用して近づいたとか——そんな話ばかりだ。


(やめよう、俗な話は苦手だ)


 クロードは頭を振り、東屋のガラス扉前に佇んでいる一人の使用人へ声をかけた。


「どうも、エルネスト・クロードと申します。ご主人は中に?」


 キャスケット帽を被り、執事の格好をした黒髪の美少年は、こくりと頷いた。


「はい、すでに到着しております。クロード様、傘をお預かりいたします」

「これはどうも、では失礼して」


 屋根の下に入ったクロードは傘を閉じて、まだ声変わりもしていない少年執事へ手渡した。


 少年執事はガラス扉をさっと音もなく開き、クロードを中へ(いざな)う。クロードはそそくさと東屋へ足を踏み入れるが、背後にいる少年執事も入ってきてガラス扉に二重三重に施錠したことで、(ああ、相当秘密にしておきたい話だろうからなぁ)とお呼ばれしたことを少し後悔した。


 ガラス壁が曇るのも当然で、東屋の中心には鉄製の大型円形薪ストーブがあった。その排気は天井にある三本のダクトを通じて外に漏れ、東屋内は煙たいこともない。


 そして、ストーブの前には安楽椅子が二つ。本来は薪ストーブに対して車座になるよう何脚もあるのだろうが、それらはどけられて本日の貸切客のためにスペースを提供している。


 クロードは、自分を待っていた安楽椅子に腰掛ける招待主へ、ご機嫌伺いの挨拶を述べた。


「初めまして、マダム。ご招待いただきまいりました、エルネスト・クロードです。法医学者ではありますが……まあ、その類のご相談があってお呼びなさったのだと思われますが、お力になれれば幸いです」


 ぺこり、とクロードが一礼して顔を上げると、痩せた貴婦人が濃紺と黄色のドレスを着て安楽椅子に深く腰掛けていた。体は痩せてはいるが、夫人(マダム)と呼ばれるに相応しい貫禄を持つ四、五十代ほどの茶髪の貴婦人は、黒雉の羽扇を緑の口紅を塗った口元から下ろして微笑んだ。


「よくってよ、クロード先生。あなたの論文をいくつも拝見しましたわ。お若いのにどの教授よりも鋭い洞察力と深遠な思考力をお持ちで、批判精神に溢れる」

「ははは、おかげであちこちから恨まれていますがね」


 相手はクロードのことをよく調べている。それは当然だろう、わざわざ国境を越えてクロードを呼び出すほどの用件があるし、呼びつけるのに必要な大金をポンと払ってしまえる大変な財産家だ。


 痩せた貴婦人は、鷹揚に、親しげに挨拶する。


「私はマーガリー・ロロベスキ。人はロロベスキ侯爵夫人と呼ぶけれど、ここではマーガリーと呼んでちょうだい。堅苦しいのは嫌いなの、舞踏会や晩餐会でなら我慢するけれど、こんなところでまでそう呼ばれたくはないわ」

「分かりました。では、僕のことも先生とは呼ばないでもらえれば。まだ若輩の身ですので」

「よくってよ……エルネスト(アーニー)でいいかしらね」

「呼びやすければそれで。さて、マダム・マーガリー。早速ですが、どうかお話しください。僕を呼び寄せた理由を」

次回は今日5/27のpm19:00です。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >イアムス王国は北極まで続く雪吹雪く荒野と草原の国 なんか誤字のような気がするんですが、もしかすると私の知らない表現なのかも知れず、判断がつきません。「吹雪く」だけなら分かるんですが…
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