表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

3.新しい聖女様

 目が覚めた。明るくて、暖かくて、柔らかな空気が流れている。

 ここはどこだろう。


 私は大きな寝台に寝かされていた。

 上げられた天幕の向こうは、清潔感のある広々とした部屋。寝室のようだ。

 淡い色で揃えられた上品な調度品。テーブルの椅子は、なぜか一脚だけ寝台の脇にあった。

 明かりが差し込む窓には、細かな刺繍が施されたカーテンが揺れている。


 誰かの部屋なんだろうってことしか分からないけど。まるで夢のような、穏やかな空間。

 もしかしたら、夢なのかもしれない。結局、私はあの暗い地下で助からなかったんだ。

 力尽きる直前に見ている、一睡の幸福。

 そう考えると納得がいくけど、少し寂しい。

 もう絢華式を見上げることも、お茶を淹れることもできない。――クロム様に会うことも。

 胸がぎゅっと痛んだ気がして、ため息が漏れた瞬間。

 部屋の扉が静かに開いて、誰かが入ってきた。


 背の高いその影は、白い礼服に身を包んだ護衛騎士様。

 後ろでゆるく結えた青い髪に、オレンジの瞳が綺麗な――クロム様。

「クロム、さま……」

「あ」

 ドアを閉めたクロム様は、起き上がった私に気付いて。

 瞬きをして。

 すごくホッとしたような顔で駆け寄ってきて。

「あの、こ――むぐ」

 力一杯抱きしめられた。

「目が覚めた……よかった……」

 詰まっていた息を吐くような声で、そんな呟きが聞こえた。

 それは心からの安堵の声。耳に優しい声と暖かい腕に、私はやっとこれが夢じゃないと気付いた。

 礼服は肌触りが良く、腕は暖かい。力は入ってるけど痛くない。痛くはないけど、振り解けない。何が何だかわからなくて。でも。すごく嬉しくて。私はその肩に額を預けて。

 すぐに、そうじゃない。と思い直した。

 私は助かったんですか? あの場所からどうやって? 聞きたいことはたくさんある。

「あ、あの。クロム、さま」

「ああ……ごめん」

 パッと離れた温もりを目で追うと、クロム様は脇の椅子に腰掛けて息をついた。

「魔力の補充はある程度できてると思うけど、具合はどう?」

「魔力は、ええと」

 手のひらを見つめ、小さな光を灯してみる。すぐに掻き消えたけど、多少は戻ってきてるようだ。

「疲れはありますが……多分、休めば大丈夫だと思います」

「うん、それなら良かった。でも――」

 クロム様の手が伸びて、私の髪に触れた。

「髪の色は変わってしまったね」

「え? ああ、本当ですね」

 肩から流れ落ちてる髪は、色がかなり薄くなっていた。濃い灰色だったのが淡い銀になっている。

「魔力が減りすぎたのかもしれませんね」

「そっか……」

 クロム様は溜め息のように頷いた。その視線はすくった髪に落とされていて、なんだか思い詰めてるような表情に見えた。

「俺がもう少し早く気付いてたら、キミの色を変えることなんてなかったのになあ」

 見たことない表情と聞いたことない声に、私はなんと返せば良いのか分からなくなってしまう。

 いつもの楽しそうな目じゃない。気付いたら逃げ場のない身軽な言葉じゃない。彼にだってそんな表情もあるだろう。分かってる。でも、クロム様が気にする事じゃない。私の髪の色が変わった。それだけ。そう、それだけなのに。そんな顔をさせてしまったのが嫌で。いつものように笑って欲しくなる。

 けど。何を言えば良いんだろう。

「で、でも!」

「?」

「私、死んだわけじゃない、ですし」

 苦し紛れに出てきた一言は、彼の表情を変えることに成功した。きょとんとした顔で瞬きをしている。

「私、まだ生きてます。それは、クロム様が助けてくれたから、ですよね?」

「……ああ、うん。そうだね」

 目を伏せたクロム様は口の端を緩めて頷いた。

「元気とは言い難いですけど。大丈夫です。元気になります。髪の色だけで済んで良かったと思ってください」

 ねっ、と詰め寄るように言葉を重ねる。

 少し気圧された顔で私を見ている。その視線に負けないよう、ぐっと見上げる。

 根比べのようなにらみ合いの末、クロム様は困ったように笑った。

「そうだね。うん。キミが生きてる。それでいい」

 頷くクロム様の目は、普段のような色を取り戻したようだった。

「それに、キミが俺に突っかかってくるなんて珍しい姿も見れた」

「っ! そ、それは。クロム様が、あんな顔するからで……」

「うん。柄にもない事をした。こう言うべきだった。――その色も綺麗で似合ってるよ」

「う。なんですぐそういうことを……いや、その。あ、ありがとうござい、ます」

 小さくなってしまったけど、思わず否定しかけた言葉をお礼に替える。クロム様は何も答えなかった。ただ、ポットに入っていたお茶を注いでくれた。受け取って口を付ける。ハーブがほんのりと香るそれは、甘くて温かい。身体にじんわり染み渡る。

 クロム様は何も言わない。ただ、私が飲み終わるのを待っているようだ。

 表情はいつも通りのように見えるけど、この沈黙は何なんだろう。

 耐えきれずに違う話題を探す。

「あの、絢華式は。どうなりましたか?」

 もう祭りは終わってしまったのだろうか。それならあの式はどうなったのだろう。

「ああ。そうだね。うん。絢華式は無事に刻まれたよ」

「そうですか」

「ただ、その時にちょっと色々あって。今、上は大忙し」

「?」

 問題。魔力が足りなかったとか、式が上手く刻まれなかったとかだろうか。いくつかの心当たりに首を傾げる。クロム様は「そんなことより」と話題を切り替えた。

「キミが無事でよかったよ」

「そんな。聖女様でもない一介のメイドに……というか、よく私が居ないって気付きましたね」

「ん? そりゃあそうだよ」

 クロム様は当たり前のように頷いた。

「なんの理由もなしに3日も姿を見なかった」

「……それだけで?」

「そうだね。それだけ」

 でも、と言葉をつなぐ目が細められた。今にも溜息をつきそうな顔をしている。

「俺にとってはそれ程のことだったんだよ」

 いつもより小さな声だったけど、それは、クロム様の中にある感情の表れに思えた。心配していた。ほっとした。そんなのがたくさん詰まった声は。私が、あの時に縋って呼んだ声に近いような気がして。

 それは。つまり。

「……」

「リエル」

「……はい」

「ここまで言ったらいい加減気付いて欲しい、とまでは言わないけど」

 クロム様の目が私を見る。真面目な顔でも、人懐こさを感じる顔でもない。見たことのないその視線は、真っ直ぐで、熱くて、私の言葉を詰まらせる。

 部屋は広いのに、2人きりなのに。追い詰められたような緊張感が背中に伝う。

「君にはもっとはっきり言うことにするよ」

「えっ、いや、その」

「リエル。俺はね」

「……っ! 待っ、て! ください!」

 慌ててその口を塞ぐ。塞いでしまって考える。

 ええと。この流れでそれは。これまでの言葉ってもしかして。そういうことで。

「え。いや。だっ……だって、それは。その」

「うん」

「あれは。社交、辞令とか。そんな……の、じゃ。なかった、ん、ですね?」

「うん」

 視線をそろそろと向けると、クロム様の目が笑った。

 途端に、これまで受け取ってきた言葉が意味を含んで私の上に降ってくる。

 喉が渇く。声が詰まる。思い出される私の態度に、悲鳴をあげて布団に潜りたくなる。あんまりだ。あんまりな対応だった。恥ずかしさと申し訳なさで、背筋が冷たいのか、頬が熱いのか分からない。

「うぁ……ごめんなさい。私……」

「うーん。ここで謝られると傷付くなあ」

「あぁっ! いえ。そういうのじゃ。なくて!」

 声が小さくなる。そう。そういう意味のごめんなさいじゃない。

「その。私。喜んでも……いいん、ですか」

「うん。いいよ」

 その一言で、目から涙が溢れた。

 クロム様は何も言わず、私が塞いだままの手をそっと握って下ろした。

「ごめんなさい……私、全然、気付かなくて」

「いいよ。キミがその辺に鈍いのは気付いてたから」

 大きくて暖かな手が、私の手を包み込む。

「で。続きを言ってもいいかな?」

「…………はい、おねがいします……」 

 顔は上げられないし、色んな意味で消え入りそうな小さい声だったけど、ちゃんと届いたらしい。うん。と頷く声がした。

「リエル。俺はね。キミのことがずっと好きだった。正直言えば一目惚れだったし、髪も声も……どこを取っても好きなんだけど。空を見上げる横顔が特に好きなんだ。護衛っていう大義名分も手に入ったし、これからはしっかりと、キミのことを守らせてもらうよ」

「はい。ありがとうございます。その、私も。クロム様のこと好き、で……って、えっ?」

 クロム様はなんと言った? なんか後半がよく分からなかった。

 瞬きをする私に向けて、クロム様がにやりと目を細める。

「キミの恋人としてはもちろんだけど、俺の職務(護衛騎士)もしっかり全うさせてもらおうかと思ってさ。ね。聖女様」

「……は? 聖女さ……えっ、どういう、ことですか!?」

「あっははははは! 良い反応だ」

「笑い事じゃなくてですね!?」

 クロム様ひとしきり笑うと立ち上がり、背筋を真っ直ぐに伸ばして恭しく礼をした。

「リエル=ゼスティニア様。新しい聖女様としての就任、おめでとうございます。私、クロムガット=ジェウエッジ、誠心誠意お守りすると誓います」

「……」

「って事なんですが?」

「どういうことなんですか!?」

 思わず声を上げると頭がくらっとした。ふらついた身体を、クロム様はそっと支えてくれる。

「ほらほら、まだ本調子じゃないんですから」

「……クロム様」

「はい」

「普通に、喋ってください」

 何も分からないのに、両想いだと分かった人が突然他人行儀になるのはちょっと寂しい。

「――ふふ。分かったから、そんな目しないで」

 クロム様は布団を私にかけて、椅子に座り直す。

 長い足を組んで、「つまりね」と軽い声で続きを話してくれた。

「先代の聖女様――ヴィオラジア嬢が、精霊に認められなかったんだ」

「えっ」

 思わず起き上がり、目眩に襲われる。眩む頭を抑えていると、クロム様は傍にあった上着を掛けてくれた。

「精霊が、認めなかったって。どういう」

「それがさ」

 と、クロム様は語る。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ