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1.聖女様のお願い

 リエル=ゼスティニア。聖女様のメイドをしています。

 いやもう、今となっては「していました」と言う方が正しいかもしれない。

 だって、魔力も命の灯火も、尽きそうなんだから。


 □ ■ □


「えっ。私が、ですか?」

 聖女様の言葉に、私は思わず聞き返してしまった。

「そう。貴女なら術式の調整ができると聞いたの」

 鈴を指先でそっと転がすような声と、花のような笑顔で、聖女様は「どうかしら」と問いかけてくる。

「……ええと」

 答えに戸惑って、私は思わず窓の外を見た。

 すっきりと晴れた空には、今日も美しい魔法陣がきらめいている。


 この国では、もうすぐ彩花祭(さいかさい)が行われる。

 それは、春の訪れに感謝し、一年の豊かさを祈る祝祭。

 一週間かけて盛大に行われ、最終日には聖女様が一年をかけて織り上げた祈りの術式を空に刻む儀式も行われる。感謝と祈りを込めた術式の魔力は精霊達の糧になり、精霊達は加護を授ける。そうすることでこの国は安定した気候と豊かさを得てきた。

 王都の上空に刻まれる術式は繊細で美しく、誰もがその神秘的な光景に溜め息を零す。魔法陣の一種ではあるけど、一般的なそれとは区別して、絢華式(けんかしき)と呼ばれる。


 その絢華式の最終的な調整をしてほしい。

 聖女様はそう仰った。


 確かに私は絢華式が好きだし、空に刻まれている術式を眺めて過ごしていた。

 歴代の式を集めた図録は私の宝物で。いつかはその研究をする職に就きたいと思っていた。色々あって聖女様の近くで働くに至ったのも、儀式を近くで見られるかもという期待がなかったと言えば嘘になる。

 そんな小さい頃から憧れていたものに触れられる。誰よりも早く見ることができる。そんな機会があるという。


 正直言えば、この話は両手を挙げて引き受けたい。


 しかし。しかしですよ。

 私は聖女様の身の回りの世話をするメイド。いわば側仕えのひとり。

 最近欠員が多いから部屋への出入りが少し増えただけで、普段はこの部屋に立ち入ることもほどんとない程度の新人。

 任されるには責任が重すぎるし、なにより恐れ多い。


 戸惑う私に、聖女様はもう一度微笑んだ。

「困らせてごめんなさいね。けど、貴女は学園で優秀な術式研究を残したと聞いたの。私はほら――聖女になってまだ1年だから。きちんと織れてるかも心配で」

「……しかし、そういうのは」

 司祭様が確認をしてくれるはずだ。私が触れることは許されない。いや、私だけじゃない。誰であってもそうだ。

 けど、聖女様は分かってるわと頷く。

「ええ。司祭様に確認してもらう日取りも決まってるわ。だから、最終確認の前にきちんとできているかを見て欲しいの」

 どうかしら、と。白く細い指先を合わせて小首を傾げる。小鳥のような聖女様の笑顔は暖かな春のよう。でも、その奥に氷のような鋭さも感じる。私の中の何かが、その冷たさに気をつけろと囁く。

 見たい。見たいけど。

 私はその欲をぐっと飲み込み、小さな声で返した。

「……考えさせて、ください」

「ええ。急な話だったもの。もちろんよ」


 □ ■ □


「はあ……」

 どうしよう。と私は溜息をつきながら廊下を歩く。

 返却を頼まれた本を抱えて、書庫へ向かう。

 正直なことを言えば、見てみたい。けど。通常なら絢華式は当日まで秘されるべきもの。術式の破綻がないかの確認という手順はあるけど、そういうのは上層部の人達がやることであって、側仕えに確認を頼むなんて話は聞いたことがない。でも、聖女様直々のお願いだし……いや、術式そのものじゃなくても、構成記録とかそういうのだったら……。

「おや。溜め息ついてどうしたんだい?」

「っ!」

 後ろから突然かけられた声に、足を止める。

 振り返ると、白い礼服に身を包んだ護衛騎士様が立っていた。


 クロムガット=ジェウエッジ様。私が仕え始めた頃に助けてくれて、それ以来の付き合いがある人だ。こうして話しかけてくれたり、時には食事の席を共にしたり。広い意味で言えば同僚と言えるかもしれない。

 後ろでゆるく結えた青い髪に端正な顔立ち。落ち着きのある雰囲気を持ちつつ、笑うとオレンジの瞳に人懐っこさがある。職務に忠実なその姿は、正直言えばかっこいい。けど、私はちょっと苦手だ。

 こんな風に気付いたら後ろに立ってるところとか。いつもびっくりさせられている。

 今日もそうだ。足音もなかった。いや、今回は私が考え事をしていて気付いてなかっただけかもしれないけど。


「クロム様……」

 背が高い彼を見上げると、オレンジの瞳が私を見下ろして笑った。

「やあ。リエル。今日もかわいいね」

 少し低くて柔らかな声が耳にするりと入ってきて、呼吸がぎゅっと詰まりそうになる。


 クロム様は会う度にそう言ってくれるけど、私の髪は濃い灰色でうねっているし、背は小さい。本当にそうなんだろうかと素直に受け取れない所は、我ながら可愛げがないと思うのに、クロム様はいつだって誉めてくれる。

 それがくすぐったくて、落ち着かなくて、少しは真に受けてもいいんじゃないかなという気もする。

 いやいや。メイドのひとりでしかない私にこんなことを言うんだ。きっと他の人も同じように褒めているに違いない。そうだよリエル。真に受けちゃダメだよと言い聞かせ、心を落ち着かせる。


「クロム様、またそんなこと言って。わ――」

「私なんか、とか言わないように」

 言葉を先回りで封じられて、私は言葉を飲み込む。

「……どうして、ですか」

「そりゃあ、俺はそう思ってるからで、キミの自己評価は聞いてないから」

「う」

 ここまできっぱり言われると、言い返すのも難しい。こんな風にあっという間に逃げ道を塞がれてしまうところも苦手だ。あくまでも柔らかく優しく真っ直ぐ。なのに、気付けば逃げられないままその言葉を受け入れる事になる。

 わかりましたと頷くと、クロム様も「ん。よろしい」と頷いた。

「それで、なにか悩んでる様子だったけど」

 どうしたの? と彼は私の手から本を数冊取り上げて隣に並ぶ。

「あっ。それは」

「今から書庫へ返却しに行くんでしょう? 暇だし運ぶよ」

「え、あの」

「いいの。申し訳ないと思うなら、その溜め息の理由を聞かせて」

「……む」

 クロム様はこうなったら引かない。でも、すべて正直に話す訳にもいかない。

 どうしよう、と考えながら止まっていた足を進める。

「その。聖女様からの相談事なので、口外はちょっと難しくて」

「なるほど? それじゃあ詳しく聞くわけにはいかないかあ」

「はい」

 これで話を終わらせることができる、とほっとした瞬間。

「でも、今この時期に聖女様が悩まれてるというのは見逃せない話だ。もう少し聞かせてもらっても?」

「……」

 横目で彼を見上げる。目が合った。細めて笑うその目は、職務中には見たことがない親しみやすさを感じる。いやいや騙されちゃいけない。この笑顔程度で情報を漏らしてたら、メイド失格だよ。

「いえ。騎士の方々には関係のない話ですよ。それとも、女性同士の秘め事を暴くような趣味が?」

 クロム様の目がぱちりと瞬きをして。ふ。と顔がほころんだ。

「ふ。ふふ……はは。そうだね。キミのことはどれだけでも知りたいけど。そう言われちゃったらなあ」

「そういう事ばっかり言ってると、色んな人を勘違いさせちゃいますよ」

「それは困るかもなあ」

 彼はクスクスと笑って本を抱え直した。少し大きく一歩を進め、私に背を向けるように先をいく。

「でも、困ったことがあったらすぐに俺を呼ぶんだよ」

「はい。その時は」

 護衛騎士様だから、私達に何かあった場合に駆けつけるのは当たり前のことだ。その通り受け取って頷き、足を止める。

 もう書庫の入口は目の前だった。

「ありがとうございます。あとはひとりで大丈夫です」

「そう。それじゃあ」

 私の差し出した本の上に、持っていた本がそっと重ねられる。手を放すと同時に、本に挟まりそうだった髪が背中へ弾かれる。

 増えた重さを抱え直す間に、書庫の扉が開かれた。

「約束だよ。何かあったら呼んでね」

 念を押してくる。私はもちろんですと頷いた。

「その時は、きちんと呼びます」

 うん、と頷いたクロム様はそのまま立ち去り、私は書庫へと向かう。


 何かあったら護衛騎士様を。クロム様を呼ぶ。

 それは、思えば軽い約束だった。

 少なくとも、私にとっては。

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