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死者たちの帰郷

作者: 遠山枯野

 山道を走る高速バスの乗客は私一人だけだった。高速道路を降りたところの町で他の乗客はすべて下車してしまった。かつて私が育った村に着いたときには太陽は遠くの山際まで迫っていた。黄昏の柔らかい光がバス停の待合室の中を黄色く照らしていた。


 バスを降りると、ヒグラシの大合唱に包まれる。ときどき、田んぼを吹き抜けるひんやりとした風が頬をなでるのが心地よい。ここから実家まで歩いて三〇分の道のりもこの気候なら苦にならない。


 数年に一回、お盆休みに帰省している。七月に入ってから仕事で問題が多発した。毎日の深夜残業に加えて、休日出勤が続き、気付いたら連休に入っていた。中途半端に残してきたプロジェクトのことが気がかりのままだが、お盆休みの間は出勤規制されているので、特別な理由でもないと会社にも行けない。仕方がない、ここは頭を切り替えてしっかり休もう。


 ヒグラシの声に交じって、子供たちの声が聞こえてきた。お墓の方だ。今日は八月一三日、きっと盆綱引きの準備なのだろう。小学校時代を思い出す。


 この地方には盆綱引きと呼ばれる風習がある。お墓から祖先の霊を家々の盆棚へ迎えるためにその地区の子供たちが参加する年中行事だ。縄と藁を結んで盆綱と呼ばれる、仏様を乗せる土台を作る。綱と藁でできた大きな担架みたいな形をしている。子供たちはみんなでその盆綱を持ち上げて歩き、家々を回って行く。各家では門前に迎え火を焚いて祖先の霊を迎える準備をしている。子供たちは家の庭に入り、

「仏様が参らした!」

と繰り返しながら、三回ほど回る。家主は労いとして、引率のためについてきた子供会の役員に小遣いを渡す。すべての家を回った後、お墓に戻って盆綱を燃やして解散となる。子供たちにはご褒美としてアイスか、ジュースが配られた。それが楽しみだったのを覚えている。


 せっかくなので、実家まで盆綱引きを見物していくのも悪くないと思った。子供は九人ほどか。過疎化によりだいぶ減ってしまったようだ。そのとき、見知った顔に声をかけられた。

「おい、将太か。なんで、お前ここにいるんだ。」

 当時、同級生だった一雄だ。きっと、子供会の役員が回ってきて手伝っているんだろう。地元に残って農業をしている一雄は休み中も仕事だから、私が帰省したときも会う機会が少なかった。顔を見るのも数年ぶりだろうか。

「なんで、って、お盆の里帰りだよ。これから家に帰るんだ。」

「そうだったのか・・・。じゃあ、途中まで一緒に行くか。」



 私たちは盆綱を引く子供たちの後について、線香の匂いの立ち込める夕暮れの道をゆっくりと歩いた。お互いもう四〇歳に近い。誰が結婚したとか、離婚したとか、病気になったとか、亡くなったとか、そんな話が続いた。

「そういえば、お前、独身だったよな。いいよな、失うものがなくて。俺たちが地元に残って農業やってる間に、東京で好き勝手、生きてきたんだろう。」

「そうかあ。こっちだって、ブラック企業で深夜残業させられて、婚活する間もないまま、もうこの歳だよ。独身は寂しいものだ。おまえこそ、きれいな嫁さんをもらって幸せじゃないのか。」

「そんなことはねぇよ。うちもいろいろあってな。もう疲れたよ。」


 夕闇の中、迎え火の灯る門を抜けて最初の民家に入った。

「ほーとけさーまがまいらした、ほーとけさーまがまいらした、・・・」

 子供たちが掛け声を上げながら盆綱を引いて庭を旋回する。縁側の窓が開いていて、その奥の畳の部屋で回転する盆提灯が光を散らすのが見える。庭を回り終わると、いつのまにか玄関に出ていた主人が財布の中からお札を取り出して子供会の役員に渡した。役員に引率され、子供たちは次の家へと向かう。私はつぶやいた。

「なつかしいなぁ。」

「ほんとだよ。今思えばあの頃がいちばん良かったな。まさか俺たちが送られる側になるとはな。」

「何言ってんだよ、まだ老け込むのは早いって。」


 そう言えば九人の子供たちのひとりに、一人馴染んでない子供がいた。他の子がおしゃべりしながら歩いているのに、ずっと黙ったままで、あきらかに馴染めていない。まあ、学年も違うのだから、同級生がいなければそうなるかもな、と思った。


 しかし、その子は三軒目を回ったときにいなくなってしまった。私の怪訝な顔を見て察したのか、一雄が口を開いた。

「さっきまでいたあの子わかるか? 智子だよ。」

「はぁ?あの智子のことか?小学校の時に事故で亡くなってるだろう。」

「そうだよ、だから、お盆に帰ってきたんだよ。」

 そう言えば、さっきの家は智子の家だ。私は雄一がふざけていると思った。

「悪い冗談はよせ。じゃあ、他の子どもも仏様なのか?」

「いや、あの子だけだ。成仏していないんだよ。だから、そもそも仏様とも言わないな。自分が死んだことを受け入れられていないんだ。何か気がかりがあるんだろう。だから、ただの幽霊だ。幽霊は生前の形のままなんだよ。それと亡くなって四九日を過ぎる前の霊、つまり、あの世に旅立つまえの霊なんかも、まだ成仏してないから、生前の形のまま残ってるな。」

「なんで智子は成仏できないんだよ。」

「お前のせいじゃないのか。」

 一雄はこちらを見て不敵に笑った。

「ほんとに、よくそんな戯言を思いつくな。」


 七軒目の家に入った。盆綱は同じように三回ほど庭を回る。一雄の妻が出てきて、お札を渡す。その姿に少し驚いた。顔半分に包帯を巻いている。確か、彼女は同級生の美代子のはずだ。面影はあるが、酷くやつれて一瞬、別人に見えた。家の門を出たとき、一緒についてきたと思っていた一雄がいなくなっていることに気付いた。あいつ、役員じゃなかったのか。おかしなやつだなぁ。


 道に出てから後ろを振り返ると、妙な光景があった。火の玉のような無数の青い光が、先ほど通ってきた道に沿って無数に続いている。神秘的な光景だった。一つ一つの炎が魂を宿しているかのように揺れていた。盆綱が道を進むと、それらの炎も後をついてきた。


 盆綱を引率している役員たちの話声が聞こえた。

「あの家ほんとに呪われているよな。生まれた子供を二人とも亡くして、奥さんは顔を大やけどするし、先日は、旦那さんまで亡くなって・・・」


 私は嫌な予感がしていた。だんだんと、私の家が近づくにつれて、動悸が激しくなった。

私の家、いつものお盆の光景。庭に面した部屋の窓が開け放たれ、奥には、光を放って回る盆提灯が見える。その光だけが暗い部屋で踊っている。盆提灯に挟まれた盆棚の上には、野菜や果物などのお供えと位牌が置かれていた。


 その中央の位牌が真新しい。一〇文字の戒名を見ると、私の名前の2文字が含まれている。そして、令和五年七月三〇日という文字。私は膝から崩れ落ちた。

気付かなかったのだ。忙しすぎて・・・


 玄関に出てきた私の兄が役員と立ち話をしている。「過労」という言葉が聞き取れた。


 私の頭には後悔の念があふれ上がった。やらされているだけの仕事に追われる人生、閉塞感の中で終わってしまった人生。もちろん、楽しいことだってあった。でも、やっぱり、本当にやりたいことをしなかったこと、思い切った挑戦をしなかったこと、その後悔が膨れ上がった。


 いったんネガティブな方向に感情が傾くと、連鎖的に悪い記憶が湧き上がるものだ。幼いころの記憶。私はいつの間にか、忘れていた。いや思い出さないように心の奥底に封印していたのだ。苦い後悔。私は家の門を出て、先ほど盆綱と一緒に歩いてきた方向へ走り出していた。


 私があの世に行く前、まだ幽霊としてこの世にとどまっている間に、あいつを成仏させるのだ。



 智子は縁側に座っていた。私は智子の前で跪いた。顔を上げて、目が合うと智子は微笑んだ。

「待ってたよ、将ちゃん。」



 あれは小学校五年生の秋だった。智子は私が好きだったようだ。智子はそんな積極的な子ではなかったが、好きな男子を言い合うような女子会でもあったのだろう、おしゃべりな女子たちが広めてしまったのだ。あの美代子がその中心だったと思う。内気な私は気まずくなって、智子を遠ざけるようになった。男友達からの冷やかしに耐えられなかった。当時の私は恋愛などに興味がなかったのだ。いや、恋愛と言って良いのかわからないが、当時、担任だった女の先生が優しくて美人で、私を可愛がってくれたので、恋に近いような憧れを抱いていた。それに比べたら、智子は幼稚な子供に見えた。私はあからさまに智子を避けるようになった。お互い近所に住んでいたので、それまでは良く遊んでいたのだが・・・


「お前ら愛し合ってんだろう。キスしてみろよ」。放課後、学校の裏山で、一学年上の不良少年と私の同級生を含めたグループに私と智子は囲まれていた。

「ほら、やらねーえと終わんねーぞ。俺たちの前でさっさとやれよ。」

 グループに交じっていた美代子が言った。

「ねぇー、キスぐらいいいでしょう。」

 智子は最初怯えていたが、美代子に背中を押されると覚悟を決めて目を閉じた。私は耐え切れず、智子を突き飛ばした。美代子が野次を飛ばした。

「あんた、何やってんの!酷いやつだね!」

 倒れたままの智子を横目に、私はその場を走り去った。


 その日の帰り道、智子は崖から転落して亡くなったらしい。不良グループは起き上がらない彼女を置き去りにしてきたという。現場の状況から、事故として片づけられた。


 確かに危ない道だった。あたりも暗くなっていたようだ。しかし、さまざまな憶測が私の頭を巡った。不良グループに突き落とされたのでは、まさか自殺なのでは・・・。心の中がもやもやしたままだった。そして、最後にあんな別れ方をしてしまったことを後悔した。


 私が結婚に踏み切れなかったのもこの過去の暗い思い出がブレーキをかけていたからかもしれない。自分なんかが幸せになっていいのかと。仕方なかったんだ。自分のせいではない、そう言い聞かせてきた。そうしないと前に進めなかった。もしかすると、その思い出から気をそらすために、私は猛勉強し、この村を出て、都内の進学校に進んだのかもしれない。


「智子、ごめん。本当は仲良くしたかったんだ。俺もずっと後悔してたよ。俺のせいで成仏できないんだろう。」

「ちがうよ。あなたは悪くないよ。だいたい、わたし、そこまであなたのこと好きじゃなかったし・・・」

 そう言うと、智子の表情が突然、凍り付いた。その鬼の形相を見て、私は反射的に飛びのいた。智子は冷たく言い放った。

「私はね、私を崖から突き落としておいて、のうのうと生きているあの女からすべてを奪ってやるの。」

 智子は表情を崩さずに続けた。

「あの女が結婚して子供を授かって、幸せそうにしているのを見るほどに私の憎しみは倍増していった。あの女に罰を与えるの。」


 私は怖くなった。私も幽霊だが目の前の幽霊が怖かった。私は逃げようとした。まるであの頃のように。


 しかし、このままでいいのか。彼女をこのまま残しては、私のほうこそ成仏できない。


 私は、踵を返して智子の元に駆け寄ると、彼女の小さな体をやさしく抱擁した。

「もう十分だ。美代子も十分に苦しんだよ。許してやってくれ。本当は俺がぜんぶ悪いんだ。俺がおまえをこんなふうにしてしまったんだ。お願いだ、もとの優しい智子にもどってくれ。」


 智子は少し驚いたようだが、やがて私の胸に顔を埋め、声をあげて泣き出した。あの頃の優しい表情に戻っていた。

「ずっと暗闇の中にいた。さびしかった・・・・。」

 

 次第に智子の体の輪郭がおぼろげになっていった。やがて青い火の玉に変わると、ゆったりと揺れながら、盆棚の方へ吸い込まれていった。


 私ももうすぐそちらに行く。今になってやっと人生の安らぎを見つけたように思えた。

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