約束
「ごめん......僕は先に帰らせてもらうよ......」
そう言い残すと、大森くんは帰ってしまった。
『せっかく僕なんかと仲良くしてくれていたのに怒らせてしまった......』
僕は自責の念に駆られながら電車に揺られていた。
――次の日。
「昨日は本当にすまない。」
下駄箱に着くと、先に来ていた大森くんが深々と頭を下げてきた。僕は頭をあげるように促す。
『僕の方こそ急に変な質問しちゃってごめんなさい。』
僕はメモを見せながら謝る。
「君が謝ることはないよ。ただ、昔の自分が重なって見えて、動揺してしまったんだ......」
――「兄さん、速くてかっこよかったよ!」
「ありがとう。俊太。」
僕の兄は競艇選手である。うちの家系は代々競艇選手になっており、僕も当然競艇選手になるものだと思っていた。
「僕も兄さんみたいにすごい競艇選手になれるかな?」
「俊太はセンスあるから、俺よりすごい競艇選手になれるかもな。」
兄は僕の憧れであった。しかし、そんな憧れの兄は少しの操作ミスで、帰らぬ人となってしまった。しかし、母は兄の死が受け入れられずにいた。母は、僕を競艇選手にさせようと躍起になった。多分、僕を競艇選手にすることで、兄と重ねて平静を保とうとしたのだと思う。しかし、この頃僕は急激に身長が伸び、競艇選手に向かない体格になってしまった。僕が競艇選手になれないと分かると、母は兄の後を追うように、飛び降り自殺を図った。僕はこの身長を呪った。幸いにも命は取り留め、入院することとなった。兄の死、母の自殺未遂を小学生の僕が受け入れられるはずもなく、自殺を図ろうと母の入院している病院の屋上にいた。
「ごめんなさい......」
「きみ、なにしてるの?」
ニット帽をかぶり、病院服を着た、小柄な同級生くらいの女の子が話しかけてきた。
「邪魔しないでくれ。見たらわかるだろ。」
「じゃあ、せめて理由だけでも教えてよ。話したら楽になるかもしれないし、少しくらいいいでしょ。」
「分かった、少しだけなら。」
すぐに切り上げるつもりで話し始めた。しかし、口を開く度に色んな思いが溢れだし、全てをさらけだしていた。彼女は一言も口を開くことなく、耳を傾けてくれていた。僕は、誰かと今の自分の想いを共有したかったのかもしれない。彼女の言う通り、少し気持ちが楽になった。
「まだ、考えは変わらない?」
「いやもう少し考えてみるよ。」
「よかった。」
彼女は今の僕には眩しいほどの笑顔で答えた。
「また会えるかな?」
「また屋上に来て。病院って暇なの。」
僕は母の見舞いの度に屋上に足を運んでいた。彼女はいつも眩しい笑顔で出迎えてくれた。その度に色んなことを話した。彼女の名前は富田翔子。癌で入院していることや病院食は水曜日のデザートだけ美味しいなどの他愛もない話をしていた。
「治療のために、抗がん剤を飲んでるんだけどね、そのせいで髪の毛が抜けたり、吐き気がして苦しいの。」
僕はなんて声をかけていいのか分からずに俯く。
「そんな暗い顔しないで。暗い話じゃないから。私、将来研究者になって、苦しみのない抗がん剤を開発したいと思っているの。」
「どうして翔子ちゃんはそんなに強いの?」
「強くなんかないよ。ただの発想の転換だよ。苦しみを知っているから、他の誰かに同じ苦しみを味わって欲しくない。だから約束して。きみも私とは違う苦しみを知っている。もし自分と同じ苦しみを持っている人がいたら助けるって。」
「分かった。僕も同じ苦しみを持つ人を助ける。僕達で世界から苦しみをなくそう。」
僕達は指切りをした。その時の彼女の笑顔は今までで1番眩しかった。