第三百六十三話 ありふれた日常ラブコメのような その8
結局のところ、しほは幸太郎と付き合うことをためらっている。
もちろん嫌いだから、というわけじゃない。好きすぎるあまり、臆病になってしまっているだけだ。
「……ごめんね? 私、とても勝手なこと言ってるわ」
その自覚はある。
幸太郎の気持ちを考えるなら、ちゃんと受け入れた方がいいだろうと思っている。
なんだかんだ、大好きなのだ。
付き合ってしまえば、後はどうにかなるかもしれない……そういう考え方だってあるだろう。
それでもやっぱり、しほは二の足を踏む。
現状があまりにも幸せ過ぎるから、変わりたくないとわがままを言ってしまう。
そんな彼女を……幸太郎は、静かに見ていた。
穏やかな表情で微笑みながら、ゆっくりと彼は言葉を紡ぐ。
「勝手なことじゃないよ。それがしほの『想い』なら、大切にしないと」
そう言って、しほの罪悪感を軽くしてくれる……そんな一面に、ついつい心が鷲掴みにされるのだ。
(彼以上に素敵な人間なんて、どこにも存在しないわっ)
ドキドキと高鳴る鼓動がうるさい。
抑えようと胸を抑えても、それを跳ね返すほどに心臓が動いている。
血流が早くなって、顔だけじゃなく体全体が熱かった。頭はもうグルグル状態で、稼働しすぎて故障しそうなパソコンのように煙を上げているような気がする。
「あのねっ……私、幸太郎くんのこと大好きなのっ」
「うん、ちゃんと分かってるよ」
「……ありのままの幸太郎くんが、好きなんだからね?」
「……? それはまぁ、うん。分かってる、けど」
幸太郎が不思議そうな顔で首を傾げている。
その顔を見て、しほは『本当に言いたいこと』が伝わっていないを察した。
(違う幸太郎くんに、ならないでね)
その言葉は、心の中でだけ呟いておく。
今は恐らく、届かない……そう判断して、彼女は『付き合っていることを怖がるもう一つの理由』を秘密にした。
(私と付き合うことで、幸太郎くんも変わる可能性があるし……それも怖い――なんていうことまでは、さすがに言わない方がいいかしら)
最近、幸太郎が音を変える瞬間がある。
今の彼は、ありのままの『中山幸太郎』だから、しほは思う存分愛することができるのだが……音の変わった彼は、別人のように冷たく思うことがあった。
それがあまり、好きじゃなかった。
付き合うことで……何かを変えることで、幸太郎に影響が出ることも、しほは怖がっていたのである。
そういうわけなので――付き合うのはまだ早いと、そういう結論に帰結したわけだ。
「……幸太郎くん、告白してくれてありがとうっ。あと、めんどくさいこと言っちゃって、ごめんね?」
「ううん、大丈夫……まぁ、予想はしてたよ。たぶん、しほはまだ乗り気じゃないんだろうなぁ――って。それでも、ちゃんと気持ちを伝えておきたかっただけだから、今はそれができただけで十分だよ」
「うん。えっと……へたれな感じになっているのにこんなことを言うのはあれだけど、告白されたことはすっごく嬉しかったわ。えへへ」
はにかむように笑うと、幸太郎は肩をすくめてしほの頭をポンポン、と叩いた。
「『ゆっくりでいい』……そう言ってくれたのは、しほだよ。俺のことを待っていてくれたように、俺だってしほのことを待っているから」
優しく待ってくれている。
それが、しほにとっては本当にありがたかった。
(――きっと、これから先……幸太郎くん以上に好きになれる人なんて、いない)
そう確信した。
それくらい、幸太郎は素敵な人だった。
……しほの一人称から見た幸太郎は、そんな感じである。
まるで、少女漫画の主人公様に、彼はキラキラしている。もちろん、しほの目にはフィルターがかかっているので、実際にそういうわけではないのだが。
今までは幸太郎の一人称でばかり物語が進んでいて、彼の認識で他の人物たちにもキャラクターがついていた。
でも、視点が変わると、キャラクターも違って見えるわけで。
幸太郎は、幸太郎が思っている以上に魅力的だ。
そのことを誰よりも知っているのは、しほなのである。
故に、彼女は願う。
変わらない『幸太郎くん』でいてくれることを、心から――




