第百七十八話 久しぶりに
いつの間にか、胡桃沢くるりという存在に違和感を抱かなくなっていた。
彼女が隣にいることを不自然に思わなくなって、その代わりに……しほがいないことを、自然と考えるようになっていたのだろうか。
――いや、違う。
しほがいないことを受け入れてなんていない。
流石にそれは疑心暗鬼になりすぎだ。
(これだから、自己否定ばかりするのは良くないんだよな……)
思考を落ち着けるために、大きく息を吐き出した。
白い吐息に顔をしかめて、重い足を強引に前に出す。
悩んでいたところで意味などない。
答えはどんなに探してもないのだから、割り切るしかない。
そうでないと、また悪い方向に思考が偏ってしまう。しほに対する自分の思いを疑い、自信を持てなくなるのだ。
卑屈になっても意味などない。
だから、胡桃沢さんのことは深く考えないように思考を振り払った。
「ただいまー」
玄関を開けて、靴を脱ぐ。
リビングに向かうと、そこには義妹の梓がいた。
「おかえり」
リビングでスマホを操作しながら、彼女は声をかけてくれる。
「今日も遅かったね。梓、もうごはん食べちゃったけど、おにーちゃんは食べた?」
「ああ、うん。食べたよ」
「そっか」
……正直なところ、俺と梓は会話が多い兄妹ではなかったりする。
仲が悪いわけではないし、彼女のことは大切に思っている。でも、必要以上の会話というのは、ほとんど交わさない。
普段はお互いに適度な距離感を保っていて、良くも悪くも『家族』という立ち位置でお互いを認識しているのだ。
でも、ここ数日はやけに梓が積極的というか……いや、表現が正しくないな。
梓はどことなく、俺を心配しているように見えた。
「ねぇ、今日も叔母さんのお仕事をお手伝いしていたの?」
「……うん、そんな感じだ」
梓の言葉に、ぼかした回答を返す。
実は、彼女には胡桃沢さんのことを伝えていない。
現状では『成績が落ちたからスマホを取り上げられている』『その罰として叔母さんの仕事を手伝わされている』ということだけを説明していた。
なので、梓は俺が胡桃沢さんの家にいたことを知らない。この子は俺が叔母さんと一緒にいたと認識している。
「大丈夫? 叔母さんに変なこと言われてない?」
「いや、大丈夫だけど……珍しいな。梓が俺のことを心配するなんて」
この子が俺に関心を持っていることに驚いてしまう。
なんだかんだ、梓も俺のことを家族と思っているのだろう。やっぱり、俺の変化には敏感だったみたいだ。
「最近、おにーちゃんが落ち込んでるように見えたから……やっぱり、スマホを取り上げられたのも、辛いんじゃない? 霜月さんとも、連絡とれなくなっちゃったし」
落ち込んでいる――か。
そういうわけではないと思うのだが、しほと会えなくなって元気がなくなったのは、否定できない。
だから、そう見えてもおかしくはないだろう。
「心配しなくていいよ。俺は元気だし、気にするな……スマホは取り上げられたけど、しほも病気で休んでるし、あったところで連絡は取れないからな」
不要な心配をかけたくなくて、空元気を作る。
無理に笑顔を浮かべて、梓をやり過ごそうとした。
「……元気なら、いいんだけど」
梓はまだ何かを言いたそうだけど、それ以上は何も言わないでくれた。
義妹として異変は察知しているみたいだけど、俺がそれを言いたくないというのも分かったのかもしれない。
気を遣わせているのは申し訳ないけれど、今はそれに甘えさせてもらった。
「じゃあ、ちょっと疲れたし……もう休むよ」
「う、うん。お疲れさま」
早めに話を切って、自分の部屋に向かおうとする。
その時だった。
「――あ! おにーちゃん、メッセージきたよっ」
不意に声を掛けられて、足を止めた。
「メッセージ?」
「うんっ。霜月さんから、きた!」
「――っ」
その言葉に、何故か息が詰まった。
久しぶりに感じたしほの匂いは、電子データ越しということもあって、とても薄かったけれど……やっぱり、嬉しかった――