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七話・オーク


 「てな訳で饕餮を封印するのに百人が死んだ。唐土(もろこし)まで出てってあれだったからなぁ」

 「悲惨だったんですわねぇ」


 そんな話をしながら時間を潰す。

 辺りはすっかり夜の景色になってしまったが、寒さは感じない。

 季節柄なのかな、ありがたいや。風邪は引かなくてすみそうだ。


 「………っと」


 ふとそんな時だった。遠くで、なにかの気配がした。すぐさま口に人差し指を当てて、しー、とヘレンに促した。


 「足音だ。なにかいるぞ」


 そんな俺の言葉に、小さく息を呑むヘレン。

 聞こえるのは動物の静かなものとは違う、物音を隠し切れない人やそれに近いものの出す音だ。魔物の類いの可能性もある。


 「ばれてる……か?」


 足音がどうもこちらに寄ってこない。俺達のいる所から一定の距離をとってうろうろしているようだ。標的を監視している、とも言えるかもしれないな。


 「俺の後ろに」

 「は、はいですわ」


 下手な遠距離攻撃を喰らわないよう、俺の背後にヘレンをつかせた。楓の木を背にしているから背面攻撃は心配しなくてもよさそうだ。

 

 カサカサという落ち葉を踏みしめる微かな音と、俺とヘレンの息遣いだけが聞こえる。生温い不気味な風が静かに樹葉を揺らした。


 「! 伏せろ!」


 突如、木々の合間を縫ってきらりと光るものが飛んできた。咄嗟にヘレンの頭を押さえながら地面に伏せれば、それは勢いよく俺達の上を越えてカッ、と楓の木に刺さった。

 慌ててそれを抜いてみれば、先端には(かえし)のついた、尖った金属が取り付けられている。

 くそっ、弓矢か!


 「ヘレン、これ撃ったのは人間じゃないな?」


 この矢、人が作ったにしては粗雑だし、矢羽に(からす)の風切り羽を使っている。人が作るなら尾羽を使うはずだ。


 「た、多分忌鬼(オーク)ですわ!確か黒い矢羽はそこの──」


 そんな言葉を遮るように森の中で人ならざる者の叫び声が響き始めた。高い笑い声のような、薄気味悪い鳴き声だ。しかも一匹、二匹どころではない。十、二十はいるだろう。遠くで微かに太鼓の低い音も聞こえる。

 ……これは不味いぞ。


 「ヘレン、木に登れ。それと、もし援護できるのなら俺に当たらないように頼む」


 夜目の利かないヘレンを連れて、この森の中を逃げるのは得策ではないだろう。


 「わ、分かりましたわ。けど援護はあまり期待しないで下さいな。………わたくし程度の魔法じゃ、足手まといになるだけですわ」

 「…りょーかい」

 

 舌打ちしたくなるのを辛うじて抑え、返事した。

 きっとヘレンなら上手くやれるのに、と酷くもどかしい。


 兎を相手にした時からヘレンが自分の力に自信がないのは感じていたけれど、そもそも墓穴を掘る魔法は問題ないように見えたし、いったい何が彼女の一歩目を踏みとどまらせているんだろう。

 

 ヘレンをどうにか前へと進ませたいが、今は辺りの敵を倒さなきゃいけない。

 やらなきゃいけない事っていうのは、いつも一気に来るもんだ。


 落ち葉を蹴り上げて進む足音が、だんだんと迫ってくる。前の鳴き声の数からしておそらく斥候、五、六匹くらいだろうか。


 まだ少し遠いようで姿が見えるまで猶予がありそうだ。

 これはチャンスじゃないか?


 「景気づけに、でかいのかますかー……」


 式神は無いが、なにも刀だけが俺の戦闘手段ではない。時間さえ有れば、十分使える手立てはあるのだ。


 「殷代からの叡智、我に賜りますよう………」



 静かに両手を合わせ、合掌する。()()も、両手を塞がなければもっと使い道はあるんだけどな。

 

 足音がもう少しで木々を抜けるところまで来ている。人でないとお墨付きを貰っているから、手加減は無しだ。

 すう、と大きく息を吸った。


 「『(ごん)()、時七つ。行くは鳥羽。(あらは)るは砂塵の錫杖(しゃくじょう)


 祝詞(のりと)をここで一度止めた。ちら、と合わせた俺の両の手を見れば優しい黄金色の光に包まれて、辺りをぼんやりと照らしていた。


 …よし、五行十干(ごぎょうじゅっかん)は使える、と。


 問題なく使えたことに少しほっとする。


 そしてそんなところに、音の正体が姿を現した。

 子供くらいの大きさが、五匹。


「『七代孝霊、【庚午(かのえうま)】』」


 すかさず祝詞を詠み切る。

 その瞬間、俺の前方で風がざわめき、砂が舞った。

 みるみるうちにその砂は無数の鋭い手投げ槍へと姿を変えた。


 完全に形を整えたそれは、キリキリと弓を引き絞ったような音を立て、見えない力でその場に留まらされている。


 「行ってこい」


 俺がそう告げると一拍の間のあと、槍は解き放たれて真っ直ぐに闇夜を奔った。


 「グギャッ!」

 「ギィッ!!」


 ドスッという重たい音がいくつも響き、それに魔物の悲鳴が続いた。


 ばたりばたりとそれが地面に倒れていく。

 その身体にあいた幾つもの風穴から、むわりと血の臭いがした。


 全て絶命しただろう、第一派はあっさりと片が付いた。


 「……よし。ヘレン、まだ降りてくるなよ」

 「は、はいですわ!」


 まだまだ序ノ口だ。幕内の登場はここからだろう。


 それにしても……


 「……鬼、か?」


 俺は倒れた魔物を見やって、そう呟いた。 

 ヘレンは確か、これを忌鬼(オーク)と言っただろうか。


 それは皺だらけで殆ど黒と言ってもいい煤けた灰色の皮膚、尖った耳と濁った薄灰の瞳をした、異形の化け物だった。

 頭に髪はなく、人に比べて小さな頭蓋が特徴的だ。上背も無く、せいぜいがヘレンと同じか、それ以下だろう。どれも年季の入ったぼろぼろの両刃の片手剣を手にしている。


 「…凄まじいな」


 やっと出たのはそんな言葉だった。一言で言えば醜い、だろうか。


 人の心とは不思議なもので、醜悪な者に寄せる同情は端麗な者に寄せるそれとは大きくかけ離れるのだ。

 残念ながら半端者の俺でもそれは変わらないらしく、その背景も含め角付き兎の時に感じたような同情や後悔は一切感じなかった。


 虫の良い自分の感性に小さな苛立ちを覚えながら、俺はまた耳をそばだてた。


 「右方向に四、中央六、左が三…………」


 もちろん音を聞く限り、だ。


 弓を使うのは一匹だけのようで、避けるのは問題ない。だが些か、その他の数が多い。

 こうも広がられると五行十干も使いづらいので、あとは刀だけだ。

 

 「いけるか………?」

 

 小柄な敵で一匹一匹は強くなさそうだが、量は通常戦闘において質を圧倒的に上回る。


 おそらくすれすれだろう。

 勝てる保証はない。


 だが、負けたら死ぬのだ。


 競技(スポーツ)でも、鍛錬でもない。ヘレンという不思議な縁も、ここで終わって捨てるつもりは毛頭無かった。


 もう一度だけ、手を合わせる。今度はちょっとした精神作用系のものだ。


 「『(ごん)()、時六つ。行くは伏見。(あらは)るは金剛の意志。十七代履中、【辛巳(かのとみ)】』」


 俺の身体が一瞬青い光に包まれ、そして消えた。これの効果は単純明快、数分間の間だけ痛覚を鈍くする。乱闘や大きな戦争にはおあつらえの力だ。


 長く息を吐いた。


 どくどくと血の流れる音が聞こえる。

 これが聞こえなくなるのが、今じゃないといいんだけど。


 俺は静かに刀を抜いた。月の見えない夜でも、その刀身は銀白に輝いて見える。


 「来い」


 じりじりと近づく鳴き声と足音がさらに大きく、激しくなる。

 

 「グギャァアア!!」

 「グルガァァアアア!!」


 叫び声と共に森の隙間から飛び出してくる数匹の忌鬼(オーク)。その背後には更なる数の気配がする。


 「らぁっ!」


 忌鬼(オーク)が振りかぶった剣を振らせることなく、初めに現れた数匹を横一文字に斬り捨てた。


 だがそれで魔物の攻勢が終わる訳が無い。続々と森から姿を見せて、俺に剣を振りかざす。

 

 斬って、殴って、蹴った。

 

 危うい刃物の攻撃は全て避けたが、殴打や浅い刀傷がみるみるうちに身体に出来る。


 辛巳のお陰で痛みは少ない。


 全ての音がぼんやりと、どこか遠くで聴こえる気がした。


 行うこれは、ただの作業だ。ただ機械的に数をこなすのだ。



 見えている景色も情報も、次第に脳が受け付けなくなる。

 頭が考えることを止め、半妖の生きる道が、使命感だけが身体を動かしている。


 魔物を──()を殺るんだ。


 ただそれだけを追い求め、俺の意識は深い闇へと落ちていった───



ブクマありがとうございます。

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