六話・レンバス
「エレク様、結構暗くなってきましたわ。そろそろ野営にしません?」
ふと、そうヘレンが声をかけてきた。空を見上げてみれば確かに日が落ちてきていて、淡い青色だった空が少しずつ黒く、暗くなってきていた。夜目が人より利くせいか、言われるまで気付かなかったな。
「ほんとだ。じゃあ適当に良いところ探そう」
「はいですわ」
きょろきょろと辺りを見回す。こういう野宿の時は大木の下が一番都合がいい。
背中がしっかりしていれば敵に背後を取られづらいし、狼なんかに襲われたら木の上に逃げられる。
さて、そんな好条件な木は、と………。
「あ。あれなんか良さそうだな」
「あの楓の木ですわね?」
そうそう。
太くて丈夫で、ついでに地面もしっかり乾いている。湿気の心配もしなくてよさそうだ。
その楓の根っこのあたりで周囲を窺ってみる。
枝葉が広がっているお陰で周りに他の木も少なくて見渡しがいい。
なかなか好条件じゃないだろうか?
案外簡単に見つかった仮住まいの下に、俺とヘレンは腰を下ろした。
「火、起こすか?」
夜寒くなるようなら焚き火を起こした方がいいだろう。だがヘレンは顎に手を当てて考える素振りをしてから、首を横に振った。
「んー、魔物が寄ってくるかもですわ。やめておきましょう」
「りょーかい」
確かに火なんて焚いたら格好の餌だな。あーあ、獣が火を怖がらないなんて世も末だ。
あ、ちなみに魔物は、『体内に魔力を生成する器官である、魔石を持った動物』のことだ。
ヘレンの話によれば火を怖がるどころか、魔法に寄ってくるような物好きなやつも多いらしい。
用心しとかないとなぁ、寝ている間に殺されるのは勘弁だ。
こつんと頭を木にあずけて、少しの間、ぼうっと薄暗い森を眺めた。
「お腹空きましたわ……」
「言うんじゃないよ、もっと腹減るだろ……」
「ですわねー……」
まだ早い時間なせいで眠気はこないが、空腹は着実に魔の手を伸ばしてきていた。
ぐぅ、と時折り腹が鳴って、ひどく物寂しい。
「その肩掛け、なんか入ってたりしない?」
ヘレンが腕に抱いている小さな肩掛けを見やる。
とはいえ大した大きさはなく、内容物で膨れている様子も無い。
無理でもともと、取り敢えず聞いてみた感じだ。
うーん、とヘレンが唸る。肩掛けを開けて確認すれば良いのに、入れた時のことを思い出そうとしているらしい。
ヘレンらしいっちゃらしい。
「ええと、………確か薬草とハンカチと……あ!レンバス!レンバス入れましたわ!」
「ご飯?」
「森人族の保存食ですわよ!そういえば出発前に露店で買ったんでしたわ!」
そう言ってごそごそと肩掛けを漁るヘレン。
「これですわ!」
「おお」
ヘレンが喜び勇んで取り出したそれを、一つ受け取る。レンバスは芭蕉に似た大きな葉で包まれていて、ほのかに野菜の匂いがした。
包装用であろうその葉をめくり、レンバス本体をまじまじと眺める。
初めて見るこの保存食は、ぼうろのような土気色をした平たい干菓子のようなものだった。ところどころに野菜らしき多彩な斑点があって、それなりに栄養価が高いのもうかがえる。
けれど保存食、いや食事というもので大事なのはそれだけじゃない。
特に俺が気にしたいのは、味だ。
見た目は不味そうではないけれど、会ったことすら無い森人族の味覚を信用しても良いんだろうか。
同じ人種ですら地域毎で『上手い』の概念が違うのに、それが他種族のものだと考えると………外した時が恐ろしすぎる。
「これ美味しいの?」
「………実は味見せずに買ったんですわ、このレンバス」
「……やっちまったな」
「やっちまいましたわ」
鼻を近づけて、レンバスの匂いを嗅ぐ。
臭くは無い。野菜の匂いがして好みは分かれるだろうけど、それ以外は問題なさそうだ。
チラリとヘレンを見るが、俺の行動を眺めるだけでなにもしない。
さては先に食わせて毒味役にさせるつもりか?
買った時に済ませてくれていれば良かったのに。
しかし、何を言おうが終わりは近い。
俺の腹が本格的に音を立て始めた。
くそ、時間切れか………!
「いただきます………!」
「ゆ、勇者がいますわ!」
恐る恐る、レンバスを口に運んだ。
仕方ない、腹は減るんだから仮に不味くても我慢だ。
もぐ、もぐ、と咀嚼する。この森人族の保存食、思っていたよりしっとりとしていて、歯触りも重たい。案外腹に貯まりそうだ。
ごくんと飲み込んで、後味を吟味する。
なるほど。この食べ物、味は──
「──けっこう美味しい」
なんだろう、見た目は焼き菓子だけど、味はかなりあっさりしていて食べやすい。
うん、普通に良いな。もう一欠片食べよう。
美味い美味い。
「ほんとに美味しいんですの?」
まだ疑わしげなヘレン。
自分で買っておいてそれはないだろうに。
これだけ食べれて、腹にもたまる保存食なんてそうそう無いぞ。
乾飯を超える新たな携行食になりそうだ。
「本当だって。なんなら小さいのから食べたら良いし」
「確かにそうですわね」
レンバスを小さく割って、ひょいと口に放り込むヘレン。
俺が食べているのを見て安心したのか、ただ単に食べたのが小さい欠片だからなのかは知らないが、動きにためらいがない。
「あら、ほんとに美味しいですわ」
「だろ?森人様々だな」
「帰ったらあの商人から全部買い占めますわ」
「名案」
そんな会話をする俺たちを、だんだんと暗くなってきた森が呑み込んでいく。
呑気な俺たちのすぐそこまで、弱者を淘汰する剣呑な暗闇が迫っていた。