59.憧れの場所
今日は珍しくお父様に連れられて馬車に乗っている。二人きりで出かけるなんて幼い頃以来かもしれない。
どこに行くのか訊ねても、一向に教えてくれなかった。
私は諦めて外の風景を眺める。王都はいつも綺麗だ。中心部に行けばいくほど、街並みも行き交う人も品が溢れてくる。学園も一応王都にあるが、場所は端の方にあるので全く見える景色が違う。
馬車は中心部へと向かって行った。
「さぁ、着いたぞ」
父に連れられた先は、王都の中心部にある王宮だった。ここに来るのは久しぶりだ。相変わらず立派な建物である。
なぜこんなところに連れて来られたのか、と不思議に思う。そんな私をよそに、お父様が歩き出したので置いていかれないように付いて行った。
「連れて来たかった場所って、ここですか?」
王宮の入り組んだ廊下を抜け、やってきた部屋の前には「薬学研究所」という看板がかかっていた。
「そうだ。一度見てみたいと言っていただろう?」
確かに言った。どんな植物や設備があるのかと気になっていたからだ。しかしそれは随分と昔の話である。それにその時、ダメだと断られたはずだ。いくら家族とはいえ、国家機密を扱っている場所に部外者を入れる訳にはいかない、と。
それなのに、なぜ今になって……。
「さぁ、どうぞ」
ドアを開けたお父様に促され、私はその場所に足を踏み入れた。
「すごい……!」
その立派さに圧倒された。我が家の研究所もそれなりの施設だと思っていた。しかし全く比べ物にならないほどの機材と書物が並んでいる。これが国家最高峰の薬学研究所か。
胸がいっぱいになった私は、感動のあまり思わず大きく息を吸い込んだ。
休日だというのに数名の研究員が忙しなく働いている。その動きに目を奪われていると、こちらの様子に気づいた研究員と目が合った。
「……もしかして、クレア嬢ですか?」
ゴーグルを外し、私に話しかけてきた。名前を知られているし、嬉々とした表情をしている。どうしよう、全く見覚えが無い。
「は、はい」
困惑しながらも頷くと、彼は目を輝かせて私の両手を握り、ブンブンと上下に振った。
「お久しぶりですー! 僕の事、覚えてますか?」
「え、えっと……」
全く思い出せない。しかし、そんなことを言えるほど私は素直な性格をしていない。思わずお父様に目で訴えると、失笑しながら私たちの間に入った。
「やめなさい、ネイト。娘が困っているだろう?」
お父様が制すると、彼はハッとした様子で私の手を離し、笑いながら頭を掻いていた。人懐っこい人だ。
「それに最後にクレアに会ったのは、彼女が四つぐらいの頃だろう? 覚えているわけないじゃないか」
「そういえばそうでしたっけ? いやー、すっかり大きくなりましたねー!」
私の成長を喜んでいるが、こちらは素直に喜べない。私が四歳の頃って、記憶に残っているはずがない。必死に思い出そうとして損した。
「改めまして。僕、ネイトです。ここの研究員をしてます!」
「えっと、クレアです」
はじめましてでは無いし、何と言っていいか分からず私も改めて名乗ると、彼は「知ってますよー!」と歯を見せて笑った。私の周りにいないタイプだ。なんだか疲れる……。
「シリル様、少しだけお時間を頂いてもよろしいですか?」
別の研究員がお父様に声をかけた。
「今日は休みなんだが」
「すみません、ちょっとお伺いしたいことが……」
申し訳なさそうに謝る研究員にお父様は「冗談だ」と笑ってみせた。
「すまない、クレア。少し席を外す」
「かしこまりました、お父様」
来客用ソファにでも座って待っていなさい、と言われるのかと思っていたが、お父様の口から意外な言葉が飛び出した。
「そうだ、ネイト。今、暇か?」
「休日出勤してるのに暇ってのはおかしいじゃないですかー」
不満気に唇を尖がらせているのに、表情は嬉しそうだ。嫌な予感がする。
「よし、暇そうだな。クレアを案内してくれないか。見せられる範囲で構わないから」
ちょっと待って。まさかこの人とずっと一緒に行動するの?
戸惑っている私には目もくれず、ネイト様は堂々と胸を張った。
「そういうご用件なら、喜んでお受けします!」
ぜひ断って欲しかった。お願いだから自分の仕事をしてくれ。
私の思いも虚しく、ネイト様は私の手を取り、元気よく進行方向を指さした。
「さぁ、行きましょうか! 国家機密も見せちゃいますよー!」
「それは止めてくれ」
調子に乗るネイト様に釘をさすお父様。私が嫌な顔を浮かべて引きずられているのにお父様の目にはどう映っているのか。お父様はネイト様を制することなく、笑顔で手を振っていた。
ネイト様に連れられて来たのは、研究所に隣接している薬草園だった。
やはりここも我が家とは規模が違う。広さも種類の多さも何もかも。本でしか見たことない物もあるし、我が家に数本しか生えていない品種だって、何倍もの量が育てられていた。
気になった植物を質問すると、ネイト様は丁寧に教えてくれる。いい加減そうな人なのに、やっぱり薬学者なんだと思った。
しかし相変わらず手を握られたままである。この人の距離感はどうなっているのか、と不思議に思う。妹とか姪っ子みたいな感覚なんだろうか。
そういえばこの人、いくつぐらいなんだろう。性格のせいかもしれないが、ずいぶんと若そうだ。
「……ネイト様はおいくつなんですか?」
年齢を訊くのは失礼かと思ったが、疑問に思ったら解決したくなるのが性分だ。
するとネイト様は見当違いの返事をした。
「そうそう。クレア嬢のお家にテオって薬学者がいるの、知ってます?」
「テオ? もちろん、存じ上げております」
質問したのに質問で返されて動揺してしまう。それにまさかテオの名前が出てくるとは思わなかった。彼の意図が全く読めない。
「僕、テオとは薬学の専門学校の同期なんですよ」
なるほど、テオと同い年だと言いたいのか。
「仲がよろしいんですか?」
「悪友ですね! 学生時代はいっぱいヤンチャしましたよー。あ、これ、テオには秘密ですよ?」
人差し指を口に当てながら、はにかむネイト様。秘密といいながら、喋ってほしそうに見えるのは気のせいだろうか。今度テオに聞いてみよう。
「いやー、それにしても、クレア嬢が元気そうで良かったです!」
脈略も無くそんなことを言い出すので驚いてしまう。言った本人は私を見ながらニコニコと笑っていた。
「どういう意味ですか?」
「シリル様がね、クレア嬢の元気がないって悩んでらっしゃったんですよー。一日に平均五十三回もため息ついてたんですよ?」
「数えたんですか?」
「えぇ! 上司の顔色を窺うのは得意なので!」
そういう意味じゃないと思うが。
しかし彼の言葉でやっと今日ここに連れて来られた理由が分かった。
お父様は私を元気づけようとしたのだ。
それにしても、娘のために部外者の立ち入りを許さない場所に連れてくるなんて。許可はとっていると思うが、そこまでするものだろうか。
愛されていると喜んでいいのか、親馬鹿だと呆れるべきなのか。
しかし今は素直に喜んでおくことにしよう。
「あっ! この話は、シリル様には本気で内緒ですからね?」
慌てて私を口止めするネイト様。先ほどの余裕そうな顔はどこにも無い。分かりやすい態度に思わずクスリと笑ってしまう。
「じゃぁさっきの話は、テオに喋っていいってこと?」
「あれ? そうなっちゃいますかね? あー……そうなっちゃいますねー!」
一人で考え込んで一人で納得していた。
頭を掻きながら歯を見せて笑っているネイト様は、やっぱり変な人だと思った。




