43.止められない感情
最近、リオとシーアの距離が近い。いや正確には、以前から距離は近づいていた。しかし、あの大会以降、シーアがもっと距離を詰めてきているように感じる。
現に、私が同席しているのにシーアはリオの隣に座って話しているのだ。
いつもの学食に戦慄した空気が流れる。周りの生徒達がこちらの様子を窺っているのが感じられた。
みんなの気持ちは手に取るように分かる。なぜ私もリオも平然と受け入れているのか。
それは、彼女が毎日私たちの昼食に邪魔してきたからだ。しつこいアピールにさすがに耐えきれなくなった私たちは、今日限りということで一緒することを許可した。
でも、リオの隣に座らなくてもいいじゃないかと私は思う。
私の気持ちなど知らない素振りのシーアは甘えた声を出した。
「リオ様ぁ」
「どうした?」
ちょっと待て。彼女、今なんて言った。今まで「レナード様」と呼んでいたじゃないか。それなのに何故「リオ」と呼んでいる。そして何故リオはそう呼ばれることを受け入れているんだ。
どうして彼の愛称を知っているのか。その呼び方をするのは、レナードイベント後のはずだ。話の展開としてはまだ早い。いや、もはやこの彼女にそんなことは関係ないか。それでも、なぜ呼び慣れているのか。いつからこんなに距離を詰めたんだ。
頭の中で思考がグルグルと回るせいで、彼女たちの会話に耳を傾ける暇さえなかった。
「――クレア、どうした? 大丈夫か?」
「あ、えぇ、大丈夫……」
私が食事の手を止めたまま、ずっと考え込んだ顔をしていたせいか、リオが声をかけてくれた。その声でやっと我に返る。
こんなことで混乱している場合じゃない。隙を見せたら彼女につけ込まれてしまう。
私はシーアに向き合い、笑顔で訊ねた。
「なぜ貴女が彼を愛称で呼んでいるの?」
この言葉で少しは自重してくれるだろうか。いや、無理だろう。でも少しくらいは効果があってくれと願ったが、シーアの口から出てきた言葉は私の予想を大きく上回った。
「クレア様ってお優しい方だと思っていたのに、案外怖いんですね」
人を食ってかかったような態度に、怒りが込み上げてくるのが分かった。
一度も優しいなんて思ったことないくせに、平然とそんなことが言えたものだ。
「呼び方なんて、個人の自由ではありませんか? ね、リオ様!」
「……」
同意を求めてくるシーアに返事をせずに、リオはじっと私を見た。
見られているのは分かっているが、視線を合わせずに無視する。彼女の態度を諌めないリオへの、ちょっとした反抗である。
そんなこと知るよしもないシーアは、再びリオに甘えた声を出していた。
いつもだったら他人にこんな態度を取られただけで、怒りだしてしまうくせに今は全く怒る気配が無い。
これがヒロイン効果とでも言うのか。
攻略キャラクター相手だったら、どんな態度をとっても大丈夫だなんて、こんなの勝ち目がない。
私のもやもやした感情は、放課後になっても収まることが無かった。
もっとワガママを言ってリオの気持ちを引き止めればいいのか。それでもどうせヒロイン補正には敵わない。
リオの教室に向かったところで、どうせシーアがいるのだろう。気が重くなったが、とりあえず荷物をまとめて立ち上がろうとした。
「なぁ、クレア嬢」
「はい!?」
思ってない人物が話しかけてきたので声が裏返ってしまった。だって声をかけてきたのがクラスも違うフィリップ様だったのだ。
敬称をつけて呼んでくれているところを見ると、やっぱり育ちが良いなーなんて思ってしまう。……そんなことはどうでもいい。
「ど、どうしたんですか?」
「薬、持ってねぇか?」
動揺を隠しきれない私の態度などフィリップ様は気にしていない様子で、頼んでもいないのに袖を捲って見せてきた。
「さっきの授業で怪我しちまってよ」
腕には痛そうな傷が広がっていた。こんなの出来れば見たくないんだけど。
「保健室行かれたらどうですか?」
「……あの先生、嫌いなんだよ」
拗ねた子どもみたいな顔をするフィリップ様。そんなことを言っている場合か。
「知りませんよ。それに薬なんて持ってないですし」
「頼むよ。俺とお前の仲だろ?」
どんな仲だ。
顔の前で手を合わせて頭を下げるフィリップ様。ちらりと上目使いでこちらの様子を窺ってくるのがいじらしい。
なんだか餌をやった野良犬に懐かれた気分だ。
「……今回だけですからね」
「ホントか!?」
私はわざとらしく大きくため息をつくと、そんなことには気にも留めていないフィリップ様は分かりやすく喜んで見せた。
確かこの前の大会で作り過ぎた回復薬が残っていたはずだ。
フィリップ様を引き連れて薬学室まで足を運んだ。私が訪れると思っておらず油断していた先生に許可を得てから、薬を渡した。
「悪ぃな、ありがとよ!」
私から奪うように薬を取ると、その場で飲み干して礼を言ってから走って行ってしまった。
なんだ、元気じゃないか。私が薬を渡さなくても何とか出来ただろうに。
よく考えると放課後なんだから真っ直ぐ家に帰れば良かったんじゃないのか。まぁ、回復薬を余らせておくよりはいいか、と自分を納得させて薬学室から出た時だった。
「クレア」
「リオ!?」
今日は不意打ちに声を掛けられることが多い日らしい。そこには不機嫌そうな顔をしたリオが立っていた。
「――もしかして、今の見てた?」
「……」
どうやら怒っているようだ。リオは黙ったまま小さく頷いた。こうなった時の彼は面倒くさい。私は思わず肩を落としてしまう。
「ごめん、断れなくて」
「……仲良さそうだったが」
「仲良くは無いよ。家同士の付き合いというか、ライラの友人の友人というか……」
説明に困る。昔パーティで踊った仲です、なんて言ったらどうなることやら。間違っても火に油を注ぐような真似はしない。
しかし、色々と言い訳を述べたところで納得してくれる様子は無かった。謝ってもそっぽを向いてしまうし、腕を組んでみても離されてしまう。
何だか段々イライラしてきた。なぜリオが自分に気のある子と仲良くするのは良くて、私が男性と喋っただけでこんな仕打ちを受けなければいけないのか。
そう考えていたら、腹の虫が収まらなくて、気づけば声を荒げていた。
「だったら言わせてもらうけど、リオだってシーア様と仲良いじゃん!」
私が突然怒り出したので、彼は目を丸くして驚いていた。
「い、今は違う話だろ?」
「違う話しかなぁ?」
私が煽ってみせると、リオは何か言いたそうに眉間にしわを寄せてこちらを見た。彼が喋り出す前に、私が矢継ぎ早に攻め立てる。
「私は薬学者だよ? 怪我してる人がいたら薬ぐらい渡すでしょ!」
「だったら保健室に連れて行けばいいじゃないか!」
「薬が欲しいって頼まれたんだから、仕方ないでしょ!」
「お前は頼まれたなら、何でもするのか!」
この言葉にカチンと来た。人を尻軽みたいに言いやがって。どの口が言ってんだ。
「リオはおねだりされたら愛称で呼ぶことも許すんでしょ? そっちの方がどうかと思うけど! 私が誰かと喋ってるだけでよく嫉妬してるけど、それって私のことを信用してないってことじゃないの?」
「そういう訳では……!」
「リオがところ構わず嫉妬するのには慣れてるけど、少しは自分の行動も省みたら?私が何でも許すと思ったら大間違いだから!」
「待て!」
言い逃げしようとした私の手をリオが掴んだ。引き止められたところで話すことなんて何も無いと思った私は、全力で振り解く。
「来ないで!」
キッと睨みつけると、リオはショックを受けた様子で呆然としていた。
あぁ、やってしまった。
何でも許せる人間になろうと思っていたのに、ダメだ。こんなところで怒り出すような器の小さい婚約者なんて、彼に愛想を尽かされてしまう。
ヒロインが来てから私の心はどんどん狭くなっていく。
自分に嫌気が差して、なんだか泣けてきてしまった。




