(7話)敵だと思われる方々
ポストを開けたら、変な手紙が出てきた。真っ黒な、気持ちの悪い手紙だ。
見なかったことにはできそうにない。しかし、いつまでもポストの前に立っていても何も始まらない。
とりあえず 家の中に入りたいので、インターホンを押す。すると、近所迷惑にならない絶妙な音量で電子音が鳴った。
ピン、ポーン。
「…」
数十秒して、ガチャリと鍵が開く音がする。扉を開けたのは、彼女の母親だ。
「ただいま…」
玄関よりも前にある、靴を置く場所…土間まで上がると足を止める。
玄関に立っている、彼女の母親が挨拶を返す。
「お帰り、真絵」
「…」
「…さ、荷物は預かっておくから、早くシャワーを浴びてきてちょうだい」
言われるがままに、秋野真絵はポストの中身を全て渡した。
「ありがとう」
「今、スリッパを用意するからちょっと待ってて」
真絵の荷物を家の中に置くと、わたわたと動き出す。この家では、いつもの光景だ。
家に上がるには、まず体を洗わなければならない。外で付いた汚れを落とすためだ。
床は毎日 掃除されている。毎日しないと汚いからだ。
その薄い橙色をした床の上を歩くには、スリッパを履かなければならない。裸足で歩くと汚れるからだ。
母さんの潔癖症、どうにかならないのかな。結局、入院中1度もお見舞いに来てくれなかったし。どーせ、お見舞いに来なかった理由も『病院は菌がうようよいて汚いから』とかでしょ。
だなんてことを思いながら、用意された茶色のスリッパを履き、風呂場へ向かって歩く。
風呂場に着くと、母が指示を下した。
「スリッパは後で拭くから、ここで脱いでちょうだい」
「うん」
言われなくとも分かっていたが、母は彼女が忘れていると思ったのだろう。
黒い手紙のことも気になったので、さっさと体を洗う。
時間にして、10分もなかっただろう。
「ふーっ。明日、あいつに教えなくちゃな」
かと言って、今日は何もすることがない。そのため、できる範囲で宿題を進ませている内に1日の終わりが近づいていた。1日の間に こんなに勉強をするのは、久しぶりだ。
自分の部屋で勉強をしていたから、秋野は何かする必要もなく、電気を消して睡眠へと入っていった…。
「おやすみ」
誰に言ったわけでもなく、独り言を最後に呟いて。
充分な時間を寝た後、新しい朝が来た。今日の目的を考えると、 希望の朝 には見えない。
ク〜。
お腹が鳴る。腹時計から察するに、今は午前8時ほどだろう。少し遅い朝に起きた時はいつもこうなる。
「朝飯食べよ」
ここは2階。なので、朝食の置いてあるテーブルに行くには階段を下りる必要がある。さっきまで寝ていた部屋から出て、階段を下りていく。下の階からは、パンの香りが漂っていた。
1階には、母親がいた。キッチンで手を洗っている。
「おはよう。もう朝食は用意してあるから、先に顔を洗ってきなさい」
「はーい」
溜息混じりに返事をして、キッチンの中に入る。手を洗い終えた母がどいてくれたので、手洗い・うがいを済ませて顔をパチャパチャと洗った。
「いただきまーす」
手を合わせて、食べ物に感謝する。白い皿の上には、食パンが1枚と小さな丸いパンが1個、そして牛乳の注がれているコップが乗っていた。テーブルには、他にもハムが入っている小さな皿がある。
適当に食べて、朝食を済ませる。
「ごちそうさま」
「…」
向かいに座っている母は、何も言わずテレビを見ていた。
6分ほどかけて歯を磨く。これで、準備はほとんど終わった。
「今日、出かけてくるね」
ソファーの上で、白い靴下を履きながら、今日の予定を伝える。
「そう。いつ帰ってくるの?」
「んー、もう夏だし、6時くらいかな」
夏だし というのは、暗くなるのが遅くなってきたし という意味である。
夏休みが始まる少し前…中間試験の数日前に、既に貰っていた宿題と、筆箱…そして、例の黒い手紙を自分の部屋から取る。それから、てきとうにあったビニール袋に無理矢理詰め込んだ。
「じゃ、いってくる」
無言の母を後に、扉を開けて、外に出る。
ガチャ。目指すは、幼馴染の家だ。
ピーンポーン。
数秒して、
「はーい」
という声が、インターホンから聞こえてくる。
「あら、真絵ちゃん」
どこか子供っぽさを残した大人の女性の声、金田の母だ。
茶色い扉が外側に開く。
「おはようございます」
秋野真絵は、ペコリとお辞儀をする。
扉から見える女性は、そんな秋野を笑顔で招き入れてくれた。
「うん。柚は自分の部屋に居るよー」
「あ。ありがとうございます」
そそ、と扉の方向に近づいていく。
玄関で、白い靴を脱ぐ。
「おじゃましまーす」
小声でボソ…と言って、家の中を進んでいく。ここは、金田家だ。はっきり言って、入り慣れている。
特に案内する必要もないと分かっている、金田の母と早々に別れ、2階へと続く階段を登る。
「おーい」
コンコンと扉を叩く。すると、中から返事がきた。
「はーい。…はいはい」
返事の途中で、相手が秋野だということに気づいた彼は、扉を開けた。
「よー。宿題教えてー」
ずかずかと中に入って、彼女はこう言うのだった。
「うん。いいよ」
「じゃ、早速…」
金田の勉強机に宿題を広げる。今日 持ってきたのは、国語だった。
「こんなクソ分厚い冊子渡しやがって」
「まぁ、分からないとこがあったら呼んでくれ。それまで漫画でも読んでるから」
「了解」
こうして、しばらく国語の宿題を進めた。
絵本ほどの厚みがある宿題は、昨日の夜に数ページしたこともあって思ったより早くに終わった。
「まさか終わるとは…」
隣のベッドで漫画を読んでいるそいつは、ふざけてそう言った。
なんとムカつくやつであろうか。
「余裕ぶっこきやがって」
彼女は宿題をビニール袋に詰め直す。そして、代わりに真っ黒な紙を出した。
「この優越感のためだけに宿題を早く終わらせたと言っても過言ではな…ん?なにそれ?」
彼は、その黒い紙を見てしまった。それはそうだ。洒落たデザインのものより、真っ黒なものの方が目立つだろう。
この真っ黒な紙は、まぁ簡単に言うと『日常とは離れたところにある何か』であって、それは何かと問われたら説明が難しい。
「うーん。要するに、悪い知らせ…かな」
秋野もこうとしか言い表せなかった。
「えー?」
金田柚は笑ったままだった。
「じゃ、良い知らせから教えてくれ」
金田柚は笑ったまま言った。
どうやら彼は、良い知らせと悪い知らせ どちらもあることを前提に、良い方から聞くことにしたらしい。いつから錯覚しているのか、秋野が持ってきた知らせは 悪い知らせしかないというのに。
「すまんけど悪い知らせしかないわ」
これは教えてあげなければ。
「え、え〜…。で、知らせの…その手紙の 内容は?」
いよいよ、彼がその手紙を見ることになってしまった。自分のことでもないのに、どこか緊張するのは、やはり友達だからだ。
胸から聞こえるドクドクという小さな音を無視して、彼女は金田に手紙を渡す。
「こんな風にされると、ちょっと怖いな…」
渡された、半分に折られている手紙を広げる。
『お早う御座います。
或いは今日は。
或いは今晩は。
さて、本題に入りますが、
単刀直入に言いますと、
ご友人の金田君は神候補ですね?
彼の居場所を教えて下さいませんか。
そして、この話は 内密にお願いします。』
こう、書かれていたのだ。困ったものだ。……そう、困ったものであるのだ…。
「これは…」
見ると、金田の顔は次第に汗で覆われていく。まるで、不安が覆っていくようだ。
「…」
「…」
無言が続く。
意外にも、沈黙を破ったのは全然関係のないものだった。
それは、客が来たことを知らせる音。インターホンが押された音だった。
「あっ。誰か来たみたい」
彼は立ち上がろうとしている。来た客を迎えるためだ。
「なんというタイミング」
「本当にな…」
扉を開けて、階段を下りていく。
-[金田]は憂鬱だった。
はぁ…。多分、手紙を出したのは神候補の奴だろう。まさか、こんなカタチで戦うことになるとは。
憂鬱な表情をしながら、金田はこの家の唯一の出入口へと向かっていた。
「にしても、誰だろう」
今の状況では…客を迎えに行く…こんなつまらないことでも緊張は解けない。
あっ!てか、どうせ母さんが出るだろうし、俺が下に行く必要なかった!うわ〜。
変な緊張で逆にどこか抜けた感じになってしまっている。結果から言うと、緊張していて正解なのだが、今の彼には分かるわけがない。
「柚ーっ。ちょっと来てー」
予想通り、彼の母が出た。…しかし、自分が呼ばれるとは思っていなかった。
とにかく、今は行かなければ。
「はーい」
と言って、小走りで向かっていく。階段を下りきったらすぐだ。
自分が呼ばれることなんて、特にない気もする。強いて思いつくならば、彩扉先生や学校関係の話だろうか。
「母さん、どうしたの」
玄関の最も近いところにいる母に近づいて、小声で話しかける。
「あー、あんたの友達らしいのが来てて」
釣られて小声で教えてくれた。
「知り合い?」
と言う母を避けて、玄関を見ると、ようやく事の面倒臭さに気づけたのだった。
「あぁ、うん。友達」
勿論、嘘だ。
「…。へ〜」
じゃあいいか、といった感じで家の奥に帰っていった。
金田は、玄関に降りて靴を履き、外に出る。
身長は金田より少しだけ高い、といったところだろう。男性の中でも短めの髪は茶色で、爽やかなイメージをしている。白い半袖から見える腕は、見るからに男らしい。クラスに1人はいる王道系の人気者といった感じだ。
しかしそんな奴はどこにでもいるわけで、彼のような奴はどこにでもいるわけではなかった。宝石のような黄色い眼と、頭から突き出ている大きな2本の角。まるで人間とは別の生物だと思えそうな、人間離れした人間…
規律使いだ。
あぁ。つまり。神候補さんもいるのか。
そう彼は悟った。規律使いがいるということは、規律使いから最初の権利を貰った人間…神候補がいるということだ。最近のことを思い返すと、こういう考えに至るのも当然だろう。
「あー…」
金田は言葉が出ない。
「金田さんですね」
最初に話したのは、相手からだった。
「…」
この爽やかな好青年など、見たこともない。知り合いだとか友達だとかは、母を安心させるための嘘。しかし、相手は自分のことを知っているようで、その上ありがたくないことに自分を探していたらしい。
「黒い手紙のことは申し訳ありませんでした。ああしか仕様がなかったものですから」
こんなにも早く手紙の犯人が見つかるとは思わなかったが、このままでも話は進まないので、無理矢理 飲み込んで話を進める。
「いえ…それで、やはり、その、神になるための権利を奪いに来たんですか?」
「はい」
外は、エアコンのありがたさが分かるほどの暑さをしている。
「……分かりました」
いつかなるとは思っていた。前から覚悟はできていた。彩扉先生の件から、覚悟は強くなっていた。それでも、怖いものがあった。それでも、戦うことを決めた。
「それで…あなたは規律使いですよね?神候補の方はどこにいるんですか?」
金田が、黄色い眼をしたナイスガイに問う。
「ここで戦うのも近所に迷惑ですし、人の居ない所で戦いましょう。そこに、私が権利を与えた神候補もいます」
そうナイスガイは答えた。
「わっ、分かりました」
「そう緊張しないでいいですよ。殺してまで権利を奪うヤツらとは違いますから。私も、神候補の彼も」
「へ〜。とりあえず安心です…」
とは言っても、目の前にいるのは いわば敵。完全に信用はできない。
「ああ…。ご友人が戦いに行くのは心配ですからね。そこのあなたも来ますか?」
突然、扉に向かって何を言ったんだと思ったら、扉から出てきた。盗み聞きをしていた友人が。
ガチャ。
「うっ、うううう、うむ」
動揺で言葉が変になっている彼女は、言うまでもなく秋野だ。
「お前…盗み聞き、やめてくれよ…」
まどまどと彼が注意する。が、
「お前こそ、私1人置いて行くなよ!」
彼女は反論した。正論には勝てないので、負けを認めてさっさと話を進ませる。
「あー。ごめん」
「それでは決定ですね。では、行きますよ」
ついに、金田と秋野は紛うことなき 敵 に会いに行くことになってしまった…