(6話)電話番号と電話番号
金田柚。彼の、清々しい朝が来た。
(午前11時)
部屋の窓から美しい光が差し込んでいる。
夏休みに起きる時間は、中学生になっても変わらないんだなぁ
なんて思いながら、彼は布団から出てくるのだった。
隣に置いてあるメモをじーっと見た後、勉強机の左にある本棚から、漫画を4、5冊抜き取る。そして、1冊を残して、ひとまず漫画を勉強机に置いた。
「やっぱ、地球の中でも特に、日本の漫画は面白いなー」
パラパラと数ページめくったあと、勉強机に置いてあった残りを手に取って、後ろを向く。
扉を開けて、短い距離の廊下を曲がって階段を下りる。下の階からはテレビの音がする。
「おはよう」
「こんにちはの時間でしょうが」
そう答えたのは、彼のお母さんだった。ソファーに寝転がってテレビを見ている。
「はいはい。ごはんはー?」
テレビのリモコンを、食事用のテーブルの方向に向けた。
自分の母親がリモコンを向けた所に、彼はカップ焼きそばを見つける。そしてレタスと玉ねぎのサラダ。
「朝から…」
「まぁ、たまにはいいじゃない」
1階に着くと、ものの数分で焼きそばを作る。
作り終えると、カップ焼きそばとサラダが置いてあるテーブルの隅の方に漫画を置いてから、椅子を出して座った。
「ふう」
昼飯は何を食べよう…。母さんが作ってくれるといいけど。
朝ご飯を食べながら昼ご飯のことを考えていると、いつのまにか焼きそばとサラダを食べ終えていた。なんとなく損した気分だ。
朝ご飯を終えて、外出する支度が整うと、
「じゃ、行ってくるから」
とだけ言った。
「いってらっしゃい」
「うん」
どこに行くのかも聞かれぬまま、外へ出た。目的地は病院だ。
何度か歩いた道を、迷うことなく歩く。漫画を5冊ほど入れた手提げバッグは、彼に少しの苦労をもたらした。
-しばらくして、[秋野]。
彼女は、ふと小さな声で「おーい」と呼ばれている気がした。
「ん?」
声のする方を見たら、それは気のせいではなかった。カーテン越しに、見慣れた影が見えたからだ。
なので、秋野は、許可を乗せた返事をした。
「なんだ、お前か」
それだけで、カーテンの向こうの相手には伝わった。
シャッ、とカーテンが開く。予想通り、来たのは金田だった。
「よー。病院じゃ、暇を潰すものもないだろうから、漫画持ってきたわ」
そう言って、バッグから漫画を取り出す。
「て、ドラえもんかよ。懐かしいな、おい」
笑いながら手を伸ばす。それに応えて、金田も近づいて漫画を渡した。
「そうか?」
毎週欠かさずテレビ放送されているアニメを見ている彼にとっては、もはや日常の一部として完全に溶け込んでいたのだ。
「あ、今更なんだけど、期末テストってどうなったの」
「あー、あれは あの後 普通にやったらしい。てか、初日のことはお前の方が知ってるだろ」
「いや、早退したからな〜」
「勿体な」
「まぁ、中間試験とかの定期テストって、1回くらい休んでも、普段の成績から大体の点数を付けてくれるでしょ。確か」
見込み点というやつだ。
「普段の成績もなにも…あれが初めての定期テストじゃん」
「あ…」
本当だ…
「あ、ああ、あっ、あれ、期末テストじゃないじゃん…。あれが中間テストかーッ!」
それは、声にならない叫びだった。
「そう。魔法使いの学校は、知恵使いなんかに比べて勉強の内容が少ないからなぁ」
その一言で、秋野は落ち着きを取り戻した。
「いや、少なくはない」
「即答かよ」
その後も、取り留めのない話を、2人は続けた。しかし、そんなどうでもいい話もそろそろ終わりそうな感じを漂わせた頃、
「はぁーっ」
秋野が溜息をついたことで、話はもう少しだけ続くことになった。
「どうしたの。溜息なんかついて」
「いや、なんであれが中間テストなんだよ」
「まだ あの話続いてたのね」
「中間って時期のテストじゃなかったじゃないかよ!」
「まぁ、確かに。1学期期末って感じの時だったよなぁ〜」
「はぁ……。でも、なんか、久しぶりにまともな会話をした気がする」
小さな笑い声が聞こえた後、彼はこう言った。
「俺もっ」
バッグを手に取り、「よっ」という声と共に、秋野のいるベッドから立ち上がった。
「そろそろ帰るかな…」
「あ、最後に!座れ、座れ。」
「何すか もう…」
やれやれと腰をベッドに下ろす。
「あの、お前が前に言ってたポニーテールの人、昨日のあの後来たんだよなー」
「へー。もしかして、あの人が彩扉先生とお前を病院に送ってあげたとか?」
金田は、今日の昼ご飯をどうするか考えいた。
「うん。そうなんだよ。アークさんって言うんだけど、その人が救急円盤を呼んでくれたみたい」
「あ、そうなの」
金田は、昼ご飯を何にするかを考えるのを辞めた。重要な話になるような気がしたからだ。そして、この話は…重要な話と、なった。
「んでさ〜」
「ん?」
「神候補になるかって誘われた」
「ん?」
「や、だから…神候補になるかって話をされたんだよ!」
理解が追いつかず、困惑している。そんなことは、側から見ていても分かった。
「えー…」
「…」
「…」
両方、言いたいことがありすぎて言葉にならない状態が続いた。
「えー…。うーん、なんていうか、おすすめはしません…」
少し距離を置いた風な話し方で、そう提案された。
「…」
「そりゃそうだ。神になれたら、世界作り直したりとかできそうだけど、別にしたいと思わないし」
と言って、秋野は軽く天を仰いだ。
「え?世界作り直したりできるのか」
彼の口調が元に戻る。
「いや、神のイメージってそんな感じだから。できそうだよなーって」
「確かに。情報が曖昧だな…」
金田は、手を口元に当てて、考えるポーズをしながら、呟くように話す。
秋野は、彼に気を留めることもなく、話を続けた。
「まぁ、話が少しずれたけど、神候補になるべきなのか?」
「…なる理由がないなら、やっぱり ならない方が良いと思うけどな。なる理由ができたときにまた考えれば?」
「じゃ、そうするか」
「今度こそ、帰るぞ」
こちらを見ながら、彼はベッドから立った。
「うん。付き合わせてしまったのう」
「何だ、その話し方」
彼は小さく笑いながら、病室から出ていくのであった。
「またな」
その後、運ばれてきた昼ご飯を食べ、しばらくの間 漫画を読み続けた。
そう言えば、体もそろそろ自由に動かせるようになってきたなー。これは退院も近いか…?
秋野が思った通り、退院は近かった。魔弾手は彼女に直撃こそしたものの、彼女の確率半減によって、割と大事には至らなかったらしかった。それでも、今の医療技術を持ってしても後1週間はかかるが。
「ふー…。アークさん来ないなぁ…」
ドラえもんの漫画は、もう3巻の終盤まで来ていた。
また、ページをめくる。
いよいよ、金田が持ってきた漫画も残り1冊となり、その1冊に手を伸ばそうとしていたところ、やって来た。ヴン・アークだ。
昨日と同じ影がカーテンで揺れている。
「こんにちは、秋野さん。遅れてすみません」
こう言われてしまっては本を取りかけた手を止めなければならなくなった。
彼女は手を止めて、
「こんにちは、アークさん。」
「はい。差し入れを持ってきたので、よろしければ受け取って下さい」
「あ、ありがとうございます」
「では、カーテンを開けますね。失礼します」
小さな シャー という音を立てて、ゆっくりカーテンが開く。
「バナナにしようと思ったんですが、病院に生のまま持ってくるわけにもいかないので、別のものにしました」
ベッドの隣に来て、その手に持っている小さな袋を秋野へと渡した。
柚の持ってきた青リンゴを思い出して苦笑いしながら、彼女は差し出された小さな袋を受け取った。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
「では、本題に入りますよ。秋野さん。あなたは、神になるための権利を、受け取りますか?」
数秒の間。
いや、待ってください。神になりたくなったらくれませんか?
だなんて、言えるわけがなかった。なので、彼女は賢明な判断をしたと言えるだろう。
「すみません。権利は受け取りません」
「…分かりました。まぁ、わざわざ危険な事に首を突っ込むこともありませんしね」
まったく、その通りだ。
「さて、もう少しほどここに居たい気持ちは山々ですが、この後は友人との約束があるので」
「あ、わざわざありがとうございました」
「いえ。夏休みの宿題もまだまだ残っていて忙しくなりますからね〜。では、お大事にしてください」
夏休み…。ああ…アークさんも学生だったんだ。なんか、大人びているからか、見えないな〜。まぁ、こんな時間から遊びの約束があるってことは、高校生とか大学生なんだろうけど。
と心で思いながら、表ではしっかりと 別れの挨拶を返す。
「はい。さようなら」
窓から見える空は、いつの間にか綺麗な赤色をしていた。そろそろ東の方からじわじわと青くなっていくだろう。
「…」
カーテンが閉まる。色々、思うことがあったが、隣に置いてある漫画と、手に持っている小さな袋が、安心を与えてくれている。
手に持っている、白と透明のデザインの袋には、『フルーツミックス』と書かれていた。中身はドライフルーツだ。
チャックのような部分を開けると、甘ったるい匂いが鼻に来る。
漫画を汚すのも嫌…というか『親しき仲にも礼儀あり』だろう。友人の物とはいえ、汚すのは良くない。ということで手で取らずに、袋ごと口元に近づけてドライフルーツを流し込む。
「あ〜っ。甘いっ!」
久しく思い出した、砂糖の味は、想像よりずっと甘かった。
ある日、主治医から退院の許可が出た。いよいよ今日の今、退院する。
病院の自動ドアが開いた。中から出てきたのは、秋野だ。
「ふーっ」
手を握り拳にし、空高く突き出し、 伸び のポーズをする。
やーっと、退院したぁ。本当に…あんなに漫画を読んだのは初めてだ ってくらいに柚のヤツは持ってくるし。あ、そういえばアークさんから電話番号教えてもらったな…。
「えーっと…」
ポケットの中でごそごそと手を動かす。
「あった」
ポケットから取り出したのは、1枚の小さな紙だ。上の方に数字が並んでいる。
これは、彼女が退院する2日ほど前に、ヴン・アークが渡したものだった。
「あの日 出会ったのも何かの縁です。気軽にかけてください」といっていた。というのも、入院して意識を取り戻した日から今日までの数日でかなり仲良くなっていたからだ。
病院から出てすぐに、周りを見渡すと、金田が見えた。
「おーい」
声をかける。
「ん?あ、やっと来たか。じゃあ帰るかー」
こちらに気づいた彼が、手を挙げる。こっち来い、の合図だろう。
「やー、案内してもらって すまんね。退院できたのはいいものの、家までの帰り方が分からないからな」
それに、母さんが迎えに来ることもなかったし。…まぁ、分かってはいたんだけどさ。
複雑な色の混じった顔をしながら、近づいていく。
「別に、いいよ。宿題 全部終わって暇だし」
「いつの間に…」
つまらない話をだらだらとしながら、道の上を歩く。空はまだ青く、今日という日はまだ終わりそうにない。
「そういや、結局 彩扉先生の件以来、神候補の戦いに巻き込まれたか?」
「いや。神候補なんて、そういるもんじゃないし」
「へ〜」
どうでも良さそうにする、ということに気をつけて返事をする。あまり、興味を見せるのもどうだろうと思ったからだ。
「っと、あ〜。こっからもう帰れるわ」
見たことのある道まで来たので、もう大丈夫だということを伝える。
「そうか?」
「うん。お前の家、こっからだと反対方向になっちゃうし。もう十分だって」
「まぁ、それもそうか」
パッ と手を振り、別れを促す。
「じゃ、また〜。てか、今度 宿題持ってそっち行くわ」
「了解。それじゃ、バイバーイ」
たまに通る道を抜け、いつもの見慣れた道を歩く。もう、家はすぐそこだ。
ふー。病院で夏休みの4分の1を潰してしまったからなー。早く終わらせたいし…柚に手伝ってもらうか、宿題。
そうこうしている内に、人生のほとんどを共に歩んだ建物が見える。つまり、彼女の…秋野家だ。
早速、インターホンを鳴らして、母親に家に入れてもらおうとしたが、その前に確認することを思い出した。まずは それ を確認しないといけない。
「あ、ポスト見なくちゃ」
ポストのロックを開けて、中から手紙やらを取り出す。秋野家は、あまりポストを確認しないので、手紙などが溜まりやすいのだ。
「うわー。やっぱり、結構入ってんなー」
思わず呟いてしまう。
手に持った沢山の手紙をサッと見て、順番に手紙の内容を確認する。チラシなど、いらないものは捨てるためだ。当然の流れだろう。
「…」
思わず声が出なくなってしまった。
手紙の中に、異質なものが混ざっていたからだ。黒色の手紙。丁寧に、半分に折られている。
この真っ黒な紙に、真っ白な文字で書かれていた内容がまた、不気味なものだった。
『お早う御座います。
或いは今日は。
或いは今晩は。
さて、本題に入りますが、
単刀直入に言いますと、
ご友人の金田君は神候補ですね?
彼の居場所を教えて下さいませんか。
そして、この話は 内密にお願いします。』
文の下には、電話番号と思われる数字が書いていた。
「勘弁してよ…。お探しのそいつに今度、宿題教えてもらう予定なんだよ…」