(5話)金田柚のとある悩み
「神候補になりませんか?」
まさか、こんな形で、この戦いに関わることになるとは考えてもいなかった。というか、まだ、神も神候補も、自分の中ではぼんやりとした存在のまま。
様々な思いが複雑に、混ざりに混ざり合う。その結果、最後には、単純な1つの思いとなった。
「か……どういうことですか?」
疑問。
あんなに、金田や彩扉先生から話を聞いていたのに、思ったより分からないことが多すぎる。
神候補になる条件が分からない。神になる条件が分からない。今と、どう変わるのかが分からない。
単純に、なぜアークさんが その話を私にするのかが、1番分からない。
「そのままの意味です。神候補になりませか?……あ、確かに、これだけでは曖昧な点が多過ぎますね」
「は、はい」
どこか安心する笑顔を残したまま、凛とした表情になる。
「では一通り、お話ししますね。」
アークは、深呼吸とまではいかないが、普段の呼吸よりは大きいと分かるように、息を吸って吐いた。
そして、口を開く。
「とても簡単に言うと、神候補は、神になれるかもしれない人達のことです。もしかして、これぐらいはもう彩扉さんあたりに聞きましたか?」
無言でコクリと頷く。
「…そうですか。どこまで分かっているのか、聞かせてもらってもいいですか?」
「えーと…『神になるための権利』というものを持っている人が神候補だということと、その権利の増やし方。そして権利が多い人が神になれるってことです」
何せ、その話を聞いたのは今日の出来事だ。最近は、毎日が特別だ。あまり良くない意味で。
「ありがとうございます。では、そもそもどうやったら神候補になれるか…つまり、『神になるための権利』を持つ方法を教えますね」
大きな唾が喉を落ちる。ごくり。
「それは、いたってシンプルです。…規律使いを知っていますか?」
「はい…」
ついさっき聞いたばかりの単語だ。
「規律使いから貰うんですよ。おっと、あくまで、権利を増やす方法ではありません」
「えーと…」とアークから小さな声が聞こえる。分かりやすい例えでも考えているのだろうか。
「あ!こう言えば分かりやすいかも知れませんね…」
「リンゴを、『神になるための権利』だと思ってください。すると、リンゴを持っている人は、『神候補』となりますね」
リンゴを持っているジェスチャーをしている。
「リンゴを沢山持つには、カゴがいります。カゴは、規律使いから貰う最初のリンゴに付いてきます。そして、人から奪ったリンゴは、このカゴに入れるのです」
なるほど。分かりやすい。
「ちなみに、人からリンゴを奪うときは、カゴごと奪います。つまり、一度『神になるための権利』を奪われてしまうと、権利だけではなく、人から取った権利を入れる容器まで失うので、もうリンゴを…『神になるための権利』を、増やすことはできなくなってしまいます」
一度、負けてしまうと もう神になるチャンスはなくなってしまうということだ。
「あぁ、今回は、リンゴを奪う…つまり【負】けた方から貰う、または【死】んだ奴から貰うという感じの表現をしましたが…勿論、リンゴを【譲】ってもらうのも方法の1つですよ」
訳も分からず、鳥肌が立った。…その訳は、アークの次の言葉で分かった気がした。
「まぁ、リンゴを増やす方法で人気なのは、どうやら…【負】けた方から奪うのと…殺して【死】んでしまった奴から奪う、この2つらしいですけどね」
そう言ったアークの目は、左下に向いていた。
と、とにかく。…先生はもう神候補じゃないってことで、逆にあいつは神になるための権利を2つ持ってるってわけか…。
「ちなみに、神になるための権利って、何か特別なアレとかあるんですか…?」
アニメや漫画のように特別な効果が…つまり 身体能力が上がったり、超能力が使えるようになったりするのか と質問したつもりだったが、アークには伝わらなかったようだ。
「…と言いますと?」
顔には困惑の色が混ざっている。
「えと、例えば…その権利があると、超能力が使えるようになったり〜…なんて」
敬語なんて使い慣れないものだから、とても疲れる。そもそも まともな敬語を使えていないのだが。
「あー」
来るかもしれない質問用マニュアル を、記憶の中から引っ張り出して、あらかじめ用意していた文章を、返事にして返す。
「そういうのは全くないですね。」
「全く…」
「はい。なので、神候補の方の地の能力のみで勝敗をつけるわけです」
こうなってくると、元々あまりやる気ではなかった、神候補になるという話が、さらに それはそれは とてもとてもやる気じゃあなくなった。
秋野の魔法は、何かを半分にする魔法だ。かなり多くの魔法使いがいる、ありふれた魔法。少なくとも、決して少なくはないだろう。
それよりも重要なのは、単純に、この魔法が戦闘向きではないということだ。何かを半分に…だなんて、良くてサポートするくらいだろう。
それに、何かといっても、何もかも半分にできるわけではない。この星の人口を半分に!だなんて言おうものなら、魔力が一瞬もしないうちに枯れて死ぬだろう。(枯れようが、魔力不足で魔法は発動しないが)
これ、神候補になったところで、多分勝てないし、意味ないんじゃ…。
もし、彼女がこう思っても不思議ではないだろう。もし、も何も、そう思っているわけだが。
「ん〜…」
はっ!
…これは不味いですね。まぁ、今のを聞く限り、秋野さんにとってメリット無いですしね…。悩む間もなく、即 断られてもおかしくはないことでした。
なんとかして、神になるための権利 だけでも受け取ってもらわないと。
どうしたものでしょうか…。ううむ。
はっ!
「え〜と、何度も聞いたと思いますが、自分の権利は譲ることもできます。なので、相応しいと思った方に譲るのも、有効的な活用だと思いますよ」
アークは、慌てた様子を隠しながら、
「それに、嫌になったら他の神候補に譲ってしまえば、辞めることもできますし」
と言っている。
つまり、アークさんは、神になるための権利を誰かに譲ってしまってもいいから、神候補になってくれと言っているのか…?
「すみません…。今すぐには決められません」
どうしてそこまで?…どうしてそこまでして、、私を神候補にしたいんだろう…。
ずっと置いたままだった手は、気がつかないうちに汗で ベト としていて気持ちが悪い。こそこそとベッドに軽く擦り付ける。あまり効果はないようだ。
7月後半だからといって、夏だからといって、そこまで暑くない今日この頃。汗ばんだ手のひらを見る。
なんで、こんなに聞き入ってるんだろ。神になりたいわけじゃないし、当然 神候補になる理由なんてないのに。
そうだ。秋野は戦闘において不利、死ぬかもしれない状況となる、それらに加えて ただ単純に神になりたいと思っていないのだ。
ここで… ハイ!正義のために、なりまぁす! だなんて言えるのは、アニメ・漫画の中の熱血主人公だけだろう。
『正義のため』ほど、
立派で、
素敵で、
純粋で、
模範的で、それでいて、
軽い動機は……理由はないだろう。
人を動かすのは、やはり欲だ。軽い理由で、ここまで危険なことはできないだろう。
数分の間、沈黙が続く。
「別に、今 決めなくてもいいんですよ」
アークがその沈黙を終わらせてくれた。
「はい…」
「お見舞いに来たのに…話があまり関係のない方向に進んでしまってすみません。今度は、バナナでも持ってきますね」
「ありがとうございます…」
「で、では、明日もこの頃にまた来ます。何かの縁です」
「はい」
立ちっぱなしにするのも申し訳ない、と思ったが、最後に彼女はこんなことを聞いた。
「あ!」
別に、今 突然思い出したわけでもないのに「あ!」と言って、突然思い出したかのように装うのは、無意識のうちにした行動だった。
当然、それが他の患者に迷惑にならないような音量で話したということも、無意識での話だ。
それはともかく、アークは表情を変化させた。どうしましたか?といった表情だ。
「あの、神候補になるには、やっぱり規律使いから最初の権利を受け取るしか、ないんですか?」
自分と関係あることではない。しかし、知っておきたかった。金田や彩扉先生もまた、とある規律使いによって この戦い に参加させられたのかどうかを。
「はい。そうですね。最初にカゴを受け取らないと、リンゴを入れることはできませんから」
「では、また明日。お大事になさってください」
「ありがとうございます」
アークがカーテンを閉めて、また黄色い光が差し込む。その後、アークはこの部屋の入口 兼 出口へと向かった。
ガラリ。
どぅうえぇーっ。疲れたーっ。あー…。しんど。敬語…になってたかも怪しいけど、やっぱり 慣れてないと疲れるな。
呼吸も忘れ、目を瞑る。そして ベッドにばったりと倒れた。ボスン、と音が立つ。
そんなことよりも、アークさんの話の通りだとすると、みんな規律使いからもらったのか…。今日は、考えることが多すぎる………
外はまだ青い。
目が開く。
開いた目は、シパシパする。なので、数回瞬きをして、なんとか視界を整える。
それと、ぼんやりする。ここ数時間の、記憶が無い。心地良いまどろみが残っている。カーテンの隙間から見える窓には、オレンジと赤を混ぜたような 夏色 が写っている。
これらの事実から推測されること…それは、秋野が十中八九、寝ていたということだ。
まだ少しぼんやりするな〜。多分、ご飯の時間ってのがあるはずだし、それまで気長に待っとこう。
それにしても暇だ。
…そういえば、何か考えてるうちに寝ちゃったんだよなー。
あ、そうそう。規律使いのことだ。あいつ や 先生 もああして神候補になったんだ。
…あれ?そういえば、柚の奴は、なんで神になりたいと思ったんだ?
-[柚]の奴は、なんで神になりたいと思ったんだ?
「あ、もうこんな時間」
ズボンに付いてある右ポケットから取り出した、ガラパゴス携帯の画面を見て、無意識に呟いた。
完全に暗くなる前に、早く買い物を済ませないと。
左のポケットから、小さな紙を引っ張り出す。母親から受け取ったメモを見た後、スーパーに向かって歩き始めた。スーパーは、商店街を抜けたらすぐに見える。
彼の名前は、 金田 柚 。
中学生の夏休み という、間違いなく人生の全盛期の真っ只中を、あまり満喫できない悲しき少年であった。
柚が、地元の商店街を歩いている時、社会の裏では、神の座を求めて争いが起きていた。勝って、奪って、貰って、時には殺してまで。
その戦いは、都市伝説として瞬く間に、多くの人に知られた。ネットが広く使われるようになった今、噂は、文字通り 光の速さで広まった。
この関係のないように思える噂は、金田柚少年が夏休みを楽しめない原因の、96%の割合を占めていた。彼もまた、この都市伝説を構成している者の内の一人、『神候補』なのだから。
まさか、宿題という苦痛が4%ほどしか苦しいと感じないとは…当の本人も考えていなかっただろう。
行く途中にすれ違った、人々の誰もが思わなかった。彼がそんな悩みを抱えているとは。
そろそろ商店街を抜ける。前には、横断歩道が見える。あの白と黒が交互に組み合わさった、意外に独特なデザインをした歩道を渡ると、そこはもうスーパーだ。
「よし」
横断歩道の奥の信号機を見ると、それは赤色に光っていた。ここの信号は色が変わる時間が短いしどうでもいいか、と思いながら金田は足を止める。
赤信号の時は止まる、青信号なら道を歩ける。こういうルールは誰が考えたのだろう…。こんなことを考えていると、信号の光は青色に切り替わった。
また、歩き出す。
横断歩道を渡りきったら、駐車場が隣に見えながら、入口に置いてある、緑色のカゴを取る。そして、スーパーへと入った。
自動ドアが開いた瞬間、流れ出てきた冷気が体に当たって、気持ちいい。
入ってすぐ、果物コーナーが目に入る。秋野のお見舞いの直後に知ったことだが、果物などはあまり病院に持っていってはいけないらしい。
手に取っていた青リンゴを元の場所に戻し、今日の夜ご飯に使うトマトをカゴに入れた。
その後も、彼は買い物を続け、買い物が終わると家に帰った。道中、何も変わったことはなかった。
ご飯を食べ、歯磨きを済ます。さっさと風呂に入り、風呂から上がると、自分の部屋で少しだけ夏休みの宿題を処理する。当然、勉強なんかしていたら眠くなる。
眠りにつくために、扉の近くのスイッチを押して、電気を消した。
午前中に起きたほんの1時間ほどの出来事は、この数時間の比にならないほど濃かったなぁ〜。
なんてことを布団の上で思っていた。
あ、明日もお見舞いに行くか〜。なんか、あいつがあんなのになってる原因の中に、俺も入ってるだろうし。…自意識過剰か。
病院内は暇だろうし、ドラえもんの漫画でも持っていくか。
忘れてはいけないので、今日の買い物のレシートの裏にメモをする。丁度近くに落ちていたのだ。勉強机の上から適当に取ったペンを、元の場所に戻す。
もう一度ベッドに入ったら、さっきの倍の眠気が襲ってくる。勝負にならないので、素直に負けて 寝る。
少し変わった1日が終わる。明日は、あまり変じゃない1日になることを望みながら。
彼の目は既に、まぶたの裏ではなく夢を見ていた。この時は、あらゆる悩みがなくなる。
こうして、彼の7月29日は終わりを迎えた。




