(Part55)ここまでの道わが旅
しばらく世界が止まったようだった。…が、結局は、止まったようなだけであり、実際に世界が止まっているわけではない。
あるいは、世界は気まぐれに止まったりもするのかもしれないが、少なくとも人類は今のところそれを観測できないため世界は止まらないと言う他ないし、「世界が止まることはあるのか」なんてのをこの状況で考えるようなバカはいない。この状況でなくても、そんなことを考えるのは恐らく、十の位を四捨五入したら零になるような偏差値をしたバカ大学出身の哲学者くらいだ。
一つ言うと、この時世界は止まらなかった。ただ早尖は止まっていた、というだけだ。
「し、」
上手く声が出なかった。4年ぶりに声をかけるのだから、当然ともいえるだろう。
4年会っていない知り合いに、なんの躊躇もなく声をかけられるだろうか?かけられるとしたら、それは気をつかう必要の一切ないほどの親友なのか、逆に一切気なんかつかってやる必要もない犬猿の仲なのだろう。前者ならそれはとても素晴らしいことだ。だ、…が、あいにく、早尖 隼人とクシポスは前者のような関係でも後者のような関係でもなかった。
つまり迷うわけである。声をかけるべきか、かけないべきか。当然、早尖は「声をかけるために4年間も探した」はずなのだから声をかけるべきだ。この迷いの答えは、この瞬間において、じゃんけんでチョキよりもグーが強いこと、一つのリンゴののった皿にもう一つリンゴをのせると皿のリンゴは2つになることよりも、明白だ。
…ほとんど反射的な迷いだった。動揺という成分を多く含む迷いだ。目標のために邁進する努力をしてきたとしても、いやしたからこそ、目標が叶ったときの動揺はものすごい。そんな迷いだった。
…一秒ほど動揺してうろたえていた。
このとき、彼は4年よりも長い一秒を過ごしたのだ。一秒して、もう真っ白の頭で、彼は4年と1秒ぶりに師匠に向かって挨拶をした。
「お久しぶりです。師匠。」
それからまた、少し世界が止まった。この静寂は早尖を不安へと駆り立てる。
もしかして、師匠は俺のことなんて憶えていないのかもしれかい。…あの頃は、小さな道場の先生だった。でも今は、剣の世界のトップに君臨する剣豪だ。もう、住む世界が違うか……。
そんなことを考えた。ゾッとする。まるで、親友だと思っていた奴にとって自分は友達ですらない存在だった…そんな恐ろしさがある。返事がないのは不安だ。
言葉が出ない。
「あ…」
心臓がうるさくアラートを鳴らす。耳鳴りが聞こえてきた。
「…」
クシポスは黙ったままだった。
髪と同様に、クシポスはその瞳も翠の宝石さながらだった。吸い込まれそうな瞳、というよりは、上品な力強さがある。いってみれば、光を放つ瞳だ。
彼女は早尖を見つめたまま、数秒を過ごした。
おかげで、早尖は不安が杞憂にすぎないということを知るのに、数秒もかけさせられた。
数秒黙ったままのあと、やっと喋ってくれたのだ。
「隼人か!!!!」
その声はあまりにも元気で、聞くものに元気を与えてくれた。特に、早尖はずいぶんと元気になる。
「師匠!!!!」
感涙だ。
「…久しぶりだな」
師匠ことクシポスが、冷たい透明のコップに入った水を飲む。同時に口へ流れ込んだ、気泡のほとんどない小さな氷を「ガリッゴリッ」と噛み砕きそれも飲み込んだ。
あの後、かなりの時間をかけて落ち着いた早尖。みんなで近くに座れる場所を探したら小さなファミリーレストランがあった。今はファミリーレストランの中だ。
「はい。本当にお久しぶりです。師匠…」
レストラン店内はガランとしており、うるさくなくて話がしやすい環境だった。
「インタビューのせいで朝ご飯がまだなのだ。何か食べながら、ゆっくり話そうではないか」
クシポスは、早尖にそう言ってから、店員を呼んだ。
注文は当然、桃源共和国の言葉で行われた。それまでの早尖との会話は兎暦の言葉を使っていたので秋野たちにも理解できていたのだが、この注文はファミレス店員と早尖、そしてアークにしか意味が伝わらなかった。
「あれ、それってたしかキノコ入ってるんじゃなかったっけ。師匠、キノコ苦手じゃありませんでした?」
「む、なんでお前は私の苦手なものを覚えているんだ。気持ち悪いな。…実はあの後、兎暦で松茸などというものを喰ってから、きのこは好きになったのだよ」
早尖は「へぇ。」と短く納得した様子を示した。
「ああ、それで兎暦の言葉を使えるんですね。」
「そういえばお前も兎暦の言葉で挨拶してきたな。びっくりしたぞ。そのせいで、最初はお前であることに気がつかなかったわけだしな」
クシポスは、料理が運ばれてくるのがまだかまだかと、肉眼では捉えられないくらい小さくだが、体をウズウズと揺らす。
この国で使用できるお金を持っていないので、秋野たちは何も注文することはできない。そもそもお腹が空いているわけでもない。ならなぜメニューを見ているのかというと、暇だからだ。メニューの写真を意味もなく見ている。どの料理も美味しそうだった。
そんな秋野や、他のみんなを見てから、クシポスは口を開く。
「それで…」
なんとなくだが、この言葉は全員に向けられたように聞こえた。そのため、秋野も顔を上げる。声の大きさは先程と変わっていないにもかかわらず、今度は早尖だけではなく全員に向けられた言葉に感じられた。
「ふむ。あなた方は何者だ?…おい隼人。この人らは誰だ?」
「ああ、この方々は──」
早尖が紹介を始めようとしたところ、
「对不起,我让你等」
コト。料理ののった皿が置かれた。他でもない、ファミレスのアルバイトの手によって。
秋野も、着席時にお店から出された水を、クピ…と飲む。氷はもう溶けていたが、まだ冷たかった。冬に飲むのもではない気もしたが、無料なので文句もない。むしろ、クシポス以外は料理の注文をしていないのに、無料で水を出してもらって素晴らしいサービスとしかいえない。このとおり、料理も早い。
「このお店、早いんだな。料理」
「おォー。それに結構美味しそうや」
金田としても、国を跨いでもいいサービスを受けられることに感動を覚えたらしい。
「どこでもいいサービスが受けられるんだなぁ、この時代は。ファミレスって、現代社会ってすごいな」
「お前はどこで何の謎の感動を覚えとんねん」
少し前からいい匂いはしていた。ちなみに、運ばれた料理は、秋野がメニューを見ていたときに一番「これ美味しそうだな」と思っていたものだ。
カチャ、と音が鳴る。箸を皿の上に置いた音だ。何製か分からないが高級感ある黒色の皿に、割り箸と大差ないような安っぽい皿が置かれた。
このとき7人は一つのテーブルを使っていて、早尖を含め秋野たち全員が壁側のソファのようなところに座っていて、その向かいにクシポスが一人で座っている状況だった。
そしてクシポスが料理をたいらげる二十数分で、早尖はここに至るまでの軽い説明をしたのだ。
「全く分からんぞ。」
キッパリ言って、そのまま口も拭かずに一息つく。溜息をつくような、人に不快感を与えるものでもない。満腹感によって腹から押し出された息だろう。
ほとんど汚れていない口で、「ごちそうさま」と言ってから、クシポスは前を向く。
「えぇと。つまり、隼人は私のことを探し続けてくれていた。それに関してだが…すまないとしか言えぬ。」
早尖がすかさず師匠の謝罪についてどうこう言うよりもはやく、師匠は続けた。
「そして、この方々だが。隼人が何かよく分からないものを渡し、その礼として私探しに協力してくれたということか。」
早尖は肯定する。
「そういうことです。」
それを聞き、クシポスは深く頭を下げた。そこまで長くない髪が、空っぽの皿にくっつきそうだ。
「皆さん、迷惑をかけた。」
皆、言葉遣いの細部までは同じではないが、反応としては全員が「いえいえ」とへりくだるような反応を見せた。
「私たち、世界一の剣豪に褒められちゃったな」
「実際はアークさんだけが役に立って、俺らは何もしてないけど」
「柚の言う通りやで。…てか秋野はテレビでクシポスさん見たときにすぐ早尖さんのこと思い出して伝えたれや」
「う…」
「いやぁ、にしても隼人と会うのは何年ぶりだ…?5、いや4年ほど経つか。」
「あの時は驚きましたよ。」
「…うん。」
「…」
これから思い出話に花でも咲かせるのかと秋野たちは思っていたものだから、早尖とクシポスが黙ってしまったことは場の空気を変えた。
そのとき、シーンを進めたのは意外にもステイトだった。
「あの、どうかしましたか?何か気まずそうだけど、ここまで来た身としては色々気になってしまう」
クシポスは結んだ口を解こうとして、そのときに
「む。」
と声が鳴る。
ステイトの隣に座っていたアークは、無料の水の入ったコップの結露からパッと目を離し、ステイトに小声でこう言う。
「ちょっとボス。そう踏み込んだ話は…」
それにボス…つまりステイトは、小声で返すどころか、気持ちさっきよりも声を張り上げてこう言うのだった。
「当然、僕たちはパーフェクトに完璧な部外者なので、話をしてもらう義理なんかないですが。…んー、何て言うんだろうか。本当に、ちょっと気になるところがあるんですよ」
当然だが、クシポスが黙りな理由を一番知りたがってるのは早尖だ。彼の中ではクシポスと再会することがゴールだったのに、そのクシポスにはまだ“何か”あるようなのだから。
じっ…。悩む様子の師匠をバレないようにじっくり見つめる。
翡翠のような澄んだ緑色の髪。その恵まれた地毛を一つの束にして、馬の尾のようにたなびかせている。といっても、ヴン・アークほど長くなく、せいぜいアークの漆のような綺麗なポニーテールの…三分の一くらいの長さだ。
緑の髪が揺れるのを止めた。
「分かった。…そんなに重い話でもあるまい。や、少し前までは随分重い話になりそうだが、もう解決してしまったのでな。」
「何があったんですか?」
クシポスはコップに入った最後の一口分の水を飲み干し、カランと乾いた音をテーブルに立てた。
「実は私の父が失踪してしまった。…父のことは覚えているよな?」
早尖の方に目を向ける。顔そのものを大げさに動かしはせず、ガラス玉のような瞳だけをこちらに向けた。
「は、はい。」
早尖は、秋野、金田、機堂、ステイト、アークと並んで座っている右を見て、こう話す。
「俺は剣の道場に通ってたんだけど、最初は師匠のお父さんが先生だったんだ。でも、体を悪くしたため、クシポス師匠が師範代として俺たちに剣を教えてくれた。」
そう言って目を閉じ、何かを想ってまた開けた。
「ま、俺はクシポス師匠に教えてもらった期間の方が断然長いから、詳しくは知らないけど。」
師匠もそれにコクリと首を縦に振る。
「うむ。その通りだな。父が病床に伏すようになってから、私が代わりに剣を教える先生となった。」
急に(当時はまだ秋野と同じくらいの)子供であるクシポスが教えることになってその道場の生徒は不満ではなかったのか?その疑問は微塵も誰も感じなかった。なにせ、目の前にいるクシポスは世界一の剣豪として世界で認められているからだ。
「父が倒れたとて、それなりに上手くいく日々だった。母と父の見舞いに通いながら、得意の剣を人に教える。」
それは早尖も知っている話だ。
「…その後、隼人にとっては急に私が消えてしまったことになっているのだろう。」
「はい。」
ここからは隼人も知らない話だ。
「…先程にも言った通り、あの後、父が姿を消したのだ。」
「じゃあ、まさか師匠は…」
「ああ。私と道場が消える少し前くらいから、ずいぶん私は機嫌が悪かっただろう。あれは父を探せど探せど見つからず、剣に手がつかなかったからだと思う。すまなかった。」
「そんな。みんな、心配だったんですよ。」
「…すまない。…続きだが、近くをいくら探しても父は見つからなかったので、私と母は、父を探すためだけに旅まで始めてしまったのだ。その時、父が大切にしていた道場は売った。」
もう空になった皿も、コップも、中に僅かに残っていた水分は全て飛んでいた。
このままでは重い話のままだ。しかし、クシポスが言った通り、これは重くない話である。つまり、クシポスの口から話される範囲ではこう終わる。
彼女は顔に、満面の笑みに見える表情を貼り付けた。
「最近な、やっと父が見つかったんだ。父を探す過程の道の話は省かせてもらうぞ。…大刀剣武神大会で優勝できるようになるくらいには険しかったさ。」
そう言って師匠は、この話を笑って絞めた。
-[秋野]は外の寒さを思い出す。
「さぁむい!!」
クシポスの話を聞いて腑に落ちた秋野と金田としてはこの寒さは堪える。暖房の効いたファミリーレストランから立ち去ったところだ。早尖とクシポスはまだレストランに残ったままだ。きっと、これから積もる話を少しずつほぐして解いていくのだろう。
こちらは、これから、人目のないところへ行き、ヴン・アークの魔法『箱』によってあの館へ帰ろうとしている。
「…しかし何故、ボスはクシポスさんに話を伺おうとしたのですか?あの踏み込み方はやや不自然に感じました」
「ああ…それか」
ステイトはポケットから手を出して、無意味にひらひらさせながらこう言う。
「予言書だ。早尖とやらが神になるための権利を【譲】ってくれる、だなんて予言書には書いてなかった」
アークは手に張られた筋肉をキュッと引き締め、口元にあてる。
「それは…確かに気になりますね。他の神候補と接触したという時点で、これまでなら絶対に予言書に記されているような内容ですのに…」
「その通り。…12月23日の秋野ちゃんたちが戦ったときも予言書には記されていなかった。引き続いて、今日のことも。…予言書の精度が低下しているだけならまだいい、」
「だけど」とステイトが続ける前に、機堂が入る。そしてステイトの言おうとしていることの9割以上同じ内容を、「せやけど」から始める。
「次元の壁を壊してサースターから地球に行ッてメチャクチャにしようとしてるヤツ…がおるかもしれんッて話に繋がるんやろ?」
「そうか!そのメチャクチャしようとしてるやつに、つまり第三者に予言書を改竄された可能性があるんだった」
金田も、機堂とステイトが言おうとしていることを完全に理解した。
「そうや」
「…流石。とにかく、そういうことだな。僕はそれが気になった」
秋野としてはまだ疑問があったが、もうアークが、人目を気にせず『箱』を使えそうな場所を見つけてしまった。疑問の解消は館に帰ってからだ。
「詳しい話はあちらでしましょう。そこに『箱』を使えそうなところがあります」
5人は、ある路地裏で、誰にも知られることなくフッと消えた。桃源共和国のとある路地裏から、8立方メートル分の桃源共和国の空気は消え、そこに代わりに8立方メートル分の兎暦の空気が突如として現れた。
ウィーン。自動ドアが自動的に開く。(なんとも馬鹿げた文だと思われるかもしれないがそう思うやつは、桃源共和国は地域によって格差がひどく、安価で手抜きな工事が行われることによって自動ドアが自動では開かないところもあるということを知って欲しい)
-[クシポス]は、自分のことを師匠と慕ってくれる者と共に外へ出たのだ。赤みがかった長い髪で、年齢的には高校高学年あたりだ。つまり早尖。彼女は昔の名残で、下の名前…隼人で呼んでいる。
「隼人、お前はこれからどうするつもりだ。」
「ええと…どうしましょう。師匠にもう一度会うことが俺の第一目標でしたから。」
「そう…か。」
「どうして私なんかに会うことが目標なんだ」とも「ストーカーか、気持ち悪い」ともクシポスは言わなかった。そもそも思っていない。
「しっかし…お互い、兎暦の言葉を使うのに慣れてしまったな。」
ハハハと笑う。
2人とも、桃源共和国で生まれ育った。
「そうですね。兎暦は、刀で有名な国でしたから。剣の道を歩む者として、必然的にそこにいつまでも留まってしまっていましたね。」
隼人は笑い返した。
しかし、この笑いはクシポスの表情筋をピクリとさせる。怒ったわけではなく、疑問が浮かんだからだ。
「む。そのギターケースを見る限り、今は剣の道というより音楽の道を歩んでいるように見えるが。」
「これはただの商売道具ですよ。」
桃源共和国出身の彼が、兎暦という、最初は言葉も分からなかった異国で稼ぐためには言葉のいらない音楽が必要だった。
「そうか。」
「そういえば、さっきファミレスで一緒だった、師匠を探すのに手伝ってくれた方の中に、少女がいましたよね?」
「ああ…」
「あのお嬢ちゃん──」
「お前と同じようにギターケースを背負っていたが、あれの中身は剣だったな。」
「…よく気づきますよね、本当。」
その後も道中、2人は積もる話を山の頂点の方から語っていく。
弟子は師匠を探し、師匠は己の父を探し、長い月日がたち、少しの年をとった。ここまでの道を振り返る。これからの旅について……今だけは目を背けた……。




