(4話)規律使いとある提案
シャク。リンゴを噛む音がする。金田が皮を剥いた後、どこからともなく出したお皿の上でカットされた青リンゴだ。ちなみに、剥いた皮は捨てる所も無いので金田が食べてしまった。
「…美味い。でも、いくらナイフの持ち込みが駄目だからって、アルミ製の定規で皮剥いたりカットしたりすんなよ…」
金田はハハハ、と ごまかすかのように笑った。
ここは直利病院のとある病室。無料で使える4人部屋の病室だ。あまり大声は出してはいけない。
そこで、ついさっきまで病院を爆走していた金田は、汗を乾かして、心を落ち着けて秋野とリンゴを食べていた。
フォークも爪楊枝も無いので素手で掴んで口に放り投げる。定規で切ったものだから、形がごたごたしている。
1分と40秒して、2人はすべてのリンゴを食べ終えた。この少しの時間のおかげで、心の準備が整った。なので
いよいよ本題に入る。
「じゃ、そろそろ、さっき彩扉と話してた事を言ってもらうか…」
「ん、あぁ。さっきのは話ってほどでもないけど。ただ、先生から許可を取ってきただけ。今から話すことの」
「何の。話すのに、許可なんているの……」
つまり、あいつの個人情報とかか?と考えてみたが、今は関係のないように思える。
「あ、」
もしかして…その考えが頭に浮かんだ時、彼女はそうとしか思えなくなった。目が、わずかに大きく開く。
「神候補になった理由…か」
「そう。そうだ」
神候補になった理由は、神になりたい理由と同じのはずだ。それはつまり、彩扉の場合、人を殺す理由 と言えるのではないのだろうか。人を殺す理由など、聞きたくない。
上下の歯が強く合わさって不快な音が立つ。
秋野は、少し薄れていた彩扉への想いが、念いが…再び強くなっていた。
「そんなの聞かされたところで」
話が遮られる。
「頼む」
そう言って彼は痛くならない程度で腕を掴んだ。いや、もはや触れたと表現した方が適切だろう。そ、と秋野の腕に触れた。
そうされてしまうと、何もできなかった。
ドラマの回想シーンは良く出来ている。その景色も、人物同士の会話からその会話の間まで、全てが分かるのだから。
それに比べて金田の話は、所々 表現に困ったかのように、言葉に詰まったり 話が切れたりした。しかし、その映像は鮮明に頭に流れてきた。それは、ドラマとは違う、ノンフィクションの読み物のような生々しさだった。
どんな内容だったか…そうだ、
-確か、[金田]が話した内容はこうだった
彩扉先生には、お嫁さんがいる。これは、数学の時間に先生がたまにする雑談で一度だけ聞いたことあるだろ?
「ん、うん」
名前はハルさん。ハルさんはこの前…本当につい最近。
たった2ヶ月前に交通事故に遭ったんだ。事故。ぶつかった車は逃げた。轢き逃げ。
不幸中の幸い、脳に影響は届かなかった。でも、2本の腕は、手はもう駄目になった。
「…?今の技術なら治せるんじゃ…」
治ったよ。でも、夢を叶えるほどには治らなかった。
ハルさんは、画家になりたかったんだ。人生で、2回目に貰った手じゃ、描きたい絵は…描けなくなった。
「…」
それだけじゃない。差別や迫害を受けやすい立場だったんだ。この社会に問いかけるかのような、人の心を動かす絵を描く…画家になりたかったらしい。
「差別を受けやすい…?でも、あの時から元・奴隷への差別は激減したはず」
違う。それとは別の。知らないか。
ええと、サースターには、知恵使いと力使い、そして魔法使い。その3タイプと、もう1つ存在するんだ。それは…
規律使い。
「規律………」
…そう。何せ、規律使いは全人口の5%未満。あまり知られてはいないか。
そして、その独特な見た目から、人でないなんて言われることすらもある。
これは、生物としての区別なのか?俺には、差別としか思えない!
「…」
好きな人の夢を叶えるために、差別を無くすために神になるんだってさ。神なんだ、それくらいできるはず。
それが人を殺す理由には、ならないかもしれないし、俺はあの日 教室で起きたことを許せるほど人間出来てない。
でも。でも、彩扉先生を憎むなんてもう…あの話を聞いた後には、ハルさんに会った後には、俺には無理だ。
「…うん」
自分を殺そうとした奴を、憎まないなんて、そう簡単なことではない。当然。
凡人 天才 秀才 馬鹿 阿呆 頭の良さなんて関係ない。
復讐でも逆襲でも何でもなない、訳も分からぬまま人生が終わっている。仮に訳が分かったところで、納得なんてできない。殺されるとは、大半はこんな状況だったのではないだろうか。
人を許すことが難しいのに、それが自分を殺そうとした奴を許そうだなんて、無理だとかできるとかの話ではない。可笑しい、と笑えることもできない話だ。
しかし、2人は…少なくとも、男子中学生1人は、先生へ対する憎しみが無くなっていた。
窓の外では雲がゆっくり動いている。
「なぁ…」
秋野が言った。話しかけているのは、もちろん金田だ。
「ん?」
彼は短く、そう返事をした。確認してから、続きを言う。
「私はもう、何が正しいのか分からない…」
そう言った彼女は、彩扉先生のことをもう、憎んではいなかった。
-ガーッ。自動ドアが開く。そこから出てきたのは、[彩扉]だ。
彼は、病院から出てきても、そのまま歩き続ける。緑 一色の細長い花壇が隣にある道を、ずっと歩いてゆく。
出た先には、道。完全に病院の敷地外だ。そこからまた、しばらく歩いた。隣の道路では、数十秒おきに車がすれ違う。そのさらに隣を走る、つまり自分を追い越す車は、まったく無かった。
着いた先は、7、8人ほどの人が入れるであろう小さな建物…というより部屋だ。ガラスでできた壁に、紙が貼られていて、黒い字で喫煙所と書いてあった。病院の近くでタバコを吸うには、ここしか無い。
喫煙所だと確認した後、誰もいない、中に入る。ガラスなので、外の景色がくっきりと見えた。もっとも、ここは駅の近くなので通り去る人ぐらいしか見るものは無いが。
立ちっぱなしも疲れるので、後ろのガラスでできた壁にもたれかかる。そして、ポケットから小さな直方体の箱を出す。タバコだ。
この、一箱を吸い終わったら 今月はもう吸わないようにしよう…という気持ちと共に、タバコの箱を開ける。そして、中を覗いた。
運悪く、彩扉が今月吸えるタバコは残り1本だった。
「…」
数秒、動きが止まったと思ったら、タバコをポケットにしまった。
「ハァ…」
そう溜息を吐きながら、重い頭も壁に任せる。
「何をやっているんだ…俺は」
「…」
ただ、黙って立ったまま、ボー とガラス越しに外を見た。
「…」
今日は土曜日。スーツを着た大人達の代わりに、小さな子を連れた親達ばかりが、この駅を使っている。あまり混んではいない。
メガネをかけた若い男の人と、髪の少し長い綺麗な女の人。その間で小さな女の子が2人と手を繋いでいる。家族だろうか。あの家族はこれからどこに行くのだろうか。あっちには健康そうな老夫婦が歩いている。
休みは始まったばかり。しかも、学生はもう夏休みだ。
と、中学生が見えた。4人で楽しそうにしている男子中学生達。なぜ中学生だと分かったかと言うと、それは河味中学校の生徒…彩扉先生の教え子だったからだ。
「…」
あの時…夜の公園で、秋野に負けた時から、思っていたが…。改めて思う。
もう二度と、絶対に、人を傷つけたりなんかしない。そして、ハルの夢も、規律使い達の祈りも、小さなとこからしか始められないが、手伝わせてもらうぞ。神でなくても、それぐらいできるはずだ。
「よっ」 と言って体を起こす。背中がガラスの壁から離れる。
その時、なぜか…なぜか、金田に、秋野に、許された気がした。気のせいだろうか。
「…ないか」
独り言を言うだけで、スッキリするものだ。喫煙所の出口に近づく。押すと開くものなので、ゆっくり手を伸ばす。
喫煙所から出て、彩扉は空を見た。雲がゆっくり動いている。
「ドーナツでもハルに買ってあげよう」
顔を元の向きに戻して、ドーナツ屋を目指そうとする。
ハルの笑う顔が思い浮かぶ。
あんな事故に遭っても、笑うのを忘れない、強い彼女のことが、彼は好きだった。今だってそうだし、これからもそうだ。
くくっ、と笑っていると、人とぶつかってしまった。
「っと、ごめんよ!」
笑顔で彩扉は謝った。謝れる というのは気持ちのいいものだと知ったから。
相手は手ぶらだった。駅の近くで、手ぶらなのは少し珍しい。(タバコと財布しか持っていない彩扉が思うのもなんだが)
「いえ、こちらこそ すみませんでした」
相手も、そう言って頭を軽く下げた。
「おう!」
6mほど、その人を見ながら、手を振って歩く。相手も笑いながら手を振ってくれた。
パッと見た感じ、随分と年下。かなりの美形だ。それと、髪は1つに束ねていて、とても長かった。だが、失礼なことに、男か女か分からなかった。
どこかで会った気もしたが、思い出せないので さっさと考えるのをやめてドーナツ屋の方向に向かって歩く。
翼を畳んでいるようなものが背中あたりに見えたが、それこそ間違いなく気のせいだろう。う…ん。やっぱり会った気がする…ような。まぁ、いいか。
-彩扉とぶつかった[そいつ]は、自分の翼をパタパタと軽く叩いた。
さっき、人とぶつかってしまった。この翼は便利だけど、やっぱり時々 邪魔だ。
「あ、」
ハッと気がつく。思い出した。
「今のは彩扉さんか…」
誰にも聞こえない小さな声で呟く。
なんと、そいつは、前に彩扉と会ったことがあった。
「…」
振り向いて、彼の方を見る。そして、すぐにまた前を向いて歩き始めた。
そいつの名前は…
ヴン・アーク
早いこと、秋野さんに会わなくては。
そう思って、アークは少し早歩きで歩く。人にぶつからないように、気をつけながら。
駅を出ると、病院に続いている灰色の道をずっと歩いていく。色々なお店が並んでいる、少し賑やかな所を抜け、隣に大きな建物が所々ある静かな道に出た。
右隣では車が通る道路がある。途中、赤信号で何度か足が止まったので、結局 早足はあまり意味がなかった。
緑の花壇に沿って、さらに歩く。もう既に病院の敷地内だ。
やっと着いた。正面の自動ドアが開く。
駅からこの病院には、約20分かかる。翼を広げて飛んでいけば、この半分もかからないが、法律上、定められた物以外空を飛ぶことは許されていない。これは、救助用ヘリコプターや救急円盤などが衝突事故に遭わないようにするためだ。
定められた物…そんなことを言っていたら、空を飛ぶ生物はどうなるんだ、という話だが、少なくとも生身の人間は“空を飛んでもいい物”に分類されていない。
脳内で地図を作成して、場所を確認する。
さて…秋野さんは確か、無料病室の…あそこでしたね。
秋野のことを考える度に思い出す。
まったく、無茶をするものです。あれが、自分の頭のすぐ上にある、その恐怖を知った瞬間に気絶してもおかしくはないのに…。まったく!…はぁ。頭や脳が傷ついていなかったり、後遺症が無いというのは、奇跡なのですからね!
そして、呆れと心配が混ざり合った表情をしながら、首を回して周りを見渡した。
誰にも見られていないと分かると、アークの周りの空間ごとパッと消えた。それと同時に、その空間には空気が発生した。
これが、アークの魔法。
『箱』。空間を『箱』として認識し、『箱』ごと別の空間に移動する。無くなった空間には、移動した先の空間を埋める。
(自分と荷物、そして周りの空気だけを『箱』とすると、『自分と荷物と空気』と『移動先の空気』が入れ替わるだけである。
ようは!それは!つまり!つまるところ!とどのつまり!基本的に、この魔法は瞬間移動と同じということだ!!!)
約20分だとか、半分の10分だとか、もはや遅いにもほどがある。この魔法を使えば、駅から病院になんて0秒で着いてしまう。とはいうものの、いざという時のために、なるべく魔力は温存したいものだ。なので歩いてきた。
「よし。面会だとかは面倒ですからね…。病院には申し訳ありませんが、直接 秋野さんに会わせてもらいますよ」
アークは、この前、金田に会いに来たことがあった。その時もこの魔法で直接来たのだった。
そして、その後は何の苦労もなく秋野に会えると思われた。何せ、目の前 鼻の先にある扉を開ければ、そこにもう彼女はいるのだから。
もし、普通に秋野に会おうと思ったら、そうはならなかった。こんなにも早くは会えない。
途中で金田とエンカウトする。そうなったら、秋野にあるものを渡すのは、もう少し後になっていた。
まぁ、今となっては関係のない話だ。何せ、その過程は 無いことになった のだから。
さてと、早く扉を開けてしまいますか。ここ2日は、本当に忙しかったですからね。最後に残った、この最も面倒な用事を終わらせてしまえば、1日だけ休むとしますか。
アークは、軽快なステップで秋野のいる病室へと向かった。おかげで…
-[秋野]が自分の命の恩人と会うのは、時間の問題となったのだ。
6分前に金田が部屋から出ていった後も、秋野はずっと もわもわと考えごとをしていた。
「はぁ…」
窓を見ながら溜息にもならない息を漏らしている。
「規律使いか…」
ここは個室ではない。隣の人に迷惑をかけないように小声で独り言…考え事をしている。
扉が開く音がする。誰かが入ってきたようだ。でも、金田は少し前に出ていったばかり。なので、他の患者さんのお見舞いだろう。
予想は外れ。正面の黄色いカーテンには、人影がくっきりと写っていた。
「おはようございます。秋野さんですね?」
聞いたことのない声。
「…」
誰…?聞いたことない声だが…。怖ぇーッ!
隣にあるナースコールを握る。この最強装置を握るということは、これですぐに看護師さんが駆けつけてくれるということだ。安心。
「そうですが…。失礼しますが、あなたはどちら様ですか?」
すると、カーテン越しに、その人影から声がする。
「おや、すみません。そういえば秋野さんは、私との面識がありませんでしたね」
「ん、はい」
手を胸に当てる動作が見える。
「初めまして。私はヴン・アークという者です。あの日…夜の公園で倒れていた、あなたと、男の人のために救急円盤を読んだ者です」
「…!」
「あぁ、これは失礼!あなたのため、だなんて恩着せがましかったですね。あの後、心配で、特別にお見舞いの許可をもらいました」
「これは…ありがとうございました!」
強く目を閉じて、頭を下げる。相手には見えてはいないと分かっていたが。
「いえいえ…。無事…ではないでしょうが、その声が聞けて何よりです」
そのままの意味を持つ、命の恩人。その、恩人の顔が見たくなった。
「…あの。すみませんがカーテンを開けていただけませんか?顔を見て、話してみたいです」
上半身を起こす。当然、手にはナースコールを握ってはいなかった。
「おや、良いのですか。ありがとうございます」
そうして、カーテンは開いた。今、目に写っている人が、私の命を繋いでくれた。
感極まって、涙が出そうになる。
その人は、男か女か分からない中性的な美しい顔付きで、髪は床に届きそうなくらいに長かった。
そして……ポニーテールだった。
そうか…金田に、私がここにいることを教えてくれたのもあなただったのか。
「金田君に…教えてくれたのも、あなただったのですね…」
つー、と目から何かが溢れ落ちる。何だろう。多分、しょっぱいものだ。
「はい」
その人は、人差し指で頬を軽く掻きながら、笑顔で短く返事した。
「それと、謝ることがあります。勝手ながら…あなたと一緒に倒れていた、男の人。…彩扉先生から、聞きました」
「…?」
「金田君の話も、彩扉先生のことも…」
アークの嘘だ。これは、これから話す とんでもない内容の話 を受け入れやすくさせるための、嘘だ。
…だなんてことに秋野は、気づくはずがなかった。なので、普通に彼女は少し驚いた。しかし、ゆっくりしたペースのまま、話は続いた。
「そのことを踏まえた上で、大事な話があります」
心のどこを探しても、そう来るとは思っていなかった。なので彼女は、大きな、巨きな衝撃を受けた。
その人は…ヴン・アークはこう言ったのだ。
「神候補になりませんか?」