(Part43)カゼノ・トリガー
-[彼]は白い吐息を吐いた。
いよいよ今年も終わろうとしている。2000年12月、終盤。今日は土曜日だ。
彼の名前はエヴァ・アンドレアス。今は買い物の帰りだ。
エヴァには、ずっと仲違いしていた妹がいる。母親の違う腹違いの妹。名前を下音 ユリという。
妹とはずいぶん長い間喧嘩をしてきた。いや、喧嘩というのは誤魔化しすぎているか。彼は妹に暴力を振るってきた。自分を正当化し、ずっと妹に暴力を振るってきたのだ。今は反省している、今は改心している、といったくだらない言葉も思いつかないほどに酷いことをしてきた。
…しかし、今年、やっと仲良くなれてきた。
身体を廻る血の違いはどうしても同じにすることはできないが、仲違いは今年 直すことができた。しかし…
妹のユリ 当人こそ、長年の暴力を許してくれたのだろうが、それをエヴァ自身は許す気はない。妹を傷つけたという過去は、それほどまでに彼にとって重いことだった。せめてこれからの人生を、今までの償いに費やそう…そう考えていた。
「Hmm…。Was mache ich jetzt?」
こっちに、秋野たちの住む兎暦に渡ってきてから、気をつけてはいたが、やはり気を抜くと母国の言葉を使ってしまう。
とにかく悩んでも仕方がない。エヴァは足を進めた。
あたりは白一色。空こそ夜の黒さに塗り潰されていたが、道ゆく人のほとんどは、彼と同じように存在感ある白に目を奪われていたことだろう。
空からは雪。地面には…いや、地面は雪。
彼は、今からプレゼントを買いに行くのだ。この歴史的な大雪の日に。
地球という星ではどうもこの時期に 親しい人にプレゼントを渡す風習があるらしく、その風習が地球からサースターに流れてきた。そして長いときを過ごしたあと、こっちでも風習として定着したのだ。
どうやらクリスマスプレゼントというらしい。それを今から買いに行く。
「どれにしてやろうか…」
少し高いお菓子がいいか、それとも女の子が好きなのは香水とかか…?母国の特産品…ビールとか?いや、酒はまだ飲めなかったな。
あれこれ考えながら、ただ歩く。
歩くたび、ザク、ザクと雪が鳴る。
プレゼントを渡す相手は2人。
一つは、今年 やっと仲良くなれた妹に。
もう一つは、長い間 自分を支えてくれた彼女へ。
かわいい妹に、かわいらしい彼女と、まるでどこぞのギャルゲーの主人公みたいなやつである。
よし、プレゼントは、母国のお菓子と、なにか小さなインテリアにしよう…
そう決めたそのとき、
「──ッ!?」
ダッ、と駆けだす。彼は風の魔法使いだ。─が、今の彼は風なんかよりもよっぽど疾く、靭い!
「お前ら何してるッ!?」
自分の首と口を 寒い外界から守っていたマフラーをぐいと引っ張って、口をあらわにさせたと思ったら、とてつもなくデカい声で叫んだ。
エヴァの叫び声の先には、男が2人、そして 自分のよく知る者が一人いた。
「Who are you…」
(以下、言語を統一します)
さっきの言葉から考えて、ここの国の者ではない。外国語を使ったから外国人、というシンプルな考え方は案外 当たるものだ。
そして、「お前は誰だ」と聞かれたエヴァだが、そう聞かれたところで さらさらと答える訳がない。…ましてや、その者が自分のガールフレンドの髪を引っ張っているのだとしたら 尚更に!!
「くそッ、離せ!!…おい、大丈夫か、琉瑠流!!」
そう、その「自分のよく知る者」とはエヴァが交際する女性…琉瑠流だ。
「う…アンディ?」
エヴァ・アンドレアスの名を呼ぶ。アンディ。
「ああ、どうした!?」
もうお互い、兎暦の言葉は使っていない。遺伝子に染み込んでいる、母国語を使っていた。
エヴァは右手で琉瑠流を自分の後ろへと押しやって、左手をめいっぱい広げて、相手へ突き出す。魔法を撃つ気だ。
しかしその行動を気に留める様子もなく、男2人組はなにかボソボソと話し合っている。
じっ…と観察する。2人の男はどちらもかなり変わった見た目をしていて、特に、琉瑠流の髪を引っ張っていたクソヤロウ。そいつの髪は、毒々しいウニのようにトゲトゲと伸びており、返り血のような赤色をしていた。
もう一人はマスクをしていた上に、紺色のフードを被っていたので顔がよく見えなかった。
「アンディ!戦うな!」
琉瑠流が、今にも魔法を手から撃ちそうなエヴァ・アンドレアスの服を掴んで抑えようとする。
「俺はお前ほど優しくはない。…もう、どうしてお前がこんな目に遭っているのかも今はどうでもいい。それは、こいつらをくたばらせた後に聞く…」
彼の手に魔力が集中する。口をゆっくり開けたのは、呪文の詠唱の準備を開始したからに他ならない。
「アンディッ!!あいつらは神候補だ!!」
「何─」
ゴシャァン!!
目の前に白い壁が広がった。
体に付いた雪を払う。
「ペッ、ぶふッ」
口に入った雪を吐き出す。
「…すまない」
琉瑠流も自らに付いた雪を落としながら、謝った。
琉瑠流の髪を引っ張っていたクズ2人は、地面に積もっていた雪を蹴って、それを煙幕代わりに逃げたのだ。
とりあえず、これから琉瑠流の提案で、安全な場所に向かうことにする。そこに向かって歩いている間に、どうしてこんなことになったのかを話せばいい…そう考えたからだ。
雪の中を歩くというのは予想以上に疲れるし、足を動かすたびに雪が付いて足取りが重くなってゆく。
「…で、琉瑠流は…どうしてあんなことになったんだ?」
「ああ、説明する。…さっきも言ったように、あいつらは神候補と規律使いだ」
「だから、何でだ!?わざわざお前を傷つける意味が─」
「ある。わざわざ、規律使いの私を傷つける意味が。」
顔には目も鼻も口もなく、黒いスターサファイアのような結晶が代わりについている、彼女。…そう、彼女は、琉瑠流は規律使いだ。
規律使いは、力使いのように身体能力が高いわけでもなく、知恵使いのように脳の回転が速かったり感覚が鋭いわけでもない。
たまに魔法を使うことのできる者はいるが…規律使いの一番の特徴、それは体そのものだった。
角が付いていたり、翼が生えていたり、そして琉瑠流のように顔や体のパーツの造りが大きく普通と異なっていたり、だ。
そして…
「規律使いを傷つける意味?…ハッ、そうか!クソッ!」
エヴァも気づく。規律使いの、知るものぞ知る、特徴。
「気づいたか。…神候補になるには、規律使いからまず『神になるための権利』を受け取る必要がある。つまり、私…規律使いがいるってことは、近くに私のペアである神候補もいると思ったんだろう。だから、私から神候補の居場所を聞き出そうとした」
今、琉瑠流が言った通りだ。規律使いには、必ず ペアである神候補が存在するという…特徴が、ある。そのペアがもう神候補ではなくなったかどうかに関わらず、ペアはペア。元・神候補か現役の神候補がペアとしているのだ。
「クソッ」
神になるためなら、手段は問わない。ちょっと前まで、俺も確かに同じ考えだった。…こんなに胸糞の悪いものだったのか。
改心するということは、昔の自分を否定するということでもある。エヴァは、琉瑠流に手荒なことをした2人に明確な憎悪を抱きながら、雪を踏んだ。昔の自分を否定するかのように強く雪を踏んだ。
「…すまなかったな。お前を守ってやれなくて」
移動の途中、ポツリと声を溢す。
「いや、しっかり守ってくれたじゃないか。ありがとう、ね。」
琉瑠流には確かに口も目もなかったが、それでも今 笑っていることは、エヴァにも伝わった。
「フ…。それはよかった」
そうは言っても、やはり自分の無力さを呪わずにはいられない。
ふと横を見ると、琉瑠流の雰囲気が少しピリピリしていた。何かを気にしている。
そして、
「それよりも今、気をかけてやるべきなのは私のことじゃないかも」
こう言った。
どういう意味だ?……!!
「そうか。そうだな!これは確かにマズい。連絡を…!」
気づいたのは、知り合いに…いや命の恩人に、神候補がいたということだ。
金田君…!知らせなければ!!
そう、金田だ。相手は2人組。神候補と…もう片方は規律使いだろう。そうなると金田が危ないということを、エヴァは想った。歩く速度が速くなるのが分かる。
規律使いは、神候補の所持する『神になるための権利』の数を数値化してその眼で視ることができる。…前に琉瑠流から聞いたな。規律使いが神候補を察知する能力は、サメが大海を漂う一滴の血を嗅ぎ分ける能力以上…。
そこまで考えて、彼はゾッとした。
あのフードを深く被った男か、赤いトゲトゲした髪のド派手な男…どちらかは知らないが、どちらか規律使いに金田のいる場所がバレてしまう。
エヴァと琉瑠流は、歩きづらい雪の上、走る速度を上げた。
-平日だろうが休日だろうが、[金田]はずっと『円卓の大団』の館で体を鍛えている。それが終わるのはいつも6時。
最近は暗くなるのが早いので、そろそろ訓練の終わりを5時半に変更しようかと、秋野や機堂と話すこともある。
「疲れたーーーーっっ!!!!」
この声は秋野のものだ。もはや疲れていないのでは。
「この叫び声のクソデカい時点で疲れてないことを証明してるじゃん」
「疲れてるときに難しいこと言ってんじゃない!」
そう言ってから彼女は、機堂に
「手、出して」
と言った。機動は訳もわかないまま両手を差し出す。手はキレイだ。体も汚れは見えない。…が、彼も館でハードな訓練をしてきている。魔力はスッカラカンだ。
背中に背負っていたギターケースを機堂に渡した。
「うおォっ!ちょ、アホ!やめろや!」
中に、ギターの代わりに銅の剣が入ったギターケースだ。機堂は重さに耐えられず後ろへこけそうになりながらも、なんとか持ち堪えた。
「てか今の流れやと、これは柚に押し付ける流れやったやろうが…!」
「いや、やめろよ…。どうして誰かに押し付ける前提なんだよ」
スン、と上を向く。顔には、ひらひらと落ちてきた雪が当たっては溶けていった。
帰り道の途中。あの館はずいぶんと遠くなり、代わりにだいぶ自分たちの家が近くなってきた。
「はーっ」
白い息を吐く。
ずいぶん厚着をするようになったが、それでも寒い、兎暦の冬。…とは言っても、今年のは特に寒いのだが。
雪が降るなんて…。何年ぶりに見た?でも、今日の訓練は楽しかったな。
と、金田は歩き続けながら思った。
今日は雪を訓練に使ったのだ。
雪だるまを作って、そこに魔法を撃ってみたり、攻撃をしてみたりする。そうすると、雪だるまはドゴーンと派手に崩れてくれるのだ。
そして、その時、
「今年もそろそろ終わりかー。…私たちも、強くなったか?」
そう言ったのは秋野だ。
「いやァ、そんな急に強くはならんやろ。成長はしたかもしれんが」
「俺も…強くなれたのかなぁ…」
「柚は強くなれたんちャう?…と、そろそろ俺は別れ道やな」
次の分かれ道、機堂とはここでお別れだ。また明日である。
「ほい」
銅の剣、阿蛇虵舌の入ったギターケースを秋野へと返す。
「やっぱり重いなぁ!そのまま私の家まで運んでくれよ〜」
「アホか」
明日は日曜日。朝から朝宮 優奈ちゃんを迎えに行ってから、そのまま遊ぶ予定だ。もし、地面を白く染めているこの雪が明日も残っているのなら、明日は公園で雪遊びもできるかもしれない。
「バイバーイ」
別れの挨拶。
「じゃあな」
秋野が続く。
「おー。また明日ー」
最後に機堂。
機堂が最後の挨拶を済ませ、分かれた先の道へ体を向けて、歩き出そうとしたその時──
プルルルルル!プルルルルル!
「あっ。電話…」
彼の持つガラケーが鳴る。20年ほど前(地球でも約7年ほど前)から登場して、ずっと活躍してきたガラパゴスケータイ。携帯といえば、最近さらにスマートなフォルムになったものが現れ、ガラケーの立場は少し危うくなってきた。
しかし、まだまだ現役だ。
金田は自分のガラケーを取り出す。これをカパッと開けるだけで、画面の向こう、自分を呼んでくれた者と会話ができる。
「誰から?」
重いギターケースを重そうに持つ秋野がズイッとこちらを覗き込む。
「待て待て!今 出るって…!」
相手が誰なのか確認して…と。あぁ、エヴァさんか。何の用だろ?
しかし、たった今 開けようと思った金田の携帯が開くことはなかった。
「あ…」
携帯を握った自分の手が、自分より ひとまわり大きな手で覆われている。
ピクリとも自分の手が動かせない。
自分の手を掴むそいつは、赤い髪をしていた。地毛なわけがない、赤く染められたウニ頭。まるでナイフのような赤い刺がとても攻撃的だ。
「だ、誰…」
明らかに動揺している秋野の声が鼓膜を震わす。
しかし、赤い髪のそいつは、まるで言葉が通じていないかのように、ただ真っ直ぐに見つめたあと…
「やぁ、神候補の少年」
と言った。金田も秋野も聞き取れない、外国の言葉で。
「えッ──」
次の瞬間──
ゴッッ!!
金田の腹部に激痛が走った。激痛は、大人の拳ほどの大きさから えげつないスピードで全身に広がった。
「ガハッ」
いつの間にか解放されていた右手から、ぽろっ…と携帯が落ちる。
携帯は、柔らかい雪の上に、ボスッ…と僅かな音を立てて落ちた。
その僅かな音が、死闘を知らせる引き金となった…




