(3話)青い草原と青い林檎
一般的な成人男性の膝あたりほどの長さがある、青い草が生い茂った草原。その中心に、それはいた。
美男子なのか美少女なのか、分からない中性的な顔付きに、今にも地面に届きそうな長くて黒い髪。ヘアゴム1つで雑に束ね、1束になっている長い髪が風で揺れる。瞳は、井戸を覗いた時に見ることのできる闇と、同じ黒色をしていた。
衣服は男女兼用の洋服だが、上の服には大きな穴が開いている。肩甲骨から生えている、しなやかで美しい烏の様な翼を通すためだ。今は翼を畳んでいるので、人間と区別がつかない。
それは、人間と、人間とは別の知的生命体の間にできた子。ハーフだった。
「どうも。私はヴン・アークです。貴方は誰ですか?」
それは、そよ風がさわさわ気持ち良い草原で、まるで誰かに話しかけているかのように、独り言を言う。
「ええとですね…」
背中を向けながらしばらく歩くと、ピタリと止まる。
「さっきからずっと、何なんですか…」
振り返って、「すぅー」と一度深呼吸をする。
「そこの貴方!」
「いる…はず、ですよね?」
ズイ、と顔を前へ突き出す。
「はぁ…これが独り言にならなければ良いのですが…」
「…」
すると、気合いを入れたという意味だろうか、自分の頰を両手で張った。
「ええい!ままよ!」
そして、続けざまに言った。
「どうも、私の名前はヴン・アークです!」
「もう、いい加減にして下さい!さっきから画面越しで見てるあなた!隠し撮りは犯罪ですよ」
先程とは打って変わって、ハキハキと言う。少し早口だった。
「話も通じないし、気持ちが悪い。これから秋野さんの所にも行かなければいけないのに、勘弁して下さい」
その直後、パッと点滅したかと思うと、草原ごとアークは消えていた。
残された、直径6cmほどの、灰色をしたカメラ付き無人航空機が撮ったのは、早朝の藍色の空だけだった。
-どうやら今、[私]は、
上を向いている。
今まで寝てたらしい。数日ぶりに起きたような感覚がするな…と次々に脳が考えていると、目が明かりに慣れて、見ている景色が分かった。
「知ってる天井だ…」
どうやら自分はこの天井のこと知っている。
自分の周りを優しい黄色が包んでいる。カーテンだ。
右を見ると、清潔そうな白い壁があり、その壁を伝っていくと大きな窓から青い空が見える。まだ今日は始まったばかりだ。
どこかで見たことがある。それも最近…
「う〜ん」
しばらく考えると、思い出した。
「あ」
ここは直利病院だ。
つい最近金田のお見舞いに来たばかりだった、と秋野が思っていると、彼女の手に痛みが走る。
誰かが少し強く手を握ったようだ。
「いたっ」と反射的に口から出そうになったが、より大きな声でかき消される。
「真絵!!!」
真絵。下の名前で呼ばれるのは久しぶりのことだったので、すぐには自分のことだと秋野は分からなかった。
秋野真絵という名前は自分でもかなり気に入っていたんだけど…。改めて聞くと、実に良い響きだ。
「そんなことより、痛い!そこ怪我してる!」
そう言いながら、ムクリと体を起こす。体を起こすだけで全身が痛いので、ゆっくりしないと大変な事になってしまう。
体を起こしたものの、パッと見たところ誰もいないように見えた。
しかし、手を離してくれないらしく、痛みは引かない。その上、お腹あたりがズシリとする。誰かの頭が自分に乗っているようだ。
それで、さっさ誰もいないと思ったのだろう。
見慣れた後頭部…
「金田……」
よく見ると白い布団の上にリンゴがぽつんと落ちていた。淡い青色なので秋野が好む種類とは違う。
カゴも用意せずに、リンゴ1個をぎゅっと持って、お見舞いに来たのか…。馬鹿。
「ゔっ、ゔぅ〜…良かった、良かったよ。あ、秋野が生ぎでて…」
声のする方を見ると、金田が泣き崩れていた。涙が一気に溢れている。金田もまた、それを止める気はない。
良くない…良くない良くない良くない!本当は何も良いことなんかない!自分の為に、秋野は死んでいたかも知れないのに!なのに、口からは「良かった」という単語しか出ない。秋野が生きていて………良かった。
金田は しばらく泣いたままでいて、
秋野も その時間分黙ったままでいた。
少しして、落ち着いた金田から話を聞いた。
話によると、あの日すぐ救急円盤によって病院に運ばれた秋野は、なんとか一命を取り留めた。その後、今日までずっと寝たきりだった、ということらしい。
「え〜、まぁ、心配させたなァ」
金田は少し鼻をすすりながら、
「本当に…」
と言っている。
しかし、金田の話を聞いている内に秋野は疑問が湧いた。自分を病院へ運ぶように救急円盤を手配したのは誰か?という疑問だ。
もしかしたら改心した彩扉が呼んでくれたかも知らないな…いや、可能性としては共倒れになっているところを通りすがりの人が、というのが一番有力かな。
「そう言えば、……彩扉は?」
金田にとってはトラウマになっているかもしれないけど、いつまでもこうしてる訳にもな…と思い、少しためらいながらもそう問いかける。
金田は完全に、涙声から、普段の声(心なしかいつもより真剣な声に聞こえる)に戻り、質問に答えた。
「…先生は、この病院にいる。お前と一緒に運ばれて、昨日俺の所にも来た」
その言葉にガバリと体を起こす。痛い!でもそんな事は今、気に掛けている場合ではない。
「わっ!秋野…無茶するなよ」
という金田の心配も聞こえない。
「いやいや!え…大丈夫?」
「うん…。この戦いがこんなのだとは思わなかったけど、元はと言えば参加した自分の責任……と思うしかないしな」
「そうか…金田は神候補だから殺されかけたのか…本当に、何なんだ、神って…。彩扉の奴は何か言ってた?」
だが、金田は秋野の質問には答えずに哀しそうな目をしているだけだった。
「…」
その哀しい目を見ている内に、彼女は気付いてしまった。恐らく金田は、彩扉のことを許している。
「何か話した?」
目を見て言った。
「先生が神候補になった理由。あと、謝ってた」
「ふーん」
プイと他の所に目を向ける。
奴が謝るなんて事は、彼女には信じがたい事だった。
彩扉には聞きたい事がまだまだ沢山ある。そして今のところ彩扉を許す気は、無い。
それを察したのかどうかは分からないが、金田は秋野の顔を見て「後で、先生もお見舞いに来ると思う」事を伝えた。
少し反応に困る時に使う言葉で返事をする。
「おー」
話は変わって、秋野は何気に気になっていたことについて聞いてみた。
「ところで、何で私がこの病院にいる事を知ってたの」
首をかしげる。
金田の表情に、わずかにためらいを感じたが、答えてくれた。
「よく…分からない奴が、俺のいる病室に来て、秋野がここに来ている事を伝えてくれたんだよ。それも、お前がここにいるってことだけを言いに来たみたいだったし」
そんな事が…と思うと同時に、思ったのが、これと言った心当たりは無かったということだった。
「ほんと、変なのだったなー」と金田が言っている。
えー?母さんか?いや、多分一日中家にいただろうから、そもそもあの日の事知らないか。というよりそれ以前に…
いや、やめとこ。
「見た感じどんなだったの?」
「ん〜」
天井の左上の隅をしばらく見た後、金田はこう話した。
「男か女か分からない顔付きで、髪は床に届きそうなくらいに長い」
最後に、最も重要なポイントを話す。
「そして、ポニーテール!!!」
「………」
秋野は、声を大にして「そこはどうでもいいわ!」と言おうとしたのだが、ここが病院だという事と、割とちゃんとした特徴だったという事もあって
何も言えないのであった。
「………」
無言の秋野。
「え、どうした?」
「別に」
「ふ〜ん…?あ、で、秋野が知ってる人だった?」
「いや、会ったことも無い…かな」
どうやらそいつは秋野も金田も会った事が無いらしい。
誰だろう?と2人揃って脳・深部の記憶を探していると病室に、そいつと会ったことがある奴が入ってくる。
ガラリ。
少し前から待っていた人物が見える。秋野は思わず口を開いた。
「彩扉……先、生…」
彩扉は、病室内にいる2人の元教え子をチラ、と見た後、その2人に向かって言った。
「金田、……秋野。本当に、申し訳なかった!」
年下に向かって頭を下げる姿は、2人にとってあまりにも衝撃が強かった。
「え、あ…」
間を挟まずに、ス…と顔を上げて話を続ける。
「秋野…お前は完全に関係が無い。なのに、無害なお前まで殺そうとしたなんてな…」
そして隣にいる金田を見て
「金田も、改めて申し訳なかった」
と言った。
ぎこちない。
「すまん、謝るのは慣れていないんだ…」
全て言い終えると、「ふぅーっ」と深い溜息をつく。
秋野はしばらく、ぽかん としていた。こんなに早く改心するものだとは思っていなかったのだから。
「おかしい…」
秋野がそう思うのも当然だろう。目の前にいるそいつは自分と、親友を殺そうとした奴だとしっかりと刻まれている。
そんな奴が、謝ったのだから。
「なんで急に、改心したんだ」
「秋野…その男っぽい喋り方は相変わらずだな。まぁ…もうそんな事言える立場じゃないが」
「先生…秋野にも、先生が神候補になった理由を言った方が…」
金田も会話に参加する。
彩扉はゆっくり目を閉じ、首を横に振る。
「そんな、改心なんてもんじゃない。ただ単に、諦めただけだ」
何を?
「金田…お前の友達に【負】けたその瞬間から、お前らを殺す事も、神になる事も」
「諦めるしかなかった…」
友達というのは秋野のことだろう。
「そんな…人を変える程に、神候補ってのは何か意味があるのか…」
秋野がボソリと呟く。
初日とやらに気を失ってから今日まで何も知らないままだった秋野。
なので勿論、神候補が何なのかもまったく知らない状態のままだ。
どうやら人の脳というものはかなり出来が良いらしく、気を失う寸前の記憶も完全に憶えているらしい。
彩扉に聞きたい事がある。しかし、今、聞いたら自分の中の何かが揺らいでしまう。
そんな気がする。秋野を支配して止めようとしている。
それらを振り切って、彼女は口を開けた。
「なぁ…なんで、金田を殺そうとしたんだ?」
「ちょっ、おい!」
「お前もおかしいくないか!?目の前にいるのはお前を……」
ギュッ、と拳を握る時間分の、間が開く。
「殺そうとした奴だぞ」
「…」
カーテンの向こうの人は、今ので目を覚ましてしまった。病院では静かにしなければいけない。
しばらく静かになる。遠くで鳥の鳴き声が聞こえる事すらもない。
沈黙は、1人の女子中学生が、病院で大きな声を出してはいけないことを思い出す程度に続いた。
「なんで…殺そうとしたんだよ」
小さい声にするように気を付けている、そんな音量で話す。
金田は、彩扉から既に理由を聞いていた。だからもう、何も言わなかった。
「単純なモンだよ。神になるためだ。神に…」
神。最近、いやによく聞くこの言葉。もう嫌になる。
秋野のそんな気持ちはお構いなしに、彩扉は話を続ける。
「この世界は、神サマが、地球って星を真似して作ったって神話は有名だろ?その、神だ」
ぼんやりとした、抽象的なモノだと思っていたので、いまいちイメージができない。
隣の金田を横目で見ると、妙に落ち着いていた。前に聞いたことがある話だったのだろうか。
視線を元の位置に戻し、彩扉を見つめ直す。
「神候補ってのは、読んで字の如く、神になれる可能性がある人のことだ」
「その間で、なんで戦う必要があんの?」
ちょっと前にした経験と、たった今までに聞いた話から、何となく予想はつくはず。
「勝つと、神へと一歩近づけるからな」
表情を変えず、淡々と話を続ける。
「神候補ってのは、『神になるための権利』ってのをもってるヤツの事を指す。その、権利ってのが多いヤツが神になれるって訳だよ」
そして、その権利を増やす方法は…
彩扉は、左手を頭に置いて、ぐしゃぐしゃと髪を乱した。
「3つだ」
左手の、人差し指と中指、薬指を同時に立てて、またすぐ腰の横に振り下ろした。
「神になるための権利が多い奴が神になれる。増やそうとするだろ、そりゃ」
「…」
「3つ…権利を増やす方法は3つだ」
ここで、秋野は「あれ、」と思った。彼女は2つだと思っていたから。
「一つは、【負】けた、と相手に思わせること。一つは、相手から【譲】ってもらうこった。もう一つは…」
ここで秋野が考えた2つはもう出てしまった。
先生の話を聞いていた2人の生徒は、どことなく先生の声が低くなった気がした。
「殺して奪ってしまう。【死】んだ神候補の権利は殺した奴の所へ行くのさ」
吐き気がした。誰がと言うと、それはこの話を吐いている1人と、この吐かれた話を耳から入れている2人だった。
「だから…」
途中まで言葉にしたところで、彼女の話は遮られた。
「まぁ、そういう事だ…」
そう言って、彩扉は病室から出ようと、扉へ向かって歩き始めた。カツカツと足音が立つ。
そのまま歩いて、扉の前にと着く。自然な流れで扉へと手を伸ばした。
しかし、引き戸の取っ手へと伸ばした手は、ぴたりと止まった。代わりに口が動く。
「…本当に悪かったな。それと金田…子供が、無理すんなよ」
言い終えると、再び手は動き出し、彩扉は振り返りもせずに病室から出てしまった。
カラカラカラカラ、トン。
扉が閉まる。
病室内は完全に2人きりとなってしまった。
「ハァーッ…何て話だ…。理解が追いつかん。…でも、何か重要なところを答えてもらってないような気もする」
口ではそう言ったが、彼女は別の事を考えていた。
謝ったってことは、その…上手く言えないけど、あれだよね…。
「なァ、金田」
顔を斜め上へと向け、金田の反応を見る。
「あぁ…そうだなぁ」
その時見たのは、真剣に何かを考えているような顔付きだった。ギュ、と手を握り締め、拳を作る。
そこからは一瞬の出来事だった。右足に力を入れて、左足が持ち上がる。彼は…金田は、扉に向かって一直線で走っているのだ。
パッと後ろを振り向いて、
「すぐ戻ってくるっ!」
とだけ言ったかと思うと、もう廊下に出ていて、90度体の向きを変えていた。向きを変えると同時に扉を閉める。器用な真似をするものだ。
そして、ダッ という音がする。どうやら走り去ってしまったらしい。
「あ、あぁ」
遅れて、秋野は扉へと返事をした。
ガラリ。扉が開く。
そこから出てきたのは、この病室にいる女子中学生の親友だった。ここからだと誰かは見えなかったが、こちらに近づいてくるのは分かった。
ちなみに、その女子中学生は、赤か青かと問われれば、赤いリンゴの方が好きだった。
「フゥ、フゥ。ご、ごめッ」
汗を垂らしながら、息を切らしながら金田は言い続けた。
「待った…?」
「んや、別に」
むしろ早くて驚いていた。
「だ、大丈夫か…」
「ハァ、おぉ…フゥ」
「廊下…ってか病院で走ったらイカンでしょ」
「うん…」
「…」
「…」
無理すんなよ…でも、多分彩度の所に行ったんだろ。だとしたら一体何をするために?
あれこれ考えていると、金田が布団へゆっくり手を伸ばし始めた。
「なっ」
驚きの声。男子中学生が、女子中学生のいる布団に手を伸ばしているのだから、そんな間の抜けた声が出ても仕方がない。
その声を無視して、手を伸ばし続ける。
そして、布団の上の淡い色をした青リンゴを掴んで
「リンゴでも食べる…?」
と言った。
「…」
「…」
「皮、剥いてくれたらな」