(Part36)その日まで、泣くんじゃない。
ふと、気づくと雨が止んでいた。それでも晴れているという訳ではなく、太陽は厚い雲に隠されていた。そのため、今が何時かは時計を見るまで予想もつかなかった。
「…もう5時半か。そろそろ帰るわー」
「あ、俺もそうしようかな」
壁にかけてある時計を見て2人は帰る準備を始める。
「秋野は?」
そう聞く機堂の顔を見たあと、少し「う〜ん」とうなってから、
「私はもうちょっと残る」
と言う。
「そうか。じャあな、2人とも」
「ばいばいー、秋野、朝宮」
「おう」
「うん!ばいばーい」
ぶんぶんと手を振る朝宮ちゃんに背を向け、2人は鞄にてきとうにお菓子のゴミなどをつめてから部屋を出て行った。
部屋の扉が開くと、ご飯の匂いが流れこんでくる。
「あ、もう飯なんだ。やっぱ私も帰ったほうがいいかな?」
「えーっ!?もっといても私はいいけどなーー」
「はは。……なぁ、ここの人は優しいか?」
「?うん。みんなやさしいし、ごはんもおいしいよ」
「そうかー…」
コンコン。
扉を叩く音。 間。 そして扉が開く。ガチャ。
「失礼します。…あ!すみません!てっきり、2人が帰る姿が見えたので、秋野さんも帰ったのだと…!」
服を持ったヴン・アークはそう言ってわたわたとしている。
「やっぱ長居しちゃいました?」
そりゃ晩ご飯までここにいてたら「飯食わせろ」って言ってるみたいなもんだしな…
と考えながら、秋野は「よっ」と朝宮ちゃんのいるベッドから腰を上げる。
「いや!そういう意味ではなく、いつもこの時間に洋服を替えてあげているんですよ。そろそろ時間だったから来たんですけど…」
そういうことならなおさら部屋から出て行ったほうがいいだろう。「やっぱり帰ります」と言おうとする。
…しかし、ある考えが浮かんでしまったので、秋野は変態さながらのことを口にしてしまうはめになる。
「すみません、それ、見ていていいですか?」
「え…?」
自分の口から出た言葉の変態性に気づくのは、それからみるみる朝宮ちゃんの顔が赤くなってからである。
「…!あっ、そういう意味じゃなくてっ、てか、優奈とアークさんが『出てけ』って言うんなら、すぐ出て行きますけどっ…!」
「私は構いませんが…」
アークはチラッと朝宮の方を見る。
「それは…ちょっとはずかしいな」
「ご…ゴメン」
朝宮の両手はキュッと、自分を守る毛布を握っていた。
ここで執拗に見ようとするのはいけないことなのかもしれない。しかし、そう思っても、より強い想いが、極端に言うと朝宮の裸を求めていた。
「ごめん。でも、やっぱり見なくちゃいけない。包帯の上からでもいいから、優奈の負った傷を確認しないと。少しでも分けて欲しいんだ、その傷を…」
きっと、朝宮が男だったのなら、金田と機堂は同じことをしていただろうな、
そういうことを思いつつ、秋野は自分の意見をはっきり言ってみせた。
「…ありがとう、お姉ちゃん。……アークさん、おねがいします!」
「分かりました。それでは、バンザイしてください」
言われた通り、朝宮は両手を上げる。しかしそれがまた、ゆっくりだった。
お腹を刺されたからだ…。本当は、手を上げるだけでもかなり痛いはずなのに、頑張ってる。
見守る秋野を近くに、するすると朝宮の服をアークが脱がす。少女の白い肌は、粉雪をまぶしたような純白だったが、それよりも先にあれが目に入ってしまう。
「う…」
血が染み込んでいるなんていうことはなかった。ただ、痛みだけ。華奢な少女の痛みだけが染み込んでいる…包帯が巻かれていた。
「朝宮さんに、一通りのことは説明しています」
アークが喋りだす。
「…」
「しかし…すみませんでした。秋野さんが来るまで忘れていた。このことはまだ、朝宮さんと話していませんでした」
慣れた手つきで少女の着ている服を変え終えたアークは、「はい、お疲れ様でした」と小さな声で言った後、少し怖さも感じる声色で話を続ける。
「秋野さんも聞きたいことかも知れません。今 ここで 聞いてしまいます。……朝宮さん。あなたがあの悪い人に怖いことをされてしまったのは、悪い人があなたが持っていたものを狙っているからと、以前説明しましたよね?」
「う、うん。私だけがもってる、なにか…」
「そうです。そのことなんですが…今から少し変なことをいいます。知らないなら知らない、で構いません」
秋野は唾を飲み込んだ。
橙色のカーテンは、夕暮れの光を受けて一層赤く光っている。
「悪い人が狙っていたのは、あなたの『神になるための権利』です。どうですか、知りませんか?この言葉を」
心臓がドクッ…と鳴ったのが、はっきりと分かった。朝宮に神になるための権利を渡した、屑がいるということを思い出したからだ。
「ど、どうなの?」
思わず自分からも聞いてしまう。
「え?う、う〜ん?分かんないかな…」
「そうですか。どうもこの世には屑が多すぎますね。こんな少女に、何の説明もせずに神になる権利なんかを押し付けて…」
そうアークは言ったし、秋野もそれに同意した…が、アークは後から心から恥じているようにこうも言う。
「…すみません。私も屑の一人なのです」
一瞬、何のことだか分からなかったが、すぐに気づく。
「!そんな!アークさんのやったことじゃない!私は、私が望んで神候補になった!!」
優しい色をした布団が、ギュッと握られ強張る。驚いた朝宮が強く握ったからだ。
「…2人がいる今、話してしまおうと思います。私たち…規律使いがどういうものなのか」
「天命って分かりますか?…えーと、朝宮さんには少し難しいかもしれませんが、簡単に言うと生まれながらに持った運命というか、義務のようなものです。例えば、プロのスポーツ選手なんかは、『自分はプロのプレイヤーになる運命だったと分かっていた』のようにインタビューで言う人がいますね?」
「は…はい」
どうにか早口になるのを抑えながら説明をしているのが、こちらにまで伝わるようだ。
「それが、規律使いにもあるのです。魔法使いが魔法を覚えるのと同じ頃…つまり、物心がついたときくらいに、規律使いは、ある日急に『理解』してしまうのです。『自分は、神から仕事を与えられている。人を神候補にして、新しい神をつくる仕事が』…と」
信じられない話だった。それを、どうにか信じてもらおうとアークは説明を続ける。
「これまで…力使いは力仕事、知恵使いはその頭脳を使って、協力して、人類は繁栄してきました。あれも天命といっていいでしょう。力使いには力仕事の天命が、知恵使いには頭脳を使う天命があったのです。だから、規律使いには力使いのような肉体も知恵使いのような頭脳もなく、新しい規律を作る天命のみが…神をつくる天命のみがあたえられたのです」
ん?ちょっと待て。
秋野は2つの疑問が浮かぶ。この質問に答えがないとすると、少しだけ自分の存在意義が薄くなってしまうようなものだ。
「ま、待ってください!…今の話を仮に本当だとすると、ちょっとおかしくないですか?天命というものがあるのなら、魔法使いの天命は何なんです?…それに!今の話だと、規律使いは規律使いで、力使いでも知恵使いでもない…。なのに、なんでアークさんは規律使いなのに魔法使いでもあるんですか?」
この答えは意外なものだった。
「魔法使いに天命はないです」
そうキッパリとかえってくるものだったから。
「──は?」
「…これは神話の域に達する話ですけど、とても分かりやすい話です。…今の暦が始まる前…つまり2000年以上昔、力使いでもなく、知恵使いでもない者たちがいました。その者たちは当然、能力を持たない者として酷い差別を受けてきたのです」
「そ、それと魔法使い、どう関係が…」
「この星 最初の神…今から約2000年前に神に成った方もまた、元々その能力のない者の一員でした。だから、願ったのです。『どうか、能力を持たない者にも能力を与えてくれ』と。それが、」
「……まほうつかい?」
朝宮が言う。どうにか話を理解しようと頑張っていたらしい。
「そうです。それが、今の、魔法使い」
「信じられない…」
秋野が信じられないのにも無理はない。少なくとも、学校では教えてくれない話だ。
「魔法使いとはつまり、本来能力を持たない者たちでしたが、神によって作り直された者たちです。そして規律使いもまた、神のエゴによってできたようなもの。…だから、『規律使いでありながら力使い』、『規律使いでありながら知恵使い』というのはいなくても、『規律使いでありながら魔法使い』だけは存在するのです」
「なるほどー…」
納得のいく説明をしてくれたヴン・アークの存在に納得しながら、秋野は強く感じていた。『神』の凄さ。
神ってのは、そんなことまでできるのか…。それに、さっきのような説明は、多分 規律使いの全員ができるんだよな…。どうりで、こんな…朝宮ちゃんなんかを狙ってでも神になろうとするやつがいる訳だ。
「分かったでしょうか?神には、この星のルールを丸ごと作り替えてしまうような力を持つことが可能なのです」
「やだ…わたし、別に神になりたくないよ…」
ふるふると首を横から横へと反復して移動させる朝宮。秋野は ぎゅっ…と優しく肩に手を回す。
「金田さんや秋野さんも神候補です。信用できる方に権利を【譲】ってしまうのも、良い選択肢だと思いますよ?…それに、我々、『円卓の大団』もいます。守ってみせます」
全員が、会話に集中するこの静かな部屋では、動いてるものはほぼ何もなかった。そんな中、外からの風を受けて大きく揺れたカーテンを見て、秋野はふと思う。
「…それで、この戦いは…いつ終わるんですか?」
「これは、規律使いとしての直感ですが…神候補が最後の1人になったら、その瞬間に終わるでしょう。当然、最後の1人が次の神です」
「うぉ…」
世界の広さから分かる途方もなさを感じる。
「しかし、そうかといって、たった1人の絶対勝者というものは…なかなか決まらないものです。ですから、期限があります」
「期限…。つまり、最後の1人が決まる前に期限がきたら、その期限までに『神になるための権利』を一番多く持っている人が神になるってことですか?」
「そうです」
「その期限ってのは…」
「どうやら神というのは5年かけて世代交代するようで。4年の戦いを終えて決まった新しい神に、先代の神が1年かけて神の仕事を教えるそうです。……つまり、次の神が決まるのは、あの日から4年。…2004年、7月27日です」
「2004年の7月…27日!?」
と驚いてみたものの、別にその日が特別な日ということもないので、結局リアクションに困る。
期限は大体分かったけど、いや、うーん。なんというか…7月の27日って別に何かの特別な日ということでもない…
そこまで思ったところ、ふと脳をよぎる。きっと、ゲームオタクの機堂ならこう言うだろうな、と。
「7月27日って、あの超名作神ゲーの『MOTHER』の発売日やんけ!!」
そこに、金田が乗っかって「おー、いいな!でも俺はやっぱ2が好きだなぁ…」とか言いそうだ。
…そう考えると、
「ふふ」
ちょっと笑えた。




