(34話) A NeverlanD
その光はあたかも己のことを幸福の象徴とでも言いたげに差していた。
先程まで雲に隠れて空をのんきに浮いていた太陽は、雲が去ったのをいいことにギラギラと輝いている。
「…………」
「秋野さん。…そんなところにいつまでもうずくまっていては、風邪をひいてしまうかとしれません。体を拭いて、部屋で待ちましょう…」
親切な人物の提案を、首を振って拒む。
緑の扉を前にした廊下で、秋野はずっとうずくまっている。今彼女がしているのは、祈り。祈っていたのだ。
頼む…。お願いだ。優奈ちゃんを助けてくれ…。私はどうなってもいいから…。お願い…お願いしますから……
体に付いた雨はとっくに乾いているのに なぜか濡れている頬。もう何時間経ったのだろうか、彼女はただひたすら祈っていた。扉の向こうにいる少女の、無事を。
「…朝宮さんとは…仲がいいのですね」
「……」
そのアークの言葉は、廊下に響く泣き声を大きくしただけだった。
扉の開く音。
緑の扉ではない、もっと大きな…そう、ここの館の入り口から音がした。
「アーク」
「!ステイトさ…コホン。メタさんは大丈夫そうですね。あの2人は…」
アークは、その場から移動せずに会話を続けた。今は、哀しい少女と、泣き疲れた秋野の隣にいてやるべきだと思っていたからだ。
「金田くんも機堂くんも大丈夫じゃねーよ。…俺たちは、あんな幼いこども4人に、酷い目に合わせてしまったんだ」
この世そのものに対するような憂いの後ろから、もう2人の人物が現れる。それが、金田と、機堂。
「…連れてきたのですか」
「いや、拐ってきた。こんなとこにこどもを連れてきた、なんてのは似合わないだろ。…こどもが来るべきとこじゃないんだ…でも、俺のエゴで拐ってきた」
そう言いながら、ステイトはズカズカと廊下を進んだ。
「風呂使うぞ」
「あぁ…はい。ゆっくり入ってください。温かいスープを作っておきます」
「…その服。秋野ちゃんとうっちゃんは風呂に入ってないのか。…そうだ、朝宮ちゃんはどうした」
「朝宮さんはもうキリクに任せています。助手も2人…」
アークは、朝宮を預かった医者の名を言った。ステイトとアークには馴染みの名前だ。
「は…。ちょっと安心できたよ。…秋野ちゃんもうっちゃんも、風邪ひくなよ〜」
「はい」
いつの間にか「アーク」から「うっちゃん」呼びに戻ったステイトは、そのまま風呂のある方へと消えていった。
残された金田と機堂は、十年来の約束のように、緑の扉の前で止まった。
「…」
「…」
2人は祈りを始めたのだ。
どこかの宗教にあるようなしっかりとした祈りではない。ただ2つの手を合わせて強く握りしめる、人間が一番初めに考えついたであろう祈りだ。
緑の扉の前。
「…2人は、大…丈夫、だったか?」
秋野は、数時間ぶりに開いた口から乾いた声できいた。
「やからこうしてここにおる」
「機堂の言う通りだな。お前の方こそ、大丈夫……なわけないか。…今は、ゆっくり休もう…」
そう言って、2人も隣にぺたりと座り込んだ。
3人の子供の涙が乾いたのは次の日の9月19日。…みんな、眠りにつくまでずっと祈っていた。きっと、レム睡眠につくまでは夢の中でも祈っていた。
「…さん…」
「…きのさん、」
「秋野さん。…ふぅ。おはようございます」
「あ…アークさん…」
少し痛む目をこすりながら、アークを見る。アークは安堵感あふれる笑顔だった。
「お2人は先に起きて、朝食を取らせています…」
グゥ〜。腹が鳴る。
「っ!す、すみませっ」
「はは。疲れていた……そもそも生理現象ですから、別に恥ずかしいことだとは思いませんよ。…さ、どうですか?朝食を取りましょう。話すこともあります」
「は…はい」
言われるがままに、秋野はその場を離れていった。朝宮の元から離れるのは少し辛かったが、そのことも朝食のときに話してくれるだろう。
テーブルの上には、ずらっとご飯が並んでいた。
手を洗ってから、案内された席に着く。
「おはよう。なんか、俺ら泊まっちゃってたみたいやなァ」
「ああ…機堂。おはよう。…それに、柚まで」
「おはよう……」
両隣には、金田と機堂がいた。今になってシャワーを浴びたくなってきたが、それよりも高くに位置する欲求である空腹が、「さっさとメシを食え」と言って五月蝿い。
用意された食パンを手に持ったまま口に運んでいない金田が、ゆっくりとこう言ってくる。
「ちょっとは気持ちの整理ができたか?……スマン、俺はまだだ」
そう言ってパンを差し出してくるのである。
「学校とか空腹とか家のこととか色々あった気もするけど、それよりも朝宮のことがずっと気になってさ…。秋野、お前が食べるか…」
「バカ、柚。バカ。みんな同じだ…お腹は空いてるけど、頭はずっと優奈のこと考えてんだよ、こっちも!」
そして、食パンをひったくってやった。
ずいぶんと静かな食事の場だ。
そこに、アークがやってくる。
「遅れてすみません。私を含め、団の者はみな徹夜でして…後からくると思います」
席に着く。
「…最後まで起きていたのは、朝宮さんを診ていた医者…キリクと、ステイトさんでしたが、その2人だけはどうやらまだあの部屋にこもっているらしいですね。じきに…」
なんて言っていると、じきがやってきた。彼が来たのだ。
元々 若白髪の多い彼だったが、心なしか白髪が増えたような気もする。いや、気のせいか。
「よう」
疲れ切って青白くなった肌と、真っ赤になった目が雪原の兎を思わせる。手には紙の塊のような緑の予言書。
そして、ステイトは次のように言う。
「…すまない」
その一言は、光よりも速く、彼女たちにたった一つの最悪の結果を連想させる。
ガタッ…
「そ、ま…そん、」
これまでの人生で感じたことのない新しい感情が、秋野の心を信じられないスピードで蝕んでいく。それは機堂にも言えることだった。
そして、金田にとっては2度目の感情。秋野が彩扉と戦って病院送りにされた時にも感じたことだ。アナフィラキシーショックでこちらが死にそうになる、猛毒のような感情……。
それは、恐怖。それは、
死。
己の死に対する恐怖ではない。親しい人が死ぬという、全ての恐怖と一線を画す、心を内側から腐らせるような恐怖だ。
しかし、次の瞬間、ステイトが話の続きをやっとしてくれる。
「一命は取り留めた」
この言葉のおかげで、3人は少し救われるのだった。
「よがっ……たっ!」
手をぐりぐりと顔に押しつけて涙を顔全体に広げる。
「ひっ…え、えぐっ、…はっ」
言うまでもない。その時、秋野は、誰よりも…誰よりも、沢山の涙をテーブルの上に流した。そして、心の底から安堵した。生まれて初めて、人が生きてくれていることに感謝した。
「…どうだ、ちょっとは落ち着いたか?」
結局10分以上泣き続けてしまった。とにかく少しは落ち着いたということを伝えるため、コクンとうなずく。
「……それで。具体的に、優…コホン。朝宮の体はどうなってるんですか、今」
「ああ。それなんだが…」
生唾の落ちる音がする。金田はいまだに手を小刻みに震わせていて、機堂もまた不安を隠しきれない様子だった。
「まず、お腹にナイフが刺さっただろ?だから、しばらくはまともにご飯も食べれないかも知れない」
それに反応したのは、この館の料理担当のようなものになっているアークだ。人を治すには医者の手術だけではなく、患者の体力も必要不可欠であることをアークはよく知っていたからだ。
「そんな…キリクはどう言っていましたか?」
「俺も心配だったんだが、飲み食いはキリクがなんとかする。あいつも医者の端くれだからな」
それを聞いて胸を撫で下ろすアーク。しかしステイトは厳しい声で言う。
「体はいつか治るだろう。ただ、心。心はどうだ」
いつしか秋野は立っていた。座っていられなかったのだ。座っていると、体がムシャクシャしてどうにもならない。
それは金田も機堂も同じだった。そして、ステイトもそんな少年少女たちを見て、真剣に、対等に話を続ける。
「言葉で言うよりずっと苦しいんぞ、心は。…小学校上がりたての小さな女の子が、殺されかけたんだ。トラウマなんてもんじゃない」
「ぐ…っ」
金田はやはり、病院のベッドに寝たきりになっていた秋野を思い出すのであった。それに、自分が、先生に闇よりも重い黒球で潰されかけたことも思い出す。つまりは己のトラウマである。しかし何よりも苦しかったのが…
朝宮ちゃんより身体も心もしっかりしてるはずの…俺でも、トラウマに押し潰されそうなのに…!!朝宮ちゃんは…俺よりも、重い傷を、心に……
「はっ…はっ…」
「オイ、お前も大丈夫か、柚」
機堂が、息の乱れた金田の背中をさする。
「大丈夫だ…。俺のことはいい、朝宮ちゃんが…」
「そりャ朝宮も大事な友達やけど、お前もやろ!阿呆が……聞くだけでも辛いけど、心を強く保て!!」
機堂は、金田の両肩を掴み、強くそう言う。
「…ありがとう。…いつもゴメン」
感謝と謝罪をする金田の方へ、ステイトはまるで何かを託すように言う。
「そうだ。心は、薬でも栄養のある食べ物でも治らない。…だから、君たちが支えてやるんだ」
3人は、至極簡単な返事を、腹の底の底、心からの声で返した。
「「「おぉ!!!!」」」
-すっかり日の落ちて暗くなったになった館のテーブルで、[彼]は言った。
「すまない」
とある物語の中心にいる3人の中学生はそれぞれの家へと帰った。それからまた日が暮れたときの話。
「どうしたんですか、メタさん。突然…」
テーブルには、料理が並んでいる。これから一日で3回目の食事だ。
「みんな、すまない。全ては俺の失態だ」
テーブルの周りには、大勢の人。そう、『円卓の大団』である。
「メタさんのせいではないです。…確かに、もっと良いやり方があったのでしょうが、朝宮さんは死ななかった。私たちは、少女を救ったのです…!」
テーブルを囲む大団の員たちには、うなずく者がたくさんいる。
「でも、まるで朝宮ちゃんを囮のように使ってしまった…!クソ」
「そう自分を責めるな」
そう言ったのは、医者の白衣を黒く染めたような服をしている男、
「キリク…」
「朝宮には、名医である俺がいる」
「自分で言いますか」
名医は、アークのツッコミを無視する。
「ゴホン!…正直、朝宮はかなりヤバいだろう。ナイフだけじゃない…雨、ランドセル、学校、大人、…トラウマになりえるものはいくらでもある。次に笑えるのは、いつになるのかも、実のところ…」
「そう、ですか……」
「…クソっ」
「まあ そういうな。アークもステイトも、心配しすぎだ。朝宮には、あの素晴らしい3人がいるのだろう?…きっと、彼女らが笑顔を、そしてハッピーエンドを作ってくれるさ」
そう言って、その医者は、料理のあった皿をじっくり舐め回した後、去っていくのだった。
「ごちそうさん。じゃ、この物語のモブキャラである俺は、仕事に戻るわ…」
変わった医者が朝宮についたものだ。
「…キリクさんの言う通りっス。自分は子供が好きで、世の中から不幸な子供を無くしたいからこの『大団』に入ったんスよ。今回のステイトさんはよくやったっ!!」
「…どうも。エンリケも、今回は本当にありがとう。もし朝宮を俺たちが救ったというのなら、お前の存在は大きかった」
「っス!!」
俺は、同胞に恵まれている…
ステイトは、そう思えた。
そこに、1人のメンバーが帰ってきた。そいつは、朝宮の母親にずっと電話をしていた奴だった。どうにか説得できたらしい。
「ああ、お帰り。お前もよく頑張ったな。本来なら、それも俺がやるべきだったんだが…」
「ううん。メタっちも疲れてるでしょ?それに、しっかり朝宮ちゃんのお母さんには説明できたよ。…さ、ご飯にしよ!」
「本当にありがとう。……さぁ、みんな!!とりあえずは一段落!これからも、このクソッタレな『神の座を巡る戦い』の、この物語のハッピーエンドを目指すとするか!!」
「おおおお!!」と声が湧く。
少し寂しげな夜の、ほんの少しだけうるさい夜が始まる。
-それと同じ日の出来事を一つ。午後4時…怒られるのを覚悟しながら、家の扉の前で立っている[彼女]。そんな時、あることを思い出し、ポストを開けることにした。
朝宮がチラッと言っていたことである。
──「まえお姉ちゃ〜ん!あのね!ポストは見た!?」
本当に、ふと思い出したのだ。
一体なんなのだろう…
と思いながら、ポストを開ける。
「…!!」
その中には、淡いピンクのメッセージカードと、小さな水色の袋があった。袋の方は、クッキーだろうか、甘い匂いがする。そして、メッセージカード…そこには、雨で少し文字が滲んでいたものの…朝宮から秋野への、誕生日を祝う言葉が綴られていた…。
「ゔっ!うっ…うっ…どうしてっ!私の誕生日なんか…!そ、それなのに私は…っ!うっ…くぅ……」
その時思った。もう2度と、こんな目に遭う子が出てはいけない と。そのためなら、どんなに危険でもいい、この『神になるための戦い』を早く終わらせてやる と。
ここはサースター。
とある次元の星のコピー。
『奇跡の星』をコピーして作られた『理想の星』。
そこには『力使い』と『知恵使い』、『魔法使い』…そして『規律使い』と呼ばれる人種が住む。そんな星。
その星にいる一人の中学生は、次の日、ある館に言いにいく。
「決まりました。私を、神候補にしてください」
まだこれを見ているそちらには関係の無い話だ。




