(31話)物語と
いつもなら朝の光のくすぐりによって目覚める。朝ってそういうものだ。
しかし、この日は違った。
ザ ア ア ア ア ア ア
ア ア ア ア ア ア ア
「うるさ…」
その日は、大雨のやかましさに起こされた。
9月18日。新しい朝が来た。希望の朝だ。
よく眠れた。落ち着け…落ち着け、私。
心を整えて、いつも通りを振る舞う。家を出るまでの間はいつも通りに、と。
公園に着いたところで、雨は止まなかった。
家を出てから、ポストの中がぐしゃぐしゃになることに気づいて、公園に来る前に確認しておけばよかったと思った。しかし、そんなことはこれからのことに比べたら今はどうでもよかった。今は、どうでもよかった。
「よう。来たのか」
ずっと前から居たらしい2人の男子中学生に挨拶をする。
「ああも予言が当たるとな…」
金田は元気がないのを隠す気すらないらしい。せめてもの気遣いか、暗い顔を傘で隠して返事した。制服はずぶ濡れだ。
機堂はレインコートのポケットに手を突っ込んで黙ったままである。いつもの黒い傘ではなくて黄色いレインコートを着ていた機堂は少しレアだ、と感じる。
というか制服すら着てねー…。私みたいに、ちょっとは誤魔化せよ。学校サボる気マンマンかっ!…ハハ、いや、それは私もか。
傘を持った右手の反対、利き手ではない方で通学カバンのショルダーストラップをギュッと握る。ショルダーバッグと化したその中には、携帯やらカッターナイフやらとにかく色々入っている。
人を殺すような者に、自分みたいな子供が勝てるわけがない。それは彼女自身、よく分かっていた。しかし、せめて と武器になりそうなものや、警察や病院に連絡をとれる携帯電話を持ってきたのだ。
十数分後。メタ・ステイトが公園に着く。隣にはヴン・アークがレインコートに身を包みながら付いていた。
そして、着くやいなや、ステイトはおどけた様子でこう言った。
「よく来てくれた…。あ!いや、違う!分かってる!俺のためじゃなくて、朝宮ちゃんのため…だろ?」
分かってるのか と彼女達は思う。実際その為だけに、3人は学校を休んできた。今頃、学校はそれぞれの家庭に電話を入れていることだろう。
が、そんなことどうでもいい。この神の座をめぐっての戦いで、私の周りが傷つくのはもう嫌だ。
傘を握る手に力が入る。
アークから、今日の作戦についての話が始まろうとしていた。
「…それでは、今日の予定を言います」
「…」
唾が喉を落ちる。
「しかしその前に、皆さまに言わなければならないことがあります…。心して聞いてください。……朝宮さんが刺される理由は、彼女が神候補だからです」
「!!」
金田と機堂にとっては、今、この瞬間初めて知ったことだった。特に、神になるための戦いに詳しくない機堂誠一にとっては、頭が真っ黒になるようなことだ。
「はァ!!?なんであいつが神候補やねん!」
「…」
「おい!…お前、規律使いやろ…?お前がやったんか?おい!!」
「機堂、落ち着け」
「てかお前、秋野も神候補にしようとしてたらしいな?!なんで、みんなに権利を持たせて殺し合わそうとすんねん!!大体、」
「──落ち着け!!誠一ッ!!!」
ザァッ。雨の音が、一瞬聞こえなかった。
機堂の大声をかき消したのは、金田の大声だった。
「…なんやねん。柚」
「……朝宮ちゃんが神候補なのは、きっと他の規律使いに知らない内に権利を付けられたんだろ。…それか、他の規律使いに騙された」
傍から見ている秋野も、胸がこれ以上なく痛かった。喉が焼ける。胃液で身体が溶けてゆくようだ。
雨は良い。涙が人に見つからない。
「お前は…なんで?なんでそんな冷静でいられんねん!!」
「黙ってろよ!これ以上、周りを見失わせんなよ!!頼むからっ、頼むからよぉ……」
…傘から覗かせた金田の顔は、雨にかき消されないくらいの涙でぐちゃぐちゃだった。
「…さっきはスマンかったな」
「いや、こっちこそ」
水溜りを踏んで2人は電柱の間を縫うように進む。
数分前にチーム分けによってできた『金田アンド機堂チーム』は、朝宮優奈の下校ルートとして考えられるものの一つの道で待機することになっていた。
今の2人の眼は、誰よりも鋭く、雨の中に光っている。
「なぁ」
金田は気まずそうに口にした。さっき怒鳴ってしまったからだ。
「ん?」
「絶対に朝宮ちゃんを守ってやろうぜ」
「…おう!」
ああ。何だ。気まずそう、だったか?前言撤回。この長年の友である2人は、今、最高に気分が一致している。
その頃、秋野はアークとチームを組むことになっていた。
2人は同じく、電柱や建物に身を隠しながら、虎視眈々と通り魔らしき者を探していた。
「え〜、こちら異常な〜し。…というか今は小学生共の帰宅時間じゃねーけどもな」
その時、脳内でそんな言葉が鳴っていた。
これは、チーム分けの際に説明された、メタ・ステイトの魔法である『人を動かす』だ。微弱な人を支配する力があり、使用者の想う相手とテレパシーを通わせることができる。
すごいよな…。メタ・ステイトさんだっけか?オリジナルの呪文があるってのがどんくらいすごいかってのは、私にも分かる。それに比べたら、私はどんなに無力なのか……
「クソ…」
その場にずっと留まることもできないために、ウロチョロと動く己の滑稽さには自分も笑ってしまいそうだった。
「よし、大体の配置に着いたか」
テレパシーを放つ。
ステイトはいつになく真剣な口調で伝えた。
「6時間後…6時間後に小学生共は下校を開始するはずだ。そして、その時に君たちにやって欲しいこと…」
秋野たちにしかできないこと。
「それが、朝宮ちゃんと出会って、一緒に帰ることだ」
3人は黙って指示を聞いている。
「俺とアークは朝宮ちゃんと知り合っていない。近くで守ってやるには警戒心が邪魔なんだ。…そこで、君たちの出番さ」
他のチームと同様に電柱に隠れながら、彼は説明した。
そして、これだけは聞いておかなければならないだろう。
「6時間、通行人に怪しまれないようにして かつ 朝宮ちゃんの下校ルートの周辺にいる。その上、怪しそうな通行人をマークする……中学生にやらせていい苦しさじゃねぇよなあ…」
今更、ではない。今ならまだ間に合うからだ。ここで止めるのも、賢さの一つ。
「それでもやるか?」
次の瞬間、3つの大きな意志が、テレパシーとなって帰ってきた。
「「「はい!!!」」」
3人には、「それでもやるか?」が、しっかりと真の意味で聞こえていた。そう、「それでも朝宮ちゃんを守るか」、と。
「ハハハ。なんとも頼もしい!」
あれから何時間経ったのだろう。
「…アークさん」
脳は冴え渡るし、眼は誰一人見逃すまいとしている、秋野。
「はい、なんでしょう?」
その隣でアークは静かに佇んでいる。秋野が学校の制服なのに対して、冷たい色のシンプルな私服だったので、何も知らない人から見たら中学生と大学生の姉妹に見える。
「ちょっと聞きたいことがあります。少し長くなるかもしれないですが」
「いえ、どうぞ。…きっと、本当は山ほど気なることが、不安があるのでしょうね」
秋野は口を開いた。カクテルパーティー効果というやつだろうか、雨音は全く邪魔をせず、2人に話をさせてくれた。
「予言書によると、優奈がきっかけで私が神を目指すことになるんですよね…?」
「はい」
「でも、もし予言通りに話が進んでも、私は神になれない…んですか?」
「予言ではそう書かれていますね。[主人公]は神になれず、バッドエンドになるように書かれています」
ギリッ!口の動きに勢いがつき、歯が強くぶつかる。
「私が神候補になることによってバッドエンドになるのに、何で…何で病院のとき、私に神候補になることを勧めてきたんですか…!?」
「それは…変わると思ったからです」
アークは、目をゆっくりと閉じて、落ち着いた様子で言ったのだった。
秋野にとっては分からないことばかり。
「は…?変わる?」
「はい。それに、予言通りに進むと、あなたは神候補になりません」
「どういうことですか!?」
「本来なら、神候補によって朝宮かんが殺された という事実すら秋野さんは知らされないはずでした。そして、それを知らないままあなたは日々を送る。…話は飛躍しますが、世界を救う勇者が存在し得なくなってしまい、誰も止める術を持たないラスボス的な者が神になるのです」
「そんな…」
「だから、秋野さんに神候補になってもらう必要があった。それに、予言は変わります。変えます。…病院にいたときに秋野さんを神候補にすることができれば、予言は変わって朝宮さんが今回の事件にあうことも変わっていたかも知れなかった」
「クソッ!!」
手に一杯の力を握って、自分の太腿を殴る。傘が揺れる。
私が優奈ちゃんを殺すようなものじゃないか!!なんで私なんかが主人公になった!どうせ予言通りの世界の私は、金田のことも見殺しにしたんだろうな!弱いから!私は、弱いから…
涙が雨に流されてゆく。
「秋野さん、どうか、自分を責めないでください…」
心の雨が止むまでの少しの間、アークはやさしい目をして秋野に寄り添った…
ズビ。鼻水をすする。
「…ありがとうございます」
アークに礼を言う。
「…あなたは優しい。だからどうか、一つだけ願いを聞いてください」
「?」
「全て、自分で背負ってしまわないでください。秋野さんには味方が沢山いる。信用できないかもしれませんが、私もちょっとは頼ってくださいね?」
また、涙が出そうになっていた。
物語の主人公だとか、世界の望む勇者だとか、今は そんな大きな話はよく分からない。自分が何をするべきかすらも分からない。でも、今 自分ができることは少しずつ見えてきた。
「ありがとう…ございます……」
しばらくして、一つのテレパシーが脳に入ってくる。
「行くぜ」
午後3時。小学校教師が、小学生を学校から追い出す準備に入った頃だ。
5人は、大きな決意を学校のある方向へと向けた。
金田は、目を強く閉じて気持ちを整理した。機堂は、レインコートに突っ込んだ手に祈りを込めた。アークは、口の中の不安を噛み砕いた。ステイトは、敵を吹き飛ばさんばかりの笑顔をしてみせた。
秋野は、その汗ばんだ小さな手を握りしめた。
一つの物語が始まろうとしている。




