(2話)夜の病院と夜の公園
ガラリ。
扉を開けると、視界には、清潔そうな白い部屋と、優しい黄色をしたカーテンが見える。ここは4人部屋なので、カーテンでスペースを4つに仕切る必要があるのだ。
素早く歩いて、カーテンで仕切られた部屋の、1番右上の所へ着く。そして、通路となる所からカーテンを開け、
「ただいま、ハル」
その女性と、彼は少しだけ会話した。
「あら、あなた。今日もお疲れ様。お仕事はもう終わったの?」
「…あぁ、でもこの後ちょっと用事があんだ。」
「あら、そうなの。珍しいわね」
彼女は、彼が中学校の教師だという事、そして今年は1年生の担当をしていると知っていた。
そんな、古くからの付き合いだった彼女が言った通り、この時間に彩扉に用事があるのは珍しかった。もう外は暗い。
「2ヶ月後に大事なイベントがあってな。その準備でやる事が残ってんだ。大変な時なのに…すまん。」
「いいえ。私こそごめんなさい…」
「…ハルは何も悪くない。…また後でよるから」
「ありがとう」
「ああ」
そう返事をして彼は部屋から出ていった。
ガラリ。
夜の8時。彼は妻に別れを告げた後、約300m歩くと、そこにある扉の前で足を止める。
これから扉を開けて…
「金田を殺してしまおう」
ここは直利病院の3階。さらに言うと、西病棟の6号室だ。彩扉が今から開けようとしている扉の向こうには、一部から神候補と呼ばれる中学生がいる。
なるべく音を立てないように扉を開ける。他の患者に迷惑にならないようにと。
目的となる人物がいるのは、入り口から入ってきて、すぐ手前に見える、黄色いカーテンで囲まれた2つの空間。その、左の方だ。何の迷いもなく、カーテンを開く。
するとそこには、寝込んでいる金田、そして…
「!お前は…」
秋野がいた。
友人の隣で立っている彼女は、お見舞いという理由で来たわけではなさそうな男に対してこう言った。
「…さすがに友達を今から殺そうとしてる奴をほっとくことはできないでしょ」
奴…奴か。それはそうだ。教え子を本気で殺そうとしている俺はもう、こいつらの先生ではないわな。ましてや自分のためにだなんて…。
「そうか…。俺も暇なわけじゃない。来い」
心が揺らぐ前に早く終わらせようとする。もう言葉にしたからには後戻りはできない。自分自身が一番分かっている。神候補でも何でもない、自分がただの犯罪者だってことは。
秋野は彩扉に言われるがままについて行くのだった。
そして、しばらく階段を降り、地上1階に着いた。
ロビー中央をまっすぐ進んだところにある自動ドアから病院を出て、彩扉は少し離れた所にある広い公園へ向かって歩いていく。
このあたりは、ちょっとした都会で、その中の所々に自然が散りばめられている といった感じの街だ。
あまり夜に外出する事の無い中学生にとっては、見慣れた街の見慣れない顔は少し怖かった。
7月も終わりに近づき、むし暑くて何もせずともたらたらと汗が流れる。しかし、2人とも背筋は冷たく手は小刻みに震えている。
「人を殺すのは本当に慣れない…ましてや自分の教え子を殺すなんて」
「…」
この言葉に対して、何も言えなかった。胸が熱い、というより胸が燃えていた。怒りに燃えていたのだ。
そんな 気まずい空気も、ついに終わりを迎える。公園に着いたからだ。
公園に着くともう8時半で空には雲が見えない。周囲には人も見当たらない。一昨日の祭りからは信じられないないような静けさだが、恐らく明日には夜8時過ぎに2人も人は来ないのでより静かになる。
「…ここら辺でいいだろ。もう疲れたし金田を殺すのは明日の早朝にまわそう」
遊具の少ないこの公園は喧嘩なんかには絶好の場所だろう。
「何かを半分にする魔法でどうやって勝つ気だ?」
「そうペラペラ手の内を明かすか。かといってそこまで策やら罠はないけど」
腕っ節で勝敗を決める力使いや、より優れた策を持った者が勝つ知恵使い、喧嘩なんて9割は才能で決まってしまう。(残りは経験と運)
そしてそれは魔法使いも例外ではなく、全てにおいて秋野が劣っているのは彩扉から見ても秋野から見ても一目瞭然だった。
「ハァ」と溜息をついた後、標的を見つめながら喋る。
「子供が大人に敵うと思っているのか…。最後に教師としてではなく、ただの友達として少し話そう。秋野」
友達として…。実は普段から休み時間になると、たまに互いに共通の趣味であるゲームについて雑談したりしていた。場面が場面なので秋野は「子供が大人に勝てるわけない!」とでも言うと思っていた。
しかし、彩扉は友達に喋るようなことを教えてくれたので秋野は一瞬なんのことだかさっぱりだった。
「地球って知ってるか?」
少しの間、沈黙が流れる。(と言っても約4秒ほどだが)
「え、ち、地球? 地球て、社会の歴史で習う…」
「あぁ、そうそれ。星の」
この場面で言うか?普通。
こう思うのも当然、地球は歴史の授業で最初に習う単元だ。
地球とは、オリジナルの事であり…この星は、コピーである。つまり、サースターは神が地球という星を元に作ったフィクションの星だという事。
実際、サースターは地球とほとんど同じ構造をしていて、地球から取り込んだ文明や文化をベースに作られている。それは今も続いていて、今、秋野や彩扉が話している言葉は地球の日本と呼ばれる場所の言葉だったり、テレビではアメリカと呼ばれる所のアニメや番組を放送していたりする。
小学生低学年でも知っている常識だ。
「…知ってるわ。いや、社会科のミカ先生の授業が分かりづらくて曖昧になってしまったかも」
「ミカ先生の授業で分からないなら一生お前には理解できないな…。まぁ、いい。地球という所があるんだ。サースターではそこから来たゲームもある。ゲームなら日本が有名だな。あー、日本のゲームだ」
ゲーム?なんで今ゲームの話をしているんだ?
「で、その日本のRPGにも魔法使いとかがいるんだよ。同じゲーマーなら分かるだろ」
何が?
「有名なところだと、ドラゴンクエストとかな。あれ、地球発のゲームなんだよ。特にシリーズ第6作品目が面白かったよな」
「…‼︎」
-[秋野]は やっと気がつく。
彩扉ォ‼︎前振りが長いッ‼︎あまりにも前振りが長くて気付かなかった!金田を殺すのは明日の早朝だとか、ドラゴンクエストとか…何の話だよ、と聞いていたけど、意味が分かった今、すぐここから離れないと!
地球のゲームに、ドラゴンクエストというものがある。そのゲームでも、キャラクターは魔法を使って攻撃することができるのだ。そして、そのシリーズ6作目には、とてつもない攻撃魔法があった。“伝説の大魔法”…才能ある物が、すべての魔力を消費して やっと使える、そんなレベルのものが。
その名は、マダンテ。
秋野はいきなり彩扉に背中を見せながら走り出す。だが、彩扉は余裕の表情で掌を夜空へ向けて上げる。
「オリジナルは暴走した魔力が爆発を起こすんだっけか」
考えろ、考えろ!魔法継続時間か⁉︎質量か⁉︎威力か⁉︎何を半分にすれば死なずに済むんだ…?
「気付いても無駄だ。全魔力を消費して使う伝説の魔法…。さすがにコピーだからオリジナルとはかなり違うけど、この技から逃げる事は出来ないだろう」
全魔力を消費する、伝説の魔法。
秋野は走る!そして、走りながら考えた。逃げる事が不可能である、次の瞬間に来る魔法から生きて助かる方法を。
「魔弾手!!!」
さいどは すべての まりょくを ときはなった!
ぼうそうした まりょくが ぎょうけつを おこす!
秋野の頭上1mには本日2度目となる、凝結した魔力でできた魔弾。それは直径8mの球体だった。
悲鳴を叫ぶ暇も無く…
馬鹿でかいドゴンという音が、砂ぼこりを巻き上げながらこの小さな公園内に轟く。
秋野がいた所は黄土色の一色で塗りつぶされ何も見えない。
「ハァ、ハァ」
10代前半の女の子を殺すには、どう考えてもやり過ぎだ。
魔法使いにとって魔力は力使いでいう体力のようなもの。当然、全魔力を使うと疲れが酷い…全魔力を一度に解き放つ大技なんてシロウトがやればその場で倒れてしまうだろう。
でも、なぜかそんな大技を使わなければ勝てない気がした。この女子中学生には。
「ぐッ」
頭が痛い。ちょっと魔力を消費してポンと出す魔弾手はたまに使うこともあるが…いつぶりだろうか、全ての魔力を使う自分流にアレンジした本当の魔弾手を放ったのは。
ふらふらとした足取りで公園の出口に向かって彩扉は歩く。体力は満タンだが、魔力はカラッポだとこうなってしまうのだな…久々にその感覚を彼は思い出した。
全長8mの魔弾と地面がぶつかった音も完全に消え、砂ぼこりも晴れてきた。
その中から
「ゥ〜…」
呼吸だとは思わないほどに細い音が聞こえる。
そして、そのか弱くも荒い呼吸の音を彩扉は聞き逃さなかった。嫌な予感がするのでクルリと振り返ってみる。現実逃避が無意味だなんてことは彼にとっては分かりきったことだったのだ。
薄れたほこりの中に人影が見える。心当たりがある人物はただ1人、秋野だ。
「フゥ…ハァ、バカな…し、信じられない…」
驚きと疲れからか、もう声のような声が出ない。
何?なんだ…?魔法継続時間?質量?威力?そんなの半分にしたところで助かるのか?……何を半分にした?
「そこにいるのは秋野!お前だろ…。一体何をした⁉︎」
「ゲホッ!…こ、答えたくないね。ゴホ」
秋野の身体はいたるところが、まるで壊れた人形のようにくしゃりと曲がっている。その様子はまさに死の一歩手前といった感じだ。
そんな姿を見てすぐに彩扉は分かった。そして背筋が凍る。ピシャリと凍って背筋がピンとなる…訳ではない。まるで身体がそのまま石になったかのような感じだ。
「まさか…」
よくぞあの短時間で考え付いたものだ。
「死亡率を半分にしたのか!?秋野ォ!!」
「ハァ、ハァ…」
裏も表も死と彫られたコインの、表を生に変えた。つまり、秋野は死亡率を100%から50%にしたのだ。そして、投げられたコインは…
表を向いた。
「ハァ、そんっ、なことより…」
ズボンの左ポケットから忍ばせておいたカッターナイフを取り出し、ズル…ズル…とこちらに向かってくる。
彩扉はその姿に恐ろしさを感じた。なんとかまだ動く、といった感じの右手でカッターナイフを握っている秋野に。
おえ。今のところ大体…作戦通りだ。魔力が尽きると疲れる。だから、彩扉の魔法を回避し続けて、あいつの魔力が尽きて疲れたところをナイフやらで戦えばいい。…嘘。もう無理。本当に勘弁してくれ…。まさか一度に全ての魔力を解き放ち、一撃で仕留める気だったとか…思うわけないじゃんか!でも、もう少しだけ頑張ろう。
一番大事な目的が残っている。これだけは聞かないと。
「ハッ、ハァ…なんで、金田を…殺そうとしているんですか…?ゲホッ!ゴホ」
軽度の呼吸困難のせいだろう、うまく喋ることができない。それでも、精一杯の声を絞り出す。
「彩扉せんせぇ!」
既に彩扉先生にカッターを突きつけていたものの、残り僅かだった体力が切れ、バタリと彩扉に倒れかかる。
「うぐ…分か」
一緒に彩度も倒れそうになる。受け止めなければならない、と力を入れる。
「ッてぇぇえ!」
しかし魔力は空。女子中学生なんて支えることはできなかった。
「わ!わ!わ!」
ボスン!と音を立て彩扉は、秋野の下敷きになる形で、公園のそこまで硬くない地面に倒れてしまった。
「ハァ…」
疲れとは別に溜息が出る。地面が冷たくて気持ちが良い。
もう起き上がる気力も無いので、しばらくそのままでいようと彩扉は考えた。
この半年間、生徒としてほぼ毎日会った金田を思い出す。
朝、正門の所で、門を通る生徒にあいさつをしている彩扉は、いつも一緒に教室へと向かう秋野と金田をよく見かける。
「これは悪いことした…」
友人に恵まれたお前の勝ちだ、金田。一方的に殺そうとして、悪かったな。
…げ!!!今、【負】けを認めてしまったかも⁉︎
うわぁ…もう神にはなれないな。
はぁ。もうちょっとだけ地面に寝そべっていよう。そしたら、面倒くさいけど、家に連れて行くか…。
-そう彩扉が思ったときに、[そいつ]の足音は聞こえた。
魔法使いは、身体能力の高い力使いや、情報収集能力の高い知恵使いほど耳が良くない。
そんな魔法使いである彩扉はこちらへ向かってくる足音に気付いた。それは、もうすぐそこにいるということだ。とても穏やかな足音だったが、どこか不安になるリズムだ。
その足音は彩扉の耳元まで来ると、ピタリと止まる。
月はそれの反対に位置しているので、逆光でよく見えない。
「…誰だ?」
彩扉がその、男なのか女なのか 人間なのかも分からない、中性的な何かに問いかける。すると
「私が病院へ連絡を入れておきます。お2人とも無茶を…」
とだけ言ってそれは携帯電話をどこからか取り出して、連絡を入れる。しばらくして、プツンと音が鳴る。
どうやら伝え終えたらしい。
本当に病院に連絡を入れているのか?という疑問は無くならないが、今はどうすることもできない。
「大丈夫ですよ。ところで、失礼ですね。私は男でも女でもありませんよ!まぁ、人間かどうかは難しいところですが」
そう言うとそれはその場に座り込む。
「よいしょ」
脚を曲げ、2つの山ができる。その山の正面へと手を伸ばし、手と手を握る。三角座りだ。
彩扉は「本当に…初日から面倒くさい」と考えたが、途中で自分にとって今日(初日)が恐らく最終日でもあると悟るや否や、目を瞑り、黙ることにした。
上に乗っかっている秋野が重い。心臓から直接伝わってくる鼓動が、ただ疲れて寝ているような状態だということを教えてくれる。
ほんの数分して、オレンジ色をした大きな光が公園上空で停止する。
「おや、もう来たようですね。この国の救急円盤は本当に到着が早いですね」
救急円盤が到着した、ということはこのまま眠ってしまっても、次に目を覚ませば病院の天井が見える。
「では、これで私は」
その声が空気中を伝って彩扉の耳に届く頃には、もうそれの姿は見えなかった。
「フゥ…」
とりあえずは、真夜中の公園で女子中学生とこんなポーズを取っている言い訳を考えなければな、と考えていると脳内に直接話しかけられた。
「伝えわすれていました。また、近い内に私とは会うでしょう!…それと、彼女は主人公なんですから、負けても何もおかしくはありませんよ。女子中学生に負けたからと言ってそう自信を失くさないでくださいね」
理解できる所が少ないこのメッセージを頭に留めつつ、彩扉は少しばかり眠りについた。




